生年月日 昭和9年生れ

犬種 セント・バーナード

性別 牝

地域 東京府

飼主 金井謹之助氏

 

今、宅にはベア(※グレート・デーン)の外に、セント・バーナードの牝が一匹ゐます。去年の六月廿七日から宅にゐますが、この犬は謂はゞ授かり物で、いや、それについて面白い話があるのです。
同じ新國劇の島田正吾君から「バーナードの仔犬を貰つたが、家では飼へないから、預つてくれ」と云ふ話で、劇場で犬を受取り、宅へ連れ戻つたのですが、このバーナード、如何にも鷹揚で、仔犬らしくチヨコ〃しないのです。
縁側へ出してみると、前足を伸ばしてノンビリ蹲るのですな。
私はそれを見て、「悠々たるかなバーナード」と、いゝ氣持でゐたものです。初めてのバーナードではあるし、犬の顔も元氣らしいので、一切平氣でゐたところ、翌日、吐瀉が始まつて……。
何と、スルメが飛び出して來たぢやありませんか。
仔犬にスルメを喰はせるなんて、どうも亂暴な話です。誰がやつたか知りませんが、これには驚き入つてしまひましたな。
早速、手當を加へ元氣を盛り返させてみると、やはり仔犬らしくチヨコ〃始めて、「悠々たるかなバーナード」は飛んだお笑ひ草になつてしまひました。
 
ところで、このバーナード、此つちは相當の仔犬の心算で預り、飼養もそのつもりで始めたのですが、その後に至つて齒が生え出し―、いや、これにも驚きましたね―相當の仔犬とばかり思つてゐたのに、これでみると預つたときは、生まれて幾らも經たぬ赤ン坊だつたのですね。
赤ン坊を仔犬のつもりで、食物をやるなんて、知らぬとは云へ、これも亂暴な話でした。
でも、よく育つたものですよ。
生れた月日をなぜ尋ねなかつた、と仰有るのですか。そりや尋ねましたよ。
ところが、先方が頗るアヤフヤで「生後三、四ヶ月だらう」と云ふ話で―、それがまだやつと一ヶ月そこそこだつたのです。
ま、そんな次第で、大體此つ方で認定する外はなかつたのです。
 
話は前後しますが、このバーナードを預つて廿日ばかり經つた頃、島田正吾君から「あの犬は君の飼犬にしてくれ」と云ふ話でした。
譯を聞いてみると、この犬は某富豪のものだつたのですが、折角贈つた犬を友人に預けてしまふなんて、それでは可愛味もなんにも出やしない。預けた序に、金井氏に贈つてしまひなさい。
かう某富豪が云つたさうで、それで、上げます、と云ふ話なのです。
バーナードが授かり物だと云ふのは、こんな譯合なのです。
 
私がバーナードを手掛け始めると、友人、知人がよく云ひましたつけ。
「夏場、セント・バーナードの仔犬を飼ふなんて、うまく行く譯がない。きつと殺してしまふから……」
ナニ糞つと思つてましたがね。到頭、ナニ糞を通して、今日まで育てて來ました。
なーに犬なんて、さう死ぬものではありませんよ。
人間の子より育てるのは樂だと思つてますが。二十年間といふもの、ダツクス・フントやブルテリヤその他をやつて來ましたが、まだ殺したことは一度もありません。

 

「死なさぬ名人・他人の病犬まで預つて治癒させる金井謹之助丈(昭和10年)」より