朝、テレビを見ていたら、痴漢冤罪のルポをやっていた。

もちろん、『それでもボクはやっていない』のような話で、今に始まった話題でない。

今回の話もやっていない可能性が強いのにという同情や義憤で終始していたが、そうではなくて、むしろ問題にすべきは、国民としての当たり前の権利の侵害だ。

警察につかまると弁護士への接見も認められないということも異常事態だが、それ以上に、私が感じたのは、裁判所の意志だ。

「痴漢冤罪の裁判などやるな!」という

途中で訴因が迷惑条例違反から強制わいせつにかわり、男性は一審でも二審でも1年6ヶ月の実刑判決を受ける。

いくつかの集団レイプ事件などでも、従犯ということになれば、初犯なら執行猶予が珍しくない。

集団レイプより痴漢のほうが罪が重い国というのは、世界中で日本くらいではないか?

裁判所としては、痴漢冤罪事件というのは、実はなるべくやりたくないのだろう。

証拠が不十分なケースが多く、疑わしきは被告人の利益という原則に照らせば、ほとんどを無罪にしなければいけなくなる。

でも、それは検察との関係上も、社会防衛上もまずいと思っているのではないか?

そこで、習ってきたものと違うし、多少の良心の呵責があっても、有罪判決を出す。

どうせ有罪にするなら罪を重くしておけば、痴漢冤罪で裁判をするなどというバカが減ると考えたのではないか?

たとえば、テレビを見ていた人たちも、裁判が不当とは思うだろうが、彼らをクビにする力はない。

万が一、痴漢冤罪に出くわしたら、認めないと刑務所に入れられるということになれば、「やはりうそでも認めよう」ということになるだろう。

番組の趣旨としては冤罪の告発なのに、結果は逆効果で、泣き寝入りの勧めになっている。

むしろ裁判所も、それを報じられて喜んでいるのではないか?

国民の不当逮捕に逆らう権利や、警察に逆らう権利が蹂躙されている。

これが、裁判所全体の意思かどうかは最高裁の判決をみればわかると私は思っている。