「疎開中の留守を託して行つた家族の一人の未亡人が猫が好きで、猫を可愛いがつてゐる。その猫はその人達の言葉が判るらしい。この人たちが動物に好かれるためか、私の家の床下に、いつの間にか二匹の犬が棲みついてゐた。その一家はこの犬たちを残して行つた。
この正月に仔犬八匹が生れ、書斎の下から居間の床下に移つて來てひどく鳴きつづけるので、眠れない夜がつづいた。女中がかなり遠い所の線路の向ふの崖穴へ捨てて來たが、翌日は二匹を除いてまたもとの床下に來てゐた。
可愛想になつて捨てにくくなつた。親犬の乳房にかぶりついてゐる六匹の尾を振るすがたはいとしくて、捨てられなくなつた。  
犬の習慣を詳しく見なほした。妻や女中は仔犬の一匹、一匹の個性まで區別してゐる。わが家では一度も餌をやらぬ野良犬にゐつかれたのであるが、この仔犬の處分に全く窮した。
けふは二匹を教室に持つてゆき、學生への講義の際のデモンストラチオンに供した。 
剔り出した小さい心臓は、一同の前で加温したリンゲル液中でうまく動いてくれた。腸も子宮も運動を示してくれた。血液は輸血に必要な別の實験に使つた。
骨までしやぶる程度に利用した。 
犬を犬死させずに済ませて自ら慰めた。かうして残り四匹も處分しようと思つてゐる。すべてが意味あるやうに役立てようと思ふ。過度期に處するこころのままに、捨てたものも、捨てようとしたものも、すべて生かさねばならぬと、こころに期してゐる。
避けたいのは、人間を實験動物に使つた戰時中の荒された一部のやり方である」

原三郎『古い記録とまぐれ犬(昭和12年)』より

帝國ノ犬達-動物愛護
画像のタマ公は、当時の有名な動物愛護団体喜捨犬です(昭和8年)

消費社会によってありとあらゆるモノが棄てられていく日本では、不要犬として殺処分される犬も少なくありません。
犬を捨てる理由も様々でしょう。
病気になった、吠えてうるさい、大きくなった、経済的な困窮、転居、老いた、殖えた、売れ残った、飼うのに飽きた。いずれにせよ、犬を飼う人々が犬を死に追いやっているのです。
責任は飼主にあり、行政側にそれを押し付けるのは筋違い。

この悲惨な現実に「日本はペットを粗末に扱う国だ」と嘆く人もいます。
一頭でも多くの犬を救うために奔走している人もいます。
「犬を殺処分しない欧米を見倣え!」と叫ぶ人もいます。

欧米を見倣え、ですか。
欧米の基準からすると、日本人は野蛮な民族なのでしょう。知能の高い鯨とか人類の友である馬をムシャムシャ喰いますし。
劣等な東洋人である我々は、動物愛護精神に溢れた崇高な西洋人を見倣わなければ。
……などという嫌味はこの辺で止めておきます。
もし「欧米人」が動物愛護精神溢れる人々ばかりなら、イギリスはどうしてRSPCA(英国王立動物虐待防止協会)のような組織を作る必要があったのでしょうか?
彼らが動物を虐待しないのならば、そのような団体も必要ないですよね?

ヨーロッパでも、陰惨な動物虐待行為は頻発していたのです。
RSPCAの活動内容や欧州における深刻な虐待事例は、戦前の日本にも紹介されていました。
動物虐待の横行という苦々しい現実に、それらを改善しようと真剣に取り組んで来たのが欧米の動物愛護運動。この点をカン違いしてはいけません。
日本と違ったのは、早期から動物虐待への罰則を定め、人々に啓蒙し、不適格な飼主から動物を強制的に保護する制度が確立されていたことです。
そして、我が国はそれを見倣い、動物愛護運動や野犬駆除に反映してきました。現在の状況は、その結果に過ぎないのです。

「見倣うべき点は欧米から見倣え」なら分かるのですが、自国の歴史を知らない「欧米を見倣え」論は単なる盲信、思考停止です。
昔のことなんか知るか!現代の話をしているのだ!などと言う前に、これまでの経緯を知ることも無意味ではないでしょう。そもそも日本の動物愛護を論じているんだから。

犬
日本人道会による、誤った動物愛護の風刺画(昭和2年)

冒頭に挙げた「不要犬の殺処分」という考え方。これは日本人が持っていた仏教的殺生観ではなく、明治になって持ち込まれた「西洋的な動物愛護観」を源流とします。
犬に関して(犬のブログなので)大体の流れはこんな感じ。

外国人「日本人は、不要になった飼犬を簡単に捨ててしまう。無責任だ」
日本人「無益な殺生をするよりマシだろ」
外「我々のように、愛犬の死まで見届けるのが飼主の責任である」
日「そんな面倒な」
外「しかも、日本では野犬の撲殺処分という野蛮な方法が採られている。せめて、欧米式の炭酸ガスによる安楽死へ方針を変えるべきだ」
愛犬団体「東京オリンピックも誘致したし、野犬の撲殺処分は外国に対して恥かしい」
動物愛護団体「野犬の安楽死処分、不要犬の里親探し、去勢手術は警察がやってね」
警察「そんなワケで炭酸ガスチャンバーを寄贈されたけど、運用コストがかかるから撲殺処分を継続するよ」
(この辺で日中戦争が勃発)
商工省「戦争拡大で軍需皮革が足りないから、三味線用の犬革も皮革配給統制規則の対象とする(昭和14年)」
政治家「この際だから、陸軍を動員してペットも毛皮にしてしまえ」
陸軍「シェパード調達に支障が出るし、そもそもペット行政は警察の管轄なので無理」
警察「そういう事で、ペットも毛皮にしたらどうかな?」
愛犬団体「ふざけんな!」
警察「時期尚早により撤回します(昭和15年)」
農林省「狩猟報国運動に貢献する猟犬は保護。しかし予測される食糧難に備え、役立たずの犬は毛皮にする(昭和16年)」
(太平洋戦争へ突入)
軍部「ペットの愛護は二の次、時局を鑑みて軍用動物の愛護を!」
警察「獣医師が出征して狂犬病対策に穴が……」
飼主「配給制になって犬の餌が確保できない、仕方ないから飼育放棄しよう」
国民「贅沢は敵だ!役立たずのペットは殺してしまえ!」
皮革統制会「総力戦に向けた皮革業界の統括が完了(昭和18年)」
厚生省と軍需省「全国の知事は、軍用犬、警察犬、猟犬、天然記念物(日本犬)を除くペット献納運動を始めるように(昭和19年)」
都道府県知事「毛皮にするので、市民のみなさんはペットを献納してください(昭和20年)」
警察「犬を毛皮にしたら狂犬病の発生もおさまったよ。やったね」
(遂に敗戦)
日「戦後復興で動物愛護どころじゃねえよ!」
警察「犬が増えて狂犬病も大流行。野犬駆除を強化する」
外「日本人が野犬を撲殺してるぞ。やっぱり奴らは野蛮な人種だ」
日「国際的な非難を避けるためにも、そろそろ欧米式の野犬安楽死制度を導入しなければ……」

現代日本の不要犬の殺処分は、日本の動物愛護運動が「欧米を見倣って」導入したもの。
日本の動物愛護を語る人は、この史実を前提としましょう。
有名な「生類憐の令」でも分かる通り、日本人と動物愛護の歴史は意外と長いのです。明治大正期の資料を繙けば、わが国でもウミガメ、カエル、ツバメ、サンショウウオなどの個体・生息地の保護活動が地域レベルで着手されていたこと、自然破壊や乱獲への対抗策として、狩猟界を中心に鳥類保護や巣箱設置運動が大規模展開されていたことなどを知ることができますし。

しかしそれは為政者や西洋的道徳観の押し付けであったり、暴走したり中途半端になったり、獲物の減少を心配しているだけだったり、個人レベルの取組みだったりに過ぎませんでした。根元にあるのは確固たる動物愛護観ではなく、「無益な殺生をしてはいけない」という漠然とした観念だけ。
そのような我が国なりの動物愛護は、近代化によって西洋的動物愛護への転換を迫られた訳です。
今回は、その歴史を辿ってみましょう。



「私は犬は小供の時から大の好きであるから、今年も自分から望で御話する譯であるが、犬を愛するは私ばかりでなく、祖父の晴軒先生も大に愛されて、常に畜ひ置かれた。それで少年の頃に作られた詩集に、曽祖父の錦城先生が魯得集として、中には大田魯三郎著 門人無垢隠士、黑駁居士同校と戯れに書された者があつて、今現に保存してある。
又先生子晴齋府君も深く犬を愛されて、十四五歳の頃までは庭園の中に大なる假山を造ツて、其下の方に三四畳もしける穴を穿ち、毎日晝の間は、其中にて共に起臥して讀書された。それで晩年には戯れに古今の犬の話を網羅されて一冊子となつたのがある。
そんな譯で私が犬を愛するのは所謂遺傳でもあらうか。小供の時から犬を愛して毎日讀書の暇には八や駁(ぶち)を追廻して居たのです。ですから今茲戌年の始めから犬の話をするのも、矢張犬の縁が離れぬのであらうと思ふ」
大田多稼『犬の話(明治25年)』より

「余は神經質の銃獵家、亦神經質の愛犬家にも非れば、銃も犬も人の爲にこそ吟味はすれ自分の爲には更に其良否を問はずして使用するものなるか。同じ犬を數日間使用して更に其疲勞を見ざる實驗は幾回も爲したるにつけ、今度此度最と充分に實驗せる「一犬數日間使用」の好成跡は其大要なりとも諸君に報道するの價値あるを信ず」
海山獵夫『獵犬を數日間使用し其疲勞を防ぐ法(明治26年)』より

書物などで「愛犬家」という言葉を目にするようになるのは明治20年代から。それ以前ではなかなか見つかりません(「愛狗」という言葉は江戸時代から見られるようで、発祥は中国語でしょうか)。
そもそも「動物好き」って何なんですかね?動物を愛するといっても、飼育したり観察したり繁殖したり調教したり標本にしたりとその形はイロイロです。

人間が動物を愛しても、動物が人間を愛してくれるとは限りません。動物愛護とは何なのでしょう?

野生動物を捕獲して飼育するのは「愛護」なのか。人間側はカネと労力と時間を惜しみなく注ぎ込んで愛でていても、動物側からしたら虐待になるのかもしれません。
絶滅に瀕した動物に対して、「ワイルド物」の希少価値から密猟・密輸してでも入手したがる動物マニアもいます。「自然破壊?違法行為?動物園と同じで、俺は野生動物を保護しているのだ!」などと演説している酔っ払いを見た事がありますけど、何飼ってたんだろあの人。

では家畜はどうなのか。家畜を檻に囲うのは「可哀想」なのか。人間と共に暮らすよう作り変られた彼らを野生に放つのは愛護なのか(金魚を川へ放流する実験で、光瀬龍が問題提起していましたね)。
万物の霊長たる人類は、他の動物を愛好することも、保護することも、虐待することも、絶滅させることもできます。それが長じて、隣人愛や世界平和や犯罪や戦争という同族への行為にもつながっているのでしょう。
『寄生獣』で広川市長が演説していたように、「動物愛護」や「環境保護」は動物を中心としたものではなく、人間本位の考えです。
あらゆる動物を愛するムツゴロウさんみたいな人は少数派。
ある人はイヌはダメだけどネコは好きとか、捕鯨はダメだけどウシは喰ってよしとか、トキは輸入してでも繁殖させるけどカラスは駆除しろとか、ヘビはいいけどナメクジには塩をかけるとか、環境活動と称して日淡の泳ぐ川に破壊者たる錦鯉を放流するとか、その基準は国や宗教観や個々人、時代によって千差万別。統一の愛護基準なんか存在しません。

結局、「愛でる」という行為より虐待・迫害・乱獲を規制する方が現実的な動物愛護なのです。

「動物への虐待行為は犯罪か否か」というテーマは、古くから西欧で論じられてきました。
「動物は被害を申告できないから、虐待の責任は問えない」
「道徳律に反するとして、動物虐待にも刑事罰を加えるべき」
「人間を対象とする法律から神と動物は除外すべきで、刑罰より道徳教育で啓発すべし」
「習慣法と宗教上の制裁が有効である」
神の造りしものである動物への虐待をどう裁くのか、キリスト教的な宗教観、法律の面、そして家畜やペットの所有者としての責任問題を含めて様々な意見があったのです。

いっぽう日本の動物愛護には、キリスト教ではなく仏教が影響していました。
動物は本能的に死を恐れますが、死からの心理的救済や宗教的な成仏を願っている訳ではありません。ペットや家畜の死を悼み、慰霊するのは飼主である人間側です。
仏教では無益な殺生を「不殺生(五戒のひとつ)」という考えで戒め、動物に慈悲の心で接し、肉食を忌避し、闘犬や鷹狩に苦言を呈し、それなりに宗教的・道徳的な動物愛護精神が定着してきました。
極端な例での動物愛護が、江戸時代に施行された「生類憐みの令」ですね。
基本的な考えは現代にも通じるものがあるのですが、処罰の部分が段々ヒートアップして(違反する人が多かったので、罰則もどんどん強化されてしまいました)、遂には死罪や流罪に処せられた人まで出る始末。
せっかくの動物愛護運動も、今では天下の悪法として名を轟かせております。何事も節度が大事なんですねえ。

犬
児童に向けた動物愛護教育は、実は早くからおこなわれていました。
『小學修身書初等科之部(明治16年)』より

日本で動物虐待行為が社会問題化したのは、近代になってからです。
明治になって鉄道網が構築されても、依然として移動や物流は馬車や荷役馬に頼っていました。一般庶民が普通にマイカーを所有するようになったのは、それから100年近く後のことです。
家族同然の扱いだった農耕馬や農耕牛を除き、これら荷役動物に対する虐待行為は目に余るものがありました。
鞭で乱打され、過積載に苦しめられ、牛馬は次々と斃れていったのです。
それが「美しき明治日本」の実態でありました。

「廣野といふところに至るに、道のほとりに破(こわ)れたる馬車曳き棄てられ、馬は少し隔たりたるところ草中に倒れ臥せるがあり。人は何とも仕難さに助けなど乞はんとて去りやけむ影も無し。
あはれ、馬よ。
命絶ちたるならんかと立寄り見れば、さすがに猶死にもせで、うごめきたれど、雨ふせぐべきたよりにまでと打被せられたる油紙をさへ今は輕しとせざるべきさまなり。これも路の惡きに強ひて重荷を車につけつ、馬をのみ責めたるため、泥の深みへ陥りてかゝる事出で來たるなるべしとて舌ををふるひて恐れ驚きつゝ猶進む」
幸田露伴『うつしゑ日記(明治31年)』より

このような惨状に苦言を呈したのが、在留外国人と宗教家でした。
炎天下で酷使され、渇きに苦しむ荷役馬のための水槽が路傍に設置されます。国策としての畜産業の拡大、ペットブームなどで日本人と家畜の関係が変化したことで、家畜への虐待防止が真面目に取り上げられるようになったのでした。

環境省のサイトを参照しますと、明治30年には警視総監が牛馬を徳義的に扱う旨の訓令を通知。同36年には農商務大臣が牛馬の虐待を戒める訓令を通知。明治41年には警察犯処罰令で公衆の面前における牛馬等の虐待の防止を規定したとあります。
各府県の警察は「畜犬取締規則」を施行しますが、こちらはあくまで飼育マナー啓発や狂犬病対策を目的としたもの。虐待行為への罰則ではありません。
また、日本陸軍は陸軍刑法で軍馬保護違反への罰則を定めていますが、これは陸軍限定のものでした。

陸軍刑法
第9章 軍用物損壊の罪

第83條
兵器、弾藥、糧食、被服、馬匹その他陸軍の軍用に供する物を壊棄又は傷害したる者は十年以下の懲役又は禁固に處す


狩猟法による鳥類保護、天然記念物や希少動植物の保護は早期から取り組まれていたのに、動物虐待防止に関する法規はこの程度だったんですね。

ただし、戦前の日本人が無知だった訳ではありません。
当時から欧州の動物虐待防止運動は頻繁に報道されていました。動物虐待防止機関に強制力を付し、不適格な飼主からペットを保護したり、虐待行為を処罰していたことも日本人は知っていました。
「街頭での野犬撲殺駆除は避けてほしい」「野犬にはせめて安楽死措置を」「捨て犬や放し飼いは止めよう」「東京オリンピックを開催(昭和14年の)するのに、訪日外国人に対して恥かしい」という声も普通に聞かれました。行政や愛護団体は必死でそれに取り組みました。
ただ、一般庶民のマナーや遵法精神の欠如がそれを阻んでいたのです。

戦時中は、ペット愛護が軍用動物愛護へ転換されました。軍馬や軍犬の犠牲を悼む「免罪符」によって、さらなる戦力投入がはかられました。
歴史的、宗教的、道徳的な習慣化が近代的な動物愛護精神を生み、やがて動物虐待への罰則を刑法に定める社会制度が整えられました。戦後日本が「先進国」へ仲間入りしたことも、社会規範としての動物愛護を定着させる一助となったのでしょう。
「見て見て!僕たちこんなに西洋化されたよ!」という島国的コンプレックスは、日本の動物愛護を発展させる原動力でもありました。
ようやく「動物の保護および管理に関する法律」が制定されたのは、昭和48年になってからのこと。これは平成11年に「動物の愛護および管理に関する法律」動物愛護管理法)」に改定され、現在にいたっています。

動物愛護史は、正義と博愛に満ちた世界ではありません。酸鼻極まる虐待の数々と、カウンター側の闘争史です。ナニを勘違いしたのか、軍用動物愛護史を黙殺・否定しようとする向きもあります。
たとえ黒歴史であっても、それらは日本動物愛護運動の大切な足跡です。
より良い将来へ最短距離で向かう為には、今迄辿って来た道程を振返り、現在の立ち位置を確認するところから始めなければ。
「昔のことなんか知るか!」などと過去を忘れ、同じ失敗や試行錯誤を繰り返している間にも、動物たちは犠牲となり続けているのですから。

日本人にとっての動物愛護観とは一体何なのか。「ペットの死まで責任を負う覚悟」を理解しているのか。欧米欧米言ってる出羽の守は、紆余曲折を経て現在に至る自国の動物愛護史を本当に把握しているのか。
これからワレワレ自身を見つめなおしてみましょう。