「あんたに殺れといっているわけではない。犬の数をかぞえるだけでいい。立会人なんだから、らくでいいだろう。すぐになれる」
と実際に殺す係りの人はいったそうです。
犬は、一頭ずつ、角材や、丸太で撲殺したのです。剣道三段と、初段の人がふたりで、交代になぐり、ほかに、短刀で、殺した犬の皮をすばやくはぐ係りがふたり。もうひとりは、死骸の処理係。
工場のすみの棚の上には、かんたんな仏壇がしつらえてあったそうです。
燈明をあげ、仕事にかかる前に、手を合わせたというのですから、作業にかかわった人、誰にとっても、つらいことだったのでしょうね。死んでいく犬達の、冥福をいのったのでしょうか……。
 
井上こみち著『犬の消えた日』より
 
昭和12年11月、写真におさまる少女とワイヤーヘアード・フォックステリア。
同月には第二次上海事変の勝敗がつき、大陸の軍事衝突は終わるかに見えました。しかし現地の日本軍は暴走し、撤退する中国軍を追って南京へ侵攻。
急拡大した戦線は、膨大なヒトとモノとカネを呑み込みはじめます。
 
【ペット毛皮献納論の混乱】
 
皮革の最大輸出国だった中国と戦争状態になったことで、日本は軍需原皮の独自確保に迫られました。レーヨンなどの化学繊維が普及しつつあったものの、依然として皮革は重要な軍需物資だったのです。
仏教的殺生観の影響で皮革業界の発展が遅れた日本では、深刻な皮革不足が予測されました。
昭和13年施行の国家総動員法をもとに、世の中は民間主導の自由経済から国家が管理する戦時経済へ移行。戦略物資の統制(国家の資源として管理すること)をはかる商工省は、昭和14年より犬の革も統制対象に加えます。
ただし、最初に統制されたのは「野犬」を原料とする三味線皮だけ。国民は安心して「畜犬(ペット)」を飼うことができました。
 
開戦から何年経っても日中両軍は互いをノックアウトできず、銃後の国民は耐乏生活を強いられます。
その鬱憤のはけ口となったのが、言葉をもたぬ犬猫たち。
中央省庁や政治家は物資不足の責任を犬へ転嫁し、体制に組したマスコミは犬を敵視する世論を形成し、扇動された一般市民は犬を迫害し始めます。
絶対国防圏が突破された昭和19年、ペットの毛皮献納運動がスタート。それに従って、各地ではたくさんの犬猫が殺処分されました。
 
帝國ノ犬達-演習
●昭和8年10月、福井県の陸軍演習に参加した歩兵第43連隊の軍犬班。日本軍犬の多くは、民間のペットから調達した「購買軍犬」でした。
戦時下においてシェパードは軍犬となり、愛玩犬は毛皮にされたのです。
 
……その惨禍の割に、実態は知られていないんですよね。
ペット供出に関するマスメディアの報道は、どれもコレも「大人の事情を理解できない児童(当時)視点の思い出話」ばかり。ペあの殺戮を指導し、それに協力した側への調査は放置されたままでした。

そんな記事ばかり読まされる側も、怒ったり悲しんだりと「戦時の物語」を消費するだけでオシマイ。

ここは日本犬界史のブログですから、「ペットを毛皮にしたなんて酷い!」という感想文ではなく「犬の革はどのように戦時統制されたのか?」という視点で話を進めましょう。
 
犬

●視点は大事です(上の連続写真)

 

犬革だけではなく、戦時の皮革統制については様々な面から検証すべきです。

畜産界から供給される牛皮や羊毛は、加工・流通を分担する皮革業界を商工省が配給統制するだけで済みました。警察の野犬駆除で供給される犬皮(三味線皮)も、同じようにして商工省が統制しました。
猪や野兎といった野生獣皮の統制は、狩猟法を管轄する農林省から猟友会へ献納を依頼していました。

つまり「管轄省庁」から「民間業界」という組織間の通達が基本です。

これらに対し、ペットの毛皮献納は軍需省・厚生省から地方長官(知事)へ、地方長官から地域の警察へ、警察から一般市民へと通達されています。公的機関と個人間の通達だったワケですね。

 
上記のとおり、戦時下の皮革統制は中央省庁のもとで実施されました。
しかし家畜や野生動物と違い、ペットは個人の所有物です。中央省庁が統制するにしても、野犬毛皮だけではダメだったの?
そしてペット献納の手続きは?誰がどのように全国規模で個人所有のペットをリストアップし、各家庭から一斉供出させ、速やかに大量殺処分し、膨大な遺骸を処理し、製革し、集荷し、消費者たる軍部へ配給したの?
マスコミや一般市民は、なぜこの殺戮に抵抗しなかったの?
なぜマスメディアはその詳細を報道しないの?
 
答えはカンタン。あの大虐殺は、われわれ日本人が上から下まで一致団結して成し遂げたのです。
総力戦へ向けた「国家総動員法」、軍需皮革を確保するための「皮革配給統制規則」、国民に戦争協力を強いる「国民精神総動員運動」などを根拠に、官民あげてペットを迫害したのです。戦時体制に組したマスコミも、国家によるペットの迫害を扇動したのです。
だから、誰も過去を直視したくないのでしょう。
 
野犬毛皮を確保できれば充分なのに、ペットの毛皮まで狙われたのは何故か?
「戦時下における狂犬病対策」などと尤もらしい理由がつけられていますが、本音は「国民みんなが耐え忍ぶ総力戦において、ペットを飼うような個人の贅沢を許してはならない」という同調圧力でした。
誰かが指導や強制をしなくても、日本国民は自発的にペットを迫害したのです。
昭和14年、「贅沢は敵だ!」の標語で知られる国民精神総動員運動がスタート。耐乏生活が強要される中、やがてペットの飼育も白眼視される社会状況へ至ります。
 
この世論を醸成する過程には、中央省庁の関与もあったのでしょう。
軍需物資の確保を急ぐ商工省だけではなく、戦時食糧難の到来を予測した農林省も犬革統制に同調。
「軍用犬の飼料問題に就て檢討する座談會(昭和14年7月19日)」の席上で、農林省の官僚が下記のような発言をしています。
 

ただ野良犬を見付けて撲滅すると云ふのは非常に困難でありますから、精神運動(※国民精神総動員運動)に依つて駄犬は献納させ、此の際國家のお役に立てると云ふ事になれば、飼い主の近所に對する面子も立つわけで、其の外にも買上をやると云ふ様な色々の方法があると存じます。

農林省あたりでやると致しましても、ただ漫然とやるのでは駄目で、色々の御意見も出ましたが、前にも云ひました根本問題を旗印と致しまして、國家が必要とする有能犬の食料を確保すると云ふ事になり、第二段の腹案に進むと云ふ事に行けばいいのではないかと思ひますが(布谷農林省技師・昭和14年)
 
この時流に乗じた商工省は、皮革業界の統制だけではなく畜犬行政への介入もはかりました。
知事を通して各地域の警察に野犬駆除システムと皮革統制の連携を求め、ついでに警察が窓口となっている飼育登録制度を利用してペットの毛皮も狙ったのです。
昭和16年に太平洋戦争へ突入すると、物資不足は深刻化。
やがて、一般市民の間でも「無駄飯を食むペットは毛皮となってお国の役に立て」という主張が公然となされるようになります。
そこに悪意など全くなく、すべては「聖戦遂行という絶対正義」のためでした。
 
絶対国防圏が突破された昭和19年、軍需省(旧商工省)と厚生省はペットの献納を全国の地方長官へ通達。
昭和20年1~3月にかけて、全国規模でペットが殺戮されました。
そして同年8月に日本は敗北。戦時中の価値観は180度ひっくり返り、正義のためのペット献納運動は忌むべき動物虐待行為と化しました。
たいへん都合がよいことに、敗戦によって軍部と近代日本犬界は崩壊します。戦時中のアレコレを総括すべき主体が消えたことで、全てはウヤムヤとなってしまいました。
犬の迫害に加担した人々は、戦後の混乱に乗じて被害者側へ変身。戦時を断罪するマスコミも、自らが共犯者であった過去を振り返ろうとはしません。
関係各位が黒歴史抹消に励んだ結果、とり残された「犬を奪われた飼主」と「皮革を求めた軍部」のみがクローズアップされる現状へ至りました。
 
そんな報道内容を鵜呑みにした場合、ペット献納運動に関する解説はこんなポエム風になります。
「ワレワレ一般庶民は、犬を奪われたカワイソウな被害者なのです。すべて軍部に強制されたのです」と。
 
ほんとうにそうでしょうか?
戦争末期までシェパードの種犬貸付制度に奔走していた軍部が、「犬を飼うな」と命じたことはあったのでしょうか?
だったら軍部が民間のペットを管理する法的権限は何?陸軍省が定めた犬に関するルールは「軍犬管理規則」だけですよ?
陸軍省が民間ペット界へ関与したのは、「国民はシェパードを飼って、殖やして、最低でも基礎訓練を施してから陸軍部隊へ売ってほしい」という「軍犬報国運動」の分野でした。
 
犬
●犬を敵視する銃後社会によって、陸軍省の軍犬調達業務は支障をきたすようになります。
食糧事情の悪化でシェパードの飼育頭数が減少し始めた昭和19年、その繁殖調達を急ぐ軍部は保有していた軍犬を民間の愛犬家へ貸し出しました。
 

被害者側の立場になろうとして、誰かに責任を押し付けようとするから話が迷走するのです。犬を迫害した加害者側の立場で(モチロン連帯責任的な意味です)、ワレワレ日本人が戦時下にナニをやからしたのかを検証すべきでしょう。

 

帝國ノ犬達-軍犬購買 

●「軍部にシェパードを奪われた」という話も、軍部と飼主のシェパード売買仲介窓口である帝国軍用犬協会へ自発的に参加し、愛犬を軍部へ売り払っていた飼主たちの思い出補正かもしれません。延べ6万数千頭もの民間シェパードが帝国軍用犬協会に登録されていたということは、それだけ多くの飼主が帝国軍用犬協会に参加していたワケですよね?しかも入会金2円(現在だと4000円位でしょうか)と年会費8円と登録料まで支払って。

 
【戦前犬界と戦時犬界】
 
巷のペット供出論に関しては、「戦時の15年間」を注視するあまりの視野狭窄が散見されます。
明治犬界、大正犬界、昭和犬界を経て、「戦前犬界」と「戦時犬界」のどの部分がどのように変化したのか?という視点が完全に欠落しているのです。
現代日本の社会システムは、明治から百数十年間をかけて構築されたもの。犬界もソレと同じで、「戦前」と「戦時」と「戦後」は地続きでした。
歴史を断片ではなく流れとして見てみましょう。
 
行政機関による犬の資源化がスタートしたのは明治時代のこと。
「畜犬(ペット)」と「野犬」は警察への飼育登録によって区分され、畜犬取締規則や畜犬税による飼育頭数の抑制がはかられます。 野犬や未納税犬は、容赦なく駆除されていきました。
やがて狂犬病対策も農林省から内務省へ移管、畜犬行政全般を警察が担うことになります。
公的機関がペットの飼育を制御し、狂犬病対策と連動させた管理システムはこうして完成しました。
 
「何の権限があって役人が介入するのだ!」と憤られても、すべては無責任な愛犬家が招いた自業自得。
放し飼いや捨て犬が横行していた時代、行政の介入は飼育マナー向上・防疫措置として仕方なかったのです。
 
●明治6年、置賜縣(現在の山形県置賜地方)関義臣参事による畜犬取締り通告。この時代から、行政機関は放し飼いによる被害対策に奔走していました。

 

新たな飼主に引取られた幸運な犬を除いて(里親制度は戦前からありました)、駆除野犬は医療機関の実験動物として、または太鼓や三味線の材料として「リサイクル」されていました。
動物愛護団体から警察への抗議内容も、「児童へ悪影響を与えるため、せめて街頭での野犬撲殺処分はやめてほしい」レベルだったのです。
世界基準の動物愛護から周回遅れのまま、戦争の時代がやって来ました。
 
昭和12年、日中戦争が勃発。戦線が急拡大したことで、牛、馬、羊、鯨皮の供給不足が懸念され始めました。
軍需原皮の確保にあたる商工省は、「国家総動員法」が成立した昭和13年に「皮革使用制限規則」「皮革配給統制規則」を次々と施行。これをもとに「日本皮革統制株式会社」「日本羊革統制株式会社」という統制機関も設立し、全国各地の皮革業者を管理下へおさめます。
昭和14年の規則改正を機に、三味線など贅沢品だった犬革(加工革)も統制対象に加えられました。
 

皮革配給統制規則(昭和十三年七月一日 商工省令第四十五號)

第一條

本則に於て皮とは牛、馬、羊又は豚の皮を謂ひ、革とは牛、馬、羊、豚、鯨又は鮫の皮を鞣製したるものを謂ふ。

第二條
販賣の目的を以て牛、馬、羊又は豚を屠殺したる者は、特別の事由に依り地方長官の許可を受けたる場合を除くの外、其の皮を使用若くは消費し又は屠肉に附着したる儘販賣することを得ず。

 

皮革配給統制規則中改正改正(昭和十四年七月二十五日 商工省令第三十八號)
第一條

本則に於て皮とは牛(黄牛含む)、水牛、馬、騾、驢、緬羊、山羊又は豚の皮を謂ひ、革とは牛(黄牛含む)、水牛、馬、騾、驢、緬羊、山羊、豚、鹿、獐、犬、鯨又は鮫の皮を鞣製したるものを謂ふ。

第二條
販賣の目的を以て牛、馬、緬羊、山羊又は豚を屠殺したる者は、特別の事由に依り地方長官の許可を受けたる場合を除くの外、其の皮を使用若くは消費し又は屠肉に附着したる儘販賣することを得ず。

 
商工省としては、加工・集荷・流通を担う皮革業界を統制すればカンペキだった筈でした。
しかし、警察の野犬駆除で発生する犬皮の流通ルートは、畜産界から供給される牛皮とは異なります。
警察は野犬を駆除できればよいので、遺骸の処理は駆除業者へ任されました。
駆除業者としては、高値で買ってくれる相手へ野犬の遺骸を売るのが当たり前。公定買取価格を安く設定された皮革業界よりも、三味線皮を求める闇市場へ流した方が儲かるワケです。
商工省が統制できるのは、皮革業界で流通する犬革(加工革)のみ。
駆除業者からの犬皮(原料皮)流出を防ぎたい商工省は、昭和15年から畜犬行政と連動した犬皮統制を目論みます。
 

犬皮は現在の蒐荷配給の機構とは別に機構を整へることが緊切であるが、その方法としては犬の屠殺に關する各府縣區々の取扱を一定とし、屠殺した犬の皮は從來これを取扱つて居つた業者が組織する統制團體に販賣する經路を明にしなければならない。

 

商工省物價局(昭和15年)

 
「鞣し加工済みの犬革だけでなく、殺処分された犬の遺骸も国家の管理下におくべき」という、従来より一歩踏み込んだ提言。あとは畜犬税を免除すれば、ペットも野犬扱いとして資源化できるワケです。
商工省からの要請に対し、警察側も一定の理解は示していました。そもそも昭和12年の皮革公定販賣価格決定段階において、警視庁は商工省のヒアリングを受けていますし。
昭和18年に商工省が軍需省に再編されると、軍部の意向を汲む傾向も強くなりました。
関係各所の歩み寄りがなされた昭和19年、厚生省と軍需省が主導するペット献納運動がスタート。
従来の野犬駆除システムを流用すればよいので、このジェノサイドは粛々と進行します。
 
【犬への敵意】
 
犬界は春の行事を終つて、このところ一服の態である。節米のため犬の飼料に就いて一抹の不安がないではないが、しかし犬界の隆盛はその不安を壓倒して目覺しい發展を遂げつつある。
第一に各畜犬團體の會員の昨今の激増振りはこれを立證して餘りある。又輸入犬途絶の當然の結果とは云へ、内産優秀犬の價値の飛躍したことは驚くばかりである。犬界の前途は實に洋々たるものがある。
しかし一般社會から見ればまだ〃犬界は微力なものである。法人團體も漸く三つを數へる(※帝国軍用犬協会、日本シェパード犬協会、日本犬保存会)に過ぎず、最大の帝犬と云へども會員は五千人に達せんとする程度に過ぎない。
畜犬撲殺論などの起るのも、云はば犬界がまだ無力で、十分社會に認識を與へてゐないためである。今日節米強化のため、當然始まるであらう切符制の場合、犬の飼料はどうなるのかとの一般犬界人の不安も、犬界に強力な意志表示の機關がないためである。
これを思ふと犬界各團體、各機關が一致協力し、團結して、この難局に處し、畜犬の正常なる發展を期せねばならぬのに、現在の多少の隆盛をよいことにして、 外に對し何等かかる機運の見られないのみか、内部相剋の傾向さへ見られるのは誠に慨嘆の至りで、認識不足も甚しいと云はねばならぬ。
 
白木正光『犬界の強力化(昭和15年)』より
 
白木さんの仰るとおり。
太平洋戦争突入前に日本犬界が団結・抵抗していれば、「犬界の強力な意思表示機関」を防波堤としてペット献納運動は回避、もしくは縮小できたかもしれません。
しかし、各々の畜犬団体は「他団体がどうなろうと我がメンバーの犬だけ護ればよい」という態度に終始。頼るべき巨大組織の帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会、日本犬保存会と日本犬協会は激しい抗争を繰り広げており、犬界の結束は不可能でした。
 
そうこうするうち、銃後の食糧事情は次第に悪化。日本国民の怒りは「すべての犬」へと向けられました。
似たようなケースが、第一次世界大戦時の銃後ドイツで起きています。「戦時食糧不足は豚の飼料(ジャガイモ)を回せば解決できる」という短絡思考が豚の大量殺処分を招き、処理能力を超えた大量の豚肉を腐らせる本末転倒状態へ。さらにジャガイモの大凶作が重なり、芋と豚を失ってルタバガ(カブラ)で飢えをしのぐ「カブラの冬」が訪れました。
 

食い物の恨みは恐ろしいといいますか、「豚に食わせるジャガイモはない、殺処分してしまえ」というドイツの過ちが、銃後日本では「犬に食わせる米はない、殺処分してしまえ」という形で再現されたのです。

すでにメンバーの出征や物資不足によって畜犬団体は活動を休止し、愛犬家は組織的防衛手段も失っていました。
そして、ペットと暮らすささやかな幸せも奪われる日が訪れます。


犬

●太平洋戦争突入前の昭和16年2月時点で、誰が命じたワケでもないのにペット撲滅論が出現していました。
ペット業界の重鎮・田中千禄(本名浅六・大日本猟犬商会店主)は、犬の迫害に反対を唱えた一人。しかし、世間の同調圧力に抗う声は次第にかき消されていきます。
 
【軍需原皮の不足】
 
日中戦争は泥沼化し、太平洋戦争は劣勢となり、銃後の食料不足は深刻化していきました。
逼迫した社会状況のもと、かつて北代議士が唱えた畜犬撲滅論は再燃したのです。
 
近時食糧の不足から畜犬撲滅なる事が所に依り唱えられて居り、一般畜犬家は此の事に對し相當心を煩はされてゐる様に聞くが、吾等軍用犬飼育者のみが此の事に對し一顧を與へるの價値も認めず、只管その發展に精進し得る事は、感謝に堪えない次第であると同時に、吾等に課せられたる軍用犬作出と云ふ責務が如何に神聖であり、重大であるかを痛切に感ぜずには居られないものがある。 併し乍ら吾等は一般畜犬撲滅と云ふ如き事を決して喜びを以て迎えるものではない。否寧ろ一般畜犬家の心情を察し、同じ愛犬家として苦痛をさえ感ずるのである。が併し一般畜犬家の中、特に愛玩的飼育家には決戰下反省を求める點も多々あると思ふ。
併し乍ら私は此の畜犬撲滅と云ふ事が唱えられ、一部に於ては既に行はれつつあると云ふも、之に對しては誤解してゐる點が多々あるのではないかと思ふ。
私は其の道の専門家でないから、詳しい事は知らないが、畜犬と云ふものは法律に依つて一つの飼主(財産)動産と認められてゐるとの事であるから、之を或る地方のみの關係方面のみの指示とか公示のみによつて無闇に葬り去るが如き事は恐らくはなからうと思つてゐる。併し野犬の場合に於ては捕獲せられ之を撲殺さらるゝは致し方なき事であらう。茲に於て考へ得られる事は、假令飼育主があるとしても放飼せられてゐる場合、往々野犬として取扱はれ得る場合があると云ふ事である。
 
布施快介『近時雑感(昭和18年)』より
 
戦線が拡大すると、当然ながら皮革の需要も増えます。ところが、国内の皮革流通量は減少する一方でした。
前述のように国内畜産業界の規模が小さかった上、中国産原皮の輸入途絶、畜産家や皮革業者の出征、輸送の困難化といった要因もありましたが、最たる原因が「横流し」。商工省の原皮公定価格が不当に安かった為、高値で売買される闇市場へ毛皮が流れてしまったのです。
当局の無策のツケは、一般の愛犬家や愛猫家が払うこととなりました。
戦時下の犬は「安楽死させてやるべき生命」ですらなく、量産できる皮革資源だったのです。
 
兎毛皮だけでは航空服用毛皮の需要を満たすことができなかったので、昭和十八年度から、りす・いたち・きつね・おっとせいのほか、犬・猫・ねずみまでも集めて毛皮増産に拍車をかけた。十八年度は犬皮その他約四千五百枚もの鞣製を完了した。 十九年度は海軍の発注により、犬・猫その他の毛皮を集荷したが、とくに犬・猫については道庁と公社(北海道興農公社)が中核となり、市町村当局ならびに諸団体、公社地方工場の協力を得て、全国的に有名となった献犬・献猫運動を起した。
ねずみは樺太で前年野ねずみが発生し六十万の毛皮があるという調査から、海軍の買収命令を受け、公社職員が樺太庁と大泊の海軍要港部の援助を求め各地を 回ったが、大半はすでに処分され、ようやく五万枚を獲得することができた。また、りす・いたちについては海軍の要請にもかかわらず、公定価格の関係から道 警察当局と摩擦があり、集荷に支障をきたし、道内生産量の二分の一程度にとどまった。
このような苦労を続け、十九年度は犬皮一万五千枚、猫皮四万五千枚、ねずみ皮五万枚、りす皮二万三千枚、いたち皮一万四千枚、あざらし皮三千七百枚の鞣製と、さらに他の統制団体によって集められた海軍用の銀黒狐および赤狐四千枚の鞣製を昼夜兼行で行った。
海軍発注毛皮のうち、陸軍当局から海軍の了解なしに分譲方の強い申入れがあり、工場当事者を困惑させたこともあった。
 
雪印乳業株式会社『雪印乳業史』より
 

軍需原皮の横流しは日露戦争当時から問題化しており、日中戦争でもソレが繰り返されました。

たとえば農林省が兎、猪、狐毛皮の民間流通を統制した「兎毛皮制限規則」や「原皮販賣制限令」も遵守されず、各地で横流しが頻発。後手に回る関係省庁は、これらの損失分を埋め合わせる必要に迫られます。
 
岩手縣上閉伊郡農會本年度の軍部納入兎毛皮の數量は豫定の五割だけだつた。町村農會事務の輻輳と生兎處理に不馴れなところから、郡農會では今年度から處理を一般商人に委託、生兎百匁の平均價格を十八錢と協定、肉は經濟ブロツクに、皮は全部軍部に納入する様手筈を整へたが、利にさとき商人は各町村の取引日をねらつて買ひ漁りに奔走。
表は委託商人を装ひ、裏ではその手下を買ひ出し人としては中判級(八、九百匁)以上のみを買ひ漁り、爲に郡農會の納入毛皮は殆ど小判級(六百匁)で、しかも豫定だけの納入が出來ぬ結果を招くに至つた。
飼養頭數調査粗漏もあるが、又軍部が例年二月末に交付する假渡金が約一ヶ月も遅れた事も一原因で、農會では明年度からは飼育頭數調査を嚴重にすると共に、紳士協定に背反した商人をして一指も染めさせぬ様萬全の策を今から講じてゐる。なほ商人の買漁つた兎毛皮の一部は宮城縣から軍に納入されたものもあるが、横濱市の貿易商に賣渡されたものが相當あり、兎の足の速さには郡農會でも驚いてゐる。
 
『岩手の兎皮近況(昭和15年)』より
 
【畜犬献納運動の始まり】
 
皮革不足を野犬の毛皮で補おうとした商工省ですが、所詮は焼け石に水。軍部はもっと多くの皮革を要求していました。
商工省が軍需省へ改編された頃、官僚たちは「野犬が足りなければ、畜犬も毛皮にすればよい」という結論へ至ります。
昭和19年末、軍需省と厚生省は、「軍用犬・警察犬・天然記念物指定日本犬・猟犬を除外したペット供出」を全国の知事へ通達しました。
 
畜犬の“献納運動” 各地で買上げも行ふ

軍需毛皮の増産確保、狂犬病の根絶、空襲時の危險除去をはかるため、全國的に野犬の掃蕩、畜犬の供出の徹底を期することになり、軍需省化學局長、厚生省衛生局長の連名で各地方長官(※都道府県知事)あて十五日附通牒を發した。軍用犬、警察犬、天然記念物の指定をうけたものおよび獵犬(登録したものに限る)を除く一切の畜犬はあげて献納もしくは供出させることとし、二十日から明年三月末日までに畜犬献納運動を斷續的に實施させる。献納、供出についてはあらかじめ町會、隣組常會を通じて趣旨の徹底を圖り、日時と場所を指定して献納の受入、供出を買上げを行ふが、買上價格は一頭につき大が三圓、小が一圓見當とする。なほ軍用犬、獵犬、警察犬などは一斉檢診を行つて狂犬病豫防注射を行ひ、狂犬病の疑あるものは強制的に供出させる。畜犬繋留期間中(各都道府縣で公示)放置してある犬はすべて野犬とみなして捕獲されるから注意が肝要―。

 

東京朝日新聞(昭和19年12月)
 
「国家の役に立つ犬」は保護するが、「役立たずのペット」は皮と肉を捧げよという事。両省からの通達を受けた全国の行政機関は、粛々とペットの供出を実施しました。
それから翌年3月までに、全国規模で多数の犬猫が殺戮されたそうです。既に農作物、繊維類、金属類の供出運動が始まっており、ペットの供出にも異を唱える人はいませんでした。
 
ペット献納運動のとばっちりは、保護されるべき軍用犬や日本犬の飼育者にまで及びます。
隣近所のペットが殺戮される異様な状況下で、「私が飼っているのは御国の役に立つシェパードです」「天然記念物の日本犬です」などという理屈は通用しません。
周囲の白眼視に耐えかね、飼育放棄が相次ぎます。陸軍部隊へ寄贈されたシェパードや、殺処分された日本犬もたくさんいました。
 
帝國ノ犬達-犬供出
●昭和20年の日向日日新聞より
 
このペット供出の方法については、大きな地域差が見られました。
上の画像は、保護対象と理解しながら軍用犬や猟犬まで殺処分していたケース。通達への拡大解釈や不徹底が横行し、道府県ごとに大混乱だったことが窺い知れます。
また、「桑名署管内の野犬狩りは十二日の桑名市を皮切りに十四日まで各村で実施、登録されてゐないものは全部撲殺する(中部日本新聞 昭和20年3月)」というケースのように、「ペット献納」ではなく「飼育未登録犬の駆除」という体裁で実施された地域もありました。
要するに、犬皮に関しては「国家の皮革統制」に名を借りた「地域行政機関へ丸投げ状態」だったワケですね。いざ実行してみれば全国統一の基準すらなかったのでしょう。
 

帝國ノ犬達-野犬狩

●昭和19年10月、隣組による野犬狩りの通知。ペット供出は、このような野犬駆除を拡大したものでした。
 
もうひとつの問題は「ペットの遺骸がどのように処理されたのか」ということ。供給者である飼主と消費者である軍部を繋ぐ中継役、つまり皮革業界の話です。
犬猫の毛皮を使った軍用防寒服は実在しますが、皮革業界にも限界はあります。
従来の野犬革流通ルートへいきなり大量のペットを供給されて、既存の製革・流通ルートで対処できたのでしょうか?犬皮を鞣すクローム化合物、明礬、渋液の配給割当ては?
戦争末期の困窮状態で、犬の遺骸を収集し、運搬し、解体し、製革し、集荷梱包し、必要な場所へ輸送配給するだけの人手と資材と予算と燃料が確保されていたとは思えません。
 
わざわざ「家兎屠殺制限規則(※夏毛の兎の殺処分禁止令)」が施行されたように、民間の皮革生産と中央省庁の皮革統制は噛み合っていませんでした。
本土空襲で社会システムが破壊された当時、行政機関と皮革業界との連携なしにペットの殺処分を始めてしまった地域もあった筈。中には「ペットの毛皮を加工流通できないまま、どこかの倉庫で腐らせてしまった」という証言もあるそうです。
結局、何の為に殺されたのか分からない犬も多かったのでしょう。
 
【八王子文書と国防犬隊】
 
複雑怪奇だったゆえ、犬革統制の実態は正しく理解されていません。
この大混乱に拍車をかけたのが、『犬の現代史(今川勲著)』で紹介された「八王子文書」。この文書を見た人々を、「犬革統制は軍部が主導した」と勘違いさせた原因です。
この文書に記されている「私達は 勝つために 犬の特別攻撃隊を作つて 敵に体當りさせて立派な 忠犬にしてやりませう」というアオリ文句を読めば、誰もが軍部の命令書だと思うハズ。
しかしこれは、「警察が発行した文書」なんですよね。
とりあえず現物を確認してみましょう。
 

帝國ノ犬達-犬の特攻隊

●こちらが八王子文書の実物です(2008年撮影)
 
「特別攻撃隊」「敵に体當り」という言葉を見ると、陸海軍の特攻作戦がスタートした昭和19年に発行されたものでしょう。
そしてご覧のとおり、発行元は「八王子警察署」と「八王子翼賛壮年団(大政翼賛会の下部団体)」 ですね。モチロン、八王子市内の警察署や政治団体が軍部の特攻作戦に関与することはできません。
「犬の特別攻撃隊を作って」に続く文章を読むと、ペットの殺処分は軍需皮革の確保と狂犬病対策が主たる目的であったと明記されています。
つまり「犬を敵に体当たり」させるのではなく、「防寒用の犬毛皮をまとったパイロットを敵艦へ体当たり」させるための献納運動。ウサギやヌートリアといった軍用毛皮が枯渇した昭和19年末、犬猫の毛皮までかき集められたのです。
 
上のチラシとは無関係ですが、「犬の特攻隊」自体は実在しました。
それが、本土決戦に備えて編成された民間義勇組織「国防犬隊」です(民間レース鳩界では「国防鳩隊」も組織されました)。
国防犬隊に所属する犬は、日本軍の指揮下で伝令、警戒、捜索、運搬、レスキュー活動を支援する民間のシェパードたち。モチロン、「八王子署の特別攻撃隊」とは違って毛皮にはされません。
 
犬
●国防犬隊は民間ボランティアの郷土防衛組織であり、配備されるのは帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会メンバーが飼育するシェパード、ドーベルマン、エアデールテリアのみでした。 哀れな八王子のペットたちは、国防犬隊へ加入する「逃げ道」すらなかったのです。
 
八王子警察署の主張を世に知らしめたのは、意外にも『犬の現代史』ではありません。そもそも同署は、太平洋戦争前からペット献納を唱えていたのです。
きっかけは、昭和14年に起きた節米運動でした。
その際、八王子警察署長は「ペットを毛皮にすべき」と主張。これが新聞報道されたことで、愛犬家の猛反発を招きます。
 
八王子署の献犬運動といふ記事を七日の話の港で見た。これは思ひつきである。節米した上、皮は献納しようといふ趣向。
だが物は餘りに理詰めになり度くないものだ。
唯物觀に捉はれ過ると兎角精神方面が忘れられ勝ちになる。廃品回収に犬を加へる前、犬に就てもう少し再檢討を加へる必要がある。
 
讀賣新聞(昭和14年)
 

八王子警察署に同調する声は各方面で高まり始めていました。いっぽうの愛犬家側にも反撃する余裕があった時期で、激しい論争が展開されます。

 
東京でも八王子署長の献犬運動が新聞紙上に現はれて一部の物議を醸してゐます。八王子署長の説は軍用犬その他と區別の犬の他は廃犬として、節米にもなり一擧兩得と云ふ、ごく常識的な單なる思ひつきから出た意見ですが、新聞に載せられたため問題となつたのです。
愛知縣でも名古屋の有力新聞新愛知が同様の説を書いて地元愛犬家の反撃をうけました。
 
『節米の爆彈、犬界を騒がす(昭和15年)』より
 
動物愛護会は、政治家や役人の言動で一般市民が暴走することを恐れていました。
 
人間が米の缺乏に喘でゐる秋、犬など飼ふとは何事ぞ。宜しく天下の犬を悉く血祭りにあげて犬皮を國家に捧げよと叫んだ役人があつたと云ふことを聞いたが、是れは全く驚き入つた主張である。
かくの如き議論には日本的な、而して又東洋的なものが尠しも無い。それは正に西洋的唯物論の行方であつて、こんな主張を押し廣げて行くと、結局、絶望的な病人や氣息奄々たる老人群等は一氣に殺して仕舞つて米の缺乏を緩和せよと云ふ所まで行き兼ねないのである。じつに怖る可き議論ではあるまいか。
私は斷然、かくの如き個人主義的な西洋的な唯物論を排撃する。
 
廣井辰太郎『動物愛護(昭和14年)』より
 
集中砲火を浴びた八王子署長は、ペット供出論を一旦は引っ込めます。
 
畜犬廃止の積極的慫慂……。節米の見地から八王子署が放つた迫撃砲彈は愛犬家群の眞ン中に炸裂、東京方面からも大きな反響が八署へ打寄せて來た。今のところ反對二、賛成一の割合で、投書は署長の机上へ舞込んで居るが、賛成側の意見が簡單なのに比し、反對側の意氣込は理路整然、しかも滿々たる熱意を湛へてゐる。
就中日本婦人人道會員高橋和子さんといふ人からは、「犬は人間と共に樂しみ苦しむ唯一の動物である。米がなくなれば芋でも骨でも喜んで食つて主家を護り人を慰める唯一の存在こそ犬である」と綿々たる熱情を吐露し、署長様の御熟慮を懇願すると若い女性らしい眞心を披露して來た。
流石の署長もホロリとほだされ「僕も犬は大好きなんだが、國策のためにと思つて……」と言葉を濁す。反對意見の中には犬を殺す前に競馬を殺せなど強硬なものもあり、八署の出足は些かにぶつた形だ(東京朝日)
 
それから数年経っても戦争は終わらず、ついに全国規模のペット供出運動へ至ります。かつて批判していた新聞各社も、その頃には畜犬撲滅を推進する側へ回っていました。
八王子警察署も、今度は堂々と「犬の献納チラシ」を発行できたワケです。
 
【軍部の関与は?】
 
このように、ペット献納運動は警察が担当していました。
しかしネット上では「軍の命令で実行された」「軍隊がペットを射殺して回った」などいう主張も見かけます。
新たな史料が発見されたのか?と思ったら、「自分では全く調べていないが、こうだったと想像する」という脳内妄想ばっかり。
そんなデタラメを史実であるかの如く吹聴する彼らこそ、犬の歴史を歪曲してきた犯人なのです。
 
彼らの軍隊関与説を現代風に表現しますと、「ペットの登録手続きや狂犬病予防注射や野犬の殺処分は陸上自衛隊が窓口です」と主張するようなもの。戦時に対する視野狭窄のあまり、自説が誤っているという思考もできないのでしょう。
戦時の犬を語りたければ、まず飼主と直結する畜犬行政から調べてください。何でいきなり軍隊を登場させたがるの?皆さん、モノゴトの順序が逆なのです。
 
更なる混乱を避けるため、「警察による畜犬行政」と「軍部による民間犬界への関与」も区別しましょう。
一般のペットは警察署への飼育届で登録管理されていました(昭和26年の狂犬病予防法施行により、保健所へ業務移管されます)。ゆえに、戦時のペット献納も警察署が窓口となったワケです。
この飼育登録システムを基礎に、軍部は民間のシェパード飼育者を増やそうと計画。いわゆる「軍犬報国運動」によって、シェパードの調達資源母体化に注力しました。
 
犬 
昭和8年の軍用犬宣伝デモ。先頭でレスキュー犬のコスプレをしているのは俳優井上正夫の愛犬フミ子です。
軍犬報国運動は民間の愛犬家が支えていました。
 
「軍部は民間からシェパードを購買し、軍犬班へ配備していた」
「軍隊の防寒服には犬の毛皮も用いられた」
「民間のペットが毛皮にされた」
という三つの話が混同され、「防寒服にするため・軍隊が・民間の犬を・狩っていた」というキーワードが合体したのかもしれません。
なんか、失敗した伝言ゲームみたいですね。
 
話しが混乱するのは仕方ありません。いくら話を整理しても、複雑なお役所の世界を理解するのは大変です。
東京エリアを例にあげると、東京府(府制時代)では警視庁へ畜犬行政を一任していたのに、ペット供出を実施した東京都(都制時代)では税収確保を巡って妙な仕組みを拵えていました。
都政下における畜犬取締の構図について、動物愛護会の解説をどうぞ。
 
畜犬の問題を再吟味する。筆者の知る限りに於ては、犬は元來凡て警視廳の管轄する所であつた。が、近年、保安衛生等の見地から野犬の處置のみを警視廳の管掌に殘置して、畜犬のことは、表向きは擧げて是れを市に委譲した形になつてゐる。
されば、東京都も亦然り―は言はゞ濡れ手で粟の年額約四十萬金の畜犬税収入を獲得し、警視廳は進んで厄介なる野犬のことのみを掌ることになつてをる。
しかし、警視廳にはお氣の毒だが、是れは警視廳にあらざれば到底出來ないことである。そこで、筆者は世の多くの畜犬家と共に、都に對して質疑と注文とを發する。質疑とは、何んの爲めの畜犬税かと云ふことであり、注文とは犬税に該當する適正なる保護、例へば他の世界文明國と同様に畜犬に對しても最低限の食物を配給する工夫を講じろと云ふことである。
兎に角畜犬家の納得出來るやうに處置して貰へば夫れでよいのだ。
前述の如く畜犬は都に移管された。と云ふものゝ、都はただ税を取る丈で、事實、畜犬も依然大半警視廳の手に殘されるにはあらざるか。夫れなら夫れでよい。吾人は永年動物保護の問題に關して警視廳と折衝を重ねて來てゐるから、この點に關する限りにおいて筆者も亦警視廳の定連の一人であつた。
たゞ近年御無沙汰をして往年の如く足繁く出入りせないのは、大體に於て警視廳の措置に滿足してゐる爲めに他ならない。
要はたゞ、人道の手前と大國の面子から、畜犬に適正安當の保護の加へられむことであつて、主管がその孰れの側にあるかは筆者の關心事ではない。
 
動物愛護会 廣井辰太郎『大東亜諸民族の指導者たるには(昭和18年)』より
 
構図は複雑怪奇ですが、関係機関としては東京都と警視庁だけが登場するシンプルさ。これは他の道府県でも同じことです。
「厚生省と軍需省の指導」で「行政機関と警察が実行した」畜犬献納に、わざわざ陸軍省を割り込ませようと脚色するからダメなんですよ。
「警察実行説」に対して「軍隊実行説」を唱えたければ、陸・海軍のどの部署が、昭和何年に何という文書でどこの師団へそれを発令したかを明示する必要があります。それらの証拠を示さないまま「軍の命令だった」などと主張されても、全く信用できません。
 
【犬に赤紙が来た?】
 
「軍部の命令だった」と主張する人の多くは、軍需省の「ペットの毛皮供出」と陸軍省の「軍犬の出征」を混同しています。いわゆる「軍部から民間のペットに赤紙がきた」という説ですね。
こちらも「犬の赤紙」の実物や正式な文書名が提示されたことは一切ありません。
民間のシェパードが戦地へ出征したのは事実ですが、これは帝国軍用犬協会を仲介窓口とした軍部と飼主による購買契約。その上で民間への預託犬制度をとっていたのは陸軍第12師団あたりですか。
その場で売買契約が成立する軍犬購買については、わざわざ赤紙を届ける必要すら無かったのです。
 
帝國ノ犬達-軍犬購買
●軍犬購買会の記録は昭和8年~19年分が大量に蓄積されています。
 
「犬に赤紙がきた」「それはペットの毛皮調達のためであった」と唱える人は、まず「犬の赤紙」が何であるかの物証を提示する義務があります。該当する文書を確認した上で「赤紙がきた」と主張されている筈ですよね?
しかし、一方的な要求はフェアではありません。
「陸軍省は民間からシェパードを購入していたが、それは軍需省(商工省)のペット毛皮供出とは無関係である」説を唱える私は、証拠として軍犬購買に関する文書を提示しましょう。
「シェパードを買いたい軍部」と「シェパードを売りたい飼主」が「帝国軍用犬協会の仲介する軍犬購買会」で犬を売買する。この売買契約が「軍用犬の出征」の実態です。
一般市民は「軍隊にシェパードを強奪された」のではなく、「大手就職先であった陸軍へ愛犬を売却した」のです。 
 

軍犬購買

●社団法人帝国軍用犬協会が配布した、軍用犬購買会への参加申込書類。愛犬を売却する飼主のため、「希望値段」の申請欄も設けてありますね。
 
そんな事はともかく。
戦線を拡大しまくって物資不足を招いた張本人は日本軍です。当然ながら、犬毛の資源化にも軍部が関与していました。
しかし、「軍隊実行説」を主張する人々が「軍の命令によるペットの毛皮徴発文書」を証拠として提示できないのならば、彼らの言葉は一切信用できません。
「無い物を出せ」と悪魔の証明を求めているのではなく、「アナタが“在る”と主張しているモノを出してくれ」という話なのですよ。
探せばイロイロあるでしょう?
たとえば昭和16年に通達された「陸軍省兵部局馬政課發第214號」とか。

 

「それ見たことか」「やっぱり軍の命令だった」と小躍りしている人がいそうですね。しかし八王子文書の例もありますから、まずは文面を読んでみましょう。
「愛犬の脱毛の一本が、國家の御役に立つ事に思ひを致し」「脱毛蒐集ノ上當課宛送付セシムル様、配慮煩度」という部分にご注目。
実はコレ、皮革ではなく抜け毛とトリミングした毛を集める運動でした。犬の飼主なら誰もが悩む、季節の変わり目に大量発生する脱毛のリサイクルを試みたのです。
 
陸軍省馬政課が第214号を通達した先は、帝国軍用犬協会(KV)と日本シェパード犬協会(JSV)でした。両団体の登録対象は軍用適合犬種(JSVはシェパード、KVはそれに加えてエアデールとドーベルマン)のみ。
つまり、貴重なシェパードを殺して皮を剥いだりはしません。
これが「軍部による犬毛蒐集」です。
 
国内シェパードの抜け毛だけで資源を賄えるのか?といいますと、戦前ペット界におけるシェパードの飼育頭数はポインターや日本テリアと並ぶ最大勢力を占めていました。換毛期になれば、抜け毛は山ほどあったんですよ(エアデールの毛はあまり抜けませんけど)。
第214号で集められた犬毛について、JKCの大宮巨摩男氏は「用途が無くて困ったのでは?」などとペット雑誌上で推測していますが、そんなことはありません。
昭和20年4月、それまでの研究結果を踏まえ、陸軍省は軍犬、軍馬、牛の体毛(理毛・剔毛・脱毛)回収利用を内地の各部隊に通牒。回収した体毛は陸軍製絨廠四日市製造所で資源化されています(残念ながら、それらがどのような製品となったかは不明)。
 
戦時の犬毛資源化を論じたければ、これら「複数ルート」を前提としてください。誰も彼も、話を端折りすぎなのです。
この惨劇にイヌ以外の「被害者」はいるんですかね?ペット戦時供出論の多くは、「カワイソウな一般庶民」を仕立て上げようと必死ですけど。
何の理由で、どのような過程で犬が犠牲となったのか。「カワイソウ」「許せない」といった感想文で思考停止している間は、ペット献納運動の真相に近づけません。
犬の歴史に1ミリたりと貢献しない妄想や誤認やデマやポエムやアジテーションを排除し、一次史料をもとに考証するしかないのです。
 
ゲンナリするような話を延々と連載してきたので、次回は僅かばかりの救いとなる記事を。
 
(最終回に続く)