「武蔵野市住民投票条例案の撤回を求める」街頭演説会で、私に演説をさせないようヤジやスピーカーで声をかぶせてくる人達がいたが、神奈川新聞の石橋学編集委員は「表現の自由だ」と擁護。

政党活動や政治活動を力で阻止しようとする勢力を擁護するものであり、民主主義への冒涜であり重大な挑戦だ。

神奈川新聞はどう考えるのか。

そして演説後、石橋編集委員に「心ない外国人がいるという外国人差別の発言をしたが」と質問されたが、私は「心ある外国人の方、地域が良くなればという」と発言しており、そういう方の話を聞くべきとの文脈での発言。

心ある日本人も、ごみを道に捨てるような心ない日本人もいる。
どこが差別なのだろうか。

神奈川新聞はこのように編集委員が取材相手に対し嘘の質問をし、恣意的に誘導するかのような取材手法を許容するのか。

政党活動や政治活動への妨害を擁護する行動を含め、石橋学編集委員の取材手法や行動について神奈川新聞はどう考えるのか。

石橋氏は記者ではなく活動家だとの声が飛んでいた。