なぜ日本には海外ほどにGTAやスカイリムといったようなオープンワールドのゲームがないのだろう。
「宗教的、文化的背景が違うから」と誰かが言っていた。
それは大いにあるかもしれない。
GTAやスカイリムを作った会社はアメリカにある。アメリカはキリスト教圏の国だ。だからまずゲームを作る時、世界そのものを創造する。そしてその中に人、動物、モンスター、町や村、洞窟などゲームにおける素材を配置していく。まるで神がこの世界を創りたもうたように。その世界の中でプレイヤーは自分なりのやり方で旅することになる。その世界の中ではどう遊ぼうが自由だ。目の前のダンジョンを無視して別のダンジョンに行ったってまったく問題なくストーリーを進められる。つまり創造主の視点でゲームが作られている。気がする。
対して日本の場合はストーリーなどのバックボーンからゲームが作られている。人や町、村といった要素はそのコンテクストに沿って配置され、世界が作られていく。「段取り」と言ってもいいかもしれない。だからその世界に「段取り」を無視した要素はまず存在しない。すべては「段取り」において必要だから存在しうるのである。
プレイヤーもその「段取り」という名の神の見えざる手によって自らの行動の目的が決定される。
今プレイヤーがいる町で起きている問題を解決してやっと次の町に行くための「カギ」が手に入るのである。
ドラクエⅠの始まりのシーンを見よ。王の仰せになるお言葉を無視、あるいは否定するような邪な者は姫君を助けるどころか永久に王の間から出ることが叶わぬ。王のお言葉を聞き、目的を理解し、側近の兵士が語るように宝箱の中の鍵を使ってはじめて勇者は王の間の扉を開くことが可能となる。それができぬ者は神の見えざる手によって永久に王の間をさまようがいい。
だから日本のRPGは無駄な要素がなくきれいにまとまっている。「段取り」によって統治される世界だ。
森羅万象すべてのモノにカミが宿る日本人の宗教観があるからかもしれない。違うか。
どっちが優れていると言うんじゃない。作り方の違いだし好みの問題だろう。
とはいえ、単純に本格的な国産オープンワールドのゲームを遊んでみたいという気持ちもある。
それも和風テイストのやつ。
その世界は四季折々の美しい姿を見せる。
長い道のりの途中には茶屋があり一休みできるようになっている。
交通手段は徒歩もしくは馬、駕籠屋。
関所を越えるには正規以外のルートも使えるが厳罰覚悟で。
寺社仏閣などの建造物もしっかり再現。
侍として主君のために忠義を尽くすもよし、下剋上を為すもよし、気に入らない者をとことんぶった斬って悪の道を究めるもよし。
農民ならばこつこつと年貢を納め真面目に生きるもよし、仲間を募って一揆をしかけるもよし、家族や農作業を棄て旅に出るもよし。
つかまって牢屋に閉じ込められたら役人と牢名主への賄賂は忘れずに。
誰かそんなゲーム作ってくれませんかぁ?