昨日、建国記念日にあたり宮城県民大会が開催され、参加いたしました。

昨日の集会を報じた地元紙河北新報「建国記念の日 賛否両論 仙台で集会」の記事は、なぜか反対の集会が祝う集会の上の記事になっています。

記事の紙面構成の常識は、重要なものを上にする、見出しを大きくするなどですが、反対の集会の方が重要なのでしょうか?

2676年もの歴史を祝う建国記念日は日本が唯一無二のものです。

反対する人は、科学的根拠が無いと言いますが、そもそも神話を有することが我が国の素晴らしさであり、日本の神話自体も考古学者や歴史学者によって、ほぼ史実か史実に近いものであると立証されてきています。

県民大会には、自民党の国会議員(不参加者は代理)と我が党の国会議員が全員参加しました。
民主党の国会議員の参加は代理を含めてありませんでした。

県民大会は、県民による実行委員会方式が取られ、私を含め多くの方々が準備段階から関わり、今年も1000人が参加しました。

政府主催の式典の開催を含め、さらに国民全体で日本の悠久の歴史を祝う式典が開催できるようにしたいと考えています。

一方、少し話が変わるのですが、2月7日の北方領土の日の宮城県の集会は残念なことになりました。

宮城県が事務局を務めているのですが、国会議員は開催地選出の一人の衆議院議員しか呼ばず、国民も議員も全国で一致結束して返還の声を挙げるという北方領土の日の大きな目的からすると、なぜそのような対応をしたのか疑問です。

北方領土はソ連による不法占拠であり、必ず返還させなければなりません。これなら、北方領土の日の集会も実行委員会方式でやった方が良いと考えます。

戦後レジームを含めた諸課題を、今の世代で解決する。その強い意志のもと行動してまいります。