昨夜はビジネス書の著者の会というのに出た。

レバレッジ勉強法でおなじみの本田直之さんがコーディネーターをしているのだが、確かに日本中のビジネス書のおもだった著者の方が集まる不思議な会だ。

ちょっと遅れて入ると、今をときめく勝間和代さんが出迎えてくれた。

そのほか、「さおだけ屋~」の山田真哉が「前からお会いしたかったんですよ」と声をかけてくれる。

お財布ケータイの開発者である平野敦士さんは、興銀出身のエリートだが、この誰も読まないようなブログを読んでくださっているそうだ。

私のように旬を過ぎた落ち目の人間に対しても、先輩を立てるような形で礼を尽くしてくれるのが嬉しい。

こういう腰の低い人間だから成功できるのだろう。著書を読むと、元気もいいし、少しアグレッシブに見えるが会ってみると、ぜんぜん違う人が多いのがビジネス書の著者の常だ。威張っている奴が多いのは、圧倒的に芸能人の類である(売れていないうちは腰が低いが売れ出すとたいていダメだ)

これは、私の強い信念だが、勉強をしていると性格が悪くなるなどというほど嘘はない。

確かに東大を出ているやつでも性格の悪いやつはいる。

でも、腰が低くて性格のいいやつのほうがずっと多い。

コフートの理論では、自己愛が満たされると性格がよくなるし、満たされないと攻撃的になるという。

私も昔は性格が悪かった。スポーツができなくてばかにされ、いじめられていたからだ。

だから、性格が悪かったのであって、勉強をしていたから悪かったのではない。世の秀才の多くが、スポーツができなかったり、いじめられたりして、それを見返してやろうと思って勉強を始めたりしているから性格が悪いのだろう。因果関係からいうといじめたほうが悪いと私は思う。逆にスポーツも勉強もできてというような嫌味な(こっちがひがんでそう思っているだけだが)やつのほうが悔しいが性格がいい奴が多い。

あるいは、医学部のように教授にめちゃくちゃ威張られると、人間、性格が悪くなる。偉そうにしている医者をみれば、たいてい、そこの医局の教授がひどい奴だったケースが多い。東大の老人科などはその典型例だった(いまはどうか知らないが)。それと比べて、教授が腰が低いと医局員も腰が低い。東北大学の老人科はそうだった。

私も書き物を読むと性格の悪い奴だと思われるだろうが、昔よりははるかによくなっている(と思う)。これも偏に自己愛がそれなりに満たされているからだろう。

むしろ、スポーツのできる奴や芸能人の成功者のいばった態度を見るにつけ、勉強は性格をよくするが、芸やスポーツで性格がよくなるとは、とても思えない。

勉強が批判される社会になり、子供の勉強がやわになった70年代後半に育った連中が大人になったころから、敗者に厳しい社会になって格差が広がってきた。これから、もっと格差社会は広がるのだろう。東大に新左翼や共産党が多かったように、勉強をしている人間のほうがスポーツをしている人間より、敗者に優しいと私は信じている。

それを勝ち組の集まりの著者の会で確認した気がしたいい夜だった。