「台湾高座(こうざ)会」。
先の大戦末期、日本海軍の工場「高座海軍工廠」(神奈川県大和市)で、戦闘機の製造に従事した台湾の元少年工の会。
私も交流がある。
皆さんは苦難があったのに、当時日本国民として国に貢献したことを誇りに思っている。
台湾少年工は、戦時下の労働力不足を補うため大戦末期の2年間募集された、航空機技師を目指す約8千人の台湾の少年達。
少年工は空襲を受ける中「雷電」の生産を行った。
空襲で亡くなる仲間もいた。
また、戦後、台湾に戻った元少年工たちも、日本へ協力したと国民党政権から弾圧され、苦難の日々が続いた。
しかし、元少年工の方々は今も日本を「第二の祖国」と呼び、日本との交流を行っている。
私も引き続き携わり、この歴史の事実を受け継いでいきたい。
『台湾少年工、留日75周年で記念式典、顕彰碑もお披露目』(産経新聞)