学者犬マリー訓練編

 

それを思ひまして、今度こそ主人に笑われぬ様、君ガ代の唱歌を歌ふ様になるまで必ず訓練して見せると思ひ、早速マリちやんを連れて來て、自分の前に坐らせ、マリーちやん今日からは私も一生懸命根氣強く君ガ代の唱歌を教へるから、マリちやんもお父さんに笑われぬ様、早く覚 へて頂戴と、子供に物を言ふ様に頼みまして訓練にかゝりました。
先づ君ガ代を歌わせる前に、五十音の、アイウエオを先にと主人が申しましたので、第一番にアーと云ふ事を第一歩として改めて訓練にかゝりました。
是から私が君ガ代を歌はす様になるまでの實際の訓練方法を書いて見様ふと思います。
先づ犬を静かな室に連れて行きまして、自分が御坐りします。其前に犬も自分の方に向はせてお坐りさせます。
そして犬の鼻を一寸つまんでやるか、或は耳を引ぱるかします。其時必ず怒つて「キヤン」とか「ワン」とか必ず言ひます。何とでも言つたら肉を一切(牛肉かエンドー豆)位やります。
そして又耳か鼻をつまむ、又「キヤン」でも言へば一切やる。是れを四、五回も繰返せば、牛肉を見せれば必ず何とか言ひます。そうなれば占めたものです。
次からは肉を見せ自分で「アー」と云ふて「ワン」と言へば肉をやる。次は肉を見せないで「アー」と云ふ(何とか言つたら肉をやる、是れを根氣強く繰返せばよいのです。けれ共余り度度繰返すと「ワン」とも「キヤン」とも言わぬ様になりますから、其時は又、前同様鼻か耳を引つぱつて言ふまでそれをやります。
それでも聞かない事が有りますが、其時は頭を二つ三つ叩きます。余り惨酷な様ですけれ共、犬に言わせ様とすれば私にはそれより外に方法がないのです。 
然し期間を長くかけるのでしたらいくらでも外に方法は有ますけれ共、成可く短期間で仕上げる積りなのです。
肉は一回量百匁位で全部なくなるまでやります。其間脇目をすれば罰します。賞罰を明かにするのです。
然し賞罰の配合と云ふ事だけは、とても私如き者では言ひ表はし、又は書き表はす事は出來ません。
是れは一般に良く申します様に「コツ」とか「秘術」と云ふ様な事に、當はまるのではないかと思ひますので、其點は皆さんの方で配合して頂きます。決して脇目とか自由自儘には絶對させてはいけません。
晝夜二回二十日間位で、「アイウエオ」は言ふ様になります。
其の一つ〃出來上つた時の嬉しさは、とても他人では解らないと思います。其一つ一つ出來上るにつれ、興味が出て参りました。其事を主人に話しますと、それで始めて訓練が出來るのだ。すべて何をなすにも其仕事に興味が出て來なければ成功するものではない。特に犬の訓練は興味を持たねければ出來ない。
興味が出て始めて犬の心理をつかむとか研究心とかが出て來るのだ。だから是からは自分の力で研究的にやつて見よ、と申しました。

田村しげ「軍用犬訓練の體驗(康徳11年)」より
(次回に続く)