妄想暴走 (継体天皇) | つれづれなるまゝに

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狂ひたるモノ・侘助

これまた謎の多い天皇の登場である。
それ以前に先代の武列天皇がもっと謎だらけ。

武列天皇が即位した頃、
武内宿禰の後裔・平群氏や葛城氏が勢力を伸張し
国政を牛耳るようになっていたと思われる。

そもそもは
仁徳天皇と葛城氏の姻戚。
閨閥による国政介入である。
この閨閥に拠った統治が
16代・仁徳天皇から20代・安康天皇まで続いた。
葛城氏の全盛期でもある。
この頃には皇位を巡る血生臭い事件も続発。
ライバルとなる存在を文字通り消し去る。
そうやって皇位に就いたのが21代・雄略天皇。
この粛清劇によって
権勢を誇った葛城氏が没落、この中で平群氏は勢力を伸張。
が、
今度はこの平群氏が専横を振るうようになる。
時は下って24代・仁賢天皇が崩御。
再び血生臭い政争が繰り広げられる事に。
平群氏の専横を快く思わない群臣達の意を汲み
後の武列天皇は平群氏を誅する。
そして皇位に。
この時、武列天皇から命令を受けたのが大伴金村という人物。
誅殺を果たした大伴金村は大連(軍の統括職)に任命される。

先の雄略天皇による粛清によって
仁徳天皇に繋がる皇統男子は
この武列天皇のみとなってしまっていたのであるが、
皇子を為さないまま崩御。

群臣は協議の末に応神天皇5世の男大迹王を擁し、
ヤマト王権を継続させる事に。
ただこれも生半可な事ではなく、
男大迹王の系譜は元々、近江国高島郡に住していた系統。
しかも男大迹王の父親・彦主人王は男大迹王が幼少の頃に死没。
このため母方の出身地である越前国高向に拠点を移し
近隣を治めていた。

多分この頃、皇統に連なる氏族はこの男大迹王のように
地方に分国を領し、自治を行っていたと思われる。

即ちこの時分、皇位継承を巡って各地の王族が
その候補者足り得たという事に。

そんな中、中央から皇位継承者として
男大迹王に白羽の矢が立てられた。
これ以前の段階では丹波国を領する
仲哀天皇の5世・倭彦王が候補に挙げられていたらしい。

が、記紀の記述を見ても倭彦王のくだりは微妙に思う。
案外、群臣達によってこの倭彦王は排斥されたのではなかろうか。

擁立された男大迹王は河内国に於いて即位する。
即位し継体天皇となる訳だが、
ここで皇后として武列天皇の姉・手白香皇女を迎える。
これにより皇統・正統性の補強としたのであろう。
が、即位した後、大和国に都を定めるまで
約20年かかっている。
畿内で平定戦でも行っていたように思われる。

因みに北九州で巻き起こる『磐井の乱』は
継体天皇の大和入りの2年後。

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