母 住井すえ

☆☆☆☆☆

増田れい子 海竜社1998 年1月1500 円


わがいのいちおかしからずや常陸なる

牛久沼辺の土と化らむくに    

住井すえ87才


     コスモスのブログ

コスモスのブログ


コスモスのブログ


コスモスのブログ



地球の歩き方(タイ)

☆☆☆☆☆ 

  ダイアモンド社 2008 年1600円+税


仏都バンコクを歩く 

  ☆☆☆☆

桑野淳一  彩流社2007年1800円+税


タイ(旅の雑学ノート)

☆☆☆☆ 

えもと正記 ダイアモンド社2000年1600 円+税


中国系タイ人のシルク産地紹介

1  スクンビット大通り ソイ112ナナプラザ

 「シーン・ブテック」

2 ナコーンラチャシャー

東北タイ玄関と称されるブッタイソン近く

3 パクトンチャン(park thong chai)「チャダ・シルク」

  広い敷地の正面にシュ-ルーム兼販売店


 シルク産地  サカンベーン(チェンマイ県)
        チョナボット(ゴーンケー県)

    ブッタイソン(プリーラ県)

シルクは①手で洗う②水で洗う



   コスモスのブログ コスモスのブログ


          





       コスモスのブログ

    

          貴門胤裔

        ☆☆☆☆☆   魯迅文学賞受賞作品

      葉広芩(ようこうきん・イエ・グワンチン

      訳者吉田富夫中央公論 2002年上・下各2400円



  清朝から授けられた鎮国将軍の肩書を持つ金載源(デンツアイ

  ユエン)家族 正妻 妾2名7男7女の物語。



采桑子(さいそうし)

  夭折した清朝の天才的詞人で作者の血縁に繋がる人(納蘭性徳)の

 「采桑子」の哀切な言葉に託してみずからの肉親たちへの思いを語る

  べく「采桑子」を作品全体のタイトルとしその一句一句を各章の

  イトルとしている。


作者紹介
 1948年 北京生まれ。清朝有数の貴族デエホナラ(葉赫那拉)氏の

        末裔で西太后は大伯母にあたる。

 1968年 文革中は陜西農村に下放師農場で働く。
 1974年 西安で看護婦・新聞記者を経験

 1990年 日本の千葉大に留学

     帰国後西安市文連に所属して創作活動に専念。


著書

自伝長編小説「日記のない羅敷河」「乾清門内」

[熊の出没にご注意」「全家福」創作のかたわら、

テレビドラマもてがけるなど第一線で活躍中の女性作家。

















(きもんいんえい)




              コスモスのブログ

 

 

   女の人について 原題  関于女人( クアンユイレン)

               ☆☆☆☆☆

   謝 冰心(しゃ・ひょうしん) Xie Bingxin シェ・ピンシン 

     訳者 竹内実  朝日新聞社 1993年3月 2100円


女の人14人について書いてみた。これには合わせて私のお半生が映し出されている。40年このかた冷静に観察した結果(すでに古人が言っている事でるが)私はある真理を発見した。__。千万分の一の例外は あるけれども。  


「男は仕事に生き、女は愛に生きる」愛にすがって生きていくのは、まことに憐れであぶなっかしいことでも ある。の人は親子の愛、兄弟愛、夫婦愛、友愛を大切にする・・・・そこで愛する者の為に犠牲になる事も 厭わない。

 
実際、女の人はなんの躊躇もなく無条件に「わが身を捨てて」 犠牲になって愛するのだ。
 まず愛する事。ほかの事は、あとまわし! わが身を捨てて」、世間の苦労に直面し、犠牲になりなが  ら見返りが得られないとすれば、想像を絶する苦しみでは ないか。 しかし女のひとに、愛するのをやめなさいというのは無理なこと
だ。

神様は女の人に愛せよとお命じになり、その愛によってこの世界を維持していく事 を定めたのである。 彼女たちは神さまの工場で造られた「愛する機械で ある。                        あとがきより


母が私たちに与えた影響について

   最後にお話ししたいのは、 子供の時から「おまえたちは女の子だ、

   だけど男の 人に頼ってはいけない。

   独立心を持つ事、人に頼らない事」と言われた事である。      

                 「 私の母・冰心 娘 から」 呉青(ウーチン)

作者紹介

   1900年 福健省福州に生まれる。父当時「海圻」艦長    

        退職の時は海軍部次長

   1919年 「5.4」運動に参加。

         北京女学界連合会で宣伝を担当(19才)

         北京天安門前に学生が集会デモを行う。

         ・パリ講和条約の調印に反対取り消すよう要求

         ・学生が逮捕されたので、釈放を要求してストライク。 

           運動は全国にひろがった   

   1923年  アメリカに留学 

   1928年   帰国

   1943年  「女の人について」を連載

   1948年   日本へ

           講演「中国文学をどう鑑賞するか5回連続 講談社

           東京大学で講義東大の教壇が迎えた最初の女性

           自由学園で講演「詩人と政治」

   1951年   帰国

   1966年   文化革命が始まり紅衛兵による家探しなどの迫害を

          うけるが、周恩来総理が支持して保護される

          66才都市の知識人を農村に送って労働に従事させる「下放」
          が始まり湖北館咸寧に送り込まれ作家協会57幹部学校へ。

   1989年   5月18日北京天安門広場に座り込んだ学生に同情し政府が
          学生との「対話」に応じるよう求めた文章を人民日報に執筆













 ☆☆☆☆☆


       コスモスのブログ


ニュウニュウ(18ケ月で娘を喪った哲学者の至上の愛

          ☆☆☆☆☆

      原題  忸忸;一个父?的札記


       監訳 毛丹青  訳 泉京鹿

      PHP研究所  200382000



 ニュウニュウは1991117日午後5時に死んだ.

     (第13章決別)



黄昏がせまり、ニュウニュウは突然唇を動かした。

私と雨児(妻)は彼女がひどく微かな声でささやくのを

聞いたかけて」間違いない。彼女は「音楽をかけて」と

言いたいのだ。私はラジカセのスイッチを入れ、音量を

極力小さくした。部屋の中に子守唄の旋律が流れた。


ニュウニュウは突然手を伸ばした。

近くにあった雨児の手をしっかりつかむと軽く息を吐いた。

そして彼女の手は緩み、全身がひどく痙攣したかと思うと

呼吸が停止下。

まったく必要がないのに車は病院に向かって疾走している。

ニュウニュウは私の腕の中にいる。彼女の頭は力なく横に垂

れている。



 作者紹介 中国におけるニーチェ哲学研究の第1人者北京市在住

  1945年  上海生まれ。

  1967年  北京大学卒業後、農村に下放し農場で働く。

  1981年  中国社会科学院大学院に入学 中国におけるニーチェ哲学

       研究の第1人者。北京市在住

  1991年  ニュウニュウは両目の多発性網膜芽細胞種で死亡

  1996年 「ニュウニュウ」出版 中国でロングセラー社会現象


1960年代「小閙閙(シャオナオナオ・いたずらっ子)」という作品が

異常なほど批判される。作者が父親になった喜びと愛を描いたため、

階級闘争というテーマかけ離れているという事で攻撃されたのだっ

た。文化革命中、中国はさらに人情を拒絶し・・・・中略、家庭の場面は

全く描かれなかった。これらはすべてイデオロギーを強制し、人間性を

じ曲げた結果だった。
 
  
そして40年後、同じ親子の情愛を描いた「ニュウニュウ」がベストセラー

となっている。中国知識人の本ではあるが、何かの為に書いたのではない

自分の言葉で書いた魂の記録である。

    監訳 毛丹青(在日中国人作家「にっぽん虫の眼紀行」文集文庫)

 

「中国の地の底で」より 

昼間の洞窟の中で裸同然の姿で眠りこける母と赤ん坊。足元の二人の

子供も眠りこけている。 ほし草が混ざっているのり状の食べ物も干

からびている。知恵遅れの人間ばかりの村。