皇族には久邇宮朝融王や筑波藤麿をはじめとする愛犬家が多く、特に犬を愛したのが大正天皇でした。

その父である明治天皇は、鷹狩用の和犬で占められてきた宮内省猟犬舎に洋犬を導入した人物でもあります。

 

帝國ノ犬達-宮内省

大正時代に撮影された宮内省新宿御苑猟犬舎

 

宮内省の御養犬に就て聞くべく、現今の飼方役なる溝口幹知氏を訪ふた。

其の物語る所に依れば、氏は明治三十四年一月拝命以來、既に七十有六頭の犬の飼育に從事したが、其中獵犬として眞に物の用に立つべきは僅に三十三頭より無かつたさうである。それも漸次死亡し、或は東宮殿下の御用になつたりしたので、現在此御料地に居るものは僅に七頭よりないさうである。

然し尚、未だ猟 犬の資格はないが、目下教育中のものは廿三頭ある。

▲其中佛國産ブツク・フアウンド(佛名シヤン・ド・ガスコヌユ)といふのは六百圓で御買上になつたもので、今では此種のものが四頭居る。此種の犬の特色は常に狩獵者の近邊にあつて、鳥を探知するのを得意とする。

他に英吉利セツター(佛名エパニエル・フランシエー)七頭で、ゴルドン・セツター一頭(ポインターにて山邊馳走に適す)、アイルス・セツター二頭(水邊に適す)、黑樺犬(露國セツター)二頭及び故兒玉大將の献上にかゝる蒙古種一頭、英國動物園長献上のブルドツグ牡一頭(獨逸のビスマーク公の顔に似て居る犬にビスと云ふのがあつて、それに類しては居るが、之れは鬪犬種である)等が居る。

▲年々凡そ六頭宛増す勘定にはなつて居るが、多くは病を發して斃れるので、其割に増加しない。又病犬ある時は一々上申して侍從の御見廻ある事がある。

而して犬の病氣は多きは寄生虫で、ドツグ・ミユース(腸中虫)とヒラリヤ(心臓虫)、モウトー虫等は醫學上全然回復の見込なしとせられて居るものである。又カイセン、アラカスといふ皮膚病も先づ〃全快の見込のないものとしてある。而して之れ等の病氣は主として汽車の犬箱から傳染するものださうである。

▲飼育場には一頭に付き一つ宛の犬舎が宛てられ、皆悉く鐵柵で隔が出來て居る。運動場も廣く、竹柵を廻してあつて、時々茲で發砲して獵の訓練をして居る。

又少しく物の用に立つやうになると、時々獵に連れて行つて、實地演習をさせて居る。

▲食料一日一頭に付き馬肉五十目、薩摩芋五十目と、外に四季とも麥飯(米三合の麥二合の割)味噌十五匁を與へる。

冬になると鯥(むつ)、鰡(ぼら)等の魚肉を與へたるもあるか、魚肉を與へる時は自然と獸肉を少くするのである。

▲皇太子殿下(※後の大正天皇)は、天皇陛下に似させられて頗る犬を好ませられ、時々此御料地に行啓ありて擬 猟の御戯などあるさうである。

 

『陛下の御獵犬(明治40年)』より