今現在、政治的な活動に深く関わる気が無い。
以前関与した政治活動で
オイラの役目は終えたという思いもあるし、限界も見えた。
今の時点で
再びあの魑魅魍魎の世界に深入りする気力も体力も無い。
ま、アノ世界に魅入られた方も多いとは思うがね。
政治活動に限らず、
物事を推し進めるに当たっては
『自己陶酔』が出来なければ
その推進力は生まれないんだけど、
自己陶酔が自我の肥大になっちゃうと
今度は他者に認めて欲しくなる訳ですな。
んで、
理解を示してくれない人や
価値観を異にする人に対して
無意識の内に『見下し』、『峻別』し始めちゃう。
行き過ぎた自己肥大ってやつである。
そしてそういった状況に陥った状態と云うのは
世間一般との認識の乖離が強まってるのである。
思想がますます極論に傾き、
他者をバッシングする事が多くなる。
『揚げ足取り』とかも常態化。
仲間内で集まっても疑心暗鬼に陥ったりね。
なんというか、
自らの居場所や認識範囲を
ドンドン狭めてるだけのようにも思うし
当に囲われてる状況。
ま、その『囲われた状況』こそが
選挙に於ける『票田』でもあるし、
政治活動に身を置く場合、
大抵こういった『囲い』に入らざるを得ない。
『囲う方』にしても『囲われる方』にしても
発言やら行動やらに制約が掛かるし、
その反面、
その『囲い』の目的に合致する物事に関しては
やたらにエスカレートしてくんである。
イデオロギーに染まってれば尚更である。
特に最近の政治的な物事は
思想のアピールが激しさを増してるので
『中道』でありたいと思ってるオイラとしては
精神的に結構キツイんである。
『どっちつかず』と論難される訳です。
逆に『融通の効かぬ御仁だな』とか
『器ちっちぇー』とか思ったりもしますがw
まぁ、
政治的な言論が熱を帯びる昨今ではあるけれど
非・民主主義国家のような
『暴力による意思表示』が必要とされる社会じゃなくて
ホント良かったなぁと。
明治以降、
日本に民主主義を根付かせた先人に感謝である。
日本の民主主義は
幕末以降の日本人が自ら築きあげた代物。
決してアメリカさんが齎したものではない。
先人達が築き上げ託してくれた日本という国家を
後代にもキチンと託せるようにしなきゃイカンよね。
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