鴨緑江木材合同理事長。満洲軍用犬協会安東支部賽犬会の後援者でした。


帝國ノ犬達-八木元八副会長


私は軍犬支部の生立に對しては餘り關係も無いので能く判らない。
然し支部も漸次發展の域にあつたとは云へ、財政的には相當の苦難を通過して來たもので、軍犬後援會の發會と共に私に後援會長のお鉢が廻つて來た時等、相當に財政的に苦しみ續けてゐた様だ。
其の緩和策として、裕民彩票の販賣権を貰ひ之れから擧る利益を注ぎ込まふと目論んだのだが、當初の見當では之れからの利益金は千圓に大丈夫だらふと考へてゐたのが、案外少く精々四百圓程度に過ぎなかつた。

其後堀内一雄氏が安東省次長として來任され、軍犬飼育に銃後國民の最も手近な御奉公であり又急務でもあると云ふので、軍犬飼育熱の昂揚に多大の盡力を致された。
偶々セパードを競走せしめて見たらとの話が持上り、青木雄三郎君等が堀内次長に協力して惨憺たる苦心を拂つて略ぼ確信を得るに至り私の處へも相談があつた。
私は上海のグレーハウンド犬の競走は實際に看て知つて居り、若し此の犬を以て賽犬會を許可されたなら三十萬、四十萬の利益を擧げるには譯の無い事だと思つてゐたが、セパード犬の競走が果して可能であるかと云ふ點には全く自信も無ければ見聞も持たなかつた。

然し堀内次長始め關係各氏の熱烈な具現運動に動かされ、兎も角當局の認可を得て第一回を開催する事となつたが、之れが實現に對しては先づ第一に資金、第二に土地と云ふ事になり、四、五萬圓の資金は私が御引受けし、土地は當時の守備隊長の絶大なる好意で同隊練兵場の一部を御借りする事として、此の賽犬會は開幕されたのであつた。
然し始めは実に滑稽な程のもので、誰もこの状態を見ては今日の立派な賽犬態勢を整え得るものとは夢だに思つてゐなかつた。
全然未知數の賽犬に對して資金を投ずる等飛んでも無いとの説が多く、事實を申せば、全々同企畫は誰にも振り向もされぬたはけた事業の様に云はれて白眼視されてゐたものであつたが、回を重ねると共に先づ半島側に多大の反響を呼んで次々に成績も擧り、會の内部も拡充され参加軍犬も漸次増加して収益は開催毎に向上、捨てたと思つた私の投資も土付かずで戻つた様な次第で、私としても此の成績の意外さに驚かされてゐる。

然し今日の業績も要するに創始以來の關係者の偉大なる忍苦の結晶である事を忘れてはならない。而も軍犬協會安東支部の事業も賽犬による財源の湧出が軍犬界に多大の貢献を致してゐる事を銘記すべきであらふ。
其後安東の賽犬に全滿軍犬關係者に異常の反響を呼んで、間も無く奉天に賽犬會の開催を見、遼陽でも開始されると云ふ風に競馬と共に、生ける兵器としての軍犬熱昂揚は全滿に普及して來た。
何と云つても結構な事である。
獨逸にセパードを競走さしたと云ふ一例を聞いた外は、全々安東賽犬を以て世界最初の企畫として、私共は大變心強く思つてゐる。
賽犬開始後私が書いた賽犬會由來記にも、私の賽犬會観は或程度表現し得て居ると思ふ。

八木元八「白眼視された賽犬會の企畫(昭和20年)」より

賽犬會由來記

安東市軍犬協會支部が、其の事業發展に要する資金捻出の為め後援會を作り彩票売りの特権を得たが、其の所得は幾何にも上らず、せめて市民の飼育犬を數千頭程度に増さんとの企圖も尚ほ前途遼遠の感があつた。
そこで軍犬協會支部長たる省次長堀内氏は、競馬の向ふを張る賽犬會と云ふ奇想天外とも稱すべき甲案を出された。當初それにつき相談を受けた時、私は一應賛意は表したが、其の成否に就いては内心頗る危惧の念を持つた。
グレーハウンド犬による競走は世界到る處試驗済みで、私の如きも米國南部の各都市や以前の上海であの盛況を見て居るので、若し官憲が之を許せば滿洲で七十萬乃至百萬圓程度の投資で立派な營利事業を成立さす自信を持つて居るが、フレーハウンド犬の競走會は單なる娯樂的のもので、官の許可を得る見込みなく、軍用犬は其の性能から競馬の如く競走せす事は如何に之を訓練するも六ケ敷からうと思つた。
然るに堀内支部長は自信たつぷりで、訓練士を督励しては猛訓練を始めた。
グレーハウンド犬は兎の模型を電氣仕掛により先頭に走らせ、犬は之を逐ふて走りゴールインするのだが、軍犬の方は馴れ慕ふ飼育者の居る決勝點に向ひ走り來る快走競爭と、自轉車を以て牽く速歩耐久力競爭の二種を試みたのであるが、訓練二、三箇月、成績漸く見る可きものありと云ふので、支部長は地方有志を招待し練兵場を借りて試驗を行つた。
處が自轉車牽引の方は豫定の成績を示したが、傳令競爭と稱する四百ヤードの快走競爭は、數頭の犬がスタート點を放されて訓練士の居る決勝點に走り來る途中喧嘩を始めたり、小便をしたり、圏外に走り出たり、頗る御愛嬌を演じ觀客を哄笑せしめたが、兎に角もう少し練習させればものになるとの見込みが充分立つたので、軍犬協會安東支部長の主唱により軍犬協會支部の外郭團體として賽犬會なるものを作る事となつた。
而して支部長が、會長、市長と私が副會長に推され、其の他役員も夫々任命されて、茲に日滿(或は全世界)を通じ最初の試みである軍用犬を興行的に使用して、民間の軍犬熱を煽り其の増殖を促して、軍犬報國の實を擧げんとする安東賽犬會が誕生したのである。

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賽犬場としては軍の好意により練兵場一部の使用を許され、柵を作り事務所・犬券發賣所等を建て、勝犬投票等殆ど全部競馬の式を模倣し、賽犬會は其の口錢を収めて軍犬協會支部の事業に捧げんとするのだ。
それで問題はお客さんが集ふかどうかと云ふのだが、關係者の豫想は消極的の者おおく、千人か千五百人も來れば上々で、本年は宣傳時期とし、明年から經験をつみ改善を加へて市民大衆を引き付けるのだと云ふもあり、局外者は尚ほ悲觀的で、あれは駄目ですよと度々聞かされた。
然るに九月六日蓋を開けて見ると新聞の宣傳記事の功もあつたらうが來るは〃、練兵場付近は車馬絡繹場内は人の波で正午開場、二時頃には無慮一萬余の群衆が肩磨殻撃、數箇所の犬券福券發賣口は人波が殺到して、怪我人が出來さうな有様だ。

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私は競馬は素人で、内部經費の委曲なぞてんでこれを知らうともしなかつたが、賽犬會に關係し尸位素養の副會長でも其の肩書きにより此の種仕事の内部絡繰を知り新知識を得た。
犬券一枚一圓、福券五十錢を半日に三萬圓も賣り、拾回の勝負毎に手ツ取り早く計算して整理する事務員を如何して數日の内に賽犬會が養成したかと問うて見たら、何だ、此の種のチーム・ワークをする人員を備へて請負銀で其の仕事をする商店が滿洲にあり、之れを頼んで來たとの事であり、白衣雪袴の甲斐甲斐しき伊達姿で小窓口へ差し出す荒くれ男の拳を掴み、金を取つて票を握らせ押出す姫御前達も其の仲間である。
又訓練士の仕事も容易ではなく、軍犬を預つて各種の基礎訓練を仕込む外、賽犬として出場さす爲め、其の方の練習も行はねばならず、新たに成犬を預つて急に之れと馴染む爲めには、夜間同衾して寝る事もあると云ふ。

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賽犬會のお客さんは土地柄半島白衣の人が非常に多く、新義州から鴨緑江を渡つて來るもの夥しき數に上る。
九月二十六日中秋節の祭日の如き、十五分毎に出る渡しの機動船が滿員滿員で、二時間も埠頭に待たされたものもあつたと云ふ。

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出場犬三着迄は夫々賞金を與へられ、九月一日で優良犬は三百圓も稼いだものあり、地方愛犬家の熱を煽る効果百パーセントで、軍犬飼育希望者が俄かに増加し、軍犬協會支部では目下人を滿鮮各地に派し、成犬、幼犬の買収搬入に大童となつて居る。
賽犬會の由來及び繁昌記仍て如件(安東にて)。

「滿蒙(昭和16年)」より