京城支部觀賞會開催が取沙汰されて氣運頗る濃厚化してゐたが、朝鮮の冬は早い。今日の冷へ方では一寸躊躇するといつた具合で、來春展に力を入れる事になつたのだらう。これから當分冬眠となるのだから淋しい限りである。春四月今から支部展が待たれるのは獨りではあるまい。

正確なるS犬認識は六ケ敷い?特に迷はれるのは審査員によつて判定が違ふことだ。審査員會の充實と統一は刻下の急務である。JSV(※日本シェパード犬協会)とKV(※帝国軍用犬協会)との審査規格は相違があるのか否か。これはJSV犬だ、これはKV犬といつたやうに出陳者はJSVとKVには別々の入賞目的犬を必要とする。

S犬がJSV犬KV犬と全然別種であれば兎も角、國家的立前からしても一般愛好者を迷はさぬ判定を與へる爲にもJSVとKVの合体は勿論吾々愛好者に取つては無駄を除く點から言つても統制下國策的であることは否めないと思ふのだが、長い間何等か相容れぬものがあるとしても、時局を考慮して何等かの合体方法はないものか。KV誌にも書いたことがあるが、一部爲政者の感状的對立であると考へる向があるなら……、會員を犠牲にすることは酷だ。

根本方針に立脚すべきだ。JSVとKVではその規構の相違は吾々にも判る。會員各位もJSV會員であることを自負する。然し軍犬報國?の根本方針が同一であるなら、歩み寄るべきものがあるのではないのかと愚考する。馬鹿臭い、こんなことを考へるだけでも頭が痛くなる……。だが先決問題として審査員だけでもJSV、KVは統一さるべきであることは正確にS犬を認識せしめる唯一の方法で、從つてS犬向上は必然的だ。解らぬ奴は無駄を言ふナ、と言へばそれ迄だ。統制經濟下物資節約の折柄、全く無駄な事だが朝鮮だけでもそんなことにならぬものかナア……。

 

平壌在住 野生『無駄口漫談(昭和14年)』より

 
当初は仲良く運営していたJSVとKVの朝鮮支部も、結局は内地と同じく対立関係へと至ったようですね。
統治下のシェパード界が発展したことで、朝鮮半島からも続々と軍犬が出征。日本の戦争と運命を共にしていきました。
 
朝鮮半島犬界は、隣接する満洲国犬界とも盛んに交流しています。現在の吉林省や遼寧省では満洲軍用犬協会(MK)が活動しており、鴨緑江を隔てて日本犬界との中継エリアともなっていました。
その境界線も守っていたのもイヌでした。満朝国境地帯には満州国税関監視犬が張り付き、密輸業者や麻薬組織を取締っていたのです(それら満洲国の警備犬も、中国の青島公安局からノウハウを伝授されています)。
当時の北東アジア犬界は、広域ネットワークを介して発展を遂げたワケですね。
 
今回も、朝鮮半島犬界と日本犬界の交流について解説します。

帝國ノ犬達-国境
大量の記録がある満洲国側の税関監視犬に対し、朝鮮側の国境警備犬事情は不明です。写真はパトロールから帰還した朝鮮国境警備隊員を出迎えるシロ君。

【朝鮮シェパード界の内紛】
 
昭和7年、荒木貞夫陸相の仲介で、帝国軍用犬協会は母体である日本シェパード倶楽部(NSC)を合併。陸軍省の後押しで東洋最大の畜犬団体へと成長していきます。
この横暴に憤った日本シェパード倶楽部メンバーは、KVへの合流を拒否して日本シェパード犬研究会(NSK)を設立。臥薪嘗胆で反撃の機会を伺います。
 
東京本部がやらかしたクーデターにより、事情を理解できないNSC地域支部は次々とKV支部へ鞍替え。国内のNSC支部を手に入れたKVは、同時並行で朝鮮半島や台湾での勢力拡大もはかりました。
早くも昭和8年4月には朝鮮支部事務所をソウルの軍司令部内へ移設し、5月7日にはKV朝鮮支部を発会すると共に、支部第一回軍犬展覧會を開催。8月には朝鮮支部訓練所も落成しています。
昭和9年6月には光州分會、10月には元山および咸南分會が続々と設立され、11月には第二回訓練競技會、10年5月には第三回展覧會と事業規模を拡大。
そのまま内地の如く朝鮮半島を席巻……、とはいきませんでした。
 
発足から2年もたつと、KV朝鮮支部ではメンバーによる内紛が勃発。お付き合いで入会した幹部連中が、犬そっちのけで派閥争いに明け暮れていたのです。
この醜態に愛想を尽かし、脱会者が相次ぎました。
 
昭和九年五月、KV支部設立當時よりの役員辞任。京城研究會、NSC支部、KV支部設立迄一貫せる理想と邪道を相戒むる鐵則の許に、終始S犬の健實なる發展に貢献せるに不拘、支部長のプロ中心主義と、権力に集る無縁犬幹事日に〃數を増すに及び、遂に其の目的達成困難なるを察知し、同志の辞任を見るに至つた(ソウル・ケネル倶樂部 花房英一氏)
 
脱会者の横井、小笠原、杉浦、山田、常廣、千村、瀧口、谷岡、花房各氏は、犬界再建をはかる「ソウルの十人組」を自称しました。
「先にKV役員を辞任退會したる理想派を以て結成され、不言實行、軍犬報國の實を挙げんとする同志にて一切の宣傳を差控へ、己を空しくして目的を達成せんとする主旨なり」という方針のもと、昭和10年に「ソウル・ケネル倶樂部(SKC)」を設立。以降、内地の畜犬団体と連携をはかりつつ活動を開始しました。
 
軍部からも愛想を尽かされたKV朝鮮支部は、「昭和十年九月、KV支部事務所を軍部より府廳内に移轉す。遂に軍部の支持を失ひしKV支部は、軍部を追はれ筆者等の汗と熱で作つた訓練所を閉鎖せり (花房氏)」とあるように訓練所の閉鎖へ追い込まれます。
跡地は朝鮮軍および朝鮮総督府警務局が譲り受け、昭和10年11月に朝鮮警備犬鳩舎として再スタートしました。
 
犬
朝鮮半島で飼育されていた日本シェパード犬協会登録犬(昭和15年)
 
KV朝鮮支部が自滅していた頃、内地のNSKは突如として社団法人化。日本シェパード犬協会(JSV)へと発展解散します。
皇族出身の筑波藤麿を会長に据えるJSVには陸軍の威光も通用せず、KVとJSVの仁義なき抗争が勃発しました(この対立は、昭和30年代の日本警察犬協会と日本シェパード犬登録協会の和解まで続きます)。
 
ただの愛犬団体であるJSVが筑波藤麿と交渉できる筈がなく、その会長就任にあたっては皇族同士のよしみで久邇宮朝融王が仲介したと言われています。何でKVのボスである朝融王が敵団体を救ったのかといいますと、彼自身はもともとNSCメンバーであり、JSVにも旧友が多かったのです。
反撃を開始したJSVは朝鮮半島や満州国への進出を計画。しかしKV朝鮮支部はJSVと戦うどころではなく、自業自得による存亡の危機に立たされていました。

KV朝鮮支部の体たらくにより、朝鮮シェパード界の成長も阻害されます。SKCを現地視察したJSVの中島理事は、その停滞ぶりに厳しい評価を下しました。
 
京城のシエパードの優秀なものを數十匹見せて貰らいました。輸入犬(ドイツ産三才)二匹、牡のも拝見しました。JSV展に出陳したらどの程度に行くか少しの遠慮も入らぬから研究参考のために云ふて下されいとの皆さんの御要求を強要したので、撲られるのを覚悟で直感を話しました。
内地のJSV展なれば會場の入口で出陳を御断りします。一匹の輸入犬(ウツヅ系の牡)は確かにV賞級で種牡犬として優秀と思います。今一匹のエリツヒ系のインブリーデングは極度にエリツヒ系の長短を現はして居ります。
今日拝見しました大部分の犬は撲殺組です(半立チノ逃ゲ腰デ云ヒマシタ)。内地、即ち東京、大阪よりは五年半位遅れて居ります。牡犬の殆んどが牝に似て中性のものばかりです。そして後脚飛節が著しく惡く、従つて全身が型をなして居ませんでした。それの様に私の目に見へたのも無理はないです。私は自分の名犬を朝夕眺めて居ります。
又途中、大阪で一樂荘を訪ねてカール・ミユラー君(※在日ドイツ人。伯林シェパード犬協會の公認ハンドラー)東京に來られる一週間前、六月十日犬談をやりまして、クルド、オーデン、ドルフ、マーシヤ等々のを世界的の名犬を見、望月氏のオルパル、アンヒルデ、ゲラー、鈴木氏のクロチルデ、宮川氏のオヂンの後胎の牡牝チラ、チス、ホルカー、ベチナ等の優秀犬を滿喫しての直後ですから、多少、私の目の程度も違つて居た事と思ひます
 
黑狼荘(※中島氏のペンネーム)『ヨボーの國へ旅して(昭和9年)』より
 
内地犬界人の暴言に奮起するかと思いきや、ソウル犬界の反応はこのようなものでした。
 
中島氏歸京(※京城の意味)、皆様御集合の席上にて京城犬界の御報告有之候由其節京城のS犬は撲殺す可きもの多しと例の黑狼荘一流の辛辣な御批判恐れ入りて、憎らしきことに私共事實を素直に申されたる而己にて吾々としては一矢を酬ゆる元氣も無之候。

横井増治SKC会長よりの便り
 
ショボ~ン。
 
帝國ノ犬達-朝鮮
帝国軍用犬協会朝鮮支部第七回展(昭和14年4月9日)
 
【朝鮮シェパード界の再編】

さまざまな支障を乗り越えながら、朝鮮犬界は近代化へ邁進します。
昭和11年4月、JSVは朝鮮半島へ進出。SKC横井増治が会長兼務でJSVソウル支部を発足させ、外地での活動を開始します。
 
KVの内紛に困り果てていた日本陸軍は、SKCとJSVに立て直しを依頼しました。軍部および両団体は騒動の原因となったKV幹部を解任放逐し、横井支部長を送り込んで再スタートを図ります。
 
昭和十一年八月 KV支部事務所再移轉及支部長更迭。
支部長 齋藤久太郎
事務所 府内逢來町穀物組合内
昭和九年末より役員中の摩擦愈々深刻化し、プロを伴奏に何時絶ゆるとも計り難く、一般には其の存在を忘れられ、全鮮四百の會員に總會の通知を發行し乍ら、出席者僅に二、三名に過ぎざるの惨状を呈する事に成つた。
此處に至りて、一年間黙視せし軍部は其の浄化粛正に乗り出し、大乗的見地から各愛犬家の後援を求むる意味で、支部の顧問であるSKCの盟主、JSV支部長の横井氏並に筆者に處置に關する相談があつた(花房氏)
 
こうしてSKCがJSVとKVを統率するという、奇妙キテレツな構図が誕生しました。内地では仁義なきドッグファイトを繰り広げていた両者も、ソウルでは仲良く活動していたんですね。
とても信じられませんが、朝鮮シェパード史に記された事実なのです。
 
斯くて半島犬界は明朗となり、東京を始め各地に、或は雑誌の論壇に、其の不統制と非常道を喧傳さるゝKV、JSV合體問題も、獨り朝鮮に於てはKV、JSVの同一支部長、同一幹事で事實上合同實現し、犬界トラブルの素因を除きたるは、獨り半島犬界のみならず、全國に其の英斷の範を示せるものと信ず。
KV、JSV各本部の從來の行き懸りは別としても、今假りに全國各兩支部が事實上合同若しくはこれと同様の形態と成つた場合、本部は如何なる處置を取るか、識者の判斷に任す次第である。
 
花房英一『各地シエパード界(昭和12年)』より
 
不毛な抗争を回避できたことで、朝鮮シェパード界は急速に再興。諸団体を経由して、韓国人の愛犬家にも飼育訓練ノウハウが普及しました。
古くから鷹狩犬のノウハウを日本へ伝授していたように、朝鮮半島はもともと使役犬の訓練に長けた地域。
愛犬家の増加に伴い、優秀なハンドラーや犬ボーイ(飼育委託のアルバイト)の現地雇用も生まれています。


趙徳淳氏のシェパード(昭和13年)

【朝鮮半島の軍犬報国運動】

日本軍にとって、シェパードの飼育が普及した朝鮮半島は軍犬の一大調達地となっていきました。それに伴い、競技会や購買会も盛んとなります。
こちらは、昭和12年4月18日にソウルで開催された朝鮮支部第五回展の様子。南大門小学校の校庭が会場でした。
 
帝國ノ犬達-ソウル
出陳犬繋留所

帝國ノ犬達-ソウル
出番を待つ出陳犬たち

帝國ノ犬達-ソウル
同じく審査風景

朝鮮半島から出征した軍犬たちは、戦地でどのような運命を辿ったのでしょうか。武勇伝が盛んに報道された内地や台湾と違い、外地の愛犬家へ伝えられた記録は多くありません。

帝國ノ犬達-朝鮮第四回展
こちらもソウル南大門小学校にて、朝鮮支部展覧会入賞犬の記念撮影(昭和11年)

帝國ノ犬達-朝鮮第四回展
同展覧会にて、審査を受けるドーベルマン

帝國ノ犬達-朝鮮第四回展
同じくエアデールの審査中。
 
【朝鮮地域の犬皮利用】
 
統治下の朝鮮犬界について、近年紛糾しているのが「日帝による犬革の強奪問題」です。
珍島犬を天然記念物指定する一方、朝鮮総督府は野犬駆除や不要犬の買上げによる狂犬病対策に取り組んでいました。
これは狂犬病や野犬咬傷被害から地域住民を守るのが目的であり、日本本土における行政機関の畜犬取締と同じモノ。狂犬病対策史や畜犬行政史として語るべきテーマですが、韓国では「総督府が朝鮮在来犬の絶滅を図った」などという意味不明の陰謀論へと変貌しております。
 
イヤ、そんなことに国費を投じてどうする?そもそも珍島犬の天然記念物指定と話が矛盾しているだろう?という理屈は通用しません。
おそらく日帝憎しのあまり、朝鮮半島の狂犬病対策史や畜犬行政史への視点が遮断されているのでしょう。
近代犬界史において視野狭窄へ陥っているのは、偏狭な島国視点の日本側だけではないのです。
 
それでは野犬駆除や廃犬買上げをせず、狂犬病の蔓延を放置していたら?おそらく彼らは「総督府は狂犬病対策を怠って被害を拡大した!」と非難していたことでしょう。
総督府による害獣駆除が「日本人は朝鮮狼を絶滅へ追いやった」と非難される構図と同じですね(日本オオカミ史で書いたように、猟銃の所持規制が害獣の跋扈へ繋がり、「日本人がヌクテを放って家畜への被害を拡大させている」という流言飛語へ発展。抗日運動への飛び火を怖れた総督府が害獣駆除へ乗り出した裏事情とかもありました)。
 

感情論や歴史歪曲を排除し、史実のみを追ってみましょう。

内地では三味線(ほかに皮手袋やハンドバッグなど)の民需品としてリサイクルされていた駆除野犬の毛皮ですが、朝鮮半島では軍需原皮にも利用されていました。
昭和6年に陸軍被服本廠が調査したデータから引用してみます。
 
我が陸軍に於ても、主として茶色の犬毛皮を一部防寒被服の材料として茶褐色兎毛皮、或は羊毛皮の代用として利用してゐる。前述の諸條件(※毛量豊富、綿毛多、毛質柔軟、毛丈長、毛絡少、毛切無、脱毛無、革質強靭にして柔軟、革の汗腺少、軽量、毛色保護色、價格低廉、面積大)を具備して居る犬毛皮は、内地には殆んど産出なく、樺太、滿洲産は相當良品を産出するも、價格、品質等に於て稍不利なる點あるを以て、一般の需要に供せらるるは主として朝鮮産である。
朝鮮に於ける飼育數は約一七〇萬頭を算せられ、毛皮としての産額は一ヶ年約其の一〇%と称され、漸次増加の傾向にあり。主なる産地は平安北道、平安南道、江原道、咸鏡南道、同北道等にして、特に西北鮮地方のものは品質良好である。次に朝鮮産犬毛皮の産出及び輸出の状況を表示して参考とする(昭和六年調)

 

犬

陸軍被服本廠『犬皮の利用價値に就て(昭和9年 )』より
 

帝國ノ犬達-犬
昭和12年、日中戦争が勃発。皮革の最大輸出国である中国と交戦状態へ突入したことで、仏教的殺生観から皮革業界が小規模だった日本は深刻な軍需原皮不足に陥りました。
昭和13年、戦時物資統制をはかる商工省は「皮革配給統制規則」を制定。翌年の規則改正によって犬革も国家の管理下へおき、同時期から朝鮮半島での犬皮利用も拡大していきました。
 
長期戰下、犬皮は軍需用品として防寒具に加工される外、最近は牛皮の代用としてその効用を認められて來たので、慶北道では先づ道内三十六萬戸の農家を主體に「犬を飼ひませう」の標語をもつて畜犬の増殖に乗り出すこととなつたが、現在慶北の畜犬は約二十萬頭と推算される
 
京城日報(昭和13年)
 
満州産狗皮は欧米で代用毛皮(早い話が偽造キツネ毛皮の材料)として需要があったのに対し、朝鮮産犬皮は大部分が日本向け。よって、日本側が記録を提示すべきです。
朝鮮総督府が犬皮資源化事業へ乗り出したのは、物資不足が深刻化し始めた昭和18年のことでした。
総督府の一次史料がありますので、そのまま掲載しましょう(この史料すらも、日韓双方が己の主張に都合のよい部分だけ切り取り歪曲しているケースが散見されます。酷いものです)。
 
帝國ノ犬達-タイトル
本報告は鐘淵紡績株式會社の受託に係る林野皮毛鳥獸の増殖に關する試驗に關聯して、本場技師高木五六の調査せるものにして、朝鮮犬の改良及優良皮毛増殖上に資するところあるを以て茲に之を公にするものなり。
昭和十八年二月

朝鮮總督府林業試驗場長
林學博士 鏑木徳二
 
1.緒言
朝鮮固有犬は珍島犬、豊山犬として近年相次いで天然記念保護物に指定され、其の系統及優秀形質が廣く世に紹介された。朝鮮に於ては犬は夙に供食用とすて旺に飼養され、犬毛皮の價値は餘り認識されなかつたが、近年毛皮の需要激増し、特に軍需資源向としては更に其の増産が要望されて居る。然し毛皮の品質、純系の保存に關しては本質的に檢討攻究し、其の向上對策を講ずる要があり、之が爲には朝鮮犬に關する諸般の實状調査が肝要である。
本邦文は上述目的に對し調査試驗を了したものを上載した。因より尚殘された多くの重要事項がある。之等は其の完了を俟ち他日公表の機あるを信ず。
本調査試驗は林業試驗場長鏑木博士の渝らざる支持督励の下に行はれ、又鐘ケ淵紡績株式會社津田社長の科學に對する好意と理解ある支援に預る所が多く、本場嘱託梅谷博士も終始援助の勞を執られた。
尚、調査試驗實行上、朝鮮陸軍倉庫を始めとし、當該官署當務技術員諸氏、中川前朝鮮皮革會社々長及本場雇員永田鍵君等を煩したる點多く、李王職技師下郡山誠一氏は特に同所々蔵繪畫より貴重なる數點を選択撮影の上寄贈された。
茲に明記して深謝の意を表す。


帝國ノ犬達-犬毛皮
昭和18年の朝鮮総督府の犬毛皮資源化事業に伴って収集された犬皮サンプル。これは、駆除野犬と不要犬の買上げで調達する計画でした。

 
3.犬皮及犬毛皮の用途及將來
犬毛皮は從來大衆向衣料資源として主に米國其の他に相當多額の輸出を見た。其の綿毛の密なるものは保温力大きく外観狐毛皮に類似し強靭且安価な點は防寒其の他の實用向毛皮として優る。唯皮の過重が欠點とされて居る。
夏季屠殺の毛皮、南鮮温暖地域成育のものは比較的毛短く防寒に不適のため、寧ろ脱毛して牛ボツクスやキツトに代用される。然し此皮は強度弱、厚度薄、伸度大、収縮力少き等の欠點ありて牛豚革に比べ實用價値劣るも外觀キツト革の如く頗る美麗で現時皮革類不足の折柄、重要資源たるを失はぬ。
戰時下毛皮皮革の用途は頓に激増し、特に犬毛皮は航空用防寒被服資源として珍重され、其の増産に對する期待は時局下益々大を加へ、假令將來平時に復しても外貨獲得上の重要物資となり、平戰時を問はず正に國策的重要資源である。
犬皮及犬毛皮の用途は大體次の如し。

毛皮
軍需
・毛皮 外套裏地、航空服衣料、敷皮
・革 衣料部分品

民需
・毛皮 擬毛皮(灰色は狼、白色は白狐、赤褐は狐)、コートのトリミング、上服の裏地、防寒用胴着、外套裏地、防寒帽、ハタキ(尾を使用す)
・革 
靴裏皮、靴甲皮(牛ボツクス、キツト代用)、袋物用
 
帝國ノ犬達-4
 
繰り返しますが、朝鮮総督府の畜犬行政は「統治下における狂犬病対策」として論じるべきです(防疫を放置していたら、現状どころではない禍根を残したはず)。
しかし、その過程で得られた犬皮によって「外貨を獲得しよう」と欲をかいたのがマズかった。戦後になって「それ見た事か!総督府の目的は資源の搾取じゃないか!」と突っ込まれる訳です。
その感情論はこじれにコジレ、珍島犬保護策などを無視した「総督府が朝鮮在来犬の絶滅をはかった」説の発生へと至りました。
大切な犬界史の記録が、犬の知識がない門外漢によって抗日運動史のツールと化してしまったのです。
 
だって、日韓両国ともこの話で激昂しているのは狂犬病史や畜犬行政史を学んでいない人ばかりなんですよ。畜産防疫の知識があれば、「ああ、統治下の防疫体制もマトモだったのか」で終わる話ですし。
犬の分野に限定する場合でも、「日帝の陰謀」を掲げる以上は中央省庁の動きを軸とすべきなのです。家畜伝染病予防法(旧)を管轄する農商務省、そこから狂犬病対策の分離を画策してドタバタを演じた内務省、在来犬の天然記念物指定をすすめた文部省、シェパード普及活動を展開した陸軍省とか、朝鮮半島へ影響を及ぼした施策はイロイロありましたし。
家畜伝染病の拡大を防ぐため、日本海を挟んだ検疫体制の構築・維持にどれだけの労力が払われたのかも知らないのでしょう。
国力に直結する牛や馬や豚や羊の防疫は更に厳しく、近代日本の獣疫対策は相当なものでした。
 
帝國ノ犬達-第74聯隊

KV朝鮮支部咸南分會・六月二十二日、歩兵第七十四聯隊(咸鏡南道咸興駐屯)に軍犬二頭献納(昭和12年)

【光節後の韓国犬界】

戦争末期の朝鮮犬界についてはよく分かりません。敗戦時の混乱もあって、記録が少ないのです。

光節後の韓国では、KV対JSVの構図が再現されたという笑えない話もありました。JSV会員だった崔氏(朝鮮戦争後は韓国からアメリカへ移住)の証言をどうぞ。
 
小生等、昔JSV会員であつた数人が発起して創立せるKSK、高麗S犬研究会(一九四八年三月発起創立)の血統書のマークも小生の提案に依りOdainの頭(イヤ、顔)を採案したのであります。勿論内容は殆どJSVの血統書を模倣したものであります。
韓国にはこの他に、KKVなる昔のKVを小くしたような団体があります。
韓国戦乱には恰も昔のJSV、KVの存在の如く、合同問題も盛に論議された事もありますが、日本の犬界人士に学んだ我等だけあつてこれが亦止むを得ないものと存じますから、合同会議の席上でKV、JSV合同経過等小生の口から口角泡を飛ばす調子でした。笑つて下さい。皆犬狂のせいでしよう。
 
崔応浩「懐しいS犬の日本(昭和30年)」より
 
朝鮮戦争後の復興を経て韓国ペット界は隆盛。日本の愛犬団体も韓国の畜犬展覧会へ審査員を派遣するなど、日韓犬界は活発に交流していきました。
鉄のカーテンに閉ざされた北朝鮮犬界と違い、戦後も深い関係にあった日韓犬界。
そのような過去はいつしか忘れ去られ、後の世代はネットの普及と共に罵り合いを始めました。
珍島犬の話にしろ豊山犬の話にしろシェパードの話にしろ、日韓双方とも冷静に話し合う雰囲気ではありません。
彼らが欲しているのはケンカのネタであり、「日韓犬界史の編纂に貢献しよう」などというココロザシは欠片も無し。おそらく犬への興味や愛情すら無いのでしょう。
両国共通のテキストが存在しないため、あのように無知な外野の闖入を許してしまうのですよ。
北東アジア犬界史に必要なのは品性を疑うようなヘイトではなく、日韓の愛犬家による歴史の編纂です。近隣諸国ではなく欧米ばかり眺めている愛犬家にも、あまり期待はできませんけど。
 
Koreaからの消息に依りますと、去る五月二十日京城で全国畜犬綜合展覧会(今度新に創立された畜犬協会)が催される旨でしたから、御知らせ致します。
勿論ツマラナイ催しに過ぎませんが戦後、多くの犬と愛犬家を失つたKoreaの犬界のこと。我乍ら欣快と存する次第であります。
尚多くのS犬愛好家は日本から種犬を輸入したがつて居りますが(実際、是非とも輸入しなくてはならない状態です)、御存知の通り、日韓交渉渋滞の状態で差し当り絶望状態ですが、政治的変遷に従つて何時かは日本のS犬界の皆様にも接し得る時機が到来するものと存じます。その節はJSAの皆様の御援助の程今から御願い申し上ぐる次第です。
 
崔応浩「懐しいS犬の日本(昭和30年)」より