素晴らしいので、是非ご覧になられることをおすすめします。
何ひとつ言葉の加減がいらないぐらいのお話し。
サムさんが、ずっと聞いていたいとおっしゃっていましたが、本当にラナキラさんから発せられる『音』は癒しという言葉で表すのともまた違ったもので、言葉をそこにぶつけると薄っぺらくなってしまうのでやめておきます。
お話しをお聴きしていて、御山や滝や海や川や…ありとあらゆる自然が頭に浮かびました。
人間は、調整することを忘れてしまったこと
動植物の乱獲、御山を削って、今では恐ろしいぐらいのパネルがその表面を覆っていたりする。
ここのところ、思うところあり様々な動画やXなどを貼り付けてきましたが、本当はここに尽きるんですよね。
今回は滝に打っていただく時間がなくて、最近隔月になっていますが、それもそれで無理矢理にとは思わないので自然に任せているのですが…
滝に打たれる行為ひとつ取っても、私の中では一体化に近いような気がしているんです。
それをしたからどうなるだとか、そういったものは一切なくて、ただ、打っていただくだけ。
滝はこの漢字が宛てられているように、龍神そのもののような気もしていますし、そういったことすら超えているような
ただ、自然との一体
そのためには、この存在の中に汚れたもののないようにしないといけないっていうか…うまく表現できないのだけど
戯れのような、こう書くと遊んでいるように思われてしまうかもしれませんが、そうでもなく、かと言って、ある一方では否定もできないのかもしれないな、とか
戯れなんですよね、ただただ
人間も自然の中のひとつなのに、どうして人間だけそこから外れて自然を破壊することができるのか
でも、一方ではこのシステムの中にいるってことは、私だってその手伝いをしていることになっていたりもする。
それはさておき、フラについて興味深いお話しをされていました。
フラというものは、そもそも生きるということ。
神様に捧げるとかそういうことでもなくって、そのもの。
この存在が神となる。
…となる、become ともまた違うような気がする。
be
かな
いや、英語にする必要もないか
そもそもそういうことだ。
ヨガとも通じているんですよね。
フラが、今その意味を外れて行われていたりすることと、ヨガもまたそういうニュアンスが現代にあるということ。
じゃあ、私がその真髄を髄の髄まで知っているのか?と訊ねられたら、はい!とも言えませんけれど…
ヨガはインドが発祥地なわけですが、そのルーツを掘り下げて掘り下げて行ったら、結局日本の古神道に繋がっていく。
日本がオオモトだとおっしゃる方もいらっしゃるし、私もそのように共感する部分もあるけれど、このラナキラさんがおっしゃっているお話しがとても納得できるところもあって…
結局、全て繋がっているのだから、当たり前なんですよね。
現代は、そういったことを感じるだけのものが遠ざかってしまっているだけで…
それを退化と呼ぶのだと私は思っていて…
現代の物質の凄いもの、例えば建物だとか、ありとあらゆる製品だとか、ネットだとかなんだとか
それを全否定もしませんし、私もその中にいますし、でもそれを進化というのか?と言ったら、進化とも違うような気がするんです。
人を平気で増減させようとすることって、進化なんかじゃない
手段を選ばず、心のない
そんなもの、進化なんかじゃない。
兎にも角にも、おすすめです。
感情を超えた何かが奥の奥からこみ上げてきました。
魂という文字、言葉よりももっともっと深いところからこみ上げるような、何か
合掌