白木正光
「シエパードがあらはれてから今年で何年になりますか」
関東畜犬商組合 西村和介
「喧しく云はれるのはこの四五年來のことでせう」
関東畜犬商組合 三木犬心
「しかし歴史はヅーツと古いですよ。大正十年ぐらゐがはじめでせう」
関東畜犬商組合 鈴木仙之助
「塩田さんが例のアスターを取りよせたのが昭和三年で、その年の上野に出品したのです。又シエパード倶楽部が出來たのもその頃であつたと思ひます」
西村
「村田六蔵さんが持つて來たのも古い」
関東畜犬商組合 上田辰太郎
「そう〃それは震災の前年でしたから、大正十一年でせう。どうもシエパードを飼ふ人はそろばんづくが多いので、この點、猟犬と違ひます」
「玄人側の元老に聴く 畜犬回顧と買犬心得」より 昭和9年

ペット店が急増するのは、明治末期から大正初期にかけてのこと。
大正時代になると、輸入される品種も激増。ボルゾイ、パグ、プードル、ポメラニアン、エアデールテリア、レトリバー、パピヨンなどがペット商のカタログを賑わせるようになりました。

佐竹義春侯爵と愛犬リーム號の猟果(イングリッシュセッター)

大正時代の狩猟旅行にて


【大正のペット商】


昭和の時代になりますが、このペットブームには国民性と都市開発が影響した、という面白い考察があります。

「畜犬界の一部の流れと謂はゞ、何の事だか考へて居る自分の谷は知れないかも知れぬ。自分は此の語に、現に犬を飼育して居る人々の間に流れて居る、或る流れ、或る流れとは誠に抽象的ではあるが、一種の傾向を示して居る事である。
元來、非常に人真似に長じた我國民性と、模倣を喜ぶ現代人が、深い理由も論拠もなしに、徒に、所謂、流行を追ふて犬を飼ふたことに基因して發生した、一種の結果であると看られる。
畜犬家と謂ふと、種々な意味に取れるが、茲では一般に犬を飼ふ人の事を指して謂ふもので、此の畜犬家が、雑誌や、ラヂオや、説教強盗や、何かの宣傳で、急に犬が欲しくなり、ひやかし半分に犬販賣店の店頭に立ち、二言三言話して居る内に、餘り大金でもないから、まあ道楽したものと思ふてと謂ふ氣分で仔犬を買つて來る。種類が何であらうと、系統が如何であらうと、無論問題にはして居ない。斯くして出來上つた犬の飼育家も、此の畜犬家の内にはある。
又某男爵の奴、今度英國から何種の名犬を取寄せたとの事だ、よし己は、今度は此の種類を取寄せてやる。或は、某男と某子爵は英國から引いたとの事だから、我輩は米國のケンネルから取寄せてやると、参謀格の出入の犬商人を相手に謀議を練り、二、三ヶ月の後には、數千金を投じた名犬が輸入される。御蔭で出入のものは仕事も出來て喜んで居る。斯くして、出來上つた畜犬家は、理解の出來ない血統書を唯一の誇りとして居る。
郊外住居の傾向から、平面的に擴がる都市集中の結果から、麦畑は宅地となり、竹林は庭園となり、茲七八年來郊外の膨張は、蓋し甚しいものがある。斯く郊外の發展に連れ、どうも郊外は犬が居なくては物騒だからと謂ふので、犬でさへあれば何でも宜しい。御用聞きの八百屋や肴屋に頼んで貰つて來て育てる。セツタアだと謂ふて呉れたものが、毛の短いポインタア型の犬に成つたと、交配中の寫眞と見比べて、不思議な疑問の解決に没頭する勤人の畜犬家もある。
秋田犬は國犬である。徒に外國かぶれの洋犬萬能を排して、大に國犬主義で行かなくてはと、柴犬を柴犬をと探し、漸く手に入れた柴犬の仔が、一年近くになつても耳が立たない。何とかして立たせる方法はないかと獣医と相談する愛國々犬党の飼育家もあり、御蔭を以て柴犬も近頃では、非常な勢力と成つて畜犬家の脳裏を支配して居る。此の點より見ると、日本犬保存會は、實に先覚者として賞賛すべきであると考へる。
銃猟家を看ると、東京附近の銃猟家では、銃は可なり高級なものを選定して使用されて居る。然し犬はと看ると、銃の半分も注意が拂はれて居ない。此の點は、まだ我銃猟界が發達の餘地あることを示すもので、猟の趣味を充分に解し、趣味としての銃猟の域に達して居ないからだと思はれる。甚だしい狩猟家になると、全然犬を持たずに、案内人の犬に頼る銃猟家のある事である。蓋し、都會仕込の下手な猟犬ならば、或は此の主義の方が徹底して居ると謂ひ得るかも知れない。恰も、體だけ運ぶベビイゴルフのフアンの様な考へて居ては、真の銃猟の趣味は味へない。何と謂ふても、可なりの仔犬を求めて、自ら手を下して教練して、活動して呉れる犬を連れて出猟し、氣持よく、面白く、一羽でも二羽でも、無理しないで銃猟の趣味を満喫したら、氣は皓然、正に俗界を離れた三味の境である。然し、銃猟家の内には、犬は放り出し、銃のみ心配する人の多い世の中で、世知辛い、斯る畜犬家も狩猟家の内には尠くないものである」
小林信三「犬界一考察」より 昭和7年

当時のペット用具はどこで売っていたのかと云うと、畜犬商の他には銃砲店、革製品店などだった様ですね。

犬
大正6年のペット商カタログより

熱心な愛犬家や狩猟家の交流も活発化し、畜犬展覧会が頻繁に開催されるようになったのも大正時代。
当時の展覧会は、畜犬商が主催していました。多種多様な犬が一堂に会すイベントは、店にとって絶大な宣伝効果があったのです。

商売目的の展覧会では、入賞の便宜をはかって貰うための「袖の下」が横行することになります。得意客の出陳犬が審査で優遇されるケースも相次ぎました。これではとても健全な運営とはいえません。
当然ながらトラブルや内紛が頻発し、業界の腐敗と共に愛犬家たちも離れていきました。

帝國ノ犬達-飼育用具
こちらは猟犬用具を扱っていた銃砲店の広告

帝國ノ犬達-飼育用具
こちらはカバン屋さんがペット用具を販売していたケース
いずれも大正7年の広告より

ペット商に操られた旧犬界に失望した愛犬家たちは、自分たちが主体となる新犬界の創設を目指します。それまで各個バラバラに行動していた彼等は、「愛犬家のネットワーク」を構築し始めたのです。
こうして愛犬団体が乱立し始めたのは昭和に入ってからの事。
試行錯誤しつつ、愛犬団体がそれぞれの犬種を扱うという構造改革が進みました。
以降、愛犬団体が犬を登録審査し、ペット商は犬を供給するという分業制が確立します。

【震災と犬】

大正12年に発生した関東大震災により、関東犬界は壊滅。日本犬界は、国際港神戸を有する関西方面が中心となります。
以降、「関東の人間が審査し、関西の犬が入賞する」と揶揄される状況へ。これは関東犬界が復興した昭和の時代にまで影響しました。

白木
「シエパードは現在関西の方に優秀なものが多いのですが猟犬はどうです」
伊東義節
「何がはやつても一時流行するのは関西で、それから再び東京に落つくやうです」
鈴木
「関西は流行するとなると営利と名誉のため金に糸目をつけないが、最後は何時も東京になつてしまう」
上田
「流行といふものは随分力強いものです。昔は猟をする人が鳥さへ出來れば、どんな種類の猟犬たとへ雑種でもいゝといつて使つたし、猟する人自身のいでたちも、今と異なつて質素で猟師のやうな恰好を自慢したものですが、今ではリユウとした、猟服に身をかためて、各自名犬をたづさへるといふ風になつてしまつたのです」
鈴木
「現在では輸入は猟犬よりシエパードの方がずんと多くなりましたが、この趨勢が何時まで續くか恐ろしい氣がします」
伊東
「まだ〃發展の餘地が多いので急に輸入がとまると云ふ事はないでせう」
三木
「日本のブルとシエパードとポインターは世界的のレベルまで發達してると思ひます」


犬
国際港神戸を有する関西方面でも、ペット商の活動は盛んでした。

犬

犬
小型テリアから猟犬まで、大阪のペット商が扱っていた犬種と飼育用具。
いずれも大正15年の広告より

猟犬や荷役犬しかいなかった日本に、新たな使役犬が登場したのも大正時代。いわゆる「公的機関の犬」の運用が始まったのです。
大正元年に警視庁が探偵犬を採用したのを皮切りに、大正8年には日本陸軍が軍用犬の研究を開始。昭和6年までにシェパード、ドーベルマン、エアデールが軍用適合犬種に規定されます。
国家・行政に採用された犬として、これらの愛好家も爆発的に増加していきました。


西村
「その他の犬種はどうですか。いゝ犬種でこいつが流行するかしらと思つてゝも却々發達しないのがあります。東京邊にはセントバーナードなどは非常に尠いですね」
伊東
「久原さんと阿部さん、松方さんぐらゐでせう」
白木
「グレートデンはどうです」
伊東
「京野さんが持つてゐます」
鈴木
「グレートデンは大概アゴの血統ですね」
三木
「警察犬としてグレートデン・スター號が有名です。これは元警視廳にゐた荻原さんがかつてゐたものでした。實さい役立つと思ひましたね。それが今では採用されてゐないので残念です。往年の鬼熊なども犬をつかへばわけなく検束されたのだ」
西村
「全くあのスターはよくやつた。荻原さんはこのほかブラツドハウンドとコリーも一緒に飼つてゐたが、ある神田の殺人事件に刑事が手懸がないと立去つた後で、スター號が行つてつきとめたことがあります」
白木
「グレーハウンドは古くからゐますか」
上田
「古河市兵衛さんにゐました。その古河さんが大磯に飼つてゐた時に一つの事件があります。古河さんのうちの一匹を私が東京へ持つて帰りましたが、ふとしたはづみに逃げられたのですが、それから一時間とたゝないうちに、大磯から築地のお宅に電話がかゝつて、今こちらへ逃げ帰つたといふ知らせです。汽車でも當時は二時間位かゝつたものです。色々雑誌などに脚の早いことは出てゐましたが、今更ながら感心しました」
三木
「いや犬は一體に早い。グレートデンをオートバイにつけて四十五哩もぶつ飛ばしたが、それでもわん〃ふざけながら、後について行く。グレーハウンドなら追ひ越してしまふでせう」