2010年からの一年間で、『さよなら、アルマ~赤紙をもらった犬~』や『犬の消えた日』といった戦時犬界のドラマが放映されました。
今回とりあげるのは、双方の作品に登場した謎の文書「犬の赤紙」のお話です。
「戦時中、民間の犬にも赤紙が来た」と主張する人はたくさんいます。しかし彼らは「犬の赤紙」の現物や、文書の正式名称や、どこの公的機関が発行したのかを一切説明しません。不思議ですね。

「犬の赤紙」などは存在せず、「購買軍犬制度」「寄贈軍犬制度」「預託軍犬制度」という軍犬調達システムであった、というのが私の見解。
手許にある「陸軍省の軍犬購買」や「商工省の犬革統制」などに関する史料をもとに、「犬の赤紙」の正体を検証してみましょう。
※これまでも、当ブログ宛てに「犬の赤紙を知らないか」とのご質問をいただくことが何度もありました。個別にお答えするのも大変なので、回答はこちらへ集約します。

犬
こちらは軍部による民間シェパード調達の一例。昭和16年に栃木県で開催された軍犬購買会への参加申込書で、準備期間中に帝国軍用犬協会関北支部が作成した雛型です。
文面にある飼主の「希望價格(売値)」と軍の「購買價格(買値)」が折り合わない場合、売買は不成立。もちろん、犬の出征もナシです。

ところで、犬の赤紙って何なんですかね?
「犬の赤紙」「国家と犬」を連呼する人に限って、中央省庁ごとの犬の施策を知らない傾向があります。理解していないが故に、「国家」「軍部」という曖昧なイメージで誤魔化しているのでしょう。

中央省庁の施策といえば、陸軍省の「軍犬報国運動(シェパード繁殖)」、農林省の猟犬報国運動(猟友会への野獣毛皮献納要請)と野犬皮革統制、商工省の皮革配給統制規則(軍需皮革不足を補うための犬革統制)、内務省と厚生省による狂犬病対策くらいですか。
陸軍省の軍犬購買規定にそれらしき文書は明記されておらず、現存しているのも軍需省(旧商工省)が地方行政機関へ通達した犬革統制の文書だけです。

ちなみに私の見解は、「軍犬調達の原則である購買軍犬制度における文書は売買契約書のみ」「預託軍犬制度や寄贈軍犬制度をとっていた一部の陸軍師団、カラフト犬や秋田犬を配備した一部の部隊が召集令状を独自発行したケースがあったかもしれない」というもの。
「購買軍犬」とは、軍犬購買会における体格や資質の審査を経て軍部と飼主が犬の売買契約を結ぶ調達方式のこと。当然ながら軍犬購買会の文書が存在します。
「預託軍犬」とは、購買軍犬を元の飼主宅へ預けておき、必要な場合に召集をかける調達方式。「赤紙」が存在するかもしれないケースです。
「寄贈軍犬」とは、篤志家が無償で愛犬を寄贈する方式のこと。売買契約書がないため、寄附手続きにおける何かしらの受領文書が存在したと思われます。

皆さんが言うところの「犬の赤紙」とは、以上のどれに該当するのでしょうか?軍犬購買会の売買契約書なの?預託軍犬の召集令状なの?寄贈軍犬の手続き文書なの?
その前提条件から明確にすべきなのです。

帝國ノ犬達-出征記念
千葉県にて、出征する板寺さんを見送る愛犬たち(昭和12年)
 
軍犬の出征に関するハナシは

一、「軍部が犬の赤紙を発行し、民間のペットを強制動員した」
二、「帝国軍用犬協会を介した、軍と飼い主との売買契約および寄贈である」
三、「軍が民間へ飼育預託した在郷軍犬の動員」

などと、さまざまな説が唱えられています。

一はよく見かける巷の通説。
二は『犬の消えた日』の前半でアルフとフリッツが出征したときのケース。
三は『さよなら、アルマ』の舞台設定ですね。

そもそもアレですよ。どうして皆さん「赤紙ありき」で話を進めたがるの?
犬の出征については、当時の記録を比較検討し「軍犬調達システムはこうであった」と結論を出せばよいだけでしょう?
赤紙が存在しないと困ることでもあるんですか?
戦時批判のため、衆目を集めるアイテムが欲しいだけではないのですか?
たかが犬の話といえど、それは歴史を歪曲する行為なのです。

一次史料を調べていないなら、「犬の赤紙があった」などとウソをつかずに「分からない」と書けばよいでしょう。
「犬の赤紙」を論じている人々は、東洋の島国でジャーマン・シェパードが大量飼育されていた経緯を解説できるのでしょうか?資源母体の状況すら把握せずに、調達システムの何が分かるのですか?
大正期のシェパード来日、揺籃期における青島シェパードドッグ倶楽部や上海デニーケンネルの影響、満州事変以前から民間ペット界でシェパードが大流行していた事実、軍犬報国運動の始まり、ドイツ犬界と日本犬界の交流。
日本軍の軍犬調達システムは、それらの資源母体たる民間ペット界を土台に成立しました。「犬の赤紙」の証明には、供給側の民間ペット界」「購買仲介窓口の帝国軍用犬協会」「需要側の軍部」の関係性を明確にする必要があるのです。

犬の銃後史の曖昧さを判別するリトマス試験紙が「犬の赤紙」であるならば、その正体を追うことで矛盾点を浮き彫りにできる筈。
赤紙探しは言い出した側にお任せして、私は赤紙論への反証をしていきます。二つを比較すれば、見えてくるモノもあるでしょう。

【犬の赤紙論に見られる曖昧さ】

「戦時中の飼い犬には赤紙が来て、軍に供出させられたのだ!」という主張は、すべてが間違いではありません。
民間の馬や犬が軍部に調達され、戦地へ投入されたのは歴史的事実。
「だから、犬の召集令状が存在したのかも」と推測するのは当然でしょう。あくまで推測としては。
ただし「犬の赤紙が存在したのだ!」と断言する場合、「人間の赤紙」を基本に下記のアレコレを明確にする必要があります。

で、その「犬の赤紙」って何なの?
正式名称は?書式は?文書の実物もしくは画像はどこにあるの?
ご自身が存在を確認した上で「在る」と主張されている訳ですよね?
だったら示せるはずです。
それを発行した公的組織はどこ?陸軍省なの?陸軍の師団や旅団や連隊なの?地方公共団体なの?社団法人帝国軍用犬協会なの?
その文書はどのようなルートで何県何市何町何番地の誰ソレさんが飼っている何種の何歳の犬に届けられたの?
誰がどうやって、個人の詳細なペット情報を全国規模で把握していたの?

「犬の赤紙論者」のだれ一人として、上記を説明した者はいません。不思議ですね。
説明しないのか、できないのか。そもそも自分は確認していないけれど、ネット上の誰かがそう言っているから史実に違いない。……程度の論拠では困ります。
繰り返しますが、「犬の召集令状」とは何なのでしょうか?

曖昧なままだと混乱するので
1.「犬の赤紙」について定義する。
2.軍犬の調達はどのように行われたのか、戦時中の一次史料で検証する。
3.「犬の赤紙論」と一次史料の相違点は何か。
4.混乱の要因を排除する。
5.結論
と、いう流れでハナシを整理していきましょう。

1.そもそも「犬の赤紙」って何なの?

ハナシの原点から漠然としているので、「犬の赤紙とは何か?」というトコロから始めますね。
ニンゲンでいう「赤紙」とは、徴兵制度による兵役経験者(民間人)に、軍部が出した召集令状のこと。
だとすれば、「犬の赤紙」とは民間で飼育されていた軍用適合犬種(シェパード、ドーベルマン、エアデール)の召集令状になりますか。

しかし前述の如く、その実物が提示されたことは一切ありません。
彼らが提示する証拠品とやらは、「軍犬の召集令状」ではなく、「ペットの毛皮供出」を警察署が呼びかける隣組回覧板ばかり。
「陸軍省による軍犬調達」と「商工省・農林省による戦時犬皮統制」は別物です。この時点でハナシが混乱しているんですね。

2.戦時中の史料で確認してみる

犬の赤紙について、まずは2つの仮説に分けましょう。

A.「軍犬の出征=軍部による民間ペットの強制動員」とする場合、「赤紙=在郷軍用犬の召集令状」のことです。
B.「軍犬の出征=帝国軍用犬協会の仲介による、軍部と飼主の売買契約」とする場合、「召集令状ではなく購買関係書類」となります。

赤紙論者はA、私はBの立場で話を進めますね。
お互い証拠を提示し合うのが筋なので、まずは私が所有している軍犬購買関連文書を御覧ください。他にもいっぱいあるので、当ブログの「犬の文書」欄に掲載しておきました(大部分ボロボロですけど)。

帝國ノ犬達-軍犬購買
こちらが正式に配布された軍犬購買会への参加申し込み書。社団法人帝国軍用犬協会を介した軍と飼主の売買手続に関する書類であり、一方的な「召集令状」ではありません。

これら軍犬購買に関する文書が、「軍部と飼主の売買契約であった説」の根拠です。
赤紙論者側は「軍犬の召集令状」の現物を見せてください。史料を比較しないと、話が進みません。

・軍犬の出征ってどういう仕組みだったの?

結論から述べると、こんな感じでした。

帝國ノ犬達-軍犬購買


・調達方式
購買および寄贈

・管轄の省庁
陸軍省兵務局馬政課が指導し、陸軍の各師団が帝国軍用犬協会登録犬を購買調達(海軍は軍需部が日本シェパード犬協会より購買)

・仲介窓口
在郷軍用犬登録団体の社団法人帝国軍用犬協会が軍犬購買会を仲介し、協会犬籍簿(KZ)登録犬の出陳を会員へ要請。ナチスドイツにはRDH(獨逸畜犬連盟)、アメリカにもD4D(ドッグ・フォー・ディフェンス)という同種の仲介組織が存在しました。

・飼主
要請を受けた帝国軍用犬協会員が、軍犬購買会へ愛犬を出陳。審査合格犬を軍購買官と売却交渉し、購買成立の場合は所管が軍へ移行します(いわゆる出征)。

・調達対象
帝国軍用犬協会犬籍簿登録のシェパード、ドーベルマン、エアデール。

というのが、軍犬調達の原則です。
帝国軍用犬協会などという社団法人をわざわざ設立したのは、民間の適種犬をリストアップし、軍部と飼育者を繋ぐ「登録・仲介窓口」が必要だったからです。
軍犬購買会の記録は昭和8年~19年度分が大量に蓄積されているので、根拠のない妄想なんかカンタンに突き崩せるんですよ。

・軍馬徴発の場合は?

日本の軍用動物といえば、軍馬も民間から調達されていました。
満州事変以降の戦線拡大により、軍の保管馬は払底。不足分の補充手段として、民間馬の徴発が行われたのです。
「軍馬の出征」の場合、陸軍の馬匹徴発委員會が馬匹徴発書を発行し、地域の畜産家へ通知されていました。

帝國ノ犬達-馬匹徴発
盧溝橋事件の翌月あたりから、馬匹徴発が拡大していった様です。

御覧の通り、馬匹徴発は金銭による買上げ方式。
ただし、「村社会の圧力によって愛馬の供出を強要された」証言は幾らでも残されています。犬の赤紙論者も、その辺をヒントに切り込めばよいかと思います。

其の他、馬の徴発文書を幾つかどうぞ。

帝國ノ犬達-馬匹徴発
地域の農村に対する馬匹徴発の段取りは、自治体を通しておこなわれました。

帝國ノ犬達-馬匹徴発
各地の郷土史には、このような集合場所まで「遠路はるばる泊りがけで愛馬を連れて行った(馬を徴発された後は徒歩帰宅)」という証言が残されていたりします。

帝國ノ犬達-馬匹徴発
軍馬の徴発も、騎兵隊の「乗馬」、輜重隊の「駄馬(駄載運搬用)」、砲兵隊の「輓馬(輓曳運搬用)」に分けられていたんですね。
手あたり次第の徴発ではなく、部隊からの要求が反映されていたことを示す興味深い資料です。

帝國ノ犬達-馬匹徴発

画像でわかるとおり、民間所有馬の徴発にも準備や手続きや人員や場所や旅費や購買代金の確保(いずれも公費)が必要でした。少なからぬ国費を使う以上、口頭ではなく文書で手続きしていた訳です。
それは軍用犬の調達も同じこと。
だから、軍犬出征の実態を調べる上で「犬の赤紙」の正体はとても重要なのです。

3.「犬の赤紙論」と一次史料の相違点

軍犬の調達は、
「シェパードを買いたい軍部」「仲介窓口としての帝国軍用犬協会」「犬を売りたい飼主」
という構図における、金銭による「犬の購買」と篤志家による「犬の寄贈」が原則であったというのが私の見解です。
「犬の育成予算も人手も足りない軍部」が、「訓練済みの民間ペット」を「資源母体の枯渇」を避けながら、「長期にわたり大量調達」する手段。それこそが購買調達制度でした。
強奪なんかしていたら、誰もシェパードを飼わなくなります。資源母体が枯渇すれば、日本軍犬班は成り立ちません。
「15年間も続いた戦争の間、軍用犬の調達数が維持されていた理由」を念頭に置くべきなのです。
調べた限り、陸軍の軍犬調達規定には購買関係の項目しか見つかりません。一部の部隊による民間への預託軍犬制度も、これを基盤に成り立っていました。

対する赤紙論者は
「軍部による民間犬の動員制度」「民間犬の徴兵・召集システム」「愛犬を強奪される飼主」
について証明してください。
戦時中に民間への軍犬預託制度などがあり、赤紙を発行することで動員をかけていた。その仮定を実証するための「犬の召集令状(実物)」が必要なのです。

軍犬の強制動員システムに関しては、加えて下記の点を説明しなければなりません。
・社団法人帝国軍用犬協会の存在理由は?軍部がペット登録簿を把握しているなら、仲介組織は要らない筈。
・「軍犬購買会」の開催理由は?強奪するなら、購買会や価格交渉も不要ですよ。
・預託軍犬制度の場合、その犬はどこからどうやって「調達」されたの?元を辿れば購買でしょう?

4.混同の原因

ハナシが混乱している原因は何だろう?と思ってイロイロな主張に目を通したのですが、概ね下記のような理由でしょうか。

原因その1・戦時犬皮統制との混同
軍犬出征とならぶペット戦時供出として、ペットの毛皮献納運動があります。
仏教的殺生観が根強かった日本で、皮革業界の発展は遅れていました。輸入革で需給を補っていたのですが、日中戦争によって、日本は皮革資源の最大輸出国であった中国と交戦状態に突入。
軍需用皮革の確保を急ぐ商工省は、昭和13年に「皮革配給統制規則」を施行します。当初は牛、馬、羊、鯨の皮だけでしたが、翌年には規則を改正して犬の加工革も統制対象に含めました。
昭和15年には、戦時食糧難の到来を予測した農林省も商工省に追随。「役に立たない駄犬は毛皮にすべき」と提唱します。
こうして、三味線用の民需品だった犬革は国家が管理する軍需資源と化しました。
「贅沢は敵だ」を標語とする国民精神総動員運動で耐乏生活を強いられる一般市民の間でも、「この非常時に、ペットを飼うのは贅沢だ」という同調圧力が高まります。

犬
商工省による犬革(加工革)の買上げ価格表。皮革業界で流通する犬革の統制をはかったものですが、商工省の定める価格が安過ぎて大量の原皮が闇市場へ流出する結果となってしまいました。
犬革の横流しを阻止するため、商工省は警察の野犬駆除へ介入して原皮確保を画策するようになります。
運の悪いことに、畜犬行政を管轄する警察には民間ペットの飼育登録リストも保管されていました。「ついでにペットも毛皮にしてしまえ」と官僚が発案する下地が整ってしまったのです。

昭和16年の太平洋戦争突入以降、家畜の減少、畜産家の出征、不当に低い皮革公定買取価格が連鎖し、皮革不足は深刻化。
商工省が軍需省へ改編された頃、皮革統制も更に強化されました(皮革業界・皮革製品業界・鞣し加工剤業界、皮革統制会社を傘下におく統制機関「皮革統制会」も発足)。
毛皮増産のため、昭和19年秋に厚生省と軍需省はペットの毛皮資源化に踏み切ります。両省の通達を受けた全国の知事はペットの毛皮供出を命令(供出の基準は各地バラバラ)。
そして、多数のペットが殺戮されました。

この「皮革統制に関する議論」も、赤紙論に匹敵する混迷状態を呈しております。
中には軍需省と陸軍省を混同したのか、「軍の命令だった」「軍隊が犬猫を殺して回った」などという珍説も見かけますが、当然ながら畜犬行政は軍部の管轄外。
現在は保健所が担っている飼育登録、野犬駆除、狂犬病対策といった畜犬行政は、狂犬病予防法が施行される昭和25年まで警察の管轄でした。
この地域警察による野犬駆除システムを流用し、ペット献納運動は実施されたのです。

このペット毛皮献納についても整理が必要です。
「商工省・農林省による皮革統制」→「中央省庁から知事へのペット供出指導」→「各府県警察部の監督下によるペット殺処分」→「製革業界による犬皮加工」→「皮革販売業界による犬革集荷」→「皮革統制会社による犬皮配給」→「軍部による消費」
という流れを把握しましょう。
世の中は社会的分業で成り立っているのですから。

原因その2・「犬の特攻隊」との混同
このような混乱を生み出した原因のひとつが、「八王子文書(仮称)」です。
今川勲著『犬の現代史』によって知られるようになったコレ↓は「犬の赤紙(召集令状)」ではありません。前述の「警察署がペットの毛皮供出(商工省の犬皮統制)を要請した回覧板」です。
※この混乱は今川氏の責任ではなく、掲載画像の文面をよく確認しない読者の早トチリが原因です。

帝國ノ犬達-犬の特攻隊
八王子文書の実物(2008年撮影)

誤解を招いたのが、八王子文書の画像にある「犬の特別攻撃隊を作つて敵に体當りさせて立派な忠犬にしてやりませう」という供出促進のアオリ文句です。
しかし文書の最後に「八王子警察署」と記されている通り、これは警察署のペット殺処分通達書類。当然ながら、八王子警察署が軍部の特攻作戦に関与することはできません。
「犬は重要な軍需品として立派に御役に立ちます」とある通り、八王子の哀れなペットたちは殺処分の上で皮を剥がされました。
その毛皮は、もしかしたら特攻隊員の飛行服に加工されたのかも、……などと考えている人は少数で、大抵の論者は「犬の特別攻撃隊=ソビエト軍の対戦車自爆犬」みたいなイメージを描いているのでしょう。

帝國ノ犬達-地雷犬
ソ連軍の対戦車自爆犬とその失敗について報じる記事(昭和16年)

未訓練のペットに爆薬を背負わせて敵の戦車へ突撃させたところで、「獨軍(ドイツ軍)の銃聲に脅えた犬は逃げ歸りソ聯兵(ソビエト兵)にじやれつくため、却つて味方陣地で爆發して多數の死傷者を出した」という上掲記事の結果に終わることはソ連軍が実証済み。その顛末は日本でも報道されたため、軍部も自爆犬には興味を示していません。

ソビエト軍の自爆犬と八王子文書を結び付けて日本軍の話へ脳内変換する人も散見されますが、さすがにバルバロッサ作戦と八王子警察署は無関係でしょう。
どうしても「犬の特攻隊」について語りたければ、きちんと調べていただかないと困ります。
ちゃんと存在したんだから。
八王子文書とは全く関係ない分野で、本土決戦に備えた「犬の特別攻撃隊」は編成されていました。

それこそが国防犬隊。ボランティア組織の「KV義勇軍犬隊」をルーツとする、民間の義勇部隊です。
ただし、国防犬隊は帝国軍用犬協会メンバーで編成されており、参加するシェパードも基礎訓練済みの個体ばかり。
無秩序にかき集められた八王子のペットは参加できません。

犬
全国の会員へ国防犬隊参加を呼びかけた帝国軍用犬協会は、直後に活動を停止。戦争末期に愛犬団体が活動を続けていた北陸や九州では、実際に国防犬隊が編成されています(昭和19年11月)

戦時の鳩界では「国防鳩隊」を早期から発足、多くの民間愛鳩家が参加していました(昭和17年9月)

硫黄島が陥落し、沖縄に米軍が迫りつつあった昭和20年3月。来るべき本土決戦に備え、民間人を動員した「國民義勇部隊」が編成されます。やがてこれは「國民義勇戦闘隊」へと発展しました。
「國防犬隊」が登場したのは一足早く、昭和19年末のこと。国民義勇戦闘隊と同じく、陸軍の作戦を支援する民間ボランティア組織でした。
「軍用犬の供出者」であった筈の帝国軍用犬協会メンバーは、いつの間にか愛犬もろとも郷土防衛部隊の一員にされていたのです。

もしも本土決戦に突入していれば、圧倒的火力をもって上陸してくる米軍に対し、国防犬隊は一瞬で蹴散らされたことでしょう。訓練を受けたシェパードとはいえ、所詮は単なるペットの寄せ集めですし。
事実、熾烈な沖縄地上戦で地元犬界は壊滅。生き残った民間シェパードはたった一頭でした。

犬
第一次上海事変における爆弾三勇士の報道以降、我が国では自爆攻撃を美化する風潮が高まりました。日中開戦のニュースで興奮したのか、愛犬に自爆訓練を施す飼主も現れます。
画像はダイナマイトに見立てた発煙筒を運ばされる、フクラク園犬舎の國華號。煙幕展開のため同様の研究をしていた日本軍と比べて、一般市民の方が過激だったという一例です(昭和13年)

国防犬隊が担うのは、伝令や警戒といった陸軍部隊のサポート業務でした。
しかし米軍の攻勢を前に、破れかぶれの自爆攻撃が行われるであろうことは容易に想像できます。南方の戦線では、神風特攻隊のパイロットや刺突爆雷を抱えた兵士が自爆攻撃を強いられていた時期ですから。
兵士にソレをやらせる前に、「犬による対戦車戦」を試みる部隊があってもおかしくない極限状況でした。
敗戦により、その悲劇は回避された訳ですが。

この国防犬隊に「犬の赤紙」があったのかどうか、入隊届しか現存していないので詳細は不明。興味がある人は調べてみてください。

原因その3・フィクションと現実の混同
犬の戦時供出をテーマにした小説やドラマが、混乱に輪をかけている部分もあります。
『ボクちゃんが泣いた日』のように、帝国軍用犬協会メンバーへの取材をもとに軍犬購買事情を描いた作品は、残念ながら少数派。
大人の事情を知らない児童(当時)の回想を中心とした『犬の消えた日』は、「愛犬を軍に差し出した」さよ子の父が、「軍からフリッツたちの売却代金を受け取る場面」を描いていません。
小学生のさよ子は仕方ないとしても、『さよなら、アルマ』の朝日奈太一は全て承知の上でアルマを軍用犬候補試験に参加させ、勝手に軍へ売り払ったあげく飼主に責められて満洲へ逃亡しております(太一は「アルマを取り返す」とか言ってますけど、他人様の犬を軍部へ売った犯人はお前だろうと)。
これらの作品が金銭授受を描かなかった理由はただ一つ。
感動のストーリーにする上で、主人公を「戦時体制の協力者」ではなく「可哀想な被害者」に仕立てる必要があったのでしょう。

原因その4・感情論
「戦時中の犬がカワイソウ!許せない!」と叫ぶ人はたくさんいます。
もちろん、それは歴史を知る動機として充分です。ならば、涙や怒りの対象が何であるかを明確にしましょう。
そもそも、歴史のテキストが児童小説である現状がおかしいのです。
マスコミあたりの報道内容も、被害者たる「児童の思い出話」ばかりで信用できないんですよね。軍犬購買や犬革統制の当事者たる中央省庁を取材しないのは、マスコミ自身が軍犬武勇伝や畜犬撲滅を煽り立てた過去を総括したくないのでしょうか(戦時下で犬の迫害に公然と反対したジャーナリストは、毎日新聞副参事の今井繁くらいでした)。
犬への知識や愛情に欠ける歴史ヒョーロン家やジャーナリストや軍事オタクのセンセイではなく、膨大な一次史料を保有する犬界関係者が戦時犬界史を編纂すべきなのでしょう。こんなブログではなく。

ペット毛皮献納における被害者は、個々の飼い主とその愛犬です。
そして軍犬調達の場合、「可哀想な被害者」は犬だけ。飼主すらも犬を軍部へ売り払った共犯者でした。
戦時下において、軍部・政治家・官僚・行政機関・マスコミ・一般市民が、上から下まで一致団結して犬を迫害したのです。

原因その5・イレギュラーな事例
以上のアレコレを踏まえた上で、冒頭の話を繰り返しましょう。
犬の赤紙があったと主張されるかたは、自説の根拠として「赤紙」の名称なり実物なりを確認している筈。
それを提示できない解説者は信用に値しません。
何もむずかしい話ではありません。必要な証拠は、民間シェパードの召集令状だけです。
「無いものを出せ」という悪魔の証明ではなく、貴方が「在った」と主張するモノを出してほしいのです。

「実は軍人に強要されたシェパードの供出もあったんだよ」とか、「軍犬購買会の出陳頭数が足りないのでイヤイヤながら参加させられた」という事例くらい私も調査済みです。
日中開戦前ですが、「軍犬の予備役制度」なんてものを試みていた部隊もありました。

平時、民間における軍用適種犬の普及發達を促進するため第十二師團で預託犬制度が實施され、長崎市および近郊の希望者に對しては特に長崎憲兵分遣隊で斡旋の労をとることになつた。
預託犬としての資格は帝國軍用犬協會員の所有犬でシエパード、ドーベルマン・ピンシエル、エアデール三種いづれも生後四、五ヶ月、強壮で健康なるもの、一旦危急の場合の場合は兵隊さんと同様、戰時第一線にに動員されて勇躍應召するといふ條件が加へられてゐる

『第十二師團の預託犬制(昭和10年)』より

第十二師團が全國師團に魁けて民間軍用犬の預託規定を制定し、右規定に基いて大村歩兵第四十六聯隊が長崎縣下の帝國軍用犬協會所属犬七頭が入隊したのは今 夏八月三十日であつたが、爾來聯隊軍用犬班の連日連夜の猛訓練を経て各種の訓練を體得し、十二月二日除隊となつたが、退営後も三ヶ年は在郷犬として義務を 負ふことになつてゐる
『軍用犬の除隊(昭和10年)』より

地元師団から民間へ預託され、待機を続けた軍犬もいたんですね。
開戦後もこの「予備役制度」が続いたのかは不明ですが、戦時動員によって「犬の赤紙」が発行されたかもしれないケースです。
秋田犬を配備した某県の陸軍部隊においては、シェパード購買文書の代替として「召集令状」なるものを発行した記録もありました。

それらイレギュラーな事例を掘り返す前に必要なのは、「原則はどうであったか」を明確にすることです。
なので、赤紙論者自身が赤紙の定義すらできない以上、議論自体が成立しません。無責任な相手に時間を浪費しないため、皆さんは信用に足る論者かどうかの識別法を身につけましょう。

・戦時中に活動していた愛犬団体(せめて社団法人だけでも)の名前を列挙できるか
・戦前の野犬駆除システムやその管轄組織、皮革業界との繋がりを把握しているか
・軍用犬について、「在郷軍用犬(民間のペット)」と「軍所管犬」に区分できているか
・「犬を調達したい軍部」「犬を売りたい飼い主」「両者を仲介する帝国軍用犬協会」という構図を理解しているか
・「購買軍犬」と「寄贈軍犬」の違いを説明できるか
・中央省庁の施策として、陸軍省の「軍犬調達」と商工省や農林省の「犬革統制」を識別できているか

これらの項目について説明できない論者は、犬の戦時史に関する知識がありません。調べる努力もしていません。試しに質問してみましょう。

5.結局のところ、「犬の赤紙」って何なの?

何なんでしょうね?
この記事を投稿してから5年経ちましたが、いまだ赤紙論者が証拠を出してくださらないのでサッパリ分かりません(2016年追記)。

そういうことで、ダラダラ話を続けたあげく結論は出せませんでした。
たかが「犬の赤紙」ひとつで、コレだけの大混乱。47都道府県、外地、満州国に広がっていた、巨大な銃後犬界の15年史を調べるのは大変なのです。
そして戦後70年の間に多くの記録が散逸し、パズルを完成させることは不可能となってしまいました。
あまりにも軽々しく「犬の赤紙」を論じる人々を眺めながら、失くしたピースの多さを思い知らされています。