発行 社團法人帝軍國用犬協會編
年代 昭和7年~19年


「犬を買いたい軍部」と「犬を売りたい飼主」を仲介する窓口として設立された帝国軍用犬協会(略称はKV)。
勘違いされがちなのですが、KVは日本陸軍の組織ではありません。たんなる社団法人であり、軍所管犬ではなく民間のペットを登録する団体です。
陸軍の「軍犬育成所」とKVの「軍用犬養成所」を混同した歴史解説や、ペットに授与されたKV競技会の入賞メダルを「陸軍犬の階級章」などと詐欺同然でマニアへ売りつける古物商なども、混乱に拍車を掛けているのでしょう。

その辺を整理するため、今回は会報をもとにKV史を辿ります。会報自体が大量に残存しているため(創設期と戦争末期を除く)、時系列での参考資料として活用しやすいのです。

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関東軍などからの寄稿で体裁を整えたKV会報創刊号。犬の専門家が在籍していないため、ハデな表紙と比べて内容はペラペラです。

【創刊號・昭和7年】
現在の日本警察犬協会と日本シェパード犬登録協会は、源流を辿ればもともと一つの団体でした。
それが昭和3年に設立された「日本シエパード倶樂部(NSC)」。
昭和6年の満洲事変における那智・金剛・メリーの戦死報道を機に、NSCは「シェパードの登録団体として軍部へ協力すべき」と主張する親軍派と「我々は同好団体であるべき」と反対する保守派へ分裂します。メンツを潰された親軍派幹部はNSCを一斉に脱退。軍犬調達窓口団体を欲する陸軍の後押しをうけて、社団法人帝国軍用犬協会を設立しました。
いわゆる「軍犬報国運動」の始まりです。
KVの発足で、全国に支部会員を有するNSCとの熾烈な勢力争いも勃発しました。
※ルーツである日本シェパード倶楽部を「日本シェパード犬倶楽部」と誤記する向きも目立ちます。これは昭和3年設立の「日本シェパード倶楽部」と昭和26年設立の「日本シェパ―ド犬クラブ」を混同した記事が創刊初期の『愛犬の友』に掲載され、それを次世代のライターたちがコピーしまくった結果です。

帝國ノ犬達-KV

最後のNSC会報ではKVとの合併が報告されました。この合併騒動が日本シェパード界を二分する抗争へ発展し、現代犬界にまで影響を与えることとなります(いずれも昭和8年)
 
【昭和8年度】
荒木貞夫陸相の仲介によってNSCを強制合併し、KVが一挙に巨大化した時期です。KVの合併要請から逃げ続けてきたNSCも、陸軍大臣の強要には抗えませんでした。
NSC東京本部がやらかした犬界クーデターに地方支部は大混乱。状況を把握できないままKVへ合流してしまったメンバーも多数にのぼりました。
しかし、この強行策に反発したNSC保守派は新たに日本シェパード犬研究会(NSK)を創設。反撃の機会を伺います。
合併期のKV会報は、強奪したシェパード犬籍簿と共にNSC会報の内容がそっくり受け継がれました。同時に愛犬団体的な気風も持ち込まれ、軍事誌に似合わぬ和気藹々とした雰囲気となっています。
ついでに「幹部同士の馴れ合い」という、NSCの負の面も受け継いでしまったのですが。

素人集団のKVは初回のシェパード購買で大失敗を世間に披露。ロクな審査基準もないため、畜犬商から不適格犬ばかりを高値で掴まされてしまったのです。
そんな不適格犬を送り付けられた満洲国の関東軍は激怒。事の顛末を新聞に投書したため、世間に大恥を晒す結果となりました。
失敗を反省したKVは、基本訓練済みで血統書つきの犬を審査・売買する「軍犬購買会」調達方式へ路線変更。「訓育した犬を売りたい飼主」と「訓練済みのシェパードを買いたい軍部」を仲介する、登録・購買窓口としての役割を拡大していきました。

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NSCとの合併後、組織の方針を巡って試行錯誤が続きました。

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表紙のデザインもイラスト、彫刻、写真と迷走しております。

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帝國ノ犬達-NSK
「KVさんの邪魔にならないよう犬界の片隅で地道に活動します」と死んだフリ作戦を続けてきたNSKは、突如として社団法人化。KVへの反撃を開始します。
JSVへの再編後も、NSK時代の施設はしばらく維持されていました(昭和10年)

【昭和9年度】
一挙に勢力を拡大した反動により、KV内部では不祥事が頻発。死亡犬の血統書不正流用事件では再び新聞沙汰となり、組織の立て直しに迫られました。
この混乱の隙をついて、NSKは社団法人日本シェパード犬協会(JSV)として発展解散。更に獨逸シェパード犬協会(SV)と国際協定まで締結します。
慌てた時は既に遅しで、KVに拮抗する勢力が誕生してしまいました。
JSVへのネガキャンに励んだKVですが、皇族出身の筑波藤麿侯爵を会長に戴くJSVには陸軍の威光も通用しません。
こうして、KVとJSVの仁義なき抗争が開始されました。

この時期のKV会報からは、組織運営を軌道に乗せる為の努力が窺えます。不祥事に伴う旧幹部の更迭、各種規程の策定などにも取り組んでいきました。

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この年度の表紙はイラストから写真へ移行

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再出発したJSVは、迷走しまくるKVと違ってドイツ犬界を規範とした厳格な方針を堅持しました。
ちなみに、JSV会報の題字を書いたのは相馬安雄理事(新宿中村屋社長)の義弟だったラス・ビハリ・ボースです。

【昭和10年度】
KVの成長期。懸命に吸収してきた各種ノウハウが結実し、組織運営も軌道に乗り始めます。また、この時期までは愛犬雑誌的な雰囲気も残されていました。
犬の軍事利用に関する記事も増加し、(JSVを真似た)持久走テストや健康管理の研究など、新たな試みにもチャレンジしています。
また、大島又彦会長が東京オリンピック誘致活動で退任したため、坂本健吉騎兵少将(予備役)が副会長に運営が任されました。坂本副会長は精力的に全国を回って軍犬報国運動を宣伝し、有坂光威騎兵大尉や関谷昌四郎獣医正など有能な専門家の起用にも努めます。

成長著しいJSVとのケンカも派手になりました。「JSVはドイツ盲拝の非国民」などと批判しては「KVだってドイツ語じゃねえか」とやり返されたり、低レベルないがみ合いは続きます。
見かねた日本犬保存会や犬の研究社などは仲裁に奔走しますが、両者の溝は深まる一方でした。

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経營の安定にともない、表紙もカラフルになりました

そしてナニを血迷ったか、10年度の途中で会報を倍のサイズへ大判化。しかし不評だったのか、しばらくして元サイズに戻ります。
JSV会報も戦争後期と戦後復興期に同じことをやらかしてますね。でか過ぎて読みにくいだけなんですけど。
一体何だったんでしょう、このリニューアルは?

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大判化したKV会報。このサイズに記事を詰め込まれると、新聞でも読んでいるような気分になります。

【昭和11年度】
いままで蓄積したノウハウを応用する段階へ移行。繁殖活動や競技会や飼育訓練法の記事も充実しております。
この時期は、種畜場への牧羊犬視察や警察犬再配備への取組みも目立ちますね。軍事分野だけではなく、治安機関や牧畜業界へのシェパード採用を拡大したい意向が窺えます。
KVは内地犬界だけではなく、南樺太・台湾・朝鮮・関東州の地域犬界ともネットワークを構築。満洲軍用犬協会(MK)や満鉄関係者とも良好な関係を維持していました。
ついでにNSCと並ぶ老舗である青島シェパードドッグ倶楽部(TSC)を併呑したり、横暴の限りも尽しています。

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10年度の表紙はグリーンで統一。

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3周年記念号だけはカッコイイ表紙になっております。

満州国でも軍犬調達組織として満州軍用犬協会(MK)が発足。関東軍、満州国軍、満鉄、満州国税関の警備犬部隊を結ぶハブとして機能しました。

MKはKVよりもJSVとの交流を選び、相互の情報共有につとめました。


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日本シェパード界のルーツであり、黎明期の日本軍犬界を支えた青島シェパードドッグ倶楽部(TSC)はKVに合併されてしまいます。ドイツ直系で箔付けしたいシェパード関係者はTSC消滅を機に青島犬界の存在も抹消し、自ら記憶喪失に陥りました。

 

【昭和12~15年度】
日中戦争が勃発すると、時局を反映して地味な表紙に。第二次上海事変以降は、戦地便りの掲載も増加しました。
緒戦の段階でベテラン軍犬班が払底し、内地の民間シェパードも購買調達数が激増。出征犬の増加に伴い、KVの業務も多忙となっていきます。
とはいっても、まだ戦争は海の向こうの話。内地のペット界は隆盛を極めており、KVとしても比較的安定した時期でした。

昭和13年に米国盲導犬オルティが来日すると、KVも積極的に取材。しかし、翌年の陸軍戦盲軍人誘導犬輸入事業はKVではなくJSVへ委託されます。陸軍としては、国内に閉じこもるKVではなくドイツ側とのパイプを持つJSVに任せるのは当然の流れでした。
しかし、不貞腐れたKVは盲導犬研究からソッポを向き、あげく某メンバーがJSVを揶揄する目的で盲導犬批判を展開。これにKV内部の盲導犬推進派が反発し、アサッテの方向へ内紛が拡大しております。
KVが盲導犬研究を諦めなければ、戦時盲導犬の数はもっと増えていた筈なのですが。

陸軍省とKVは相変わらずJSVへ合併を迫り続けますが、筑波会長はお飾りの前宮様ではなく、防波堤となってJSVを護り抜きました(筑波藤麿が軍隊嫌いとなったのは、こんな事も影響していたのでしょう)。
KVの内情に愛想を尽かし、有坂光威大尉や蟻川定俊氏ら有能なメンバーがJSVへ移籍した時期でもあります。

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以降、活動終了までこの表紙で統一されます。

【昭和16~18年度】
内容は頑張っているものの、太平洋戦争突入後は物資不足の影響で極端に紙の質が低下していきます。愛犬自慢などの寄稿は激減し、競技会や繁殖活動も戦時一色へ。
関東軍が地雷探知犬の運用を開始したことで、KVの訓練課目にも地雷捜索が採用された時期でもあります。

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紙質もインクも薄くなり、貧相な姿へ。

【昭和19年度】
深刻な紙資源の不足によってページ数が激減。ペラペラ状態に陥ります。
昭和18年を最後に日本犬保存会やJSVが次々と活動を休止する中、KVは内地最後の大型畜犬団体として活動をつづけました。
おかげで戦争末期にも国内に多数のシェパードが残存し、種犬も確保され、繁殖・訓練・競技運動が継続されていたことを確認できます。

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全盛期の左側と比べ、見る影もないほどペラペラ状態に。


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絶対国防圏が突破され、もうダメだ感が漂う昭和19年秋。芋などの代用飼料配給記事が困窮を物語っています。
空襲警報の合間に開催される展覧会なども辛うじて維持されている状態でした。

【最終號】
東洋最大を誇った畜犬団体KVは、会員に民間義勇部隊「国防犬隊」への参加を呼びかけた昭和19年末に活動を停止します。同時期にはペットの毛皮献納運動が始まり、本土空襲の激化も相俟って犬の飼育どころではなくなりました。
KVどころか、日本犬界自体が崩壊してしまったのです。

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「國防犬隊規定」の記事が異彩を放つ最終號。
国防犬隊は郷土防衛を目的とする民間義勇団体であり、本土決戦の際に陸軍の指揮下で活動する準軍事組織でした。
軍の資源母体として犬を繁殖する団体が、いつの間にか義勇兵の一員にされていたのです。

活動を休止したKVですが、敗戦によりそのまま解散。
戦後復興期にKV幹部が日本警察犬協会(NPD)を新設し、現在に至っています。
神輿に担いだ久邇宮朝融王総裁を放置し、戦後世代へ受け渡すべき貴重な犬籍簿を廃棄するなど、あまりにも無責任なKVの最後を見たJSV関係者は激怒。
過去を蒸し返すJSVに対してNPDも絶縁を宣言し、日本シェパード界の抗争は第二ラウンドへ突入します。昭和27年頃にはケンカもおさまり、日本警備犬協会の仲裁で両者が和解したのは昭和32年のことでした。
※奇妙なことに、戦後はJSVが保安隊や陸上自衛隊の警備犬部隊を、NPDは海上自衛隊の警備犬部隊を支援するという逆転の構図となりました。