ガザをミサイル攻撃、3人死亡 イスラエル軍
産経新聞(共同通信)
言葉を失う。
人を殺める為の宗教ではない筈なのだが、
倫理観を喪失させる要素も強いの。
マルクス曰く、
効用もあれば害悪にもなるという意味合いで
『宗教は阿片』と述べたそうだが確かに頷ける。
マルクスの思想は一概に否定できるものではないとも思うのよ。
ソコから導き出される『解』は無数にあるとも思うのだがね。
『唯一の解』と云う概念を妄信する事もまた
『宗教的な価値観』でしかないんじゃなかろうか。
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歴史好きの戯言として申さば
『歴史の解釈』というものは、
新史料の発見や時代の価値観によって様々に変容したり、
置かれている立場によって解釈の在り方が異なる。
国家が介入して『解釈のあり方』を断じるものでは無いと考える。
それこそ全体主義への道筋を作ってしまうからな。
だからこそ領土問題と云うのは、
直近の過去の条約や現状の在り様によって
解決が図られる問題なんだと思うのよ。
歴史的にドコドコが領有してたなんてのは無意味。
複数の国家があり、多種多様な立場の人間が存在する以上、
『歴史の解釈』に『唯一の解』はありえないとも思う。
強いて『唯一の解』と呼べそうなのは、
『何時々々何処其処で何々があった』という事だけ。
但しプロパガンダも多々、見受けられるのだが。
例えば日本の戦国時代末期だと、
『斉藤道三』
(下克上は長井新左衛門尉・長井規秀(道三)親子二代での出来事。
尚、道三の時代より義龍の時代の方が領国経営が安定。)
『桶狭間の合戦』
(境界に於ける境界線確定の為の小競り合い。
今川義元本陣は桶狭間山と云う小丘陵。
今川義元の身体能力への悪評の虚偽。正面突破の奇襲?戦。等)
『長篠の合戦』
(三段撃ちの否定。屏風絵等に見受けられる射手の配置。
用意された火縄銃の実数は1000丁前後と云う見積もりもある。
馬防柵への疑問。実質、長城的な砦の構築が為されてた。
長篠城を攻囲する武田方の砦への奇襲部隊の存在。
この奇襲部隊の攻撃により武田勢の補給路が絶たれた。)
『忍城水攻め』
(石田三成は単に秀吉からの指令を忠実に行ってただけの話。
実戦を伴わない物量戦としての
デモンストレーションなのではという解釈も成り立つ。)
( )内は新史料や発掘資料などによる説。
詳細は各自ググッてくれ。
ま、後々ブログの記事にするかも知れんけどな。
こういった事柄が、後世のプロパガンダや創作物(小説等)により
歴史とフィクションが混同されてしまい現在に至る。
特にドラマの影響が強いの。
そして、このような過去の事象に対し
何故そのような事象が起きたのかという
理由付けや
何が行われていたのかという局地的な視点の部分が
歴史に関する視点の問題を生む事になる。
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国家意思としての判断、行動を起こす場合、
歴史的な価値観や宗教的価値観を内包してしまう以上、
諸問題の解決には
歴史的な結果論の部分と、それに
前後する外交関連書物で判断するのがいいんじゃねーのかな。
・・・と云うか、その辺は国際法に準拠すりゃいいんだけど、
現状、有力国が国際法を無視するとかしちゃうんだよな。
ま、其々の国家に於いて、様々な問題の解釈に齟齬があり、
それが国防・国益問題に絡む場合、
大抵、相互に正当性を掲げて武力行使に及ぶ。
所詮『力こそ正義』なんじゃろうねぇ。
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