北海道犬の歴史について蔑ろにされてきたのが、「飼い主」たるアイヌ民族の証言です。
どうしても、保存活動に関わった文部省や日本犬保存会の記録に偏りがちですからね。

今回ご紹介するのは、昭和11年(日中戦争勃発の前年)に開催されたアイヌ猟師によるヒグマ猟座談会です。
主催者は北海タイムス記者だった傳法貫一。昭和初期からアイヌの猟犬を取材していた人物です(この座談会もフィールドワークの一環だったのでしょう)。
既に北海道沿岸部は洋犬が普及しており、千歳系アイヌ犬はもちろん、日高系および阿寒系のアイヌ犬(現在は絶滅)は消滅の危機にありました。
貴重な北海道犬を保護するため、傳法氏は昭和8年11月に「アイヌ犬保存会(後の天然記念物北海道犬保存会)を設立します。

それでは学者先生の色眼鏡が介在しない、マタギたちの気楽な座談会をどうぞ。

北海道犬
アイヌ民家で飼われている北海道犬。周囲にはヒグマの頭骨が飾られています。

アイヌ熊狩座談會
時 
昭和十一年一月六日

小山田菊次郎氏
今泉柴吉氏
中本幸平氏
小田喜代作氏
中本晴夫氏
山川幸太郎氏
能登行雄氏
進行
北海タイムス・傳法貫一記者(アイヌ犬保存會)
場所
千歳、中本幸一氏宅。トロ〃と燃ゆる爐火をとり圍んで。

北海道日本犬、即ちアイヌ犬を大別して千歳、日高、阿寒等の系統に別けて居るが、その中の先づ首座をつとめるものは千歳系統であらう。
而かも傳統的アイヌ民族の狩獵家が集團して居ればこそ、此の地方に此の犬が失せなかつたのである。
半年の冬が去り、雪の北海道にも春が訪れる頃、急斜面の雪はなだれをついて醜い山肌を現はす。此の頃の一月半は、實に貴重な彼等の収穫時期。
熊獵のクライマツクスである。
雪の山岳に熊と鬪ふ彼等の勇姿と、可憐にして雄々しき吾が日本犬の活躍振りを此の稿に御想像願へるならば、目的は聊かたりとも達せられるのである。
本文の會話中にはアイヌ獨特の濁音の訛りを若干訂正してあることを御承知ありたい(傳法)

第一部・アイヌの獵師たち

傳法
お目出度ふ御座います。そろ〃又山に入るだらうし、暫く逢へないと思つて此の座談會を開いた次第ですが、忙しいところ済みませんでした。皆さんは人ツ子一人居ない深い山に入つて熊と鬪ふには、人知れぬ苦しみに逢つたり、又楽しみもありませう。今日は一つ命がけの危險な目にあつたとか、自分乍ら可笑しくてフキ出したと云ふような失敗談を聞かせて下さい。
菊次郎
座談會々々々と云ふが、どんなもんかと思つたら、此のまゝで話すんなら固くならんでラクなもんだな。
幸平
マア話の蓄音器さ、話を音で現はすと字で現はすの違ひだけさ。

〇部落の獵人數
傳法
ところで此のコタン(部落)に何戸あつて、獵をする人が何人位居るんだろう。
柴吉
此のコタンだけなら三十四、五戸だらうが、マタギ(獵師)は五十人近く居るんでなからうか。
傳法
その中で、女で熊を撃つ人が居るそうだが若いのかね。
幸平
傳法さん、若い人でなくて氣の毒です。いや、バツコ(お婆さん)さ、白澤ウトキリトクと云ふあの獨り者だ。
傳法
今年もやつているのかい。
幸平
やらない様だ。歳も六十四だからね。
菊次郎
六十四にしては若いな。まだ大した元氣ではないか(笑聲)
傳法
チヤチヤ(お爺さん)はどうしたんだい、熊にでもやられたのかい。
幸平
いや早くに死んだが、あのアチヤボ(伯父さん)は中々腕きゝでした。その頃は熊も多かつたが、一冬中に十何頭も捕つたもんだからね。

〇一冬の収穫高
菊次郎
熊の奴は食物の無い雪の深い中は、穴の中に寝てるから始末が惡いよ。秋の穴に入る前と、春先穴から出て笹の起きない中に追ひ廻すんだから、一冬に十頭はチヨイと捕れるもんでもないよ。
白澤のアチヤボなら腕も良かつたし、又良い犬を持つて居たからね。いくら名人でも犬が良くなければ駄目ですよ。マタギは熊の通り道とか、熊のつく箇所を知る事とか、春先雪のなだれる場所に木の實が落ちてるかどうかを知ることなどが、上手下手の境目だが、之をうまく捜索するとか攻撃するのが犬の役目ですよ。
能登
實際そうだ。
柴吉
人間は場所を指定し、犬はその場所から探し出すのが役目だからね。

〇命がけの經驗
傳法
菊次郎さんはこのコタンではマタギとして一番兄貴株の方だが、今迄に命がけの危い目に遭つたことがないかね。
菊次郎
私は不思議に一度もそんな目に遭つたことがありません。しかし熊狩りはラクなものではないが。
幸平
いや、この人は二發目の彈丸を撃つたことのない人だからね。
柴吉
酒呑んでならチヨイ〃危ない目に遭つたことがあるが、熊になら俺もないよ(爆笑)
晴夫
餘程前のことだが、私は一度チヨツト危ない目に遭ひました。
幸平
場所は?
晴夫
濱益に送毛と云ふことろがあります。其處の山に入つて居た時のことですが、春先の天氣の良い日で、下からは鰊の沖揚の聲が聞えて來る。
カン〃照られて休んでると、いゝ加減に眠くなつた頃、犬が盛んに鼻を上げて嗅いだり、雪にこすりつけたりするんで、私もハテナアと思ひ、其處いらを良く〃見れば、果して人の足跡の様なのがあるんでサア、居るなつと緊張した刹那、犬が一散に逃げ出した。
二發目を中指に挟んで今や撃たんばかりの姿勢で、川の流れを下に聞き乍ら歩いてると、澤を一つ挟んで熊は下を、犬は上を、白い雪の上を二つ並んで歩いてる。撃たうとしても少し遠い。マア百五六十は離れて居たろう。

〇確實な着彈距離
傳法
話の途中だが、何間位が最も確實だらう。
菊次郎
熊撃ちに使ふ吾々の鐵砲は、大抵二十八番か三十番の村田銃が四十間と云ふ所でせう。
柴吉
山の上から下を撃つんだつたら倍きくな。
幸平
着彈距離は銃口の絞りにもよるよ。絞つて居れば遠く迄ききます。
傳法
在郷軍人は違ふな。着彈距離と云ふ言葉があるからね。ところで晴夫さん、今の續きをたのみます。
晴夫
なんとしても其の場所からは彈丸がきかないんで、もう少し近づいてから、近づいてからと隙を覗つてる中に、竹藪の中に入つてしまつたが、犬が盛に吠えつくんで奴さんヂツトして動かない。餘りひどい藪で何處を狙つて良いか見當の着け様がないし、一發威すため撃つたところ飛出したから二發目を撃つたら雪煙を立てゝモンドリ打つたが、足にでもあたつたのか又起き直つて犬に追はれ乍ら走つてしまつた。
此の熊の通るだらうと思ふ道を調べて見るが、行つた様子もないんで、先廻りして最後の一箇所此處より他にあるまいと思ふ崖をヨヂ登つて見たところ、此處にも來て居ないんで急いで降りやうとすると、下から犬と熊の奴フウフウ云つて登つて來る。之には私も閉口しました。足場が惡くて右手で枝を掴んでるが、之を左に代はす事が出來ない。手を放せば落ちてしまふし、熊は十五間の鼻先にせまつて來る。
仕方ないから右腕で枝をからんだまゝ無我夢中で引金を引いたが、ハツと我に返つた時には幸なことには一發で斃すことが出來たが、若しあの一發を外したならば今頃斯うして正月の酒も呑めないですよ。替へ玉の二發目を挟むことが出來ないんですからね。

〇うるさい子連れ熊
傳法
牡と牝と、どちらが氣が荒いだらうね。
菊次郎
此の邊の熊は何と云つても子連れがうるさいが、ほんとうに怒れば牡が凄いです。
柴吉
先程話した白澤のアチヤボが、股の肉を一斤程熊にとられたことがあるが、あの熊も子連れだつたね。
幸平
アゝあの話か。鹿の角だらう(笑聲)
傳法
鹿の角つて何だい?
幸平
白澤の家には見事な斑犬が三、四頭居たが、アチヤボが犬を連れて椎茸とりに行つたところ、犬が仔熊を見つけてワン〃やつてるところに親が飛出して來て、ア チヤボを撲りたおしてノツかゝつたが、幸いに犬が代り〃熊の頭や尻に咬みつくんで、仔熊を放つて逃げて行つた留守に、此の仔熊を抱いて歸つて來たが、鐵砲も持たないで良くあんなことが出來るもんだと皆ビツクリしましたよ。
傳法
ソレや本当の無鐵砲だ(笑聲)
幸平
それに途中で鹿の角を拾つたと云ふんで。木の枝のように大きいのを持つて來たが、脚を見れば草鞋迄真つ赤に染つてるんでないか。右脚でしたね。そこで初めて大騒ぎになつたが、股の肉が一斤以上も取られてるんだから、皆驚きましたよ。
今北海道廳に居る内海と云ふ人が、當時此處の場長(鮭の孵化場長)をして居たが、内海さんなど頻りに醫者に行く様に話したが、醫者にも行かず何をつけてるものか見舞に行つた人の話では、酒ばかり呑んで、ケロリと治つ たそうですよ(笑聲)

〇千歳の名犬
傳法
千歳で熊獵で第一と云つたら、菊次郎さんの阿久だらうな。
喜代作
しかし阿加とはどうだらうな。良い勝負でないかな。
傳法
阿加と云うたら阿久の父だね。あの足曲りの隠居かい。
菊次郎
そうですよ。あの隠居と阿久ならどつちもどつちだが。
幸平
阿久、隠居阿加、今泉吉之助さんのプル(ムク毛の意味)に阿久の仔の第三阿久と云ふ順でなからうか。
菊次郎
吉之助君のプルはマア二番かも知らんな。あいつも良く働いた犬だ。
傳法
プルも十三、四だらうが年順では隠居が十五で、次がプル、次が阿久の十一歳か。それに吉さんのことろのもう一頭居るアカも良く働くだらうな。
幸平
あれもよく働きます。うちの小狼(ゴロウ)も五、六頭の熊にはかかつて居ませう。
山川
折角丹精した犬がイザ山に入つて、三文價もないのがあるが、實際そんな時は泣きたくなるからな。
※猟犬の阿久號については下記をどうぞ。今泉さんたちも登場しています。
http://ameblo.jp/wa500/entry-11144276072.html

〇犬が熊にやられた話
傳法
犬が熊のため、ひどい目に遭ふこともあるだらうな。
柴吉
ありますよ。穴に飛込んで熊を外に出したり、又は、しつこく咬みついたりするんだからやられますよ。僕と小山田亀次郎君と二人で支笏湖畔の不風死岳に行つ た時は、黑とルウ(虎毛の意味)を連れて行つたが、穴を見つけて二匹でワン〃吠えるが、黑は前に穴でひどい目に遭つたことがあるから絶對入らないが、ルウ の奴、たまりかねて入つて熊を外に出したから一發喰はして斃したが、ルウの奴がどうしたものかいくら呼んでも出て來ない。
私がもぐつてやつと引きずり出し たところ、肋の肉もろとも割かれて肺臓が見えてるんだからね。歩けないからおぶつて歸つたが、背中でシン〃鳴く聲が可哀想で〃、俺達も泣き泣き歸りましたよ。
傳法
ルウは助かつたかね?
柴吉
いや不思議なもんで、熊にやられた傷は治り易いと見えますね。ルウには藥もつけないが自分で舐つて治したが、平素仲の惡い黑迄舐めるのを見ては、又泣かされたもんです。

〇阿久の受難
菊次郎
俺も隠居阿加が足腰立たない程負傷し、阿久が齒茎もろとも牙を取られた時ばかりは泣かされたからな。
幸平
兄貴でも涙が出るのか……(爆笑)
菊次郎
お前と違ふよ(爆笑)
幸平
おこるなよ、武夫からも聞いたことがあるよ。
傳法
之は珍らしい。菊次郎さんの泣いた話を聞こうぢやないか。
菊次郎
傳法さん迄そう冷やかすなら話すが、石田武夫、小山田政三の三人連れで定山渓の奥のサウス岳の南のヒツ(斜面)で、こんな所に熊など居そうもないと思はれる平な所を隠居阿加が盛んに嗅いでは雪を掘つてるが、其掘方はどうも只事の様子ではない。
その時阿久が遠廻しに探して居たが、阿久を呼んで見たら阿久も眞劔になつて掘り始めた。この二頭だけは只の一度もいたづらにも無駄穴を掘つたことがないから、愈々熊と思つて杖を突込んでさぐつて見たが届かない。
傳法
杖と云ふのはエキムネクワと云ふ奴だね。
柴吉
そうです。六尺位あつて上が二股になつてるのです。あれは平素休む時などチヨイと立てゝ銃やテツカイシ(厚い綿の入つた手袋)を掛けたり、木にこの二股を支へて登つたりする重寶なものですよ。熊が穴の中に居るなと思つた時は、之を突さして探つて見るが、仔を産むとか、仔を連れてる牝は牡より穴が深いですよ。
菊次郎
エキムネクワで探つたが、届かないから木の枝を切つて突込んでやつたら、たしかに手ごたへがある。
思ひがけない拾ひ物とばかり、皆一斉に鐵砲を下ろしたところ、熊の奴も御丁寧に雪を掘つてる様子。上から二頭の犬と下からあの凄い爪で熊が掘るんで、間もなく穴が空いたが、熊の奴、ニユツと手を出し鉤の様な爪で犬をヒツカケ様とするが、阿加と阿久は無茶苦茶に手に咬みつき、顔に飛びかゝるんで、鐵砲を撃つことが出來ない。
穴熊は穴から頭を出したところへズドンとやつてこそ此方の勝だが、飛出されては少し厄介だ。そのうちに阿加の奴、飛込んだのか引つかけられたのか穴の中にもぐり込んだと思つたら、阿久も飛込んでしまつた。雪の中から物凄い呻り聲が聞えて來たが、今出るか今出るかと三人一せいにねらつてると、ソレ出た。ズドンとやると熊の奴、モンドリ打つて三間も飛出して荒れ狂つて、之も二發目を見舞はんで往生したが、之は大きいものでした。
柴吉
牡熊であつたな、あいつは。
菊次郎
マア八十貫はあつたらう。春先の八十貫は秋で百貫は大丈夫あらう。ところが立穴だから犬の奴が出れないんで、政三が中に入つてヤツと抱いて出したが、どつ ちも血だるまになつて居り、阿加は腰の骨をやられたと見えて腰がたゝず、右前足は折られ、肋も裂かれて動きもしないどころか聲も出せない。阿久は齒根もろとも牙をとられ、血を垂らし乍ら鳴いて、俺たちや倒れた阿加の廻りを廻つたり、熊の側に行つたりするのを見ては、大熊をとつた嬉しさどころ か、可哀想で〃、あとの二人の手前も考えず、俺は聲を立てゝ泣いてしまつたが、武夫も政三ももらひ泣きをした。
歸りがけ阿加をおぶつて來たが、阿久が立止 つては鳴くと、山に響いて今もあの時のことが思ひ出される。之は嘘ぢやないぞ。武夫でも俺の弟の政三にでも聞いてくれよ。
幸平
此處のところは傳法さんが去年『犬』に書いてありましたね。
傳法
それから阿加は戰場に出ないんだな。此の場面は實際目に見える様だ。サウス岳はスキーで行くつてもチヨイとラクな山でないな。
菊次郎
傳法さんは冬山なら北海道の山は殆んど知つて居ますね。
傳法
マア大抵は歩いてる。しかし阿加は可哀そうなことをしたな。今年は十五かね。
菊次郎
そうです。私の片腕になつて働いてくれたんで、家で往生さしてやらうと思つて飼つて居ます。

〇熊の穴の水溜り
傳法
あれでも熊にかゝることを忘れないんだからな。去年の春、熊狩りの實演をやつた時、活動寫眞を寫してるのに、隠居が飛出て來て困つたことがあつたね。よく熊の穴の中は水が下つてるが、あれは熊の體温で、あんなになるんだらうね。
山川
そうです。春近くになつてからあんなになるんでないですかな。そうして又春先の穴なら判り易いですね。
穴の中の埃で雪が赤く輪になつて居るが、看板を出してるようなもんだ(笑聲)
傳法
今度は一つ、失敗談を聞かして下さい。

〇散彈で熊撃ち
幸平
失敗談となると割が惡いから皆話したくないだらうが、私が一つ白状します。餘程前のことだが、此の中本晴夫君と二人でモンベツ岳に木鼠を撃ちに行つたが、呑氣にかまへて實彈も無ければ、犬もなし。あちこちと獵をして居ると、一寸ヘンナ穴がある。テツキリ貉の穴かと思つたから、晴夫君に知らせないで一人で巧いところをやらうと云ふんで、棒でつゝいて見たところ、ムツクリ飛出したのは二十五、六貫の熊なんです。
私も之には腰を抜かさんばかりに驚きました。幸に奴さん反對の方に走り出した。晴夫君が二發、僕も二發撃つたところ、足の筋でも切れたのか大木の二股に頭をつつ込んで了つた。それから散彈を五、六發づゝ撃つたが、矢鱈に撃つたところ一粒心臓にでも入つたか、逐々やつつけたが、散彈で熊を撃つたのは初めてです。この肉から矢鱈に散彈が出るには閉口しましたよ(笑聲)
喜代作
俺もあいつはごちそうになつたね。

〇初めて熊を撃つた話
幸平
オイ豊作君、お前のアレを話せよ。
傳法
豊作つて誰のことだ。今迄そんな名が出ないぜ。
幸平
イヤそいつは、その小田喜代作のことですよ。二三年前からキヨサクが凶作で困るから、吾々の仲間は豊作に代えたんですよ。ナー、豊作君。
喜代作
仕方ないから返事して居ますよ。
幸平
あの話をやれつて。
喜代作
恥かしくつてな。
幸平
マアやれよ。面白いから。
喜代作
實は私が始めて熊を撃つた時の話ですが、イザあいつの姿を見ると、中々撃てないものですなア。大きひから狙ひ易い筈だが、それがどうも巧く行かないんです。實は私が除隊當時、蘆谷兼一君とエザリ岳の奥に入つて鼬獵に行つたが、岩が二枚重なつて屋根をかけたような、あつらひ向きの自然の小屋があつて、其處に陣をとつて居ましたが、米もあと一升位より無いんで、山を下ることにしました。
途中イチヤンコツペ川の上で小田六太郎、亀井長太君の二人組とも逢つたが、ホロナイ澤に出た時犬が盛んに尾を振つては木を嗅いで歩くんで、私は木鼠でも居るものと思ひ、木にリユツクをかけて一服吸つてると犬が又走つて行つたり、どうも様子がおかしい。兼一君が「ドレ木鼠かな」と云つて立つて行くや、犬が吠え乍ら飛込んだ。なんと驚いたことには、すぐ側の木にオヤヂ(羆)の奴が上つて、葡萄を喰つて居たらしい。之には私もドギモを抜かれましたよ。下から吠えつくんで熊の奴、すぐにも下りて來ないんで助かつたが、あいつが飛び降りたなら私は飛んで逃げたかも知れませんね(笑聲)
山川
熊を捕りに行つたんでないのか(笑聲)
傳法
イヤ、鼻先に突然出遭つたんぢやたまらんな。ワシヤ同情する(笑聲)
喜代
ところが兼一君も初めての筈だのに、中々落ちついたもんで散彈を實彈にこめかへて、先づ一發やつたもんです。しかし熊はあたらないから平氣です。私も彈丸を変えて四發の實彈を皆撃つたが、一發もあたらない。もう一發もないんです。
兼一君を見れば、彼又どうしたものか銃口に雪が入つたので一生懸命取らうとしてる。
奴のバンドから一發彈丸をとつて入れて見たら、私の銃にキツパリはまつたので五發撃つたとこがバンザイ、あたりましたよ。下に落ちて相當あばれて居たが、あまり物すごくて餘程逃げようとも思ひました。始めの一發目から最後の五發目迄は二十分はかゝつて居ますね。
幸平
それでも只の一發で仕留めたような顔をして來たぢやないか。
喜代作
ハゝゝゝ、それを云ふな。ワシヤつらい(笑聲)

〇大物の大あてはづれ
晴夫
去年シヨンカンベツ岳で三人がゝりで捕つた熊でも大笑ひしたが、之は吉之助さんと此のホウサクと三人連れで行つたが、あの時は吉さんのアカと俺のところの第三阿久、幸平君の小狼(ゴロウ)の三頭つれて行つたが、小狼の奴は足の早い犬でね。
喜代作
全く早い野郎だ。中本君の反對なら良いんだが(笑聲)
晴夫
ところが、小狼が穴を見つけて盛んに掘つてるところへ第三阿久もアカも付近を三頭とも別々に掘つてるんで、之や大物だなと思つて行つたところ、ガンピの三股になつてる根のことろに穴があいてる。小狼と第三阿久はとても仲が惡くて、こんな時でも意地を張つてるから驚いた。
傳法
熊はどうしたね。
喜代作
晴夫さんと吉さんが其の穴を守り、私だけ上からつゝくが出て來ない。そこで木を切つて口を囲み、小狼を入れてやつたところ、アカも入つたが、中でワン〃吠えてるようだ。こんなことをして三時間もかゝつて、ヤツト出て來たのは之はなんと……、熊には違ひないが、樺太犬ぐらいのメンコイ(可愛い)奴さ。之には皆ドツと笑つてしまつたよ。

〇仔熊を手取りにした話
傳法
行雄君、君のところで飼つてる仔熊はどこで捕つたのかね。
行雄
羽幌の奥ですよ。去年除隊早々三人づれで羽幌の奥に入つたが、毎日の天氣で目をやられ、雪目がいたくて獵も出來ず、小屋に一人殘つて居たが、退屈だし外は天氣がよし、何鳥か盛んに鳴いてるし、何氣なく外に出ると、何だか蟲の知らせで熊が居るような氣がしてならないんで、又家に入り、簡單に用意して行きかけたが、そうかと云つて奥にも行く氣がしませんでした。
かれこれ二十丁も澤傳ひに入るとツネ(尾根、分水嶺)で犬が吠えてるので急いで登つて行つてみると、メンコイのが二匹木に上つて居るが、親熊も居なければ犬も居ない。犬に吠えつかれ、仔を置いて行つたに違ひない。之やキツト親が引返すと思つたから、仔熊の登つてる木の中間迄登つて足場を選び、下に銃口を向けて親が來たらやつてやらうと身がまへてると中々來ない。しばらくすると犬が歸つて來たので、もう大丈夫と思つて上の仔を引き下したが、一匹はおとなしいが一匹はとてもきかなくて参りました。
あちこちヒツかゝれたり、服を裂かれたりして、やつとオーバーをかけて背負ひ、おとなしい方を抱いて來たが、之はすぐなついて抱かさつて歩いてる途中で私の顎鬚を口先で分けて舐めつたりして乳を探したりしました。
柴吉
熊と間違へられたんだな(笑聲)
幸平
仔熊を捕つて來ても、始めは乳も呑まないし食はないし世話が焼けますよ。着物の袖から仔熊の口を出し、人が口に食物でも牛乳でもふくんで熊の口にあてがひ、熊の咽喉をつくんです。そうすると熊はゲエツと聲を立てゝ口を開くから、その時に入れてやるんだね。斯うしてならすのです。

〇熊の價と皮はぎ作法
傳法
七、八十貫でどの位の價になるだらう。
幸平
マアその年にもよるが、肉は場所の關係で金にならないし、マア百圓見當ではなからうか。
傳法
何處のが大きいですか。
柴吉
濱益から天塩、羽幌にかけて大きいようですね。
傳法
こんな雪の不足な年はどうです、捕れますか。
菊次郎
駄目ですよ、笹が起きて居て山に入れませんからね。このまゝなら今年は一匹だつて捕れないかも知れません。このまゝ降らんでは居ないでせうが。
傳法
熊をとると、その場で皮を剥ぐが、一定の方式があるんだらうな。
幸平
ありますよ。皮を剥ぐ時もヌサ(祭壇)に祭る時も、頭は必ず東向きです。朝、太陽の上る前に、家の主とか熊の主が自分の家の方に向きを變へるのです。
傳法
(死亡した)犬の頭も祭るんだね。
幸平
そうです。犬は人の餘り見えない藪の中に祭る例になつて居ます。
傳法
どうも色々ありがとう。大變面白い集りでした。

(以上)

アイヌ漁師と垂れ耳の北海道犬。鉄路と海路の発達により、洋犬はあらゆる場所で和犬と交雑化していきました。

世の中には「戦前の犬は寿命が短かった」という通説もありますが、この座談会では獣医もいない山間部で暮らす北海道犬たちが、意外と長寿だったことが語られています。これには北海道・台湾・沖縄エリアにフィラリア症が少なかったという「地域性」も影響していたのでしょう。
実は、「戦前の犬の寿命」については帝大農学部が調べた関東エリア限定のデータに過ぎません。
北海道は?東北は?関西は?四国は?九州は?沖縄の犬はどうだったのでしょうか?
「関東のウドンは汁が黒いから、日本全国黒いに決まっている」みたいな暴論を押し付けるのは止めてほしいものです。

アイヌ文化を否定する同化政策の影響により、戦前の段階で古来の風習は形骸化しつつありました。
いつしか彼らの住居には窓ガラスが嵌められ、ウポポやユーカラのかわりに流行歌を口ずさみ、アイヌ学校の日本語教育によって儀式の意味すら理解できない若者も現れます。差別や貧困などに苦しみ、土地を離れる者も相次ぎました。
アイヌの風習が禁止された明治4年以降、和人同化教育を受けた世代へ交代するにつれ「前代のアイヌ女子はイザ知らず、當今はアイヌも余程進化して、二十前後の者には口邊に刺青又たは耳朶に掛環するは稀にして、中に漁業者の妻女となり居るものに至つては緑髪正しく梳り雙眉月を描き容顔の怜艶なる雪を欺く許り(「アイヌ女子資性」明治26年)」という状況へ陥ります。
本州からはハンターが大挙遠征し、マタギをガイドに雇って山へ分け入りました。キムン・カムイ(山の神)への畏敬の念すら持たない和人は、アイヌのしきたりを無視して獲物を撃ちまくりました。
猟銃の高性能化、密猟と乱獲、異常気象などが重なり、北海道の生態系も崩壊の一途を辿りました。

この座談会に参加した猟師たちは、いずれも大正~昭和初期から経験を積むベテラン揃い。しかし、「弓矢を携えて山野を渉るアイヌ猟師」のイメージとはかけ離れています。
彼らの風習は、明治の近代化とともに廃れてしまいました。「洋風化」したのは、和人もアイヌも同じだったのです。

民俗学が伝えるアイヌの狩猟文化も、和人同化政策の強要で彼らが近代化する前に保存された記録。アマッポ(仕掛け毒矢)などは明治9年に禁止となり、以降は各地のマタギたちも行政の狩猟規則に従って猟を続けます(当然ながら、狩猟法はアイヌ・和人を問わず全てのハンターに適用されました)。
同時期から高性能の西洋式猟銃や軍用村田銃が流通し、北海道エリアの猟法も大きく変貌しました。

このような伝承と現実のギャップは、戦前の段階で顕著化。古来の風習を奪っておきながら、カメラを向ける学者や観光客は「古来のアイヌ像」を要求してくる訳です。
「未開な民族だ」と蔑み、「近代化させてやった」と恩をきせる対象に過ぎなかったのでしょう。

蔑ろにされてきたのは、北海道をはじめとする地域犬界史も同じです。
東京の国会図書館で調べた「東京エリアの犬界史」に過ぎないものを、あたかも日本全国の犬がそうであったかのように語る解説者の多いこと。
犬の歴史でも「地域性」を考慮しましょう。日本は北から南まで広いのです。
現代人が抱くイメージとは違えど、この記録も長きに亘る北海道犬史の一頁。北海道犬の今後を考える上で、過去を知ることは大切です。