白木正光「松本さん、獨逸から映畫犬が近く來ると云ひますよ」
松本有義「來てもすぐ役立たないでせう。向ふではトーキーになつてゐるから、命令は聲符ではなく視符をつかつてゐる。基本訓練みたいなものしか出來ない吾々日本人が、それらの犬の才能の三分の一も使ひきれないでせるし、その犬をスポイルしてしまふ虞れがある」
井上正夫「然し映畫の來るのは興味がありますね」
松本「犬の映畫も、若い頃は、これは中々出來るものでないと考へてゐたが、近頃は左程でもないと思ふやうになつた。たとへば犯人を追つかけるシーンなどはボールでも投げて追はせれば撮れる。一番映畫で感心したのは皆様も御覧になつたでせうが「祖國の犬」でリン・チン〃の藝です。
筋はある農家が引越をする。その馬車の後に數頭のシエパードの仔犬が乗つてゐたが、峠に來てガタンと馬車がゆれた拍子に、一頭が谷に墜ちて狼の仲間に入つて育つ。その後數年、話は變つて甲乙二人の毛皮商人が旅に出るが、甲が乙に圖られ、毛皮をとられた上に傷つけられて倒れてゐる。
そこへ五六十頭のシエパードですが、その先頭にたつてリン・チン〃が出てくる。そしてリン・チン〃が、遂に、その商人を噛むが、その瞬間、ふと人間の匂ひに犬の本能が甦み返る。かくて人間のために狼共を追ひちらすといふ筋ですが、野生の険しい顔から温和な過去の犬にかへるその瞬間の心理描寫はリン・チン〃でなければ出來ないとしみ〃感じました」
井上「私は餘り犬の映畫を見てゐないが、昔、塀の上を駈る場面を見て、ハゝアあれはトリツクで出來てゐるなあと感じたものです」
座談会『芸術家に犬を聴く』より 昭和8年12月13日

ナルホドねえ。日本俳優犬の歴史において、サイレント映画からからトーキー映画への移行が問題にされたとは初めて知りました。
……初めて知ることばっかりなんですけどね。
それでは第三幕目、日本の映画犬たちについて。

帝國ノ犬達-入江たか子
昭和9年公開の「雁來紅(かりそめのくちべに)」にて、主演の入江たか子とオーディションで選ばれた出演犬たち。
これらの犬が演技までしたかどうかは不明。

前回までのような経緯を経て、戦前の我が国でも俳優犬達が活躍するようになりました。
しかし、同時期に日本公開された洋画「忠犬バックの復讐(セントバーナードが出演)」「影なき男(ワイヤーフォックステリア)」「アイスクリーム娘(ウェルシュ・コーギー)」などのように幅広い犬種が出演するまでには至っていません。

さて、戦前の「犬の邦画」は幾つかのタイプに分けられます。
・愛犬家や映画愛好家による自主制作フィルム
・各地域で制作されたローカル映画
・全国公開の娯楽作品
・宣伝活動や訓練用のフィルム
などなど。
ちょっと分類してみました。

【自主製作映画】

帝國ノ犬達-ダーシェンカ
自主製作映画の一例。
カレル・チャペックの「ダーシェンカ」を映像化した「仔犬ダアシヤ(昭和12年)」には、ワイヤーヘアードテリアのアスターとエンプレスが出演しました。
因みに、原作の「ダーシェンカ」は戦前に邦訳出版されています。

【ローカル映画】

地域限定のローカル映画にも、犬を題材としたものがありました。
下記は石川県警が協力した警察映画のケース。

帝國ノ犬達-ペッツェ
『果せよ、天職』の一場面

石川県警本部が撮影協力した「果せよ、天職(昭和10年公開)」に出演したのは、俳優犬ペッエ。
この映画撮影と県内警察署巡回宣伝の合間、ペッエは海で溺れる女性を救助しています。
お手柄犬が、先日まで一緒に撮影していた犬と知った石川県警も驚いたことでしょう。昭和10年11月30日、金石署はペッエに人命救助証を授与しました。
彼女はまさに本物の名犬だったのです。
日中戦争が始まるとペッエは陸軍に献納されて第二次上海事変へ出征。戦地での活躍が伝えられていますが、その後の消息は不明です。

【商業作品】

全国規模で公開された娯楽映画にも、俳優犬は出演していました。資金とスタッフを投じて制作される以上、出演犬には脚本に沿った演技力が要求されます。
ただし、例外もありました。

帝國ノ犬達-あるぷす大将
「あるぷす大将(昭和9年公開)」のスチルより、ハチ公(本物)と於兎。

メタフィクションとまでは行かないものの、映画の中に現実世界を持ち込んでしまった作品がありました。
それが昭和9年公開の「あるぷす大将」です。
本作品に出演しているのが忠犬ハチ公。モチロン本物です。
上京した陽洋先生が渋谷驛の忠犬ハチ公像を感心しながら眺めている場面で、於兎はみすぼらしい秋田犬と遊んでいます。

陽洋先生「これ、於兎。そんなムク犬をいぢるでない。それよりこの銅像を御覧なさい。實に立派な犬ぢやないか」
於兎「先生、こつちが本物ですよ」

(「あるぷす大将」より)

ハチ公を本犬役で登場させることにより、虚像の「忠犬ハチ公」と、普通の老犬であった現実の「ハチ」を対比させるという演出でした。

コレはあくまで例外であり、主流だったのは本格的な俳優犬たちが登場する娯楽作品。
しかし時代は戦時体制下となっていて、彼等の出演作も戦意高揚の国策映画へ移行していきます。

帝國ノ犬達-ワンワン大将
「エノケンのワンワン大将(昭和15年公開)」より、榎本健一とボドー・フォン・ハウスクヂヤクソウ。
昭和11年生まれのボドーは、主人の阿部氏によって帝國軍用犬協會・日本シェパード犬協會の双方に登録された犬です(こういう奇特な人もいました)。
両団体で優秀な成績を挙げていた為、山本千枝子氏の斡旋で俳優犬を探していた中川信夫監督に紹介され、出演が決まります。
その辺の証言も残されていますので、俳優犬の撮影記録としてちょっと引用してみましょう。

「實は以前から訓練犬の作業振りを何か映畫に仕組んで見たらさぞ面白い事であらうとしました。之が一種の刺激ともなつて、斯界に別に意味に於て、ある波紋を起し得る事も不可能ではあるまいと考へて居つた矢先の事とて、折良く山本嘉次郎、榎本健一氏とに依つてトントン話が進められて、愈實現の運びに到つた次第であります。
然し何と申しても犬自体が御承知の通り警戒し過る傾向がある所へ、今迄に嘗て観た事も無いセツトや道具類の中でも作業せねばならぬので、可成り人犬とも調子が變つた點で大いに勉強にもなつた次第であります。
扨て、撮影に就てゞありますが、種々の都合上、晝夜兼行の場合も御座いましたが、自分の犬乍ら「よく演つて呉れた」と思ふ事が數度ありましたし、「もう之で駄目だ」「ボドーはたうとう此の出演の爲めに死んで仕舞ふ」と思つた事も實の所、何回も御座いました。自分はその都度「仕舞ツた」と悔いたりしましたが、又別の方面からは「何のこれしき使役犬ではないか。いざとなればボドーも自分も伴に……」と悲壮な覚悟を固めて、疲労しきつた人犬ともども自らを励まして乗り切つた次第であります。
出來上つた映畫を見ますと、何處にそんな苦心が伏在して居るのかと思はれる程ですが、映畫制作といふものは、他人には解らぬ箇所に色々と細々と苦心が蔵されて居る事が斯様な経験の御蔭で初めて解つたのであります。イヤ大變な手數が掛るものであります。
或時は帰宅してもボドーは四十度からの熱が下りなかつたり、食事を幾回も幾回も採らなかつたり、又或時は脚がマン丸く腫れ上つて仕舞つたり……、そんな時は家中で代る代る睡らずに冷してやつたり、お腹を一晩中撫でゝやつたり……。斯様に無理が重なるのでは最初から演らねば良かつたのにと色々取越した苦労迄重ねましたが、遂に仕上りました時には俳優の諸氏諸嬢も一緒になつて泪を流して喜んで下さいました。
猶、特記し度い事は榎本健一氏の熱演と、愛犬家としての愛情には演技中にも随分泣かされた事です。
演技を通じて何か貴いものに胸をうたれる事が多々ありました。
外國には二十年も以前から作業犬本位に作成された映畫がいくつも御座いますが、大袈裟な申し分乍ら、此の度のものは我が國に於て犬本位に取材して作られたものとしては今迄にも無いと存じます。何卒作業犬の映畫として今後の使役分野のため、御指導御批判頂ければ幸甚と存じます」
阿部幸也「映畫出演の苦心」より 昭和15年

映画のラストで戦地へ出征するボドーですが、現実世界のボドーも映画出演のあと日本軍に購買され(戦地出征はせず国内の部隊に残留)、戦後になって阿部さんが軍施設から奪回して帰宅を果すという数奇な運命を辿ります。

歴史から忘れ去られた日本俳優犬の中で、エノケンと共演したボドーだけはその名を残しました。

阿部さんは「此の度のものは我が國に於て犬本位に取材して作られたものとしては今迄にも無い」と語っていますが、実は先行する犬映画が存在しました。
それが「戰線に吠ゆ」です。

帝國ノ犬達-チラシ
東洋發聲「戰線に吠ゆ(昭和11年公開)」より、主演の竹内良一、シトー・フォン・ニシガハラ(荒木貞夫陸相の愛犬)、カルメン・フォン・デル・ペーテルシュティルン(帝國軍用犬協會所有犬)。

この作品は、高度に訓練された俳優犬がメインを張った最初の邦画かもしれません。
当時のシトーはジステンパーから回復したばかりで、しかも「曲芸的な訓練」を排除していた帝國軍用犬協會側は映画撮影など考えてもいませんでした。しかし、山根監督の熱心な直訴によって出演が決定されます。
この映画の特色は、山根監督以外に「軍犬監督」を遠藤鉦太郎氏が務めていること。
それだけ犬の演技が重要視されていたのです。

電話線布設任務中、狙撃されたシトーが足を引きずるシーンは演技ではありません。代役の犬の足に局部麻酔して撮影されました。荒木陸相の愛犬だけに、麻酔注射する訳にはいかなかったそうです。
それを知らない荒木貞夫は、映画を観て「まさか、チトの足を傷つけて撮ったのか?」と真っ蒼になったとか。
5年後にシトーが死んだときも、荒木は映画のことで文句を言っていました。

帝國ノ犬達-戦線に吠ゆ
「戰線に吠ゆ」より、撮影スタッフ・出演者・シトーの記念写真

昭和16年、荒木夫妻と帝國軍用犬協會関係者による「逝けるシトー號を語る」と題した会合が開かれます。
この会合にて、関係者が撮影裏話を終えた頃に遅刻した荒木貞夫が来場。
生前のチト(荒木はそう呼んでいました)について回想した後、荒木貞夫は映画への不満を口にしました。

荒木貞夫「戰線に吠ゆを見て、どうして脚を引摺つてゐるか疑問に思つた事があつて、何もああいふ訓練は實際にさせなくてもいいと思つてゐる」

慌てた上継訓練士が「今その種明しの話もあつたのです」とフォロー。映画公開から数年間、荒木はずーっと愛犬のことを心配していたんですね。
皇道派の重鎮、荒木貞夫の一面でした。

【宣伝・訓練教材フィルム】

特殊な犬の映画としては、畜犬団体が研究用に撮影した盲導犬誘導実演フィルムや、日本陸軍が制作に協力した軍犬映画もありました。
これらは俳優犬による演技など求めておらず、犬の運用法や活動状況などを記録するのが目的。 当時はたくさんの愛犬団体が訓練フィルムを撮影しており、会合の席などで上映していました。
陸軍に関しても、防毒装具や警戒・傳令・渡河の運用を学ぶ「将来戦と犬」や「軍犬物語」、アッツ島玉砕後に北方警備の軍犬班による山岳雪中戦の能力を誇示した「北の健兵(撮影は井上莞こと李炳宇)」など、多くの作品が存在します。

帝國ノ犬達-犬
陸軍省馬政課指導の下で制作された、文部省認定文化映畫「軍犬物語(昭和15年公開)」の一場面。
「我國の一般國民をして一層軍用犬の必要性の認識を深からしめ、育成發達の一助にもせむ」との企画で、撮影には陸軍歩兵学校軍犬育成所が協力しています。

軍犬報國運動における映画宣伝活動としては、全国各地で「軍犬の夕」という催しがありました。
軍犬の活躍、動物愛護精神の啓蒙、そしてPRとして犬映画の上映。こういったPR活動にも、俳優犬たちは貢献したのでしょう。


帝國ノ犬達-映画の夕
帝国軍用犬協会の各地方支部が頻繁に開催していた「軍犬の夕」。
犬の映画上映や在郷軍用犬による実演がおこなわれました。
これを見て、シェパードの飼育者や理解者が増えれば軍犬報國活動として充分成果があったのです。

【二次元の犬達】

さて、漫画やアニメの犬たちはどうだったのでしょう?
犬の漫画には、プロの作品からアマチュアの落書きに至るまで膨大な量があります。江戸時代の風刺画や滑稽画を発祥とし、明治~大正時代あたりから新聞雑誌・狩猟本・愛犬誌に絵心のある人々がイラストを投稿、昭和になるとプロの作品が少年雑誌などで掲載されるようになりました。
中でも群を抜く人気作だったのが、昭和6年から少年倶楽部に連載された「のらくろ」。
田川水泡先生の作品のみならず、公式・非公式のグッズに派生・便乗作品までが続々と生み出され、いわば現代のドラえもんみたいな存在となります。
「戦時中にマンガなどけしからん」などと内務省からの横槍によって連載が中断されたのは、太平洋戦争が始まった昭和16年のこと。
御国のため戦った猛犬連隊出身の野良犬黒吉ですら、役人からは目の敵にされたのです。
この時代、日本の俳優犬達は「戦時体制」から逃れることはできなかったのでしょう。

架空の戦場で戦うのらくろが姿を消した少年雑誌では、その穴を埋めるように「本物の軍犬戦記」が数を増やしていきました。

帝國ノ犬達-のらくろ

【新世代の俳優犬たち】

近世・近代の日本では、犬を擬人化したものから犬を犬として描いたものまで、多様な犬の作品が誕生しました。
それは戦後へと受け継がれ、次世代の作品が生れ続けている訳ですね。

戦況の悪化と共に能天気な愛犬物語は影を潜め、御国の為に戦う犬達ばかりが銀幕に登場するようになりました。
そして昭和19年末、犬猫献納運動によって日本畜犬界は崩壊するのです。犬の文化を道連れに。

犬
昭和25年にデビューした俳優犬アール

犬
「日本初」は誇大ですが、敗戦から数年で俳優犬が復活していたのは驚きですね。

犬
撮影風景


日本の犬映画は戦争末期に姿を消し、漸く復活したのは戦後のことです。
昭和24年、クノー号が映画「殿様ホテル」に、イバールトナンシヤ号が「青い山脈」に出演。
戦後世代の俳優犬たちも映画界からテレビやネットへと進出し、ドラマやアニメで活躍しています。

これら現代の俳優犬も、日本の映画界や畜犬界の一部として歴史を重ねてゆくのでしょう。
見世物から演劇へ、演劇から映画へ、映画からテレビへ、テレビからネットへ。
俳優犬達の舞台は、時代と共に移り変わってきました。

一般の人が気軽にアニメやペット動画や小説や漫画を投稿できるようになった現在、どのような犬の作品が生れるのか楽しみです。
しかし、生れては消えゆくそれらを年表に記していくのは愛犬家の仕事なのでしょうか?それとも映画や演劇の愛好家?漫画やアニメ作品は?
高尚な映画論を交わすのも結構ですが、「出演者」へ目を向けることも必要でしょう。誰が彼らの名を残すの?
このブログが対象とするのは、明治元年から昭和20年代までの犬の歴史です。
その時代を調べた上での忠告ですが、俳優犬史の更新作業を放置していると、忘却の近代畜犬史と同じ過ちを繰返してしまいますよ。

「リン・チン・チンが死んだ。シエパードフアンにとりては大なる衝動である。リン・チン・チンはよき犬であつた。
併しよりよきはフヰルム・メーカーの犬に對する理解であつた。此理解がリン・チン・チンをして名犬たらしめたのである。
日本にもカールあり、フジ子あり、ヘラーがあるが、果してリン・チン・チンを使ひこなしたほどのフヰルム・メーカーがあるかは大なる疑問である。そうして警察犬をよう使用せぬのも、亦同じ理由においてである」
日本シェパード倶楽部 昭和7年