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つれづれなるまゝに

狂ひたるモノ・侘助

英「ロシアに核の先制使用も辞さず」──欧州にもくすぶる核攻撃の火種
newsweek日本版

英国は米国と同盟関係
露は北朝鮮と友邦関係
いやぁ、モノの見事に
色分けされちゃうのかね。

こんな状況下、安倍総理は
ロシア➡︎英国と首脳会談。

ロシアが近年、軍事的活動を活発化させ
示威行動を採るのは
NATOの東方拡大に対する
恐怖心の裏返しであろう。
首都モスクワの位置からして
恐怖心を抱くのは至極当然かと。
NATO加盟国との間に緩衝国が欲しいところ。

先のクリミアの件は
ウクライナがロシアとNATO加盟国との間の緩衝国としての立場をかなぐり捨てたから
あんな大事になった訳で。

首都をモスクワからウラル山脈の東、
エカテリンブルクにでも移してしまえば
不穏な中央アジアへの影響力を増幅出来そうだし
領国の東西を扼す位置であり
東西交通、交易の要衝でもある事から
国内統治の利便性と考えると
好都合の様にも映るが…。

なんて思ったりもするが、
そうなるとロシアでは無く、
シベリアな国になっちまうんだわな。

前代からモスクワを中心とした国家運営、
インフラ整備、投資がなされてるから
それらを切り捨てるのも難しい。

それにしても
国力の低迷が続くロシアさんは
いくら局地的に軍事力を誇示出来ても
両面作戦なんぞ取れるわけも無く。
ま、ロシアさんに限らず
国家の求心力を高める手段が
軍事力一辺倒になりつつある昨今ですなぁ。

英国はEUからの離脱もだけど
連合王国を構成する
スコットランドの件を抱えてるしね。

何処も彼処もキナ臭い…。(-"-;) 




城の再発見!「布武」には「我が道を歩む」の意味があったなら、死ぬまで「天下布武」印を使い続けたのも納得。

礼記の「堂上接武,堂下布武」に依るとの説。

マナーの教則な書物である礼記。
「堂上接武,堂下布武」は
堂上(建物内)では摺り足で、
堂下(建物外)では大股で歩きなさい
といった
貴人と接する際のマナーの事らしい。

武➡︎歩という事なんだと。

織田信長さんは古典に造詣が深い。
『天下布武』という文言は
古典の知識を活用した言葉遊びな感じ。

信長さんは
革命的先駆者と捉えられがちだけど
その実、先例に倣った上で改善しつつ
大規模に実践してたという姿が垣間見られる。

印判は後•北条氏から、
商業政策は六角氏から、
政権運営は室町幕府の職制から。
家臣の城下集住は武田信玄の父、信虎が
居城の移転(石和館➡︎躑躅ヶ崎館)と共に実践してる。
兵農分離に関しては
畿内では既に
傭兵集団が構築されてた世の中な訳で
その活用といったところかと。
織田家でも寄親•寄子という
旧来の軍制も残存してる訳だし。

兎も角、
旧に倣う人物なのは確かと思われる。
そんな人物が古典に造詣が深いのも
至極当然かと。
ただし、そのまんま実践するのではなく、
独創的なアレンジというか
洒落っ気というか、
まぁ、婆娑羅•傾奇者、な要素も
カナリ強いみたいなので
やる事なす事が目立つ訳だわな。

話を戻すと
天下布武ってのは
天下を練り歩く、ってな具合かね。
あれだ、
正親町帝が臨席した『馬揃え』。
当にあの状態を恒常的に為す事が
信長の掲げた
『天下布武』なんじゃないかと。

民進、「共謀罪」6日審議入りを拒否 攻防激しく
日本経済新聞

『共謀罪』じゃなくて
『テロ等準備罪』であろう?
法案の構成要件も変わってるわけだし。

つーかさ、
民進党の言い分が訳ワカランのだが。

国家の枠組みを維持しないで
国内の治安が維持できる訳も無く。

思想信条の自由はあっても
それに伴う活動が反社会的であれば
抑圧されても仕方無いだろうし。

思想信条・信仰の自由が保障されてる国家であるにも関わらず
靖国神社への参拝に難癖付ける、
そっちの方が
法的に問題あったりしてな(苦笑)

国民国家の維持に反発する国会議員って
なんなんでしょーねぇ。