ライフセービング世界最高峰の大会 全豪選手権 | 和田賢一オフィシャルブログ「尊い命を守る為に 僕に出来る事」Powered by Ameba

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僕がアリーナレスキュー日本代表になった事を一番驚いているのは、7年前の僕自身だと思います。

7年前、高校球児だった「あがりしょう」の僕は、極度の緊張から「イップスという送球障害」におちいり、3年間1度もまともにボールが投げられずに大好きな野球人生を終えました。

その経験が引き金で、大学時代のはじめの2年間は、自分自身を認める事ができず、何百日のあいだほとんど睡眠をとれないつらい状況が続きました。

20歳になった僕は、ある決断をします。
「人生、このまま何もせずに時の流れにながされるのか?」
「いや、人生一度きり、自分の夢に全力で挑戦しよう」と

スポーツ選手になり、世界で活躍するという幼い頃からの「夢」に向かって、自分の可能性に挑戦しつづけました。
テニス、サーフィン、ダブルダッチ、総合格闘技に、わずかな可能性を頼りに全力で挑戦した僕は全ての種目に挫折をしました。


そんなある日、
偶然参加したラフセービングの講習会の冒頭の一言に出会います。
「あなたは大切な人の命を守る事ができますか?」

僕はこの命を守る活動に感銘をうけ、ライフセーバーとなり、夏の監視活動に参加をしました。大学卒業の年である22才の事でした。

そして、ライフセービング競技である「ビーチフラッグス」という命を守る為の競技がある事を知り、少しづつその魅力に引き込まれていきました。

それから、僕は世界最高峰の大会である「全豪選手権」での優勝を目標に練習をする訳なのですが、、、

高校野球の公式戦で一度もベンチに入れなかった僕が、緊張からボールが1球も投げられなくなってしまった僕が、

「」ビーチフラッグス世界一という、「並外れた瞬発力」はもちろん、「極度の重圧の中に打ち勝つ心の強さ」が要求される種目で結果を残す事は、
目標は「夢のまた夢」でしかありませんでした。

僕は、「自分を変えつづけ」「いくつもの出来ない事をを出来るようにする」必要がありました。

そして、4年半、約1600日がたった2014年4月の全豪選手権で日本人男子歴代最高位の銀メダルを獲得する事ができ、その2ヶ月後の今、ライフセービングの日本代表に選出して頂く事ができました。

今までfacebookで日々の挑戦をご報告させて頂いていたのですが、アメブロではまだまだ投稿が浅く、皆さんへの自己紹介の意味を含め、

僕の自己紹介を含め、そしてこの7年間の出来事、その時選んだ選択等を、次回からの投稿で文章させて頂きたいと思いました!

よんで頂けますと、本当に嬉しいです。

和田賢一
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2014全豪 表彰台