愛犬との離別にあたって、その死因がよく分からないというのは「何か救える手段があったのでは」という後悔や疑心暗鬼の一因ともなります。獣医師ではないので自己診断もできませんし。
産科から内科から外科まで全般をこなさなければならない獣医師の責任も、戦前から重大だったワケです。
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全く極最近迄は原因がハツキリしなかつたのであつた。
病名のつかなひ事は佛に戒名がなひやうな感じで、犬の佛も浮ばれなひであらうから、此處に戒名のつもりで病名を發表させて貰ふことゝする。一寸一口では云ひ現わせなひ厄介な病氣であつた。
末梢性鬱血性脾腫、慢性胃擴張及胃炎、感冒性肺炎。
尤もこれは僕が勝手につけた病名で、故坪内博士の双柿院終始逍遥居士(※坪内逍遥は同年2月26日に死去しています)に類するものであることを斷つて置く。
これ程多種多様な病氣が重なり合ひ病勢が二乗三乗されて居た事が明かになつてみれば得心もゆくし又諦めもつくが、生前僕の犬は殺したつて死ななひ程の健康さだと大言壮語し、又實際頑健な犬だと信じて居ただけに、發病四十八時間でコロリと参つたのでは何とも得心出來兼ねる。
毒殺?
陰惨な幻影が頭を幽める。
四、五日前犬に近かづいて居た風態怪し氣な男の姿、犬嫌ひな近所の親爺の顔、誠に淺間しい限りである。
稍々冷静に返つて、食物中毒、腸捻轉、内出血等々種々な急性疾患に思ひをめぐらしてみたが、先づ内出血が最も妥當な考へ方であつた。
何にしろ解剖して萬事解決するの外なひ。これが時も時も十二月三十一日夜といふのだから手のつけやうもない。
犬と人間とのけじめのハツキリしなひ僕等の過程ではこんな場合全く以て始末が惡い。犬が死んだとて松飾を取除く譯にもゆかなひし、お線香の煙を漂よわして雑煮餅も喉を通らない。と云つて世間様へは誠に結構な元旦でと目出度そうな顔をしなければならない。
何も彼もお目出度盡して過さなければならない日に、犬の解剖などとんでもない事で、只管焦ら立たしい心持ちを押えて居た處へ進んで「私にも研究になります。早い方がいゝでせう」と北風の吹き曝す庭先きで約二時間、死因の探究にメスを振るわれた澁谷獸醫の熱心な研究的態度には感激と云ふよりは寧ろ敬虔の念さへ覺えた。
結果から見れば輕微なる肺炎、胃の擴張と炎症、消化不良に依る瓦斯の充滿、極端なる脾腫(普通の四倍以上に腫れて居た)、之れ等諸疾患の原因に就いては詳細研究の上知らせて頂くことゝして解剖を終つた。
其の後日を經るに随つて忘るゝともなく記憶の薄らいだ二月も半過ぎ、同氏より用箋十葉に渉る前記解剖の結果より想定されたる原因病理等詳細を極めた報告を頂いた。
それは吾々素人にも容易に納得出來る秩序的のものであり科學的のものであり、そして明快に判斷の下し得る完全のものであつた。此處に轉載したいのであるが、甚しく紙數を費すのと、一般的のものでなひので割愛する。
この診斷に依つて私の愕然とした事は、此の頓死に近い急逝が遠く幼犬時代よりの飼育上の欠陥に起因して居たことであつた。
かうなると日頃の自惚れも廣言もけし飛んでしまつたばかりでなく、當時取亂して毒殺などと様々な妄想を逞ましうした淺果かな心の奥底を誰かに覗ぞかれては居まひかと、顔から火の出る思ひである。
以上の經驗に依つて一つの生命は失はれたが、殘されたる者等、そして又將來幾頭かの私の手に飼育さるべき者等に同じ轍を歩ませなひであらう事は澁谷氏の懇切な診斷の賜であることを感謝して居る。
世の愛犬家諸氏も、萬一愛犬の不幸に遭遇された場合は甚だ明白な死因に非らざる限り、其の死に及ぼせる經過を徹底的に探究することを臨床獸醫に促さるべきであり、獸醫師も亦醫學の及ぶ限りの説明を與へらるゝことを希望し度い。
それは飼育者にとつて得難い經驗であり、時としては意外な發見をされる場合もあるであらう。
解剖もしなひで「ヒラリヤか……、それじやあ仕方なひや」と諦らめてしまうには、あまりにも勿體なひ犠牲ではあるまいか。
私は愛犬の死を所謂犬死にせしめなかつたことを何よりの慰めとして、彼女の冥福を祈つて居る。
鳥緒海無『折にふれて』より