生年月日 不明

犬種 ポインター

性別 不明

地域 鹿兒島縣

飼主 川畑篤介氏

 

天草にて、川畑氏とロー號及びヂヨーヂ號(大正4年撮影)

 

彼の山陽の繡腸(しょくちょう・詩情)に詩化された天草列島は、九州第一の好獵地と豫て聞及んで、夢寝(むしん)にも忘るゝ遑(いとま)はなかつた。

デ、予がグリーナの十六番銃を携へて、旅装輕く此の天草遠征の途に上つたのは客年十一月廿八日であつた。此日午前八時大口を我愛犬ローと共に出發し、出伊兩郡の分水嶺朝日連山の袂、大川内附近をあさつて雉子一羽を獲、午後八時出水町龜屋旅館に引揚げた。

廿九日出水を出發して行くこと里許、米之津港から天草通ひの地洋丸と云ふ、名だけ大きな小艇に乗組み、波上静に東長島宮の浦港へ着いた。

天草郡島中東永島村管内伊唐島には獲物非常に多く、且つ地勢平坦の好獵地と聞き、同島より八代聯隊へ入營の見送船の還るに便乗して午後四時伊唐島へ上陸した。

先づ區長を訪うて來意を告げ、明日の戰線の觀測を試みた。ソコで徐ろに同島の民情と地勢を觀るに、此處は鹿兒島縣の管轄に属して天草を去ること一海里餘の東南に在り、周回約二里にして四十餘戸の家屋海岸に散在するのみ。

島は全部畑と松林よりなり、水田僅に五反餘在りとか、小學分教場あり。區長島政を掌りて二人の小學教員は之れが参政官と云ふ格である。住民孰れも純朴にして能く親和し、警察又は裁判の事件を惹起すやうなことは殆ど絶無である。全島甘薯を産し福岡地方へ輸出するもの少なからず。

(中略)

第一日の獲物、飛ぶは鳩、羽音高きは雉子、船頭を愕かすは鴨の群。

予は先づ聞きしにまさる此島に卅日八時頃愈よ一の矢の火蓋を切るべく、ローを携へて霜白き暁を冒して宿を立出で、先づ南海岸を傳ふて物色しつつ、只ある畑中に臭ひを付けたローが程なく四羽の雉子を追出した。待ち構へた矢先とて四羽とも物の見事に射止めて我知らず北叟笑む。

之を手始めとして鳩を追ひ雉子を狙ひ、不案内ながら脚に任せて撃廻り、午後二時頃一旦宿に引揚げて少憩し、再び北海岸の渉獵に出掛けて、短き日脚を恨みつゝ黄昏まで撃續け、茲に雉子十七羽鳩九羽を獲て第一日の戰鬪を中止した。

 

薩摩大口 杏獵生『指を天草に染めよ(大正5年)』より

 

この後の川畑さんは海鳥猟に漕ぎ出したものの、撃ち損ねた半矢のカモメを一時間も追い回して船頭を怒らせ、阿久根へ移動したところで風邪をこじらせて発熱。散々な狩猟行となりました。