「此處は或る大學醫科の研究室である。
實驗臺上にはニ三日前出入の犬屋から購入した比較的長毛の大きな犬が仰臥位にくゝりつけられ、胸廓は左右に切り開かれ兩肺露出され、肺臓血管の灌流試験は正に始められんとして居る。キモグラフイオンは極めてスムースに廻つて居る。
指導者○教授の來臨があれば試薬は直ちに注入されると云ふ處。
やがて、○教授は物静かに、そうです、恰度もニユートンが林檎の落ちるのを見つめる様な態度で實驗室に現れました。
始め給へ―と云ひ乍ら實驗室に近寄つて來て其眼が實驗装置から手術野に、そして犬の毛なみを見結ると突然
「オイ中止〃〃、君達はエライ事をやりをつたぞ。……エ、……コリヤ君三日前に行衛不明になつた僕處の犬じやないか」
これは實際あつた話で、五六年前筆者がまだ大學の研究室で盛んに兎を殺してゐた時分、同室で研究してゐた友人が實演した研究室トピツクだ」
黙念居士『萬犬虚傳(昭和9年)』より

実験動物は平気で解剖できる学者先生も、自分のペットだけは別だった様です。

犬
長崎抜天『マル天先生と犬(昭和9年)』より

帝國ノ犬達は近代日本における犬の記録を集めたブログです。
私だって可愛いワンコや愛犬物語だけ載せたいのですが、かつての日本犬界には誰もが目を背けたくなる暗部もありました。
野犬駆除、狂犬病対策、飼育放棄、動物虐待、実験動物、犬の軍事利用、ブリーダーによる淘汰、犬肉食、犬の資源化など、見たくも聞きたくもない話ばかりです。
もちろん、あえて見聞きする必要などありません。
昔の話ですから、現代人のワレワレが知らなくても全く困りません。
このような記録を血眼になって漁る方がおかしいのです。

だから、忌わしい昔話を知りたくない人は、この記事を閉じてください。
犬の毛皮とか猫のコートとか、不快な画像も出て来ますから。

犬
ワンコかわいい。

それでは話を進めます。
ペット業界が膨大な商品を生み出すことを放置しながら、不要犬・不要猫の処分を保健所へ押し付ける日本社会。ペットの飼育放棄が横行する中、一般市民が目を背けてきたのが野犬駆除業務です。
狂犬病から人々を護る最前線で働く彼等は、誹謗中傷、差別に晒されました。
自分とは無関係な世界として「駆除された犬の遺骸はどうなるのか」を疑問に思う人も少なかった筈です。

ここでは職業差別問題とは別に、畜犬行政における野犬駆除システムとして「駆除された犬の用途」を解説します。この視点で語られるのは意外と少なく、犬の歴史を扱った書籍でも狂犬病史の一部として取り上げられる程度でしょうか。
そんなワケで、今回は処分側の関係者による証言を載せてみました。
当時の裏事情など、興味深い話が語られています。

【不要犬たちの末路】

「私達の名は「野良犬征伐」で愛犬家の間に知られてゐます。
街頭や路地で野犬を向ふに廻しての活動、時には勇猛な奴に出遭つて咬傷を受けたり、運悪く狂犬に襲はれて、敢なく生命をおとした犠牲者さへあるのです。
かうした街頭戰のあと、捕へられた野良犬は一體どうなるのか。
「野良犬を捕へて何とする」……といふ課題。これは愛犬家の是非知つて置いて頂きたい事柄の一つであると共に、又興味のある話でもあると存じます。
「可哀相に、あの宿無犬も到頭捕まつてしまつた。大方撲殺されて、何處かへ埋められて了ふのだらう」
氣の早い人はかう簡單に問題を片付けてしまひますが、捕まつた野良犬に課せられた運命は、私共人類にとつて、もう少し意義があります。
といふのは、野良犬にも立派な利用更生の道が開けてゐるからです」
TS生『犬は死して皮を殘す話(昭和11年)』より

カワイイからと安易に犬を飼い、面倒だからと予防注射を怠り、飼えなくなったと犬を棄て、危険な野犬を駆除しろと訴え、駆除したら残酷だと非難する。
誠に身勝手な市民の声に応えるべく、行政の畜犬取締は「進化」を続けてきました。
野犬の増殖阻止、行政と獣医界による狂犬病との死闘、飼育マナーの啓発、駆除方法の改善、殺処分自体からの脱却。
獣医師、警察、愛護団体は必死で不要犬の里親探しに奔走しますが、救われた犬は僅かでした。
残る犬達は、市民の目から隠されて「処分」されたのです。

【不要犬の里親探し】

廣井辰太郎ら愛護団体による交渉の結果、警視廳だけは大正の終り頃から野犬撲殺から捕獲へと方針転換しました。
地域の野犬駆除や廃犬買上げで駆り集められた犬は、一旦プールされて引き取り手を待ちます。これは、誤ってペットを捕獲してしまったり、里親が見付かるのを待つための救済措置。
警察側の発案による「野犬マーケット」なる里親探しイベントも戦前から開催されていました。

「警視廳獸醫課では、数年前から野犬狩の網にかゝり、たゞ撲殺の運命にある年三萬からの可憐な無籍ものゝワン公の中に、充分一般愛犬家の愛犬として價値あるものが多数あり、又畜犬票をなくしたゝめに誤つて捕獲されたらしい立派な家庭犬も往々にして見かけ、それ等を法規の命ずる儘に、一律に撲殺することは如何にも忍びないこゝとして、特に警視廳獣医課「犬の相談所」に申込めば、野犬の収容されてゐる化製所を紹介して、適當の犬が求められる便法を設けた。
しかし一般人はかゝる便法を知らず、知つても一々警視廳に申込むのをおつくうがり、又よし申込んで化製所へ行くとしても、そこに多数の犬が収容されてゐるのを見ると、餘りにも傷心になつてこそこそ逃げ帰ると云ふ有様で、折角の名案も一向はかばかしい結果が得られない。
これではならぬと、更に積極的に街に進出して犬の飼主を探さうではないかと云ふことになり、現在活動してゐる唯一の動物愛護團體である人道會とタイアツプして、愈よ市中の盛り場附近で犬のオープン・マーケツトを開くことに具體案が一決し、六月末から七月匇々第一回が催され、成績がよければ日を決めて月三回位開催する。
當日はあらかじめ定められた、公園、空地等に家庭犬として相應しい犬を一定數化製所から連れて行き、人道會の人達が賣子になつて一般愛犬家の来観を俟つと云ふわけ。
實現の暁は、定めし珍奇なる愛犬風景が展開するであらうし、犬の欲しい人達は、こゝでごく僅少の手數料で自分の欲しい犬が選りどりで入手出來、又死の直前にあつた犬は急転、温かい飼主に引取られるのである。誠に機宜を得た直接的な動物愛護の方法と云はねばならぬ。
警視廳犬の相談所主任荒木芳蔵氏談
「場所は人道會が東京市その他に交渉して探して呉れることになつてゐます。人道會にお願ひしたのは、今度の試みが、飽くまで犬の愛護から出發した事業だからで、営利を目的としない愛護團體にお願ひしたのです。無論いろ〃至らぬ點もありませうが、やつて見て世間の評判を聞き、段々改善して行く積りです。又これが巧く行けば、一層大規模に畜犬商の手を煩はずやうになるかも知れません。
又萬一あとになつて元の飼主が現はれた場合は、もとの飼主に費用丈け拂つて貰つて返すことに最初から約束して置きます。今度のことが新聞で発表されると、早速ニユース映畫にとつて世界に配給すると云ふ相談をもちかけられたり、反響の大きいのに驚いてゐる次第ですが、是非オリンピツクまでに、かうしたことから日本人の動物愛護運動を具體化させて、來遊の外人に愛犬日本を目のあたり見せたいものです」
「愛犬日本を世界に紹介する、オープン・マーケツトの計畫」より 昭和12年

この計画は実現し、野犬マーケットが開催されるようになります。

「人道會が警視廳獣医課と提携して始めた野犬のマーケツトは、その後も毎日曜日省線中野驛脇空地にて開催、今日までに合計百數十頭の犬が純心な愛犬家の家庭に引取られて幸福な生活を取戻した。
警視廳では野犬と同時に畜犬商組合等で優良犬のマーケツトを開き、愛犬趣味を一層普及向上させやうと云ふ意見を持つてゐる」
昭和12年

戦前の神奈川縣などでも不要犬マーケットの記録がありますので、警視廳以外にも救済措置を採っていた府県はあったのでしょう。しかし、全容は不明です。

犬
昭和12年7月13日、中野驛前で開催された日本人道會・警視廳共催の野犬マーケット 
テントは抽籤で当った犬の引き渡し所です

犬
犬のケージが並ぶ里親探しの抽選会場

犬
抽選会場に集まる来場者たち。やはり家族連れが多いですね。

以上が正規のルート。
ここで救い主が現れる幸運な犬もいましたが、里親が見つからなかった犬たちは、実験動物か殺処分の道を辿りました。

【実験動物の話】


帝國ノ犬達-解剖反対
「ロンドン生體解剖反對協會は舊くより、小動物を生體の儘解剖する事に對して、ポス ター、新聞雑誌等を通じて反對して来てゐるが、同協會の報告に依れば、一九三六年中に英國に於て生體解剖の犠牲になつた憐れな犬、猫、兎、モルモツト、猿 等の小動物は八二二,一六七頭の多きに及んでゐると」
帝國軍用犬協會 昭和13年

現代日本では、帝國軍用犬協會を悪虐非道の軍国主義団体だったと批判していますが―実際、横暴極まりない団体でしたけれど―海外の盲導犬事業や動物愛護運動に関する情報を日本に紹介していた功績とか、その辺は評価の対象にならないんですかね?
巷の帝犬批判を素直に頷けないのは、批判する側の無知と不勉強とアンフェアな姿勢が理由です。



日本畜犬史として避けて通れない話に、動物実験があります。
本来ならば狂犬病史や獣医学史の項で取り上げるべきなんですけど、動物実験の話はこの記事でやります。

昔から、医薬品や医療技術の研究では動物実験が行われてきました。人体実験をやらかしたケースもありますが、その辺は取り上げません。
医療機関や大学の実験動物は、主にマウスや兎。その他、猿、猫、豚、そして犬も使われていました。
それら実験用の犬は、野犬駆除や廃犬買上げから供給されていたのです。

試験動物に
「病院や学校や研究所で試験動物になる犬。それは私共化製場(動物遺骸の処理施設)から送られる野良犬です。
警視廳管下には三河島に二ヶ所、板橋に一ヶ所の化製場があつて、一年を通じ、二萬五千頭から三萬頭の捕獲犬は、この三ヵ所に分置され、註文があれば此處から学校なり研究所へ送られ、試験動物として用済みの犬は、又元の化製場へ戻つて來るのです。
實験の犠牲になつて斃死した犬も、研究所や学校で自由に處分することは規則上許されないので、みな私共へ送り返されます。
そこへ行くと猫は、實験後の處分は自由で、勝手に焼捨てゝもかまはず、猫の方が扱ひが簡単になつてゐます。だからといふ譯でもありますまいが、近来は試験動物として猫が喜ばれる傾向があります。
猫の方は動物屋が、東京附近なら茨城、千葉方面へ買ひ出しに出掛け、續々買ひ集めて需要に應じてゐますが、私共の知つてゐる家では十人からの人が猫探しに出張していゐます。試験動物としての猫の相場は一圓五十銭位で、體の小さいの割にはよい値です。
犬の方は最高二圓、最低五十銭、仔犬は三十銭位といつた相場で身賣りをしますが、試験動物となるには、病氣があつてはいけず、又、大き過ぎても小さ過ぎても合格せず、十頭納めてパスするのは五頭位の割になつてゐます」
TS生「犬は死して皮を残す話」より 昭和11年

犬
昭和15年の広告より、なぜか獨逸シェパード犬協會か帝國軍用犬協會登録のシェパードを求めているケース。何に使ったんでしょう?

実験動物を調達するための不正規ルートとしては、盗難犬がありました。
小遣い稼ぎのため、盗んだ飼犬を研究機関へ売りつける不届き者も少なくなかったのです。
実験動物の出処をいちいち確認する人はいません。研究者たちは「ああ、これは野良犬か」程度でホイホイ購入していた訳ですね。
犬泥棒は、戦時下で毛皮不足が深刻化すると共に益々跳梁する事となります。

【犬の毛皮の話】

裸のサルであった人類は、様々な道具を使うことで生存競争に勝ち抜いてきました。我々の御先祖は火で暖をとり、獣の毛皮を纏うことで厳しい冬を乗り切り、世界各地へと勢力を広げたのです。
また、皮革は日用品や馬具・猟具として人類の発展にも貢献します。
宗教上の理由から肉食を忌み嫌ってきた日本でも、軍勢を支える武具や馬具用の皮革が大量流通していました。それを生産する巨大な家畜・皮革業界も存在した訳です。
ナイロンやプラスチックといった皮革に代りうる素材が普及した現代において「動物愛護の観点から、皮革の使用を減らしていこう」という主張には賛同します。

しかし、「皮革製品」を全廃するのは相当に困難でしょう。
日常生活だけでも、革靴を履き、革カバンを持ち、革ベルトを締め、革のコートを着て、ゼラチンでできたフルーツゼリーを味わい、ゼラチンカプセルに入った風邪薬を飲み、コラーゲン使用の化粧品を肌に塗り、膠を接着材にした弦楽器や日本画を楽しんでいるワケです。
御存知のとおり、これらは全て動物の皮膚から作られたモノ。産業用の皮革まで含めると、その範囲は膨大です。

まあ、毛皮廃止論の記事ではないので犬のハナシをしましょう。
戦前の皮革業界における、犬皮の商品価値は下記のようなものでした。

犬
満洲産狗皮のサンプル

名称
犬皮(けんぴ)、狗皮(クピ:中国語)

用途

満蒙の重要輸出毛皮であるのみならず、最近は軍部の被服廠に需要少なくない。
欧州大戦前は満洲の犬毛皮(クピ)は単に自家用に向けられるに過ぎなかつたが、米國に染色加工の技術が発達してから一躍その價値が見出されて、安物コートのトリミングや、米國の戸外労働者が着る革の牛コートの裏地、灰色の犬皮は狼(毛皮)の代用品、白色は白狐の代用品等に加工されるやうになつた。
北方産の狗皮は實際優秀で、毛量深く狸に遜色を見ない程のものである。
大きい事は狼に近く、色は赤、灰ゴマ色々ある。白衣の行商人が秋冬の頃持ち歩いてゐる毛皮の中にはよく犬皮がある。
嘗ては内地の業者も逸早く之を持ち込んで無名の毛皮として賣捌いたものである。

品質
満蒙産は體躯大にして毛深く、刺毛が長く被毛密生し、光澤がよく優秀である。
朝鮮産は新義州、平壌のものは大きく品がよい。同じ品質の犬皮でも赤犬が支那人に好まれるので高價であり、狼のやうな灰褐色の毛皮は素人考へでよいなと思ふが價格は安い。
吾國では赤一枚ものが値が張り、斑は安いが、併し生皮買入は込み値段である。
北海道では三、四月の候に警察署が請負人に野犬狩を行はせるが、各都市より200~600枚宛出るやうである。
品質は中以下の三、四等品である。

犬皮の輸出
米國向貨物は一等品5割、二等品4割、三等品1割に詰めるのが習慣であるが、40/40/20の割合の場合もある。
犬皮の輸出は生皮では無く殆ど鞣製品である。吾國からの輸出も同様である。
満洲は労銀が安いから本國で鞣すよりも割安であるからである。
色は概して輸出に於ては餘り問題にならない。尤も白色は淡い色調のものは淡く染色するに好都合であるから特に仕分けられるが、色物は大抵濃く染められるから色を餘り問題にしない。
荷口に黒と標記せるは黒色のみ、色物と標記せる荷には赤一枚色も斑も入っている。

産額
吾國の産出は不明であるが、北海道の年では札幌が600枚、釧路が200枚等がその一例であつて、合計数千枚のものではあるまいか。
朝鮮は10~15萬枚、その中平壌が1/3位集荷を見る。

三味線と犬
「ところで、生きては科學に役立つ野良犬ですが、死んだ後はどうなるかと申しますと、第一に利用されるのが三味線の皮です。
『馬鹿を云へ、三味線の皮は猫と決まつてゐるぢやないか。それは凡そインチキ三味線の皮になるのだらう』などいふ横槍がはいるかも知れませんが、極上等の三味線の皮はさて措き、普通には犬の皮が用ひられてゐるのです。
『だつて、三味線の皮には、ちやんと乳の痕があるぜ。ぢあ、猫位の小犬ばかりが三味になるか』
いけません。何事も加工流行の世の中です。
犬の皮に猫の乳痕などを作るのは朝飯前の仕事。犬の皮へ持つて行つて、適當の間隔に墨を付け、その上に蝋を垂らすとちやんと乳痕が出来上り、一見これが偽物とは分らないと云つた具合なのです。
三味線になる皮の大きさは、縦横五寸に六寸位のもので、大型犬ならこの位の皮が十枚とれ、一頭で五梃の三味線が張れます。中型犬なら胴で四枚、首の部分で半枚、つまり二梃分の皮がとれるのですが、三味線の皮にするには腫物一つあつても不合格。蚤に喰はれた痕があつても駄目なので、實際には平均一頭からとれる三味皮は一梃半位にしか廻りません」

三味線
これは可愛いマスコットなのか、ブラックユーモアなのか。
四谷の三味線店広告より 昭和11年

猫の三味と犬の三味見分け
「今申した通り、普通の三味線に用ひられるのは犬の皮ですが、しかし上物になると、断然猫の皮が抑へてゐます。猫皮の三味線は第一に音が違ひ、その音色といふものは、犬の三味線では到底聞くことが出來ないのです。
ところで犬が猫の領分を侵して、三味になり出した譯は、猫だけではその需要を満たしきれぬためですが、犬の三味皮は、普通にはお値段が安いので、到底三味皮だけに製したのでは引き合はず、一度試験動物に使はれて戻つて來た犬を、更に三味線に製すと云つた方法を採つてゐます。生きては科學に貢献し、死して三味線の皮を残す。犬も却々忙がしい譯です。
三味皮が猫であるか、犬であるかの見分け方は、猫だと純白色で、肌理が細かく、犬だと純白とまでは行かず、肌理は荒いので、少し氣をつけて見れば、誰にでも判別が出来ます。
勿論慣れた耳があれば、三味の音からも、それと判断が出来る筈です」

三味線
戦前の三味線屋さんと猫。もちろんペットです。昭和11年

太棹の三味線
「以上は普通の三味線のお話ですが、こゝに一つ、どうしても犬の皮でなければ役に立たぬといふ三味線があるのです。
それは何かといふと、義太夫の三味線で、こればかりは猫の皮ではどうしても駄目です。「デデン……」と來る、あの線の太い調子は、犬皮でないと、ピーンと堪えて來るものでないのです。
太棹は、厚い皮で、皮には渦が出来てゐなければならぬのですが、これは腋の下の皮をとればよい譯で、従つて又一頭から何枚もとることは出来ません。
一頭で一梃とれたら、それで上乗。あとの皮は捨てゝ了つても損はないのです。太棹に一番よい皮は何犬種かと云へば、それは秋田犬に限るのです。

犬の皮をとり三味に製するまでには五日ばかりを要します。
まづ皮を剥いたらそれをこいで脂をとり、水で血を抜き、翌る日ある薬品にひたして毛を抜きます。
毛を抜く際の薬品は、一つの家傳の様になつてをり、外部からこれを窺ふことは出来ないのです。
牛馬の毛を抜くには石灰を用ひ、灰汁を抜くためには鶏糞を利用しますが、犬だけは、そこに秘薬のあることは面白いと思ひます。
毛の抜けるのは第三日目で、あとは薄い板でこき、表皮だけを残し、これを板に張つて乾し、乾し上つた所で適當の寸法に剪るのです。
やはり三味線屋の氣持にならないと、よい三味皮はとれないやうです」
TS生「犬は死して皮を残す話」より 昭和11年

【偽造キツネ毛皮の話】

犬
満洲国・奉天の街頭にて、毛皮ショップの様子。
中央の柱に掛けてあるのは犬毛皮の敷物で、隣の人物が持っているのは犬の尻尾で作ったハタキ。端に吊るしてあるのは猫毛皮を縫い合わせて作ったコートです。対面の壁には毛皮の帽子もたくさんありますが、何の毛皮かは不明。
コレが日本へ輸入される際、途中で高級キツネ毛皮へ偽造されることもありました。

狐にも化ける
「犬の皮は大部分が三味線ですが、毛皮として襟巻に用ひられるやうなこともあります。これは野良犬ではありませんが、柴犬などは狐の襟巻の代用となります。
朝鮮の犬の襟巻で、一見狐の様な感じのものが市場に出てゐるのを御氣付の方もありませうが、うつかりすると、これなどは狐と間違える様なことも出來します。
但し犬の方はお値段が安くて十二、三圓から精々二十圓止り。遂ひ安いのに釣りこまれ、変に欲張つて掘り出し物でもした氣になると、とんだ目に逢ふことになります。
呉々も御注意が肝要です。
狐の毛と犬の毛の區別は、狐の毛はふつくりしてゐて立つてゐますが、犬の方は寝てしまひます。その様子は生きてゐる時とちつとも変りません。又毛皮を抑へてみると、犬の毛は硬い様な剛張つた感じがするものです。
犬の毛皮を狐の毛皮に化けさせるのは、實に何でもないことで、白い犬なら狐色は勿論のこと、如何なる色にも染め上げることが出來、裏地などに用ひたため不要になつた狐の尾を狐色に染めた犬の胴につけ
『へい、狐でござい』
と化けて出ること決して珍しいことではないのですから、油断は禁物です。
『併し、犬の顔を狐にすることは六ケ敷からう……?』
いや、顔などは問題なしにどうにでも加工出來るものです。
顔も狐、尾も狐。だが胴が何だか狐らしくないものにぶつかるとはよく聞くところで、これでは如何な愛犬家でも『犬ならそれもよし』と納まつてゐることはできますまい……」
TS生「犬は死して皮を残す話」より 昭和11年

【その他の利用方法】

毛皮の最上
「犬の毛皮でよいものは、地方から來ます。これは捕えた野犬を繋留せず、直ぐ眠らせるからで、東京の様に繋留したのでは、色々の関係からどうしてもよい毛皮をとることは出來ません。皮の質、毛の質、共によいのは秋田犬で、同じ犬でも土佐は毛が荒いので不向きです。さあ今は秋田の本場物で、一枚三圓はしませうか。
一番悪いのはポインター、それからセツターで、これは皮膚が丈夫でなく、且つ毛が寝てゐるので、化製者の立場としては困ります。
犬の毛皮は又爪皮(ツマカワ。下駄の先につける雪除けカバー)の縁りにつける毛皮として、東京から秋田あたりへ移出されます。これは申すまでもなく防寒のためと、もう一つは下駄の雪をはじくために附けられるもので、雪をはじくには犬の毛が第一とされてゐます。犬の中でも秋田犬の様に毛の細いものを持つて第一とし、爪皮の毛皮には秋田犬が最も喜ばれてゐるのです。
この用途のためには赤毛と白毛が一番歓迎されますが、これは爪皮につけて引立つからで、黒毛のものは全くいけません。これの製作は殆ど秋田で行はれ、こちらからはたゞ毛皮を送ることになつてゐます」

魚の疑似餌
「この他、犬の皮は草履の前緒になつたり、袋物に用ひられますが、これは別に取り立てゝ云ふ程のこともありません。たゞ最後に一つ、非常に変つた方面に、犬の皮が用ひられるといふのは、漁師がこれを疑似餌に利用してゐることです。
即ち皮を三分、五分と短冊形に切り、これを縄につけて、水中に流します。すると皮は水中でピラ〃動き、これを餌と間違へた魚がピラ〃目がけて寄つて來るのです。そこで漁師は網を打つと云ふ仕組みで、茨城の霞ヶ浦あたりで行つてゐると聞きました。
色々考えるものだと思つて、私共非常に面白く思つてゐます」
TS生「犬は死して皮を残す話」より 昭和11年

日々排出される家庭ゴミや事業所ゴミは、煙のように消えてなくなるワケではありません。埋設されたり、リサイクルされたり、焼却灰へ形を変えて存在し続けます。
殺処分された犬の遺骸も、煙のように消えて無くなるワケではありません。
その毛皮、肉、脂肪は様々な製品となり、市民によって再利用されていました。

これも、戦後まで続いた日本人と犬との関係の一部なのです。

(次回に続く)