おはようございます☀️
今日は関東では朝から雪模様で寒すぎますね🥶
暖かくしてお過ごしください☺️
今朝、テレビドラマ『ミステリと言う勿れ』の第5話を観ました。
毎回毎回、主人公・久能整(菅田将暉)の、「僕、常々思うのですが…」から始まる、説教ではなく諭すような、そして上から目線ではなく相手に寄り添う穏やかな口調で発せられる、深みのある言葉と考え方に、勇気づけられ、時に涙し、ずっと覚えておきたいから録画を戻しては一時停止し、再生しては戻し、を繰り返してメモが止まらないです。きっと同じ方いらっしゃると思います😂
その中で、「闘病」と言う表現について語るシーンがあります。
久能
「どうして“闘病”って言うんだろう。
“闘う”と言うから勝ち負けがあるように思ってしまうんです。例えば、有名人が病気で亡くなったことを報道するとき、
『 “病には勝てず” “病気に負けて” “闘病の末、力尽きて” 』
久能
「どうして亡くなった人を鞭打つ言葉を無神経に使えるんだろう。
負けたから死ぬんですか、勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず、負けたから死ぬんですか。
そんなことはない。僕なら、そう思われたくない。
勝ち負けがあるとしたら、お医者さんとか医療ですよ。その時の医療が負けるんです。
人は病に負けたから死ぬんじゃないんです。
闘いじゃない、治療なんですから。
人は弱くて壊れやすいし、病むことも、倒れることもある。それが当たり前だと、誰もが思えたらいい」
自分自身、何の悪気もなく、他意もなく、自分の経験をタイトルにするならばと、このブログでも使っていた言葉
“闘病”
でもこれは、もし自分がこの言葉を使って自分を言い表すとするなら、(周りのサポートなしでは、自分一人では絶対に成し得なかった)“勝った”側の人間だと言えるのかもしれません。だけど、“負けた”側の人たち、一生懸命がんばったのに、乗り越えようと辛い治療を何度も受けたのに、叶わなかった人やそのご家族、大切な人たちを、そしてその気持ちを平気で踏み躙る言葉なのかもしれないと、ハッとしました。
言葉は、言い方や伝え方、受け取り方によって、誰かを救う薬にも、傷つける凶器にもなる
そう感じました。
たとえ自分が気にしない、傷つかない言葉だとしても、誰かを突き刺す刃物にもなりうるんだなと、自戒の意味も込めて、書かせていただきました。
今までの自分の書き方で、もし傷つけてしまっていたら、嫌な気持ちにさせてしまっていたら、本当にすみませんでした。
「そんなつもりはなかったのに…」
こういう経験は、大なり小なり誰しもあると思います。
私は今回、このドラマの言葉と、自身の経験を照らし合わせられたことでハッと気づきました。
こういう繊細なところに気を配れるようになりたいと、そう痛感しました。