中々アップできておらず、申し訳ございません。
これから又少しづつアップしていきますので、よろしくお願いします。
息子が生まれてから、美樹も僕もお互いの仕事で手いっぱいで日中中々遊び相手になってやれず、寂しい思いをさせていました。
ごめんねと思いながら日々の仕事に追われていた時に、うちの看板娘、猫のニャリちゃんが子供を出産しました。
それからはニャリの子供たちが息子の遊び相手になってくれて本当に助かりました。
ニャリとの出会いは息子が出来た時くらいに、会社に野良猫としてよく遊びに来ていたんです。
僕は、猫が大好きだったので、毎日来てくれるニャリにご飯をあげ続けていたら最初は警戒していましたが、徐々に打ち解けてきてくれて気づけば会社内に居座り始めたんですw
ニャリが子供を産んでくれた時に、タイミングが良すぎたのもあったんですが、ニャリの恩返しやねって話していたのを覚えています。
息子も生まれ、守っていくものが増えたことで仕事にかける思いが更に増していきました。
その時若いながらに気付いたことは、自分の為に生きるより、大切なものの為に生きるほうが力が発揮できるんかもって思いました。
それからしばらくして、ロシアビジネスの低迷、運送事業の業績向上を見て、2007年に本格的に運送業をスタートする事となりました。
和田貿易運送の始まりです。
業績を伸ばすために毎日トラックでの生活をして、とにかく自分の限界以上に走りまくりました。
月に家で寝るのは1回か2回くらいでした(涙)
でもそんな生活も楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
頑張れば頑張るほど結果が残り、それと同時に毎回やりきった達成感が生まれ、その達成感が自分を成長させてくれているって身に染みて感じていたからです。
でもたまには電話越しに美樹と息子の声を聞いて、寂しくなって泣きながらトラックを走らせていた事もありますw
その当時乗っていた3台積みはエアコンが効きませんでした。
でも知らないってことは恐ろしいことで、トラックの知識が少なかった僕は、トラックにはエアコン機能が付いてないもんだと思い込んでいて真夏もタンクトップを着て、エアコンなしで乗っていましたw
風が強い日は涼しいのでテンションが上がっていた記憶がありますw
そんなトラックでも、あまりに寂しい時は、トラックの真ん中の席にチャイルドシートをくくりつけて、美樹と息子と一緒に行ったこともあります。
そうこうして1年が経ち、息子も1歳になったばかりの時、会社にチャンスがやってきます。
あのリーマンショックです。
次回はそのリーマンショックが来て、その大ピンチをチャンスに変えたお話をしたいと思います。