「日本人は犬の攻撃に對し最も危險なる状態に置かれて居る。何となれば衣服が犬の攻撃に對し極めて危險であるからである。
洋服はその點餘程樂である。犬が噛んでも容易に牙が肉に達しない。
ところが日本人は殆んど素肌であるから、犬の攻撃を受けると、直に牙が触れる。こんな危險な事はない。
それにも拘はらず、野犬がうよ〃として居り、畜犬が此中に伍して放畜されて居る。餘りに犬の害に對して無關心なるに驚かざるを得ない。單に狂犬病だけでない。野犬に伍して放畜してあるために、折角の畜犬も、臺なしになつてしまふ。
いろんな病氣をうつされる。ルンペン犬の種は宿される。そうした結果野犬の數は殖えるばかりだ。
いくら野犬狩をやつたところが根本が解決されて居ないから、野犬狩の効果は薄い。徒らに野犬狩りの殘酷さを非難されるのみだ。
僕はなぜ政府當局が徹底的に畜犬上の取締りをしないのかを想ふのである」
日本シェパード倶楽部理事 中根榮(昭和9年)

犬
日本人道會『飼犬と罰金(昭和2年)』より

【狂犬病対策の流れ】

宗教家や在日外国人が先導してきた日本の動物愛護運動は、公的機関による畜犬行政とともに歩んできました。
犬に関して言えば、愛犬精神の啓発と狂犬病対策はセットになっていたのです。
明治26年の長崎県狂犬病大流行を機に、パスツール式予防注射が導入されました。人体実験に等しい強行策でしたが、これによって狂犬病予防が実現化します。
これと同時に、国家も狂犬病対策に着手。
農商務省が主管する家畜伝染病予防法の中から、農林省への再編とともに狂犬病対策は内務省へ移管され、警察の畜犬行政と統合されます。
畜犬行政を管轄する警察は、検査や予防にあたる獣医界、野犬を捕獲する駆除業者とタッグを組み、狂犬病撲滅に取り組みました。
飼育登録・畜犬税納入・狂犬病予防注射を警察で済ませた個体が「畜犬(ペット)」として公認され、それ以外は「野犬」として駆除する防疫システムが完成したのです(駆除された野犬は実験動物として研究機関へ払い下げられるか、皮革業界で遺骸を三味線皮へと加工するリサイクルシステムも確立されました)。

しかし警察力をもってしても狂犬病の撲滅には至らず、日中戦争の勃発で防疫体制も破綻。
戦後になって厚生省が狂犬病予防法を制定(昭和25年)したことにより、畜犬行政や狂犬病対策は警察から保健所へ引き継がれ、昭和30年代になって狂犬病の撲滅に成功しました。
東京オリンピック開催を機に、日本のペット界も「国際基準」を目指します。後は、飼い主がマナーを守りさえすれば、日本人と犬は安心して暮らせるようになったのでした。
以上は、私が生れる前のお話し。

私が子供の頃には野犬の姿も消えており、野犬駆除について知ったのは小学校の図書室で読んだ『兎の眼(灰谷健次郎著)』が最初でした。冒頭のカエル真っ二つ事件で小谷先生がゲロを吐く衝撃展開よりも、針金の輪に首をひっかけられた野犬が舌を噛み千切る描写に震え上がったことを覚えています。

現実世界の不要犬問題に直面したのは、社会に出てからのこと。前職をリストラされて産廃業界に身を置いていた頃、犬猫をゴミのように扱う老若男女に出会いました。
作業員の隙をついて、まだ生きている老犬をパッカー車(ゴミ収集車のことね)の圧縮装置へ放り込もうとした人。
保健所と間違えてか産廃会社へペットの殺処分を頼んでくる人。
多頭飼育の餌代に困窮して「飲食店の残飯を分けてくれないか」と頼んでくる人。
こちらも営業スマイルでお引き取りを願うワケですが、その頃から可愛いワンコが満載のペット雑誌を敬遠するようになった記憶があります。
いくら飾り立てても、日本がペット後進国である現実に変わりはないのですから。

日本の動物愛護意識は低すぎる。殺処分ゼロのためにも欧米を見倣うべきだ!
……という意見はご尤も。私もそう思います。
しかし、多くの人が誤解しているのも事実。現代日本の殺処分方法は「欧米を見倣って」導入された制度なのです。「野蛮極まりない街頭での撲殺処分」を改善した結果が、「欧米のような炭酸ガス式の安楽死処分」でした。
今回は、無責任な愛犬家たちに翻弄されてきた行政側の苦闘を取り上げましょう。

【行政と野犬駆除】

犬の愛護において、最大の争点となっているのが「行政による不要犬の殺処分」。ペットを棄てる飼主ではなく、その殺処分を押し付けられた行政側が批判されるという謎展開になっております。
殺処分ゼロを目指す自治体は多いものの、無責任な飼主による捨て犬の根絶はとても困難です。
戦前・戦中の畜犬行政は更に深刻な問題を抱えていました。捨て犬や放し飼いの横行によって、全国津々浦々で野犬が繁殖しまくっていたのです。
野犬群を介して狂犬病が蔓延し、その脅威から人命を守るため、行政機関は大々的な野犬駆除を展開しました。

幕末の開国により、近代国家への道を歩み始めた明治日本。西洋的な動物愛護精神が持ち込まれた一方、江戸時代までは高嶺の花だった洋犬が庶民のペットと化したことで、無責任な飼主も激増しました。
当時の飼育マナーの悪さについては、明治初期に槇村京都府知事が怒りをぶちまけております↓

帝國ノ犬達-畜犬取締
京都府令書明治8年9月番外32號より

このようにして邏卒(後の警察官)による畜犬取締、畜犬登録や狂犬病豫防注射の義務化、鑑札の携帯や繋留飼育といったマナー教育が行政機関によって指導されるようになりました。
それでも改まらないので、お役所側は畜犬税の徴収による飼犬頭数抑制策を強行。反発する愛犬家とハンターは、大正元年に大規模集会を開いてこれに対抗しました。
日本犬界のネットワークは、「ハンターによる猟犬飼育訓練法の情報共有」「警察の取締りから逃れる闘犬家の非合法組織化」「行政に対する犬税反対運動」という分野でスタートしたのです。
愛犬団体が生まれるのは、明治後期から大正時代のこと。地域間でネットワーク化されたのは昭和に入ってからです。最初はナカナカ殺伐としていたんですねえ。

「愛犬家は、よく野犬狩りについて不平を並べる。犬取りが鑑札をつけておいたにも拘はらず、犬を連れて行つたと言ふのである。
成る程鑑札のついて居る犬を、連れて行くのは不法である。敢然としてその不法を攻むべきであるが、飼犬を無闇矢鱈に戸外へ出して置くのもよろしくない事である。
僕は假令(たとえ)飼犬と雖も、決して戸外に放畜すべからずとの、畜犬規則の規定を希望するものである。かくして飼犬の放逐を嚴禁する。そうして片ツ端から野犬を驅逐する時において、初めて日本の犬害に對する安全と言ふものを期待しうる。
愛犬家を以て自任する僕に此言のある事を以て、甚だ不可解なりと言ふ人があらう。僕もそれは覺悟して居る。併し徒らに犬を殺戮するのでない。今日の状態をもつてしては、根本的に野犬を撲殺してしまふより、外に途がないのである。
即ち犬と人との間の危險状態を全く除却して、犬と人との親和を全からしめんがために、此説を爲すものである。
野犬がかあいそうだなどゝ言ふ愛犬家は、犬を盲愛し、動物愛を安賣りするものであつて、僕らとは大分生き方が違ふ(中根榮)」

野犬駆除業者側にもイロイロ問題がありまして、取締ノルマ達成のためペットを盗む、警察の威光をバックに強奪まがいの駆除をする、犬を見逃す代わりに金品を要求する、私有地へ侵入して犬を捕獲する等といったトラブルが多発していました。
下記の苦情はその一例。

「それにしても我が國で良き犬を作るとか、平易に飼育するとかで、最も愛犬家を惱ますものは〇〇〇と謂ふ存在と畜犬税とである。
最近の出來事である。
A區に於て届けを済ませ、訓練飼育の都合上B區にて飼育して居り、偶々運動に引出した時(此時は訓練用の首輪をかけ)路傍にて〇〇〇君に出逢ひし處、飼ひ主が引綱をつけて歩いてゐるにも拘らず、突然自分の持つてゐた綱を首にかけ、無法にも引去らうといふのだ。何故ときけば畜犬票が附いてゐないからだと。
譯を話し、家に來て貰ひたいと懇願せしも承知せず、果ては大聲にて、どなり散す等の醜態、事を分けても解らない様子に、警察にでも行くより仕方なしといへば、俺達も商賣だ。そんな事をしてゐては金にならないといふのであつた。余りうるさいので其の者も、それではと包金を出せば「有難う、いつ届けてもゐゝよ」と言ひ置いて歸つたといふ。
之は單に最近の一例ではあるが、甚だしきは畜犬票の附いてゐる犬でさへ捕へ、畜犬票の始末をし、ぶる〃と慄く仔犬、或は親犬等を箱の中に(此の頃はリヤーカーに箱を載せたものもあり)叩き込み、泣き叫ぶを尻目に車を引いて行くのである。
犬もさり乍ら、それ等を見せつけられる街の子供等の童心を傷付け、動物愛護せよとの永い間の訓教も、一朝一時にして裏切られ、健全な吾等の愛犬を、病犬、皮膚病犬、家無き廃犬と同一の箱の中に、それも叩き込む不人情さを、吾々の子供の時代より見せられ來つた。
今にして目を閉ぢて子供時代を思ひ返して見るに、あの子供時代から云はれて來た〇〇〇(本當はかう云ふ名ではないのだが、吾々子供の時より云ひ馴らされて來たので、甚だ不當かも解らないが)の姿が判然と浮び、殘忍性なその行爲に戰慄を覚えるのである。
而も尚ほ今日現在に於ても同一の姿(少しは服装に進歩の點あるやも知れぬが)其の頃と少しも變らない殘忍さを今亦、昭和の今日の子供等に見せ付け、子供等の口をして「あつ、〇〇〇が來た」などゝ恐怖心を呼び起し、童心の動物愛護心に一大シヨツクを與へてゐるのである。
それも世に害のある犬としてなら、例へば野良の病犬とか、狂犬病とか、或は飼主の責任なき飼育に依るものとかは、子供等に語り聞かせるにしても正しい道を教示し得らるるも、健全な、而も飼主の堂々とある犬を、盗むが如く連れ去り、惨忍さを敢て平然となすといふ、其の存在を一日も早く吾等の世界から、いや日本の狭い視野から放逐して貰ひ度いと強く希ふものである。
又第二の問題として畜犬税であるが(いつの時代から畜犬に税を課せられたか判明しない私ですが)、何が故に犬に税を課せられるのか、鳥や猫や他の動物を除いて犬丈けがどうして課税せられるのか。
市が赤字だからといつて、其の他の名義を付けてなどして、犬などから税を取らずとも何とか方法もあらうものを。
再び言ふ。
犬などから税金を徴収せずとも、、まして國家非常時の時、軍隊を支援し國の爲めに尊い犠牲となり、家庭にあつては、家族を保護し、家を護り、一朝事ある時は一身を挺し忠實に、立派に勞役犬として立ち働く、輝かしき國家の勇者に税を課せずとも、堂々と市の財源を豊かになし得るゝ他の方法も有る事と思ふのである」
扇町御『街に起つた事から(昭和11年)』より

この乱暴極まりない野犬狩りも、動物愛護意識の高まりと共に変化しています。
警視庁による事例をどうぞ。

警視廳獣醫課 伊東壽主任警部

こゝで一つ犬に對する警視廳の心持の變遷を現はしたいと思ひます。年を追つて動物愛護的になつたことは、この野犬捕獲ポスターですが、始めの方のは昭和 六、七年及び八年二月のポスターで、これ等は野犬撲滅のために、野犬は買ひ上げるといふ、それ丈けの意味が現はれてゐます。

狂犬病
警視廳の野犬買上げポスター。昭和六年のもの。野犬廃犬の買上げを強調した。

伊東
次いで首輪のない犬は捕るといふポスターで、まだ野犬は捕獲するといふいやな意味が強いが、これが九年のポスターになると、野犬捕獲には違ひないが、飼犬 は保護するといふ意味になつて來て、飼犬は繋留せよ、本當の野犬だけ捕りたいといふことになつて、大分軟かく出てゐます。

狂犬病
警視廳の野犬買上げポスター
昭和八年のもの。まだ買上げに主力を置いてゐる。

狂犬病
警視廳の野犬買上げポスター
昭和九年のもの。買上げ期間の家庭犬保護に及んでゐる。

伊東
それが最後の今年ポスターになると、畜犬票を下げた飼ひ犬は繋げ、良い犬を保護するため惡い犬を始末するといふ意味になつて、野犬捕獲の方が附属的になつて來ました。

狂犬病
警視廳の野犬買上げポスター
昭和十年のもの。家庭犬の保護を強調してゐる。

伊東
私共は愛犬擁護の反面として、かういふ仕事をするのであつて、豫防注射も、繋留も決してないがしろにして頂きたくない。
今述べた所でもお分りの通り、警視廳としても、皆さんの主旨に添ひたい氣持になつて來たことは、汲んで頂きたいと思ひます。
今年から狂犬病豫防注射も獸醫師會と協定して醫師の注射は從來の半額、即ち一圓といふことになりましたから、豫防の効果も相當擧るでせう。今後は愛護團體 の方々にも同じ時季に何か名案の提出をお願ひし、協同的に仕事を行ふことが出來たらと思ひますが、一つ何かお考へ置きを願ひたいと思ひます。
白木正光記者
愛護團體と警視廳と一つタイアツプしたらどうですか。
日本人道會金子登理事
更めて警視廳へ上りたいと思ひます。
『動物愛護家と犬を語る(昭和10年)』より

警察を動かしたのは、宗教家や在日外国人が牽引していた動物愛護団体でした。
従来の街頭での撲殺方式は残酷であるとして、動物愛護会の廣井達太郎らは駆除方式の転換を警視庁へ直訴。更に、在留外国人からも安楽死措置の提唱がなされます。
東京オリンピック誘致活動を機に、「訪日する外国人に対して恥かしい」と野犬駆除の改善もはかられました。

「併し、僕も警視廳がやつて居る、野犬狩りの方法に對しては、大に異論がある。數年前に在つては、犬を棍棒をもつて撲殺したものだ。如何にも惨忍な方法を、子供らの見て居る前で、堂々とやつてのけたものだ。あの撲殺方法がどんなに東京人に殺伐感を植付けたかわからぬ。
世界中最も惨忍であると言はれる支那人、露西亜人ですら、やり得ない事が、文明國を以て誇るわが日本の帝都において、平氣で行はれて居たのである。果然これに對してはいろんな方面より攻撃が起つた。
警視廳もその非を悟つて、今はもうあの棍棒撲殺法は取らず、針金で犬の頸を引つかけて、それをトラツクの中に打ち込み、、それをどこかへ連れて行つて、殺してしまふ事にした。前のよりは餘程改善されたが、併し依然として犬の命をとるのに撲殺方法をとつて居るとの事である。
それは惨酷である。
嘗つて日本に居た米國大使館附武官バーネツト大佐夫人が、犬の撲殺は餘りに氣の毒であるとして、英國のドツグス・ホームで使用して居る、麻酔ガスによる犬の致命室を、警視廳に寄附したことがある。
之を使用すると犬は樂に死ぬ。併し之を設備するには大分金がかかる。そのためにか、折角の建策も實行されずに居る。金の要る事であるから、如何に良策であるとて、直に之を實行する事も困難であらう。しかし、漸次之に近接する方法をとる様にして貰い度い。
野犬が絶滅し、犬の放畜が禁止されたら、犬により受ける危険は、絶對にないと言つていい。ここに初めて愛犬家の理想郷が出來るわけである(中根榮)」

行政側も無策だったわけではなく、戦時中ですら多大な費用や人員を投入して去勢手術補助や不要犬の里親探しなどに取り組んでいます。
太平洋戦争突入前年の記録をどうぞ。

警視廳の去勢奨励
「警視廳では數年前より年額五千圓の豫算を計上して畜犬の去勢を奬勵してゐるが、今年もこの程各愛犬家庭に對し蕃殖犬以外の畜犬にも去勢を薦めるビラを配布した。希望者は警察に届ければ追つて牡犬は無料で手術を行ひ、牝犬の手術には一週間内外の入院を要するので、東京府獸醫師會の賛助を得てその費用は警視廳が八割、他は家畜病院の負担として行ふこととなつて居る(昭和15年)」

やがて戦局が悪化すると、動物愛護どころではなくなってしまいます。
皮革の最大輸出国であった中国と戦争をはじめたことで、仏教的殺生観から皮革業界の発展が遅れた日本は深刻な供給不足に見舞われました。
軍需皮革の確保を急ぐ商工省は、「皮革配給統制規則」により犬革(三味線用)の統制をスタート。
戦時食糧難の到来を予測した農林省も、「ペットに回す飼料はない。駄犬は毛皮にすべき」と主張。
「贅沢は敵だ!」を標語に掲げる国民精神総動員運動により、一般市民の間にも「この非常時にペットを飼うのは贅沢である」という同調圧力が蔓延。
こうして、日本人と犬は敵対関係へと陥りました。野犬は「安楽死させてやる対象」ではなく、単なる皮革資源へと格下げ。
改善がはかられつつあった殺処分方法も昔へ逆戻りしたらしく、現場を視察した動物愛護会が警視庁へ抗議したこともありました。
戦前に警視廳へ寄贈された炭酸ガスチャンバーは、ランニングコストの面から稼働に至っていません。戦時の去勢手術も「動物虐待では?」「自然の姿のまま飼うべき」などと異論が出て、東京府以外では広まらなかった様です。

この状況が改善されたのは戦後のこと。日本における残酷な野犬撲殺処分を海外メディアが報じ、大騒動となったことがキッカケでした。
欧米からの批判を受けて導入された炭酸ガスによる窒息死処分方法は、現在の主流となっています。 つまり、「欧米を見倣え」と批判される安楽死措置は、日本の畜犬行政が欧米を見倣ってきた結果なのです。
結局、我が国が変化するには「黒船来航」が必要なのでしょう。

動物愛護史とは、カワイイ動物を愛でてきた歴史ではありません。
悲惨な動物虐待行為への対処、無責任極まりない飼主へのマナー啓発、そういった連中を生み出さないための児童への情操教育、去勢手術や里親マーケットの展開、多大な税金と警察力を投入した野犬の駆除、狂犬病との死闘。
それら140年間の積み重ねが、日本の動物愛護史なのです。