天才ワンコ現る!と世間を騒がせてきた学者犬。実際は飼主の微妙な仕草を読み取って動いているだけですが、訓練の手間を考えると実際に優秀な犬なのでしょう。

日本の学者犬は南洋諸島までを営業範囲としていたのですが、今回は満州国の学者犬「エス子」「マリー」に関する記録です。

このレポートが書かれたのは康徳11年末(1944年)。日本でペット毛皮献納運動が始まる頃、満州国では呑気に学者犬の話をしていたんですね。

翌年8月の満州国崩壊時、学者犬たちがどうなったのかは不明です。

 

 

今度本部(※満州軍用犬協会新京本部)より私に婦人と訓練と云ふ事に付いて何か書けと云ふおすゝめに依りまして、何分筆を取つて書いた事のない私には、そんな難しい事は書けそうもありませんから、お斷りしようと思つて居りました處、再度のおすゝめを戴きましたので、致方なく私が是まで行つて來た體驗でも書いて見ようと筆を取つた次第です。

お恥ずかしい次第ですが、分り惡い點が有る事と存じますが、御判讀下さいまして一字でも御参考になりましたら幸せに存ずる次第です。

 

婦人の身で軍用犬の訓練と申しますと大變六ヶ敷い様に思われますが、決して六ヶ敷いものではないと思います。

出來ないと云ふのは訓練の方法が解らないからではないかと思います。

私は小さい頃から犬は大嫌いでした。

遠方で犬の吠へるのも聞いただけでも身震いする程嫌いでありましたが、今から八年前主人の内に來まして始めて犬と一緒に暮らす様になりました。

其當時は獵犬が二頭と學者犬(エス子)が一頭と、以上三頭の犬が居りましたので、其三頭の犬の氣嫌を取らなければならないかと思ふと随分嫌な思ひを致しました。何時も犬の事で叱られ通しでした。

 

然し、主人が毎日犬に算術を教へますのを毎日の如くみて居りました處、犬(エス子)がとても良く覺へますので、今まで嫌であつた犬が俄かに可愛くなり、好きになり、自分も犬の訓練がして見たくなり、主人の留守にエス子に算術を教へて見る氣になりました。

そして早速エス子を連れて來て、主人の訓練と一寸も違わない様にやりました。けれ共もエス子は一寸も云ふ事を聞いて呉れません。

色色とやさしく云つて見たり、又怒つて見たり、随分方法を換へて見ましたが、只甘へてばかりおります。

私は其當時は非常に氣が短かかつたものですから、思わず知らず物尺が手近に有りましたので其物尺で叩きました。ところが縮診上がり其儘一目散に外に逃げて何處に行つたか解らなくなりました。

 

さー大變です。

主人が歸つて來たら怒られると思ひ、當時洋服店をやつておりましたので、弟子達を四方に出して捜させ、自分も方方を約二時間も捜しました。

けれ共見當りません。致し方なく歸つて参りましたところ、弟子達も皆歸つて來て居りエス子はと聞くと皆見當らないと云ひます。

いよ〃落膽して居る、其處にひよつこり歸つて参りました。

其時の嬉しさは今以て忘れられません。直ぐエス子を抱き上げて嬉し泣きに泣きました。

弟子達には其出來事を主人に知らぬ様にと、口留めして置き、何喰わぬ顔をして居りました。

 

田村しげ「軍用犬訓練の體驗(康徳11年)」より

 

※かなり長いので次回に続きます。