「昨朝六時頃淺草橋場町へ黒白斑の一疋の牡犬現はれ山谷町吉野町聖天横町辺を荒れ廻るさまは物凄く、通行人は皆之を見て逃出し付近の者は各自に得物を携へ打て掛れば、牙齒を鳴らして向ひ來る恐ろしさに逡巡し只あれよ〃と騒ぎ居るうち、橋場町七十四番地齋藤仙吉の二女おしげ(十三)の右の股に咬みつきしを始め、同町百二十六番地西川折蔵の次男春吉(六つ)の右の腕、同町百三十五番地關口廣吉四女おつね(七つ)の左肩先、玉姫町百九番地木村米吉の妻おつる(三十九)の右の乳下に咬つき、何れも重輕傷を負はせしより一層の騒ぎとなり、之を聞付けたる警官及憲兵は現場に馳付け來りて狂犬狩をなし、住民と共に數ヶ所に手分けして追廻しが、十一時半頃終に吉野町十六番地先に於て警官の洋刀にて打殺したるが、擦れ切れたる頸輪に林順三と幽かに飼主の名前記しありし由にて、警視廳より獸醫出張して解剖中なり」
東京朝日新聞より(明治38年)

昔の日本では、狂犬が現れる度にこのような騒動が起きていました。
通報で出動する警官も、嚙まれたら感染するので命がけです。ただの暴れ犬なのか、狂犬病感染犬なのかは外見から区別し難いので、殺処分した該当犬の脳の成分を医療機関で実験動物に注射。そのうえで感染しているか否かを判定していました(この措置は世界共通)。
どこかへ咬傷犬が逃げてしまった場合、脳が入手できないので感染の診断も不可能。噛まれた被害者は発症の恐怖におびえながら何年も過ごすことになります。
パスツール式予防注射が普及した明治30年代以降も、犠牲者は続出しました。

以上が、「狂犬病が存在する国」の日常。
狂犬病撲滅に成功した戦後日本で、このような地獄絵図は「忘れられた過去」となったのです。

犬
戦前の狂犬病予防ポスター。前回掲載した京都府ポスターの派生型です。

犬
犬のイラストは、鑑札のデザインだけ変えた使い回しですね。

犬
驚いたのは、不要なペットを警察署へ持っていったら、買上げ代金以外に抽選で賞金が貰えたこと。
狂犬病への恐怖は、当局をなりふり構わない防疫措置へ走らせたのでしょう。

で、この抽選制度が招いた結果も残されていました。

「京都府下の奥丹各警察では、抽選券附野犬買上げを始め、撲殺隊が血眼で大活動を演じたが、こゝに面白い金儲けが現はれた。
加悦谷地方に野犬の大腹犬を探し廻つて、自宅へ連れ歸り、出産迄の一時飼ひをして生れるのを待ち兼ね、生れたばかりの乳飲子と生母を一度に、六匹位警察へ持参し、一圓數十錢に抽選券を頂戴して歸るといふ、不況時代の珍先端金儲けが大流行とある」

「世はさまざま(昭和7年)」より

穴だらけのお役所仕事に対し、この手のクズ野郎様が現れるのもお約束。それを「面白い」と書いてしまう倫理観の低さも素敵ですね。
狂犬病は、こうして無用な犠牲まで生み出してしまったのです。

犬
儲かってよかったですね。


【明治の狂犬病史】

それから幕末の開国へ至り、日本には海外から多数の洋犬が輸入されるようになります。
比例するように狂犬病の発生も激増し、行政当局は感染源の野犬駆除に多大な労力を払うこととなりました。
江戸期と較べて交通網が発達した明治時代、狂犬病感染を食い止めるのは至難の業。ある町で発症が終息したと思ったら隣町へ飛び火するイタチごっこが繰り返しされす。
函館に上陸した一頭の感染犬のため、北海道全域へ狂犬病が広がったこともありました。
狂犬の首輪に記された住所から、感染犬が長距離を移動して汚染範囲を広げている実態も判明します。

「例ヘバ埼玉縣下ノ如キ被害地ノ多クハ府下(※東京府)ニ接スル入間郡、北足立郡、南埼玉郡、北葛飾郡ニシテ、就中府下トノ交通頻繁ナル直接關係ヲ有スル 町村ニ被害甚ダシカリシハ、正シク該病犬ガ府下ヨリ逸走シテ數里乃至數十里ニ跨リ惨害ヲ逞フセルニ由ルヤ明カニシテ、斃死又ハ撲殺後其頸輪ニ附着セル鑑札 又ハ名札ニヨリテ證明シ得タル所ナリ」
田中丸治平『狂犬病説(大正6年)』より

一旦発症すれば現代医学を以てしても治療法は無く、ほぼ100%死亡する狂犬病。
日本人がこの病への対抗策を手に入れたのは、明治時代のことです。
明治26年、長崎県における狂犬病大流行に対し、県側による封じ込め作戦はことごとく失敗。発生地域の犬をすべて殺処分しても、感染は周辺地域へ野火のように広がっていきました。
狂犬病の初期診断と発症時の対応が如何に困難か、そして狂犬病の症状がどんなに恐ろしいものか。
その惨状について、当時の記録より引用(一部を伏字にしております)。

【長崎での狂犬病大流行】

昨二十七年一月以來再び狂犬病を犬に發生し、長崎縣北高來郡及長崎市等に多數の咬傷患者を生ぜたり。
仝年七月長崎市に於ては猫に同病を発し人を咬傷したるを以て直ちに之を撲殺して其腦を取り之より家兎に試植せしに、整然たる狂犬病の症状を發生して遂に之を倒すに到れり(猫の狂犬病實験)。
然れども幸に長崎市に在りては他に蔓延を致さざりしに仝年八月廿六日同縣高來郡南串山村に一狂犬を現出して人を咬傷し、遂に發病して死に至らしめ、爾来同郡内に稍々蔓延の徴を呈し同八月より本年一月下旬に至るまで巳に十七人(實際届出に係る者)の咬傷患者を生じ、其中六人を斃すに至れり。
其人を咬傷せし狂犬は皆遁逸して之を撲殺せざりしを以て果して狂犬病毒に由る者なるや否を試驗し能はざりしに、昨年十二月二十四日南高來郡東有家村に一狂犬を出し二人を咬傷せり。
然るに被害者の一人は幸に棍棒を携へ居り之を撲殺したるを以て、長崎縣警察部に諮り同村の獸醫に命じ之を解剖して消毒せる里 設林(※グリセリン)中に其腦及び脊髄を固封して之を長崎に送致せしめ、撲殺后二十七日を經て其腦及脊髄より六頭の兎に試植したりしに、其五頭は皆善く病 毒に感染發病し(撲殺后廿七日を經たる狂犬腦尚ほ毒質を有し狂犬病たる一定の症状を起して十四日乃至十八日の間に斃死し(接種より時日平均十六日間なり) 他の一頭は移植法の不十分なる點ありしため健全發病を免れたり。
尚ほ余は獸醫の狂犬にた関する剖檢報告を閲するに、果して眞正の狂犬病たる解剖上所見を證明するを得たり。即ち左に之を記す)

病犬屍體診案書
一牡犬 毛色灰白色
右者剖檢するに主として血液ハ暗赤色濃厚爹兒状にして流動す。胃を功開して之を檢すれば、食物を容れずして唯砂石、獸毛等を見る。
是等の物體は尚ほ食道にも存せり。
又胃粘膜は一般に充血し、殊に充血は胃の幽門部に於て著し。腸は空虚にして唯粘液を含有し、肝臓、脾臓、腸間膜は甚しく充血し、脾臓は特に腫大す。尚ほ是等の臓器には血斑を見る。
呼吸器系統に於ては肺及び氣管に充血せり。咽頭食道の粘膜も著しく充血を呈せり。
斯の如き剖檢上所見の外に生前人を咬傷したるを以て考察すれば、狂犬病なるものと及診案候也。
長崎縣南高來郡西有家村
明治廿八年一月十二日 獸醫 佐藤生馬

又南高來郡島原町に於て狂犬の咬傷を受けたる患者にして其後狂犬病を發して特異の症状を起し、遂に斃れたる者あり。
他の同病に罹り斃れたる者よりも其症状一層著明なる所あるを以て即ち主任醫より報告せる診斷書を左に掲ぐ。

診斷書
長崎縣南高来郡島原村 〇〇政吉 年齢五十一年
右者明治廿七年十二月二十四日頃狂犬より右上眼瞼及び下腿骨下端の後端を咬傷せられたり。
其際は狂犬なるや否やを確と認定するに由なきを以て普通創傷療法を施したるに、二週間許にして咬傷部は癒えたり。
其後一週間餘を經過し突然往診を乞ふに由り之を診察するに、食慾欠亡、頭痛、心下苦悶、頸筋に痙攣あり渇すれども飲する能ハず。
又時々〇〇状となり家屋外に馳出て自殺を企つる等の事ありたり。然れども間歇時には精神は常に復し只心下苦悶等の諸症を訴ふるのみ。
之に依りて恐らくは三週間以前犬の咬傷を蒙りたるに原因したる疾患ならんと診考し、飲水を命じたるに少も嚥下するを得ずして直ちに之を噴出せり。
其后は飲水を命ずるも之を忌避し眼球突出状となり實に恐るべき顔貌を顕はして狂躁す。
此の如き發作日々増進し、固形滋養品と雖も更に嚥下する能はざると數日なるを以て非常なる虚脱に陥り二十八年一月十七日午後六時、遂に鬼籍に上る。
右の諸症状に由り全く恐水病と診斷候也。
長崎縣南高来郡島原村 明治廿八年一月三十日 醫 小國貞」
醫學士栗本東明 述「狂犬病毒動物試驗及人體注射治療成績(明治28年)』より

【パスツール式狂犬病予防ワクチンの導入】

続出する犠牲者を前に、長崎医学専門学校の栗本氏が予てから準備していたパスツール氏式予防注射法に踏み切ったのが明治28年のこと。
25名の咬傷被害者に対して強行された日本初の狂犬病予防注射は、絶大な成果を挙げました。

狂犬病毒動物試驗及人體注射治療成績

第一、本病流行の來歴
余は一昨年明治廿六年三月長崎縣長崎市に狂犬病を發生せし以來、本病の病毒を研究して人體注射治療を施さんことを企圖し、獸醫學部病理學教室前助手手峰守太郎、前助手河野清及助手岡本貞次郎の三氏を介補として廿六年三月より始て、本病の研究に着手せり。
當時恰も長崎市内に本病の流行を始めたるを以て、撲殺したる狂犬の腦及び脊髄を取り、之を頭蓋腔内に注入して病毒感染の如何を試みたるに、試驗兎二十三頭 中其十八頭は皆能く感染發病し、一定の症状を發し、注射後十日と廿三時間半乃至二十八日と十一時三十五分の間に斃死するを實驗せり。
依て佛國パストー(※パスツール)法に依り狂犬の咬傷を受けたる人體に狂犬病注射治療を施さんことを計畫して其準備に着手せしも、此試驗中多數の時日を消 費し注射準備の略完了するに至りし頃は已に狂犬を撲殺し盡して、復た咬傷患者を生せざるに至り、二十六年中には遂に注射治療を實行するの機會を得るに至ら ざりし。

然るに昨二十七年一月以来、再び狂犬病を犬に發生し、長崎縣北高來郡及長崎市等に多數の咬傷患者を生じたり。
仝年七月、長崎市に於ては猫に同病を發し、人を咬傷したるを以て直ちに之を撲殺して其腦を取り、之より家兎に試植せしに整然たる狂犬病の症状を發生して遂に之を倒すに至れり(猫の狂犬病試驗)。
然れども幸に長崎市に在りては他に蔓延を致さゞりしに、仝年八月廿六日同縣高來郡南串山村に一狂犬を現出して人を咬傷し、遂に發病して死に至らしめ、爾来 同郡内に稍々蔓延の徴を呈し、同八月より本年一月下旬に至るまで已に十七人(實際届出に係る者)の咬傷患者を生じ、其中六人を斃すに至れり。
其人を咬傷せし狂犬は皆遁逸して、之を撲殺せざりしを以て果して狂犬病毒に由る者なるや否やを試驗し能はざりしに、昨年十二月二十四日、南高來郡東有家村に一狂犬を出し、二人を咬傷せり。

然るに被害者の一人は幸に棍棒を携へ居り、之を撲殺したるを以て長崎縣警察部に諮り同村の獸醫に命じ之を解剖して消毒せる倔里設林(※グリセリン)中に其 腦及び脊髄を固封して之を長崎に送致せしめ、撲殺后二十七日を経て其腦及脊髄より六頭の兎に試植したりしに、其五頭は皆善く病毒に感染發病し、撲殺后廿七 日を経たる狂犬腦尚ほ毒質を有し、狂犬病たる一定の症状を起して十四日乃至十八日の間に斃死し(接種より時日平均十六日間なり)、他の一頭は移植法の不十 分なる點ありしため健全發病を免れたり。
尚ほ余は獸醫の狂犬に関する剖檢報告を閲するに、果して眞正の狂犬病たる解剖上所見を證明するを得たり。
即ち左に之を記す。

病犬屍體診案書
(省略)

狂犬咬傷患者注射實驗成績

去年十月の官報に依れば、第五高等學校教授醫學士栗本東明君の實驗に係る狂犬病咬傷患者に對する治療の成績は左の如しと云ふ。

余は昨二十九年四月以來本年三月三十一日に至るまで、狂犬病咬傷患者總數二十一人に余の實驗せる注射治療を施行したる成績を左に示す。

治療總人員 二一
治療完結後發病の疑ある者 一

右の如く治療患者二十一人内、治療完結後の發病者は皆無にして、即ち百聞比例に改算すれば百人の治療患者に對して零なりとす。
然れども疑ある者一人あり。其患者は治療完結後歸郷に際し、其途中病死したる者にして、其罹病時に於ける症状は只該患者と同行せる一人(醫にあらざる)の之を目撃したるのみ。随て其病状の要領を得る能はざりし。
殊に該患者は其歸途大に不摂生を極めしと云ふ。之に由りて考ふれば、或は是等不摂生の爲に或る他の疾病を誘発して斃れたる者にあらざる乎。然れども亦真に狂犬病を發したる者にあらずと斷言する能はず。
今仮に本患者にして真に狂犬病を發したる者とすれば、治療總人員二十一に對す一人の發病にして是を百分比例に改算すれば、四人七六二弱の發病者を生したるの割合と為るなり。

今前記二十一人の治療患者の國籍及縣別を挙ぐ。
左の如し。

長崎縣人 一六人
大分縣人 一人
露西亜人 二人
福岡縣人 二人
合計 二十一人

其他上記患者の外治療中止の者三人あり。是れ皆患者事故の爲め治療を完結し能はざりし者なり。
又一昨二十八年一月、即ち余が注射治療施行の當初より本年三月三十一日に至るまでの治療總人員は八十三人にして、其中發病者二人及發病の疑ある者一人なり。
即ち左の如し。

治療總人員 八三人
治療完結後發病の疑ある者 一人
治療完結後發病したる者 二人

今右發病の疑ある者一人を真の發病と看做すときは治療總人員八十三人に對する發病者は三人にして、是を百分比例に改算すれば、三人六二六強の發病者を生じたるの割合と爲るなり。
又余が最初本病の研究に從事してより以来、今日に至る迄の間に於て試驗用及治療用として消費したる家兎の總數は六百二十二頭にして就中昨二十九年四月一日より本年三月一日に至るまでの間に費したる數は二百七十頭なりとす。
其他明治廿六年四月二十一日、即ち余が本病の研究を始めたる時より本年三月三十一日に至るまでの間に於て各地より得たる狂犬病の疑ある犬腦及猫腦の數左の如し。

犬腦 二〇頭
猫腦 三頭

右廿頭の犬腦及三頭の猫腦は悉く之を家兎に接種して狂犬病毒の有無を試驗せしに、左の如き成績を得たり。

狂犬病毒含有の者
犬腦 一〇
猫腦 二
狂犬病毒を含有せざりし者
犬腦 一〇
猫腦 一

尚ほ昨廿九年四月一日より本年三月三十一日に至る間に於て試驗したる犬腦の數は三頭なりしが、孰れも狂犬病を含有せざりし。

茲に一言すべき事あり。
即ち前年中の二人の露國人來りて余が注射治療を乞ひしこと是なり。
右二人は西伯利「ブラゴウェスチュンスク」府に住し、一人は同地方裁判所判事アレキサンドロフ及他は同地商人イワノフにして、共に同一狂犬に咬傷せられ、 本邦に來りて治療を受けんと倉皇浦潮斯徳港に出て、本邦貿易事務官に就き其紹介状を請受け上京の目的を以て長崎に來りたる者なり。
然るに長崎に著し露國領事館に於て、東京には狂犬病の治療所なく唯長崎に於て余が該治療を施すのみなるを初て聞知し、遂に余に治療を乞ふに至りし者なり。

上記の外、本年四月以降治療を完結せし患者數は五人にして、目下治療中の者本邦人四人、露國軍人二人あり。
其詳細は他日更に申報すべし。

(備考)
狂犬病毒動物試驗及人體注射治療成績と題し、一昨廿八年八月十二、十三、十四の三日間、學事の部に分載せし醫學士栗本東明の研究に係る該報告は、其病毒試驗豫防法及治法に関し詳述せる者なり。
故に今之を附記し、以て参照の便に資す。

第五高等中學校教授嘱託長長崎病院内科醫長 栗本東明述 『狂犬咬傷患者注射實験成績(明治30年)』より

パスツールが没したこの年は、日本狂犬病史にとって大きな転換点となりました。
以降、畜犬取締規則の制定によって犬の飼育者には畜犬登録や畜犬税の納付、犬への狂犬病予防注射が義務付けられ、警察や業者による野犬駆除活動、行政や獣医師による幅広い啓蒙活動が展開されます。

(その3へ続く)