生と死と
チャットモンチーのドラム、高橋久美子さんのdiaryが秀逸だったのでのせます。
http://hitonoyume.com/diary/m/w_533.html
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年末、ライブが終わって大阪から愛媛に帰った。
その次の日だった。
12月31日、大晦日、祖父が亡くなった。
家族で、ああだこうだ言いながら紅白を見ていた。
毎年、正月には実家に帰ることにしている。
そして、こうやって、こたつに入ってお酒を飲みながら紅白を見るのが恒例だ。
絵に描いたような、田舎の家族である。
8時頃、病院から電話がかかり、祖父が危篤状態だという。
まさかと思った、去年帰ったときはまだまだ元気だったじゃないか。
入院したのもつい最近の話だった。正月には会いに行こうと思っていた。
急いで車に乗り込み、病院へ向かう。
何だろうこの感じは。私は死と一度も向き合ったことがなかった。
家族はみんな元気だし、母方の祖父母も元気だったから。
何だこのドラマみたいな感じは。
実感が全くない。
病室に到着したときには、既に祖父は亡くなっていた。
なんだよ!もっと早く連絡してよ!涙と同時に怒りが込み上げてくる。
父と母は、「ありがとうございました」と医師に頭を下げた。
86年間の最後が一人って、こんなのあんまりじゃないか。
すごく痩せていた。でも、髭と髪は伸びていた。人間って死ぬ直前まで生き続けるんだと思った。
1月1日が誕生日だったのに、あと数時間を待たずに祖父は旅立ってしまった。
死に顔を見て、ようやく人は死ぬのだと思った。
体だけ取り残されて、魂がいなくなっているのがわかった。
その様子は違和感以外の何ものでもなかった。
医師が「これは老衰です」と何度も告げた。父と母は「はい」と何度も言った。
死亡時刻を読み上げる。それは要するに、家族の到着時間ということだった。
慣れない、ぎこちない私たち。こういう時を毎日迎えている現場との温度差。
冷えきった廊下で、私は大木が倒れる音を聞いた。
一人の人間の死というよりも、残り少ない、樹齢1000年の大木が倒れたという感覚だった。
同時に、私の人生の一つの時代が幕を閉じた瞬間だった。
家に連れて帰って、座敷に寝かせてあげた。
病院に寝かされているときより穏やかな表情で眠っている。
寒いだろうと、よく履いていた靴下を履かせてあげると、まだ足が温かくて驚いた。
着物を着て、足だけボーダーのモコモコ靴下で笑えた。
伸びた髪を梳かしてあげた。頭を触ることなんて子どもの頃以来だった。
やわらかく、綺麗な黒髪。
向こうの部屋では、生まれたばかりの姉の子どもがスヤスヤ寝ている。不思議な夜だった。
朝日と夕日を一度に見たような、不思議な夜だった。
そこからは、悲しんでいる暇がないほどにバタバタだった。
なんせ、お通夜、葬儀なんて、ひいおばあちゃんが亡くなって以来らしい。
父も、母もてんぱっている。ひっきりなしに親戚や近所の人が訪れる。
年が明けようが明けまいが関係なかった。
翌日のお通夜には、座敷に人が入りきらず、廊下や玄関の方まで人が座った。
予想以上の訪問者に、座布団が足らず、またまたてんぱりまくる。
お坊さんが、お経を唱える。何となく、みんなで口ずさむ。
弘法大師が考えたお経といえども、これが死後の世界に届くとしたら、ものすごいな。
果たして、届いているのかな。
ていうか意味が全くわからないから文字を追うばっかで
心が全然入らないんですけど、これは意味あるのかな?
不謹慎極まりないが、無宗教の私としてはよくわからない。
でも、祖父は四国八十八カ所を二回も制覇している人だし、お遍路さん(八十八所参りをしている人)を泊めてあげたり、お弁当を作ってあげるほど熱心だったのだから、きっと大丈夫だと信じて、私ににはさっぱりわからない呪文とにらめっこしていた。
ただ、リズムが面白い。
姉の子どもが全然泣かずに寝ている。
お経を子守唄にしようかと言っていた。冗談だと思うけど。
お通夜の後、大体の人が帰って、後は家族と親戚だけになった。
すると父がいきなり、得意の無茶ぶりをする。
「久美子、おじいちゃんの前で落語やりなよ。『火焔太鼓』やってよ。」
「いやいや、あれはもう1年以上やってないし、無理だよ。」
始まった始まった・・・我ながら高橋家の無茶ぶりには、恐怖を感じる。
「ほれええな。最後に聞かせてあげたらええやん。」母まで悪のり甚だしい。
「いやいや、棺桶の前で落語って、前代未聞やで!それに扇子と手ぬぐいないとできんしな。」
母が「探してくる」と二階へ上がる。
「いやいやいや。みんなおかしいやろ!どうかしてるやろ!」
親戚がワーっと拍手する。誰か止めろよ!
「はい、扇子と手ぬぐい。」
「・・・」
座布団が高々と積み上げられている。
葬式前夜、祖父の棺桶の前で、私は1年ぶりの『火焔太鼓』を披露した。
久々に冷や汗をかいた。
しかし、人に届けようと喋る言葉は輝くものだ。
驚くべき、ものすごくいい喋りだった。と自分でも思う。
拍手大喝采の中、無事落語は終了した。
その日の夜は、妹と座敷の祖父の隣に布団を引いて寝た。
何年ぶりだろう。
線香を絶やさないように、代わりばんこで線香の番をする。
もっとも、妹は途中から目覚ましが鳴っても全く起きる気配がなく・・・
結局、私は一睡もしなかった。
線香の匂いが充満する、全身薫製状態で、葬儀の朝を迎えた。
高橋家というのは、まさに、ちびまるこちゃん家のような家庭で、
名物じいさんと家族達という感じだった。
祖父母と同居の7人家族で、学校から帰って一人ということはまずなかった。
習い事にはよく祖父が迎えに来てくれたし、
クラスの男子にノートを隠された時「久美子、乗れ!」と軽トラックの助手席に乗せられ、
取り返しに行ってくれたこともあった。
祖父は、地元のヒーロー的存在でもあり、交通安全協会の役員や老人会長を20年間勤めていたり、
その他、地元の運営にはいつも尽力を尽くしてきた。
祖父がいなくなって初めて、その存在のでかさを思い知る。
例えば、棺桶に祖父を移動させたときの感じとか。
「ぼんたん飴好きだったよね。マーブル飴も好きだたよね。このお菓子も好きだったよね。」
「入れ過ぎやろ!」
「いいよ、大丈夫、燃えるわけじゃしね。」
「不謹慎やろ!」
「おじさん、それは、孫杖が入ってた袋だから、のけといた方がいいと思うよ。」
「まあ、これも燃えるから大丈夫よ。」
「不謹慎やろ!」
「何か、おじいちゃん口開いてきたような・・・」
「閉じよう(えい!)」
「ちょっと。それは枕の位置がずれたからだろ。直したら?」
「なんか、膝が曲がったままじゃないか?(えい!)」
「ちょっとちょっと!折れるよ、やめなよ!」
「足袋履かせないかんけど、靴下脱がしたら寒そうじゃなあ。」
「いいやん、この上からいこう。」
「えー!指入らんやん!」
「アコーディオンも入れる?」
「アコーディオンは燃えんやろさすがに。」
「いけるいける。高温やから何でも燃えるよ。」
「不謹慎やろ!」
「アコーディオンはもったいないよ。とっておこうよ。」
「もう!なんか、みんなうるさくない・・・?」
むっちゃうるさい。
とにかくうるさい。
多分、祖父が生きていたら
「やかましい!!」
と、一発でまとめたはずだ。
結局アコーディオンは入れなかった。
私の音楽好きの血は間違いなく祖父からきているだろう。
祖父はピアノなんて習ったことないのに、音感だけで、居間に置いてあるピアノを弾いていた。
「3人ともピアノ習いよんのに、このピアノ一番よう弾くのはおじいちゃんじゃね」
よくそんな皮肉を母に言われた。
私の大学時代にも、ライブハウスにライブを見に来てくれたり、
デデューしてからも、愛媛でライブするときはホールもライブハウスにまでも来てくれていた。
チャットの過去のブログに、あっこちゃんのベースを持つ祖父が写っている。
ピアノ、詩吟に飽き足らず、ついにアコーディオンがほしいと言い出したときには驚いた。
体の小さい祖父にも合うような小さめのアコーディオンを叔父が買ってきたのは
もう10年くらい前だろうか。
それから、毎日毎日、弾いていた。
十八番は「瀬戸の花嫁」「おぼろ月夜」「蛍の光」などなど。
朝から「蛍の光」には参った。
しかし、日に日に腕を上げ、ついに老人ホームに慰問に行くほどに。
「いや、あんたも老人やろ」と姉とよく突っ込みを入れていたのを思い出す。
大往生を遂げた人の死というのは、もっとさらっと、からっとしているものだと思った。
笑って、お酒を酌み交わし、最近どうだい?と言い合うものなのだと。
しかしお葬式当日、予想以上に泣いている。年をとった親戚も、久々に会う近所の人も。
86年間の祖父の人生のどの部分を共有したのか28年しか同じ時代を過ごせなかった私にはわからないけれど、間違いなく、私と同じように、もしくはそれ以上に、彼らの記憶の中には祖父との思い出が色濃く刻み込まれていたことを知った。
正月にも関わらず集まってくれた250人を超える参列者が、祖父の人生を物語っていた。
葬儀を終え、しばらくして、祖父の小学時代の同級生から手紙が届いた。
なんと、「君」づけである。祖父を「君」で呼ぶ人を初めて知った。
それは、先に旅立った天国の祖父、つまり親友に向けての手紙だった。
遺影の前に置かれたその手紙に感動してしまった。
同時に私が過ごした時間というのは、たった祖父の人生の3分の1だったのだと知った。
それまでに出会ってきた人、起こった出来事、私は初めて祖父と、孫としてではなく、人間として向き合った気がした。
詩画集の中にも入っている、祖父のことを書いた「白菜」の詩がある。
生まれてから死ぬまで、ずっと同じ場所で過ごすであろう祖父の変わらない日常、変わらない感覚を描いたものだ。
白菜の心臓を 裂いて
まっ黄色の菜の花
天に伸び
白菜の心 食べ尽くして
まっ黄色の菜の花
天に咲き
シーンと広がる畑の中
今年も やつらが目を覚ます
子どもの頃見た 春の田舎
じいさんが
毎年のように育てた白菜のこと
誰か知ってるかい?
じいさん知ってるかい?
ここはパリよりすごいんだ!
(『太陽は宇宙を飛び出した』より)
何で驚かないんだろう。こんな光景どこにもないのに。自然は一番のアートなんだよ。
私はそんな風に思っていた。
しかし、祖父にとっての自然はそんな繊細なものではなく、この土地で生き抜くために向き合うべきものであり、生活の糧であった。
そして、この家、地域を誰よりも愛してきたことを知った。
祖父にとって愛することは、守ることであり、戦うことであったことも色んな人からの思い出話の中で知ることができた。
ずっとここにいたからこそ、ここを見てきたからこそ、深い繋がりの中で、深い喜びに出会えてきたのではないか。
そう思えた。
この感覚は新しく、そして、大人になった・・・というかならざるを得ない悲しさみたいなものの上にのっかる、責任感の芽生えみたいな感じだ。うまく言えない。
つまり、バトンタッチってことだね。
一時代を築き上げた英雄に、心からの祝杯を。
そして、孫として、心からの敬意と感謝を。
新しい時代が始まる。
家族にも。
私にも。
とてもとても、長くなりました。
書くべきか迷いましたが、祖父の死が私にとってあまりにも大きかったこと、そして表現者としてこの感情を残しておきたいと思ったので、個人的なことであることを承知で、ここに書かせてもらいました。
自分が逃げずに、向き合うべき感情に向き合えたことは、いずれ作品としても良いものに形を変えていくだろうと思っています。
2011年夏、四国でお会いできるのを楽しみにしています。
みなさんの一年が、希望に満ち溢れていますように。
久美子
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cat walk/チャットモンチー
R.I.P.
表と裏と
いやー
勉強した。
普段「表」を見てるってことは必ず「裏」があるってこと。
でも「裏」も悪い事ばかりじゃなく
光には当たらないけどしっかりとした陰を作るための「裏」もたくさんあるってこと。
それは人でもそうで。
「裏」は「表」の反対じゃないんですね。
社会勉強になったわ。
すっげー疲れたけど。
まぁそんな感じで
そろそろ転職します。笑
2月からは八王子の居酒屋さんで働きます。
頑張ります。
ふふん( *`ω´)
寝ます。
す。
NO MUSIC NO LIFE
なんか音楽について書く人が増えてる気がするので乗っかってみる( *`ω´) 笑
中学生くらいのころ
え?J-POP(笑)好きなの?
やっぱ洋楽だろ(゜_゜)どや
みたいなよくわからないカッコつけのために洋楽を聴いてた思い出。
しかも浅~いとこ。
年月は経ち
現在はほとんど邦楽しか聴かなくなった。
だって英語わかんないし 笑
それでも純粋に声と曲調が好きって理由で、iPhoneには何組か洋楽も入ってる。
その中でも
weezerとoasis。
この2バンドだけはどうしても好き。
カッコイイ。
ものすごくベタなセレクトだけどね。
oasis復活しないかなー
あ、ちなみにJUJUとかも好きだし銀杏も好き。
村下孝蔵も好きだしプリプリも好き。
雑食なんですよ、ホントに。
M/PRINCESS PRINCESS
MCで言ってることが、ほとんど全ての音楽やってる人の総意な気がする。
いい曲やなー。
どうでもいいことなんだけど
タピオカってもとはどんなんだろうってずっと考えてた。
海ブドウ的なものなのか
織田無道的なものなのか。
なにかの木の実なのか
まさかの木の実ナナなのか。
ずっと俺はこの4つのどれかだろうと思ってたんだけど
じつは違った。
キャッサバの根茎というか芋みたいなのからできてるらしい。
だから元はマルくないし
もちろんマルクスでも闘莉王でもないんだって。
知ってた?
かなりびっくりなんだが。
どんぐらいびっくりしたかって
これを見てるひとの多くが織田無道を知らないことくらいびっくりだよ!!
..すいません取り乱しました。
あと、ずっと気になってたシリーズをもう1つ。
スケトウダラは
スケトウダラがよく獲れる「佐渡」の読みを「スケ・ト」と読んだ事に由来するらしい。
ためになったね~
最近イケてることをどんどん思いついて嬉しい。
だが実行する勇気はまだない。
うひ( *`ω´)
ただ思ったことを書く
たまにはこんなのもアリでしょ( *`ω´) ?



