私は、広島カープのファンであることでもわかるように、地方の味方のつもりだし、東京一極集中が嫌いだ。

だが、逆に田舎者が嫌いということもある。

私のいう田舎者というのは、出身地がどこかというより、発想が田舎者の人のことである。

たとえば、東京が何でもいいと思い、東京にばかりあこがれるのは田舎者だ。政治であれ、ファッションであれ、世論であれ、東京に流される。

たとえば、東京に来るとすぐにことばを直す人間をみると、すごく田舎者の感じがした。

広島カープのある広島の人は、東京にきても広島弁を直そうとしないし、カープファンであることを誇る。福岡の人もそういうところがある。県民性が田舎者で、地元にチームができてもジャイアンツファンのほうが多いような都市には野球の球団などはできない。

そういう点では、日本の田舎は減っている気がする。昔、仙台にロッテがいったころは、まだ仙台の人は田舎者気質が強くて、球団経営が成り立たなかったが、今は楽天のファンも多い。

あとは、お殿様をあがめたてまつる風土だ。

その県を代表する政治家が世襲だったり、それをまったく疑えない県民性があるとすれば、田舎にしか思えない。横須賀だってやはり田舎のままなのだろう。おそらく小泉Jrは大勝する。もしそうでないなら、あそこは都会とすなおに認めたい。お殿様に逆らえず、世襲にへいこらするのは、本当に田舎根性をみるようで嫌だ。

そういう点では、日本は逆に田舎国(先進国と逆の北朝鮮のような国)に戻りつつあるのは不愉快だ。

あと、私が田舎者と感じるのは、下の人間に威張るやつだ。育ちのいい人間や、都会っぽい人はそんなことをしない。

医学部時代も教授で威張っているやつはたいがい田舎者で、貧乏育ちだった(これは気の毒な点もあるのだが)。

麻生氏は、私と比べ物にならないくらい育ちもいいし、小学校から学習院だそうだが、なんか、この定義で行くと田舎者にあてはまるので好きになれない。

頭を下げるのが嫌いで、いばっているようにしかみえないし、地元のアイデンティティより(博多弁はまともにしゃべれないのではないか?)学習院卒のほうを優先させているように見える。

けんかを売るのはかっこいいように思っているのだろうが、計算はきちんとできているのだろうか?

今度の選挙で運良く自民党が勝っても、今のように3分の2を維持するのは不可能だろう。つまり、再議決というカードはきれなくなる。

参議院に解散はないのだから、参議院では過半数割れのままなのだ。

だったら、より一層野党とのネゴや頭を下げることが大切になる。

これが麻生氏にできるように思えない。

選挙に勝って首相でい続けられるのに、田舎者根性のために、自分で政権を投げ出すのではないかと、いらぬ心配をしている。