例の磯貝晴雄さんが出していた広告です。
彼は戦前・戦中・戦後を通じて最も活発に宣伝活動をしていたペット商であり、広告宣伝費に幾ら注ぎ込んだのか想像もできません。
挙句に海外では「日本犬保存運動の旗手」と勘違いされ、当時の日本犬保存会を激怒させた事もありましたね。

で、今回掲載したのはいつもの日本犬柴犬研究所の広告です。
日本犬を奨励しつつ日本洋犬聯盟でシェパードもPRしている訳のワカラナサはいつも通り。
特に注目すべき点はありません。「兎皮献納倍加運動」が時局を反映しているくらいですか(貧困農村の救済策としてスタートした養兎業は、戦時下における軍需皮革の需要増加にともない拡大していきました)。

しかし、コレは特別な広告なのです。
「磯貝広告」の時代別バージョンを集めようとして、あまりの多さにゲンナリした経験をもつ私にとっても
画像の広告を見つけた時は余りのショックで鼻水が止まりませんでした。

犬

「内容はいつも通り」なんですけど、コレが掲載された時期は昭和20年。
東京・名古屋・大阪が大空襲を受けた昭和20年。
全国でペット献納運動の嵐が吹き荒れ、膨大な数のペットが毛皮にされてから3ヶ月後。
こんな大変な時期に、何でペットを売っているのだ磯貝さんは?
ペットの販売が許容されていたの?
ペットを購入する人が居たの?
ペットの流通ルートとか残ってたの?
ペットの餌はどうやって確保したの?
だったら犬猫献納運動とは一体何だったの?
謎だらけです。

疑問に思って同時期の戦争体験記録を読み漁ったら、「愛犬と一緒にB29の空襲から逃げた」とかいう証言をポコポコ見つけて更に混乱中。戦争末期における犬猫の殺処分は、もしかしたら抜け穴だらけだったのかも……。
ペット献納運動について語っている人、誰か納得できる説明をしてください。
まずは花粉症の薬を飲んで落着きましょう。