『虎の夜食』には短文が掲載されており、これが全編なんとも不思議な物語なのだ。短文も俳句も余情の広がりが大きいというか、逆に、何かの物語の一節を切り取ったのかなと感じるくらい。

 

夏草に滅ぼされたる夏の基地

ひとつしか席のない向日葵の店

歌留多撒く東洋一の鉄塔より

 

あとがきで「全てフィクション」としているが、根底には暗さがあり、恐さがあり、寂しさがある。おそらくそれらも中村安伸自身を構成する重要な一部であり、人間の陰の部分に物語性を加味して表現できるところが作家としての強さだと感じた。

 

卒業やバカはサリンで皆殺し

心臓を抜いてギターのできあがり

二人を繋いで沈む手錠が売られてゐる

切腹にたつぷり使ふ春の水

天に尻向けて焦土のぬひぐるみ

 

著者と初めて会ったときのことはよく覚えている。居酒屋で彼は原稿を少しだけ私に見せてくれた。数ヶ月後にそれが『新撰21』として世に出るのだが、それ以来、中村安伸の動きを遠くから追っている。

 

 

◆◆その他の共鳴句◆◆

 

百色の絵具を混ぜて春の泥

春眠の弓ひきしぼるかたちかな

黄の薔薇の一輪愛し一輪踏む

檸檬だけかがやいてゐる厨かな

聖無職うどんのやうに時を啜る

鰯雲どのビルも水ゆきわたり

はるうれひ背中が咲いてしまひさう

馬は夏野を十五ページも走つたか

ひとつだけ鼓打たるゝ猛暑かな

コスモスは咲いてゐないと兵士のやう

鳥帰る東京液化そして気化

妹まるく眠り珈琲豆に溝

京寒し金閣薪にくべてなほ

秋の水妻よりこぼれ草を濡らす

てのひらであゆむぬすびと二百十日

 

 

【執筆者紹介】

三木基史(みき・もとし)

1974年 兵庫県宝塚市生まれ 在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

関西現代俳句協会青年部長 2013年4月~2016年3月

俳句甲子園実行委員会関西支部事務局担当 2016年~

 

 

田島健一作品と最初に出合ったのは、2010年4月の週刊俳句に掲載された「残酷」10句だった。たまたま、その翌月に「週俳4月の俳句を読む」の原稿依頼があり、「残酷」10句に対して下記のようにコメントしたことを覚えている。

「抽象的な語句をちりばめた挑戦的な十句。もちろん作者にとってはこれが普段通りで、とりたてて挑戦的ではないのかも知れない。どの句にも限りなく「虚」に近い「実」が内包されているようで、それが作者の振り幅なのか揺らぎなのかも分からない。不思議と引っ掛かりのある作品」。

 

『ただならぬぽ』では彼の実験室を見学に来たような気分になる。意味を持つ語句をその組み合わせによって無意味化してみたり、「もの」を敢えて主観的に捉えつつも、その結果は読者に委ねてみたり。

 

端居してかがやく知恵の杭になる

白鳥定食いつまでも聲かがやくよ

蟹玉や明日が全部風花なの

虎が蠅みつめる念力でござる

七夕や卵の知られざるつづき

 

意味を排した作品ばかりではない。具象的な作品も多く、その中にはクスッと笑えるものもいくつか。

 

事務員はパパイヤ他人のために切る

西瓜切る西瓜の上の人影も

忘年会背中に的のある男

パパは太鼓じゃないんだ雪止んで晴

雪兎かがみのなかのもうひとつ

 

音を楽しむための作品もあり、多様だ。

 

鈴専門店「鈴屋」末黒野過ぎてすぐ

海みつめ蜜豆みつめ目が原爆

ひとみごくうの瞳のうごく花野かな

 

傾向をカテゴライズしていけば、もっと細分化されるだろう。ただ、そんな事すら意味のないものに感じてしまうくらい、この句集だけで田島健一の何かを定義付けるのは困難だ。けれども、その何かを導き出せないでいることを恐れる必要はない。それでいいのだ。

 

中空にひかる午睡の不思議な樹

鯨は眼がしみてその理由を知らず

 

 

◆◆その他の共鳴句◆◆

 

月と鉄棒むかしからあるひかり

霧晴れて峠ととのう悪事かな

風船のうちがわに江戸どしゃぶりの

花曇り暗算の眼は何か殺し

いちご憲法いちごの幸せな国民

死も選べるだがトランプを切る裸

玉蜀黍が戦場それ以上は言わない

誰か空をころして閉じ込めて鶴を

蟬時雨いるような気がすればいる

海ぞぞぞ水着ひかがみみなみかぜ

薔薇を見るあなたが薔薇でない幸せ

噴水の奥見つめ奥だらけになる

ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ

あまぐもや蜜豆ひとつ置き空想

眼がひらき顔だとわかる雨月かな

墓洗う父を濡らしているのは誰

次のバスには次のひとびと十一月

なにもない雪のみなみへつれてゆく

 

 

【執筆者紹介】

三木基史(みき・もとし)

1974年 兵庫県宝塚市生まれ 在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

関西現代俳句協会青年部長 2013年4月~2016年3月

松山俳句甲子園実行委員会関西支部事務局担当 2016年~

 

 

 

◆◆工事中◆◆

花栗や星より静かなものに坂

空蝉が岩につく麩のやさしさで

天窓に蜻蛉の乾く砂糖壺

枯芙蓉眠るジュゴンを水槽に

清潔な水へ運ばれ蛙の子

金星や野原を古き川曲がり

白魚を飲み込んで首熱くなる

アクセルの上の片足土用波

 

「然るべく」という言葉は岡村知昭らしくない。

らしくはないのだが、口癖のように「こうありたい」という彼の願いが込められている。

 

しろき蛾よ幕府よみがえらぬすぐには

 

岡村知昭は簡単なことを難しく語る癖がある。言葉によって生み出される詩が俳句形式によってシンプルにならざるを得なくなったとき、彼本来の力が発揮される。もちろんこの傾向は彼だけに限ったことではないにせよ、雄弁な者には何かしらの枷が必要なのだ。

 

ぜんぶ賛成ひなあられこぼしつつ

あわゆきと鼻血のひさしぶりである

信長お断りの茶畑なるぞ

冷しカレーうどんなり強硬派なり

朝風呂や四月一日付解雇

 

もし俳句形式と出会わなければ、この溢れる言語感覚をどこにぶつけるつもりでいたのだろう。彼にとって俳句は「救い」。

 

つけまつげなしの挑発風薫る

春光の国の殺菌はかどらぬ

逃げられはしない夾竹桃の勝ち

鼻だけは動物園をなぐさめる

 

圧倒的な語彙力を有しながら、私たちが日常使用しているものの、俳句ではあまり使われない傾向の言葉を積極的に採用し、独自の言語感覚と組み合わせる。その過程を楽しんでいるようだ。

 

からっぽのダムへと入る生徒会

水洟やランドセル売り切れの午後

僧以外水打っており池袋

鯉幟けむり少なくなりにけり

 

岡村作品の多くは時事性を帯びている。現代の景を現代の言葉で紡ぎ、読者に対して「今の日本はこれでいいの?」と問いかけてくる。彼にとって俳句は「憂い」。

 

春立ちぬ鱗あろうとなかろうと

ヒトラーの忌に頼まれて然るべく

ひまわりや管轄外とだけ言われ

コントロール下の夕虹へ来てください
大仏へ近づけずしぐれて候

 

作品をひとつ一つ読みながら、ついつい「うん、そうそう」「いや、そうかな」と答えてしまう不思議。受け身な読者でいさせてくれない、議論を吹っ掛けられているような圧。私はその圧に真正面から向かい合って、彼との対話を楽しんでいる。

 

 

【執筆者紹介】

三木基史(みき・もとし)

1974年 兵庫県宝塚市生まれ 在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

関西現代俳句協会青年部長 2013年4月~2016年3月

松山俳句甲子園実行委員会関西支部事務局担当 2016年~

 

 

工藤惠の作品は家族について考えさせられる。親にとっては娘、子にとっては母、夫にとっては妻である彼女。自分では何も変わらないつもりなのに、相手によって求められる役割が変わってしまう。そんな日常のもどかしさを、ときに煩わしく、ときに愛おしく感じながら俳句と向き合っているようだ。

 

鶏そぼろ転がる春の夕べかな

みそ汁のきちんと残された若布

 

望んでいる、いないに関わらず、周囲から求められている彼女の役割のひとつに鶏そぼろを作ることがあり、みそ汁を作ることがある。それは例えば母として子を思いやったり、

 

出席番号八番までが風邪

通知簿の涼しき丸の並び方

書初めの名前が場外乱闘中

 

妻として夫と過ごしたり、

 

栞してちりめんじゃこと待ちぼうけ

沈丁花夫婦並んで歯を磨く

いやなのよあなたのその枝豆なとこ

 

娘として母の大きさを感じたり、

 

白木蓮かかときれいな母でした

鰯雲大きな鼻は母ゆずり

数え日のひとりで泊まる親の家

 

或いは、少しだけ残念な今の自分に気づいてしまったり

 

香水や眠ればひとつ年を取る

わたくしも金魚も水曜日な気分

柔肌という持ち腐れおでん煮る

 

周りに振り回されながら生きている自分を楽しむように心がけて、今の生活のすべてを何とか受け入れようとしている頑張り屋さんの彼女の結論は・・・

 

韮香る幸福ならばこの辺り

 

 

◆◆その他の共鳴句◆◆

 

冷や飯にチャーハンの素春浅し

ピーマンのようにじゃぶじゃぶと洗って

織姫に立候補する列続く

あとがきにつけ足す夏の雲ひとつ

豆ごはんまであと十分の曲がり角

秋刀魚焼くあなたのような子を産んで

ななかまど姉弟は少しずつ他人

しんがりはシンバルがゆく文化の日

小春日のたこ焼きほどのわだかまり

立冬やフッ素で守る歯と車

ジョーカーを温めておく炬燵かな

あたたかやつまらぬものをいただきぬ

耳飾り外して終わるハロウィーン

 

 

【執筆者紹介】

三木基史(みき・もとし)

1974年 兵庫県宝塚市生まれ 在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

関西現代俳句協会青年部長 2013年4月~2016年3月

松山俳句甲子園実行委員会関西支部事務局担当 2016年~

 

「桃太郎」という題名には少し驚かされたが、句集の色合いは作者のイメージと近いものがあった。勉強会「空の会」の幹事である彼女は、ずいぶんご無沙汰で失礼ばかりしている私にも、毎回必ずお誘いの手紙を送ってくれる。

 

雲の峯ひとりの離叛ゆるさずに

雲の峯あるべきやうにつひえさる

 

「あなたの好きな俳句作品をひとつだけ挙げてください。」と問われれば、私は迷わず「峯雲の贅肉ロダンなら削る  山口誓子」と答える。初学の頃、写経のように誓子の句を書き留めて俳句の型を身につけようとしていた。そのなかで出合った作品。加田由美の作品に登場する雲の峯も強さと儚さを同時に備える存在として描かれており、単なる背景としての雲の峯を超えている。それは「桃太郎」の強さと句集の淡い色合いの取り合わせに似ている。

 

秋の暮バックネットのうしろは海

夏潮の沖遊郭の二階から

 

雲の峯とは対照的に、彼女の描く海は控えめ。背景として存在感は出しつつも、強く主張することなく、省略された登場人物を支えている。

 

ゆつくりと夕日ののぼる雛の段

寒卵明けのひかりに下駄おろす

 

彼女は光に敏感なのかもしれない。夕日が沈むにつれて、西の部屋を照らす夕日の光は雛の段をのぼってゆく。その光は思い出にも通じる。光の動きは時間、光の輝きは記憶。雲の峯も海も、確かに光を備えている。そういえば、あとがきに祖母との思い出が記されていたな。加田由美にとって「桃太郎」は思い出で編んだマフラーのようなものかもしれない。

 

 

◆◆その他の共鳴句◆◆

 

玉蟲を掌にせり蟻の群れはらひ

たちまちに減る向日葵の瓶の水

帯直しやる七夕の橋の上

捨子猫縞太きこと見てすぎる

宵祭すがりゐし手のすりかはる

夕焼けに手を振るかなはぬものへ振る

母の許へ母の許へと落葉する

忘年会ちひさな声に耳たてて

ラヂオ途切れる冷蔵庫開けるたび

福助のわらはぬまなこひきがえる

バスを待つ美術教師の半ズボン

剪りとりて牡丹さかさにさげゆける

牡丹やつかまり立ちの手を放す

 

 

【執筆者紹介】

三木基史(みき・もとし)

1974年 兵庫県宝塚市生まれ 在住
「樫」所属 森田智子に師事 現代俳句協会会員
第26回現代俳句新人賞 共著「関西俳句なう」

関西現代俳句協会青年部長 2013年4月~2016年3月

松山俳句甲子園実行委員会関西支部事務局担当 2016年~

191、冬立つや空手の外国人モデル

何となく違和感があってなかなか馴染めないものは多い。回転寿司のプリンとか自動で流れるトイレとか。外国人の空手着姿もそのひとつ。一抹の寂しさを感じてしまう立冬。

 

192、デーモン小暮たつた一人のハロウィーン

聖飢魔IIのボーカルとして奇抜なメイクと衣装で活躍。解散後も変わらぬ姿でタレント活動を続けているデーモン小暮は、まさに独りきりのハロウィーン状態。ハロウィーンを独りで過ごしている主人公は閣下の気持ちがよく分かる。

 

193、君用の冬のスリッパまだ固き

意味が同じでも「冬用の君のスリッパ」だと冬が強調され、「君用の冬のスリッパ」だと君が強調される。君のためのスリッパは君の体温を忘れて久しい。早く会いたい。

181、墓洗ふお前はすでに死んでゐる

まだ実感を持てないでいる友人の死を墓を洗うことで自分に言い聞かせているようだ。俺はまだ死ねずにいるよ。

 

182、秋澄めり神社の隅の飲めない水

神社の参拝前に手水舎で口を濯ぐことだろうか。秋の爽やかな空気と神社の清らかな雰囲気に対して、飲めない水とのギャップが面白い。

 

183、月ぐらゐ行ける時代の月見かな

1969年にアポロ11号が有人の月面着陸に初めて成功して以来、1972年まで12人が月の土を踏んだ。それから現在まで40年以上、月に行った人類はいない。確かに月は身近になったが、まだまだ遠くて美しい。

 

184、長靴に冷凍マグロ飛んで来る

卸売市場では冷凍マグロを床を滑らせて移動させるらしい。そういえばそんなネタのコントをする芸人がいたな。

 

185、キンモクセイのある道を避け精神科

精神科への通院は気が重い。感覚が過敏な時はキンモクセイの甘いような強い香りを気持ち悪く感じてしまうのだろう。吐きそうなほどに。

 

186、妹の綽名が香川体育祭

なんのこっちゃ。

 

187、いま踏んでゐるのが地獄の釜の蓋

地獄の釜の蓋はキランソウの別名で地面を這うように葉が広がり紫の花をつける。そもそも地獄の釜とは地獄の鬼が罪人を茹でるための釜だと伝えられている。

 

188、祖母の香のするストーブの焚きはじめ

誰かが大切にしていたものには、その人の匂いや思い出が染みついているものだ。ストーブを点けたときの埃が微かに焼けたような匂い。その匂いに祖母の面影を感じている。

 

189、臆病な心に届くスープかな

臆病な自分を素直に受け入れた時、出されたスープの温かさが心にしみる。コーンポタージュであってほしい。

 

190、男泣き冬満月を奮へさす

男が感情を抑えきれないとき、その涙は冬の満月をも奮わせる。この「奮」を使うことで心の奮え、気持ちの高ぶりを意識させる。

171、男根を地面につけて髪洗ふ

床じゃなくて地面か。外気にも触れている。

 

172、冷やしトマトがただのトマトになつてしまふ

トマトは好き嫌いの別れる食べもの。注文した人はそれなりの意思で頼んだはず。にもかかわらず、話に夢中なのか冷やしトマトが手付かずのまま。トマトが気になる主人公は周りの話も上の空。

 

173、手心を加へて素麺流しけり

大好きな人が取りやすいように。

 

174、アイス舐めつつ妻の仕事に口を出す

男は基本ぐうたらな生き物だと思う。夫にもちゃんと仕事はあって、でも口は出して欲しくない。妻が仕事をしている姿は愛おしく、気になって仕方がないので、つい口を出してしまう。

 

175、暑さより君に逢へない寝苦しさ

80歳を超えても愛だの恋だの詠みたいな。それが枯れてないってことでしょ。

 

176、水球部が発明した最低の罰ゲーム

真っ裸で告白。

 

177、昼寝する力士に海の風優し

力士にとっては昼寝も仕事のうち。ごろりと寝転んで目をつむる。海の風は強くても力士の大きくてなだらかな身体が優しく受け流してしまう。

 

178、黙祷もキスも目を閉づ蟬時雨

目を閉じれば短い時間が永遠のように感じる。聞こえるのは蟬時雨、感じるのは鼓動。

 

179、囚人の高齢化して秋刀魚焼く

日本の受刑者の約1割は60歳以上だそうだ。前科のある高齢者の社会復帰が難しいこともあり、再犯を重ねる高齢者によって刑務所が福祉施設化しているらしい。

 

180、野球部を辞めたい奴にまた明日

「また明日」の捉え方で句意が変わる。部活を辞めるには勇気がいるし、続けるには根性がいるので相当悩んでいるはずだ。そいつに向かって野球部でない主人公から投げかけられた言葉だとすれば、放課後の相談相手なのかもしれない。

161、猟奇的暑さの中のすかしつ屁

暑い。おならも元気ない。

 

162、ゆるキャラが笑ふ稲刈り機の近く

ゆるキャラは町おこしなど何かしらの目的を持って製作される。この町の農業振興イベントにゆるキャラが登場したのだろうか。ゆるキャラはいつ何どきも笑顔を絶やさない。

 

163、ビール二本暗くなるのを待つてゐる

350ml缶ならチビチビやって30分くらいかなあ。

 

164、ブラジャーのやうなストレス六月は

残念ながら分からねえ。

 

165、木刀で入れるスイッチ扇風機

何とかその場から動かずに扇風機のスイッチを入れようとしたら、手の届く範囲にある最も適当な棒切れが木刀だった。枕元に木刀を備える人生とは。

 

166、新宿の三つ目の性夜暑し

三つ目の性を男と女以外の性と捉えるか、セックス(生物的性差)とジェンダー(社会的性差)以外のセクシャリティー(性的興味)と捉えるか。どちらにしても新宿は三つ目の性が熱く暑い夜を迎えている。

 

167、木星に帰るつもりや蝸牛

木星は晴れてさえいれば都会の夜でも肉眼で見えるほど明るい。逆に蝸牛は雨の時や雨後によく見かける。つまり雨後の晴れ間の夜の景。木星に誘い出されたように現れた蝸牛が愛おしい。

 

168、氷菓食ふ頭痛猪木アリ状態

アントニオ猪木vsモハメド・アリは1976年に行われた異種格闘技戦。アリ側の度重なるルール変更でほとんどのプロレス技を禁じられた猪木が、リングに寝そべりながらローキックを繰り返すだけの試合となった。

 

169、どこまでいつても日向を出れぬ蟻を踏む

そういえば子どものころ蟻を踏みたくなる衝動ってあったな。日向をもがくように走る蟻の行方を目で追いながら理由もなく踏みつける。けっして殺すつもりは無いのだけれど。

 

170、悲しさを漢字一字で書けば夏

これくらい強烈なインパクトのある句を作りたい。解説不要。