枢密院議長として、GHQが草案を書いた現行憲法を受け入れざるを得なかった憲法学者の清水澄博士は、現行憲法施行の日である昭和22年5月3日に遺書をしたため、4か月後に入水自決した。

 

遺書には、「我が国の将来を考え憂慮の至りに耐えず。しかし小生微力にしてこれが対策なし」と記されていた。

 

 

『【まちネタ】大正天皇、昭和天皇に憲法学、皇室典範を進講した金沢出身の憲法学者「清水澄博士顕彰之碑」』(いいじ金沢)

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