二月六日午後一時、特急かもめにて武久兄と同行。車中犬談に花を咲かせつゝ無事十時神戸着。

驛頭にて西山兄と久闊を敍し、大本氏の案内にて氏の宅に着。又一しきり犬談。

やがて今回の旅行の重大目的の一つであつた武久氏のアンカにケザールを交配せしめ、午前四時就床。

 

翌七日朝六時起床。身を清め涛川神社に参拝。

アンカ號を汽車にのせ、朝食をしたゝめ、西山、武久兩兄と共に寶塚にバイエル・フオン・セキシンブルグを訪ねた。

昔の覇者バイエル號は現在小田中氏の犬舎におさまり、皮膚病も全治、元氣一杯だが、幾分痩せた感があり、充分のコンデイシヨンと云ふ事が出來ない。

アーコーを通じ、トロル系素質の濃厚なる系統大なる點を力説し、今後の飼育管理に萬全を期せらるやう切望して、時間の都合上、小田中氏の犬舎を辭した。

 

西山氏のプランに從ひ、先づ阪神第一の犬舎を所有してゐる住吉區の北村氏の犬舎を訪問。

氏は丁度所用にて外出中であつたが、管理者の親切により、外出先の氏へ傳へられ、まもなく御歸宅。久闊を敍す。

 

犬舎ミナミヤマトは、その規模に於て先づ阪神にその比を見ぬであらう。地所一萬餘坪。

その中に、トロツテイング練習場あり、回轉式運動具の備へらり、長さ二十間の疾走用運動場あり。一方の犬舎は二階造りであつて、その階上にはウルナー、ウリツケの二名牝その他が置かれ、階下には大小種々の仔犬成犬が十數頭。

他の犬舎には訓練犬アスター・フオン・フツゲルシユタツト並びにその仔等十數頭入れられ總數四十餘頭の多きに達し、アリー、デジー、ボドー等各系統犬が各々その特色をあらはしつゝ、時に吠え、時に凝視するその状況は、まさに壮觀の至りであつた。

氏の好意により、加藤氏に對面。

 

畜犬商加藤氏はドーベルマン専門を標榜する程あつて、かなりの本種の愛好家と認められ、事實店頭の犬箱の中には、光祖を始め數頭のドーベルマン種が管理されて居り、關西にも特種のドーベルマン研究機關設置を切望して居られる點、有力なる同志の一人なりとの感を深くし得たのは、一つの大きな収穫であつた。

この研究機關の設置に關しては、北村氏も大いに希望して居られる事であるから、その何れの母胎から生れるかは言明のかぎりでないが(KV大阪支部を中心として生れ出ることを筆者は切望して止まないものであるが)一日も早く實現せられ、我等もその席の末をけがす事が出來る様になれば、これ以上の滿足はない。

 

やがて加藤氏の御案内で浪速區の伏本氏の犬舎を訪問。

ジーゲル、ハムレツト後のドーベルマン種に關しては、或種の言明はしてある積りであるが、かなり理論と實際に於て一致してゐるのに、一驚を喫した次第である。

 

カルロは中型であつて、氣質かなり鋭く、その動作も訓練犬の、それの如く微妙である。只長途のつかれ未だ充分癒えず、從つて被毛幾分粗雑の感がない譯でもない。

今後周到なる管理によつて之れらの難點を調整し、ドーベルマン訓練界にデビユーして戴く日の、一日も早からん事を切望して、伏本氏と袂を分ち、東成區中山氏の宅へ向ふ。

 

中山氏の犬舎にはアリー・ヤスペルセン、クランカ・フオン・セキシンブルグ他一頭の牝犬が飼はれて居る。

アリーは、中山氏も言明して居る如く、漸く老境に入りつゝある。

 

さはあれ、アリーを長胴傾向所持者のサンプルなり。と批評して居た余輩として長胴にあらずして長背なりとの言語的訂正をなし得るの機會にめぐまれたのは、この上もない幸福と云はねばならない。

即ち中山氏の好意により、實測の結果、肩高二七吋半、胴長二七吋の數字を得て、ここに初めて、觀望上長胴に見えるのは、長背のしからしむるところなりとの體驗を深くした譯である。

クランカ號は産後數日を經過せる状況にある事とて、此評の言をさしひかえて置く事にしたい。

 

かくて、まだお訪ねしたい所も多數あつたが時間も限られて居る事とてつきせぬなごりを惜しみつゝ、夜行にて歸京。數日後之れをものす。

 

野呂横行「阪神地方のドーベル犬舎訪問」より