求めよさらば与えられん
シンプルに願い事として祈ってみる
すると横から怒りといういらないやつが現れて
生まれでたものは大切だから許してしまうのだが
受け入れることは悪くない
それを滅することが必要な人もいる
教会に出向いてやっぱり祈ってみたら
そしたら大勢の力でなんとかなった
それは慈悲の存在のおかげ
今日もなんとか乗り越えて行く
日曜日に、自転車のメンテナンスをするように小さな渇をいれるのは自分でできるものだが、平和な日曜日にリラクゼーションするように自分で持っていくのは少し難しい。だから大勢の心の方向性を同じにした活動が必要なのである。讃美歌を歌う、精進する、方法はいくつかあれど、メッカに向かって五体投地するのも、同じ方向だから慈悲を感じるのだろう。今の時代みんな同じ方向性を持っていないからいじめや、嫌がらせなど心に悪いことが起きるだろう。日本人ならメガネかけてて、カメラ首から下げてて、、、そういう決まったスタイルがあれば自ずと同じ方向性を持つようになるのではないか。
赤信号みんなで渡れば怖くない
人に一切迷惑をかけずに自分を成長させる
愉快犯なんてせずに
ただ一部にこだわってはいられなかった
しかしその一部が大事
でも、人生つまらなくなっては一生面白くないので
大事なところはデリケート、だから
みることさえ敏感に
見ないで顔を見ながらするジャストメイクな極上
愉しいのが必定のボディ&ボディ
離れてもくっついても愉しいのが基本
痛いのなどいらない
なぞるように触る毎日の瞬間瞬間
上達することない汗の量で
声はじわじわと増やしていく
しかしそれだけが人生ではない
この世は苦の娑婆じゃないから
身をあずけて動かすそれを
聞き手も呻き手に変わる毎日でもか
心は従う主人なくとも
暗示的なところは心が作用するからであろう。心の奥で眠ってるのを起こすのが上手に目覚めたい。目覚ましは、例えば雲一つない青空で闇と程遠い違うものと入れ替わる。木こりと木を休められないように倒れるまで終わらない。