生年月日 不明
犬種 北海道犬
性別 牡
地域 北海道
飼主 三上富雄氏

日本盲導犬史に記されていない、未知の盲導犬たちが戦時中に存在しました。
葉山太郎氏の著書「日本最初の盲導犬」でも、取り上げられたのは陸軍盲導犬が中心。アルフやエルダーといった民間盲導犬たちは調査から漏れています。
それら戦時盲導犬の大部分はシェパードでしたが、日本犬を使った誘導記録も2件ありました。

一頭が関西在住の勝利(紀州犬)。
そして、もう一頭が北海道の示路(北海道犬)です。

示路は、北海道上砂川三井鉱業所附属病院のマッサージ師である三上富雄氏の愛犬でした。
14歳の頃から徐々に視力を失っていった三上氏は、東京の盲学校を卒業後に北海道で就職。
勤務先の病院と社宅との行き帰りに不自由していた彼は、北海道犬による誘導を試みたのです。

帝國ノ犬達-盲導犬
「愈よ誘導犬の實用時代」より、盲導犬示路號 昭和14年


私は、私の生活の重要なるポイントに、心からなる協力者である犬と共に、月日を過して来てゐる。
それは又、私の心ひそかなる自負であり、謙恭さでもある。
私の生活に、こんなにも深くにじみ込んだ犬の月日。
私は、秋深まり行く昨日今日を、その犬と、よき家族との生活に安心と、誇りとを持つてゐる。

不幸にも、私は、光を失ひつゝある。
否、それはもうすでに、光明のない肉體を持つてゐるのだ。通勤の毎日を如何に、苦しみと悩との一日、一日にして来た事か。
朝夕の路上に光と影のない歩行をたどる私を、誰れでもが、寂しく思つて見てくれたに違ひない。
私の視力が、最悪の状態にまで進みつつある時、私はふと、「盲導犬」と云ふ言葉を思ひついた。
私等の自尊心から、又その未熟な感情からも、日頃私は、その言葉を、余り心よく思ひはしなかつた。然し、今の私はそれが希望に考へられる様な状態に迄なつて来た。
欲しかつた。心から欲しかつた。
然し私の生活は経済的にそれをする事が出来ぬ有様なので、私は再び暗いみじめな心になつてしまつた。
勤務の帰途、家族をわづらはす、その時々の侘しさ。

犬、犬、余り大型でない犬、手引犬。吾手に傳る左右上下の引づなの感触、私の間隔は充分だ。
欲しい。
そんな風な意欲を毎月の様に、考へ考へ、遂に私は北海道に住居する人々の……同じ様な肉體の人々の事も考へる様になつた。
日本犬―北海道犬―ふと私の考を意味付けるかの様に、健康な友人らが日本犬を持つてゐる事に気付いた。

私は遂に、日本犬を入手する事が出来た。
それからの私の生活には、犬が割り込んで来たのだ。
犬を引く。
それが現在まで、また更に将来にまで、明るい光と希望と安心とを増大させながら続くに違ひない。
私は肉體的にも、経済的にも、洋種の優良犬を、手引犬として、入手することは不可能であつた。
日本犬として、私は北海道犬の、優秀さをも同時に知つてゐたので、とにかく私は私の出来得る範囲内で入手した。
そして犬との生活は愛玩では決してなかつた。
犬と私と、家族と三位一體のものでなければならないのだ。まづ私は犬との生活にも、犬を訓練するのにも、さうした考へ方をし、それを實行して見た。
案外な成績が私をよろこばせ、希望を持たせた。

彼は常に、よく粗食して呉れた。又寒さにも實によく耐へてくれた。
さうした事々は、私の経済的な負担をも、軽減してくれ、心配のないものにしてくれた。
彼は常に私の前を歩いてくれる。
彼の體格は、洋犬のそれに比して、短小であり、然も気性も極めて純良である。他の凡ゆる洋犬の手引犬に比較して、それらの點で遜色はないと私は思ふ。

こうしたふべての事が従来日本に輸入された、所謂誘導犬なる犬との差であり、又、特筆すべきは、粗食、耐寒、従順、體格短小と云ふ事である。
その誘導犬としての良否は、それは今後のことに待たねばならない。
私は唯、私と犬との生活の断片をここに誌す事によつて、私と同じ肉體の所有者、又そのよりよき理解者である世の識者に告げるのみなのである。

そしてこの日本犬(私の場合は住居の関係上北海道犬なのである)がやがて、よりよき手引犬として訓練され、指導されて、より大なる範囲に活用される事を、衷心より希望し、又それをなすべく與へられた課題を解くものであるとの自負のもとに、この稿をつづる。
次に述べる事柄は、犬との生活の記録的、然も随想的な部分である。

× ×

私は、先づ犬を操作しなければならない(訓練の詳細は後日に正確を期し度いと思つてゐるので、ここには、操作上の諸點と、注意すべき事柄の概略をしるして見たいと思ふ)。
現在、多くの誘導犬なるものは、主人はその犬と、ほぼ平行の位置を保つて歩行をするのが原則とされてゐる様である。
然し私は、さうではない。私は犬の後部に歩いてゐる。
委しく云ふなら、私の犬と、私の位置、間隔の関係は次の通りである。

犬の右斜後に、犬と一歩乃至半歩はなれて左手に、鎖を持つてゐる。
それが私と犬との歩行時に於ける、平常の場合の原則であり得る。
更に私は、悪路(凡ゆる場合の悪路を意味する)の場合には、この位置よりも、もつと犬と直線的な、関係を持続する。
それは誘導犬に對して、私の持つ疑問の故にでもある。
何故なら、犬は私に良い道を歩行させ自ら悪路を歩くであらうか。例へいかによりよく訓練されたとしても、總ての誘導犬なる犬がさうしてくれるであらうか、と云ふことである。
と最う一つの理由には、犬の後に歩行することは、前方からの障害物をどんな場合にも、さけ得ると云ふことである。

私は吹雪の道を歩行する。
横なぐりの風は、雪と云ふ感じよりも、更に荒れた粗大な不快さで私をたゝきつける。
私は犬の真後より歩く。
道はすでに失はれてしまつてゐる。犬は見事な嗅覚で、その失はれた道を見出しつつ敢然と歩いてくれる。
私はその後を歩けばよいのだ。更に強く吹雪けよと叫びたくなる位、私は満足と、光とを持つて歩行する。
突然、私の犬はその歩をゆるめた。
私も同様に、……犬は、吹きだまりに直面したのだ。
然しやはり歩く。
ゆつくりと、注意深く、私も進んで行く。
犬は浅い所、固い雪の面を選んで歩く。私は遂に困却を知らずに、その吹き溜りを通り得る。
更に又、四月、解雪期の道を、山に向つて私は散歩する。
四月の薫風は、北とは云へ真新しい生命の息吹を私の體一面に、やわらかい感触で吹きつける。
緑も、美しい様々の色彩と、ふくらみを持つてゐるに違ひない。
でも道は、雪解の水にぬかるんでゐる。
犬は私の注意を理解するのか、時折私を振りかへるらしい。
鎖の動きはそれを敏感に私に傳へる。
道は相當の傾斜である。水が流れてゐるのか、ちら〃とひそやかな音を立ててゐる。
溶雪期の雨に洗われた山道は、石が多く歩行は困難である。
然し犬はよく歩く。私は私で、その春をよろこびつゝ犬に引かれる。
犬との位置は犬の直後、前述の通りである。

北國の春はさすがにをそい。
然しそれは實に多種多様な色彩と光と影とを持つてゐる。
さわやかな南風に、私は歩を止めた。ふと冷え冷えとした空気と、急にかぐわしい香気とを感じた。
犬も止まつてゐる。
私はとある樹蔭に入つてゐるのを知つた。美しい影は地上に幻想を畫いてゐるだらう。
そして又、限りなき光と香気との交叉でもあるに違ひない。
私はそれを感受する。登りも下りも、何の不安もなしに私の散歩を私と犬とは終る。

× ×

石狩の沃野に夏の風が吹き通る頃、私は、驛の階段を登る。
一段、一段、左を行く。
犬も私より二段先を登る。
彼は極めてゆるやかに行く。引鎖は緊張もない。弛みもない。
適度に張られた感じである。
一段を行く毎にそれは、上下する。

私はそれを感じつつ、階段を意識外に、登行すればいいのだ。
犬は下る時、一寸止まつた。
然しそれは何も私の歩行に障害とはならなかつた。矢張り鎖に依つて下ることを私に傳へる。
鎖も同様に快的な、リズムに乗つて、汽車に走る。
旅行のたのしさは、私も犬も充分によく知つてゐる。

私の最近の四季は、かくて明るい希望で満ち〃てゐる。
青空を仰いで歩くのだ。
私等は實に前かがみに、地上のみを注意して来た。
今こそ皆んなで青空を、大気を、充分に享受しなければならない。

悪筆に、悩まされながらも私はこの希望にたたかれて、この一文を草した。
更に又、私は云ひ度い。
将来、私等の生活に、犬との関係を深めて行く事は、私らの健康と幸福とに大いなる光を投げかけるに違ひないと云ふことを。

最後に私は機會を得て上京、誘導犬訓練の状態を本格的に、研究して来たく思つてゐると同時に、犬の愛好者諸兄のよりよき協力を希望するものである。
私等と犬とに與へられた課題、それは多くある。
その一つ一つを私等は、たん念に理解して行かねばならない。

秋冷の加はる日毎、毎日を散歩に、通勤に、さては又向寒の小春日和をたのしみつつ冬への心配もなく、私は誰れ彼れとなく友人を訪問する事だらう。
日ざしはうららかに佳麗な山ひだの紅葉を心に見つつ、擱筆する次第である。

三上富雄「私の手引犬」より 昭和15年10月14日

当時の日本で、レトリヴァーはハンターが飼う程度の希少犬、シェパードは国家の役に立つ軍用適種犬。
それら高価な犬ではなく、経済的な問題から身近にいる犬種を使用した人もいたのです。
「盲導犬に適する品種は〇〇に決まっている」などという雑音がなかった盲導犬黎明期、使えるならば何でも使ってみようという前向きな思考が勝利や示路を生んだのでしょう。
三上さんにとって、示路はかけがえのない存在となりました。
専門家による正式な訓練を受けていなくても、この北海道犬は立派な盲導犬だったのです。

いつの日か、これら盲導日本犬たちの存在が知られるようになればいいですね。
彼等も、我が国の盲導犬史に記されるべき犬達なのですから。