今回の衆院選で私は自民党広報本部副本部長として選挙広報戦略チームの中核を担ったが、選挙戦中盤以降、希望の党が失速したのは様々な客観的データや事実からも明らかだった。

 

ここからは様々な材料からの個人的な分析になるが、希望の党が失速した要因を4つ申し述べたい。

 

一つ目は、経済政策が民主党政権時代の政策に似ているなど内容が滅茶苦茶だったこと。

企業の内部留保課税もそうであるし、経済を理解している人が書いた政策とは思えないものだった。

だから、特に働き手世代の支持が広がらなかった。

 

小池代表の「排除」発言が失速の要因と言う方がいるが、私は経済政策の内容の無さこそ、真の失速の要因と考える。

 

二つ目は、大将が自ら戦いの場に出てこなかったこと。

すなわち小池代表が立候補して打って出なかったこと。

出てきたら出てきたで都政投げ出しになるわけだが、関ケ原の戦いで西軍総大将の毛利輝元が大阪城から出てこなかったように、結局勢いがつかないまま失速してしまった。

 

第三極は、私もいたことがあるのでわかるが、カリスマ的党首(代表)がいて、強力に主導してこそ。

代表が一歩引いた形では不十分な戦いにしかならなかった。

 

三つ目は、「排除」が不十分であったこと。とにかく立候補者数を集めるために右から左まで大集合という状態で、「改革保守」のメンバーではなかったこと。

有権者にとっては非常にわかりにくく、「改革保守」的思想の方も投票しにくかったこと。

 

四つ目は、民進党の前原代表が、しっかりと民進党を壊したうえで希望の党に合流しなかったこと。

これにより、政界においてプロ中のプロである民進党の党本部職員が身動きが全く取れなかった。

民主党の党本部職員は、政権を一度は取った事務方のプロ組織。

 

民進党が存在するので希望の党の支援には入れず、結局、希望の党の党本部スタッフの層の薄さにつながった。

だから、希望の党の政見放送において日本列島の地図から北方領土が抜けていてもチェックすることができなかった。

 

以上、様々分析をしてきたが、勝ったから良しとするのではなく、他山の石として我々もより政策の充実や経験の蓄積をしていかなくてはならない。