佐賀県のM氏が飼っていたシェパード「レオ」。彼はお使い犬としても立派に働いておりました。

https://ameblo.jp/wa500/entry-11996644570.html

 

「平素の馬場訓練(?)を實用に供するに際しては、思はぬ失敗を招くことが往々あるものだ。これも其の一つ。

佐賀のM氏、自分は墓詣りに、中學生の息子さんは買物にと家を出る時は一緒。途中から田圃道を西と東に分れて五六丁も來た時、オーイと呼ぶ息子さんの聲に其の方を眺めると、息子さんに随いて行つたレオ號が一散に畦道を奔つて來る。

やがて足許へ來たのを調べると、風呂敷に蟇口を包んで頸輪へ結びつけてある。而も蟇口は空虚。ハハア銭を忘れたな、と早速若干かを移し入れて元の如く頸輪へ結びつけ、息子さんの方を指して行つて來いと指圖する。レオ號は心得てもと來た道を走り歸る。

M氏は内心大得意で、見物人の無い田舎道なのを却つて不満に思ひ乍ら、それでも自然に湧いて來る微笑を禁じられずに、更にお寺へと歩を續けて居ると……、こゝ迄はよかつた……。

遽かに遥か彼方で鶏の悲鳴叫聲。見るとレオ號は頸へ結びつけた風呂敷に風を孕ませながら道筋の百姓家から一群の鶏を追ひ出した。

白、赤、色とり〃の鶏が風に舞ふ色紙の様に田植のすんだ水田の中に紊れ飛ぶ。レオ號は水しぶきを上げながら之を追ふ。見晴しのよい田圃道故それが手に取る様に見える。

で、四五丁も離れて居るので堂する事も出來ない。

息子さんはと見ると、レオ號の方に走り乍ら切りにレオ々々と叱つて居るらしいが、十數羽の鶏の羽音と叫聲と、そして自分の立てる水音の爲め聞えぬのか、矢張り追ふことを止めない。

M氏は思ひ切つてお寺の方へ歩き出した。鶏の飼主と田の持主に詫びて居る息子さんの事や泥だらけになつて、多分蟇口も落して終つた、であらう。レオ號の事を思ひ乍らも一つ、見物人の無かつた田舎道に感謝し乍ら。

自分の飼犬が外來者……、それも無遠慮な者とか風態の悪い者とか……に咬み付いたとする。咬みつかれた人には洵に氣の毒だが、さて内心よく咬みついたと思はぬ者があらうか。若しありとすれば其の人はまだ愛犬心が足りないと云ひ度い(昭和八、七、一七記)」

西村六二『大牟田犬信』より

 

お使い犬は、放し飼いが当たり前だった時代に見られた光景。放し飼いゆえ犬にまつわるトラブルも多発しており、咬まれた吠えられたで謝罪だ賠償だ狂犬病予防注射だと結構な騒ぎとなっていました。

最後の一文を見ますと、現代とは咬傷事件に対する感覚も違っていたのでしょう。