おととい月曜日の憲法審査会。
なぜ自主憲法制定が必要なのかの観点に立ち、質問しました。

前々回の参考人質疑の際に、GHQの圧力のもと憲法を変えなくてはならなかったことを悔いる遺書を残し自決した、憲法学者であり憲法の番人ともいわれる枢密院の議長だった清水澄博士のことを取り上げましたが、現行憲法は明らかにGHQの圧力のもと有無を言わさずGHQの意向に沿って作られたもので、到底日本人の手で考え抜かれて作られた憲法とは言えません。

まず、内閣法制局に、現行憲法はGHQ草案を基に占領国が押し付けた憲法であるという見解で良いか。もし、そこまで踏み込んで答弁できない場合、現行憲法は、占領国の強い圧力のもと制定されたという見解で良いか?を聞きました。

内閣法制局長官の答弁は、押しつけ憲法論は政府として取らないが、GHQの強い影響下で制定されたと認めました。
すなわち、占領国の強い圧力のもと有無を言わせずに現行憲法は制定されたわけです。

これに関連し、昭和22年には、日本共産党員であり、著名なプロレタリア作家であった中野重治が押しつけ憲法について恥ずべきものであるとの論を展開していることを紹介しました。
中野が雑誌『展望』に掲載した文章が、検閲により削除を命じられた件です。
「あれが議会に出た朝、(あれというのは憲法草案のことですが)、それとも前の日だつたか、あの下書きは日本人が書いたものだと連合軍総司令部が発表して新聞に出た。日本の憲法を日本人がつくるのにその下書きは日本人が書いたのだと外国人からわざわざことわって発表してもらわねばならぬほど何と恥さらしの自国政府を日本国民が黙認していることだらう。そしてそれを、なぜ共産主義者がまづ感じて、そして国民に訴へぬのだろう」
というものです。

ですので、この問題は、右と言われる政党も左と言われる政党も関係ないく、いま一度、日本人の手でしっかりと考え抜かれた憲法を作らなくてはならないと述べました。

続いて、政府による憲法解釈の変更について聞きました。
米軍に対する基地提供が、集団的自衛権の行使に当たるのではないか、過去の政府答弁も、認めており、1960年3月の国会での岸総理の答弁や4月の林内閣法制局長官の答弁がそれにあたります。

その後しばらくして、政府見解では、基地提供は集団的自衛権の行使にはあたらないとなったので、憲法解釈を変更したのではないかと内閣法制局に聞きました。

これについては、内閣法制局長官より、当時はまだ集団的自衛権の概念が学説上確立していなかったという趣旨の逃げの答弁。


さらに、自衛権の発動についても憲法解釈の変更があったのではないかと問いました。
それは昭和21年の衆議院での吉田茂首相の答弁では、「自衛権の発動としての戦争も放棄した」とありますが、その後の鳩山一郎内閣以降は、自衛権の発動について認められるという憲法解釈になっているからです。

内閣法制局長官より、昭和21年の総理の答弁は、昭和26年に総理自身が「あれはそういう意味で言ったものではない」と打ち消しているとの答弁で、解釈変更にはあたらないというものでした。

しかしながら、私は、総理の打ち消し答弁まで5年あることから憲法解釈の変更であったと考えます。何か、内閣法制局も法の番人と言いながら、恣意的解釈ではと・・・。


次に、公務員の中立性と憲法改正国民投票における組織的運動や示威運動について聞きました。私は、小学校の時、学校の先生から天皇陛下を馬鹿にするような発言があったり、音楽の教科書に載っている国歌君が代を教えて下さいとお願いしたら、そのうちにねと言われ、小中学校で1回も君が代を教わりませんでした。私が育った地域は、当時、日教組が強い地域でありまして、職員室に行くと日教組関係の活動資料が先生の机の上に置いてあるという状況でした。
となりますと、こうした人たちに組織的運動を認めてしまうと、子供たちや親を巻き込んで世論誘導をしかねない危険性があるわけです。

また、自治労の政治活動を見ていますと、自治労の組合員で公務員である者が、特定の候補者や政党を支援する活動をしていて、実質的に選挙運動をしているとみなされてもおかしくないと考えるが、これはそもそも地方公務員法に違反しているのではないかと問いました?

政府答弁は、違反行為が行われた場合は厳正に対処するとのこと。

最後に、北朝鮮による拉致被害者は現在の憲法解釈では、北朝鮮の同意がなければいかなることがあっても自衛隊を派遣しての救出は不可能、たとえ北朝鮮が無政府状態になって拉致被害者が北朝鮮に取り残されていることがわかったとしても不可能とのことだが、政府見解は変わらないか聞きました。

答弁は、従来と変わらないとのこと。

このように現行憲法では、生命が脅かされている日本国民すら救えないという状況です。速やかに自主憲法の制定を行うべきです。