小説版『犬の消えた日』の感想文
を書いたついでに、今回はドラマ版の感想をひとつ。
刺身を食べに行った店で、変なソースをかけた黒焦げの焼き魚を出されたような気分。すばらしかった原作が俺様アレンジで台無しですよ。
ドラマ化にあたって原作を脚色するのは当然の事ですが、それにも限度があるでしょう。この改悪が視聴者への配慮なのか、もしくは制作側の事情なのかは知りません。
私だって批判したくて観た訳ではないし、「褒められる部分を探す」というポリアンナ手法を用いたいのですが、このドラマのように褒める部分が皆無だと困ってしまいます。
ドコが駄目なのかと言いますと、ほぼ全て。優秀なクリエイターたちが井上こみち氏の原作を読んで出した答えがマジでコレなのか?と、制作陣の読解力が心配になるレベルです。
不要な物をわざわざ付け足して、大切な部分をゴリゴリ削除して、もう、原作とは完全に別物です。
1.在郷軍用犬の出征・アルフの場合
シェパードのアルフは、軍用犬として戦地へ出征しました。
日本軍が所管する軍犬は、民間の飼主から購入した在郷軍用犬(シェパード、ドーベルマン、エアデール)で構成されていました。
しかし軍部には大量のシェパードを繁殖・育成する人手や場所や予算などありません。繁殖・育成は民間人に任せ、それを購入する事で手間と時間を省略しつつ大量調達を可能としていたのです。
これを「軍による強奪」と主張する人もいますが、実際は「金銭による売買契約」。強奪なんかしていたら、誰もシェパードを飼わなくなって資源母体を失うだけですから。
2.中央省庁によるペットの毛皮供出 東亜の場合
アルフの出征後、さよ子はシェパードを避けて日本犬の「東亜」を飼い始めます。天然記念物の日本犬であれば、軍へ供出することもありませんし。
東亜は純粋なペットでしたが、とつぜん警察署への供出を命じられました。
昭和19年に軍用皮革の不足が深刻化したことで、遂にはペットの毛皮までかき集めたのです。これは、地域の畜犬登録窓口であった警察署が担当しました(戦前の畜犬行政は警察の管轄です。狂犬病予防法が施行された昭和25年以降、保健所へ業務移管されました)。
この惨劇は昭和13年の「皮革配給統制規則」を発端とします。
警察署の場面だって同じです。
「あんたに殺れといっているわけではない。
犬の数をかぞえているだけでいい。
立会人なんだから、らくでいいだろう。すぐになれる(原作『犬の消えた日』より)」
という殺処分業者と警察官の会話を省略したので、単なるグロ映像になってるじゃないですか。
これは「ペットを殺戮したのは異常者ではなく、戦時体制に加担したごく普通の民間人だった」ということを伝える大切なセリフなのです。
あのように不気味な映像と照明にすればウケると勘違いしたの?原作ではあれだけ職務に苦悩していた多岐も、ドラマだと単なる傍観者だし……。
当時の殺伐とした状況を表現したかったのならまだ分かりますが、しかし何と、物語は陳腐で大甘で薄っぺらなハッピーエンドへと向かっていくのです。
絶望の果てに戦後への希望を見出すという、『犬の消えた日』の根幹となるストーリーがぶち壊し。
大切な部分をゴリゴリ削り落とし、不要な部分がゴテゴテ追加され、「犬の供出」と云う悲惨なテーマはどんどんぼやけていき、観ている私の頭は増々混乱していきました。何だコレ?
陸軍病院の場面で、傷痍軍人の清田がアルフの死を暗示するようなセリフを語る場面も理解不能。
原作の「戦争は終わったのに、アルフとフリッツは何で帰ってこないの?」というさよ子の問いかけこそが『犬の消えた日』のタイトルに絡んでくるのに、それを無意味にしてどうするんですかね?
これは“戦争の中で多くの犬が行方知れずとなった。手を尽くして探してもムダだった”という物語です。
わざわざその消息を明らかにする必要はないのです。
……まさか、視聴者サービスで謎解きを披露したつもりなのでしょうか?有難いご配慮ですねえ。
一番困惑したのが、原作では物語中盤で殺処分される東亜を戦後まで生き延びさせてしまった事です。
この時点で、「犬が戦争の犠牲となった時代をきちんと描いてくれるだろう」という期待はガラガラと崩壊しました。
細部の改変はまだしも、根幹となるテーマを破壊するとは。俺様アレンジも大概にしましょうよ。
2011年8月12日、『犬の消えた日』が放映されました。
結論から先にいうと、見事な失敗作です。
刺身を食べに行った店で、変なソースをかけた黒焦げの焼き魚を出されたような気分。すばらしかった原作が俺様アレンジで台無しですよ。
ドラマ版『さよなら、アルマ』で見られたような、原作の矛盾点を映像化によって修正しようというスタッフの努力すら一切ナシ。「終戦記念日に向けてお涙頂戴のストーリを見せときゃいいんだろ」的な作り手側の傲慢さだけが鼻につきます。
放映された後ではどうしようもないんですけど、しかしどうにかならなかったの?という感想しかありません。
太平洋戦争が始まった昭和16年に撮影された写真。この女の子とシェパードは、残る戦時下の4年間をどのように過ごしたのでしょうか?
ドラマ化にあたって原作を脚色するのは当然の事ですが、それにも限度があるでしょう。この改悪が視聴者への配慮なのか、もしくは制作側の事情なのかは知りません。
私だって批判したくて観た訳ではないし、「褒められる部分を探す」というポリアンナ手法を用いたいのですが、このドラマのように褒める部分が皆無だと困ってしまいます。
だって、犬のドラマなのに、登場する犬は東亜とアルフの2頭だけなんですよ?
その東亜も死なない、アルフは消息不明にならない。原作のフリッツやサチマルやタマ(猫)たちは存在自体カット。
犬のドラマが犬を軽んじてどうするのだと、非常に腹が立つワケです。
更にこのドラマは、「戦時下の日本」も軽んじまくります。戦時体制に協力した一般大衆の同調圧力、その恐ろしさの表現を放棄しているのですよ。
キーポイントと言ってもよい、警察官と殺処分業者の重要な会話はカット。原作に登場しないオリジナルキャラクターの描写(犬とは無関係)に延々と時間を浪費。
トドメとばかりに意味不明かつ禁じ手のハッピーエンド改変。戦時体制の悲惨さが全く伝わりません。不要な物をわざわざ付け足して、大切な部分をゴリゴリ削除して、もう、原作とは完全に別物です。
「在郷軍用犬の出征」と「ペットの毛皮供出」という明確なテーマを持つ原作を、どちらもテキトーな描写でぶち壊しにするとは。器用な芸当ですねえ。
時代感を演出するための小道具に力を注ぎ、一番大事な「戦時犬界の描写」という根幹部分を見失ってしまったのかもしれません。
ここまで不誠実な作品に対しては、残念ながら擁護する気も失せてしまいます。
日本陸軍による民間シェパードの購買会風景(東京にて、昭和12年)。
犬を売りたい飼主が参加し、稟性、体力、体格、健康状態など、審査に合格した犬を軍の担当官が購買しました(審査落第や価格交渉決裂の場合、犬は飼主へ戻されます)。
【このドラマの時代背景】
ドラマでは簡単な時代背景も解説されていましたが、あれでは余りに不親切なので補足しておきましょう。
戦時中、日本の犬は「国家の資源」として見做されていました。
犬を売りたい飼主が参加し、稟性、体力、体格、健康状態など、審査に合格した犬を軍の担当官が購買しました(審査落第や価格交渉決裂の場合、犬は飼主へ戻されます)。
【このドラマの時代背景】
ドラマでは簡単な時代背景も解説されていましたが、あれでは余りに不親切なので補足しておきましょう。
戦時中、日本の犬は「国家の資源」として見做されていました。
シェパードは軍犬や警察犬の調達資源として。
日本犬は国家の威信である天然記念物として。
猟犬は鳥獣毛皮調達の道具として。
牧羊犬は緬羊事業を支える労働力として。
国家の役に立たない愛玩犬や闘犬や野犬は、毛皮資源として。
このドラマでは、「軍用犬の出征」と「ペットの毛皮供出」を取上げています。
軍用犬として出征したのがアルフで、毛皮にされかけたのが東亞という構図ですね。
戦時中、たくさんのシェパードが戦地へ出征し、内地ではたくさんのペットが毛皮のため殺処分されました。
それぞれのケースについて解説しましょう。
それぞれのケースについて解説しましょう。
1.在郷軍用犬の出征・アルフの場合
シェパードのアルフは、軍用犬として戦地へ出征しました。
民間のペットが軍の所属となるためには、軍部と飼主を仲介する窓口が必要です。戦時中、その役割を担ったのが「社団法人帝国軍用犬協会」という畜犬団体でした。
各国も同じような調達組織を設立しており、ナチスドイツの「RDH(ドイツ畜犬連盟)」やアメリカの「D4D(ドッグフォーディフェンス)」などが知られています。
さよ子の父は、軍務不適格であった自身の代理として愛犬アルフを帝国軍用犬協会へ登録していたのでしょう。
帝国軍用犬協会登録の犬は軍の購買対象であり、だからアルフも軍用犬として出征した訳です。
帝国軍用犬協会に登録された民間シェパードの数は、戦時を通して累計6万数千頭。
帝国軍用犬協会登録の犬は軍の購買対象であり、だからアルフも軍用犬として出征した訳です。
帝国軍用犬協会に登録された民間シェパードの数は、戦時を通して累計6万数千頭。
それだけ多くの飼主が帝国軍用犬協会へ加入していたのは、「シェパードの大手就職先」であった陸軍へ愛犬を売却するためでした。
帝国軍用犬協会が開催していた軍犬購買会の広告。
日本軍が所管する軍犬は、民間の飼主から購入した在郷軍用犬(シェパード、ドーベルマン、エアデール)で構成されていました。
しかし軍部には大量のシェパードを繁殖・育成する人手や場所や予算などありません。繁殖・育成は民間人に任せ、それを購入する事で手間と時間を省略しつつ大量調達を可能としていたのです。
これを「軍による強奪」と主張する人もいますが、実際は「金銭による売買契約」。強奪なんかしていたら、誰もシェパードを飼わなくなって資源母体を失うだけですから。
軍犬購買会の記録は昭和7~19年度分が大量に残されているので、根拠のない強奪説は一蹴できます。供出を強要されたのは、陸軍から睨まれていた日本シェパード犬協会登録犬のケースでしょう。
SKZ(帝国軍用犬協会シェパード種犬籍簿)より、日中戦争が始まった時点で2万2千頭もの民間シェパードが登録されていますね(昭和12年度)
軍用候補となる民間のシェパードは、帝国軍用犬協会の犬籍簿で登録管理されていました。軍部へ愛犬を売却するため、飼い主たちは競って帝国軍用犬協会へ加入します。
満州事変から敗戦までの15年間、大量のシェパードを軍部へ供給し続けられた理由。それは、「軍部へ犬を売りたい飼主」が何万人もいたからです。
さよ子の父も、愛犬アルフを売った代金を日本陸軍から支払われた筈。つまり、戦時体制に協力していた大衆の一人です。
その部分を描かないのは不思議ですね。原作やドラマには帝国軍用犬協会も登場しませんし、「民間人はシェパードを奪われた被害者だった」とイメージ操作したいのでしょうか?
戦時体制下の一般市民は、熱狂的・自発的に愛犬を軍部へ提供したのです。お金と引き換えにね。
社団法人帝国軍用犬協会の存在を知らずに犬の出征を語ると、このドラマのようにツジツマが合わなくなります。気をつけましょう。
その部分を描かないのは不思議ですね。原作やドラマには帝国軍用犬協会も登場しませんし、「民間人はシェパードを奪われた被害者だった」とイメージ操作したいのでしょうか?
戦時体制下の一般市民は、熱狂的・自発的に愛犬を軍部へ提供したのです。お金と引き換えにね。
社団法人帝国軍用犬協会の存在を知らずに犬の出征を語ると、このドラマのようにツジツマが合わなくなります。気をつけましょう。
こちらが帝国軍用犬協会への入会申込書。もちろん強制ではなく任意です。
2.中央省庁によるペットの毛皮供出 東亜の場合
アルフの出征後、さよ子はシェパードを避けて日本犬の「東亜」を飼い始めます。天然記念物の日本犬であれば、軍へ供出することもありませんし。
東亜は純粋なペットでしたが、とつぜん警察署への供出を命じられました。
昭和19年に軍用皮革の不足が深刻化したことで、遂にはペットの毛皮までかき集めたのです。これは、地域の畜犬登録窓口であった警察署が担当しました(戦前の畜犬行政は警察の管轄です。狂犬病予防法が施行された昭和25年以降、保健所へ業務移管されました)。
この惨劇は昭和13年の「皮革配給統制規則」を発端とします。
日中戦争の拡大で軍需原皮の確保を急ぐ商工省は、駆除野犬の毛皮を統制対象(国家が管理する資源とすること)としました。戦争末期にはそれら野犬の毛皮すら不足し、統制対象はペットにまで拡大されます。
昭和19年末、軍需省(旧商工省)と厚生省は全国の知事に対しペットの供出を要請。
昭和19年末、軍需省(旧商工省)と厚生省は全国の知事に対しペットの供出を要請。
それが悪名高き「犬の献納運動」です。
戦時の犬猫献納運動は突発的に始まったのではなく、戦争中期から数年間を経て最悪の状況へ至ったものです。
大まかな流れとしては、公定買取価格の低さから軍需向け牛馬皮革が闇市場へ流失→軍部から民間企業へ原皮不足解消要請→増産のため野獣や野犬の毛皮まで献納→それでも足りないので商工省がペットの殺処分を認可→軍需省の指導を受け、全国の都府県知事がペットの毛皮供出を実施、というものでした。
戦時の犬猫献納運動は突発的に始まったのではなく、戦争中期から数年間を経て最悪の状況へ至ったものです。
大まかな流れとしては、公定買取価格の低さから軍需向け牛馬皮革が闇市場へ流失→軍部から民間企業へ原皮不足解消要請→増産のため野獣や野犬の毛皮まで献納→それでも足りないので商工省がペットの殺処分を認可→軍需省の指導を受け、全国の都府県知事がペットの毛皮供出を実施、というものでした。
昭和14年の節米運動(一種の食糧パニック)を機に政治家や役人がペットを敵視し、マスコミがそれを宣伝し、扇動された一般大衆が隣近所の愛犬家を非国民と罵り、ペットの虐殺はスムーズに進行したのです。
ペットの戦時供出を解説する場合、殺処分(警察)、製革(皮革業者)、集荷・小売(流通業者)、配給(商工省)、消費(日本軍)という流れを把握しましょう。
大部分の歴史解説では、両端の飼主と軍隊だけ登場させて中間がすっぽり抜けているんですよ。それが歴史歪曲や妄想を生み出してしまう原因なのです。
【ここからドラマの感想】
さて、以上を前提に『犬の消えた日』を評価しますと、不愉快極まりないドラマでした。
小説版『さよなら、アルマ』のように考証がどうこうではなく、脚色の仕方が不愉快という意味で。
このドラマは、素晴しい原作をズタボロに破壊してしまったのです。「原作原作うるせえよ!」と思われるかもしれませんが、とにかく小説とドラマと比較してみましょう。
まず、登場人物と登場犬は大きく変更されています。
原作では下記の犬猫が登場していましたね。
アルフ:さよ子が飼っていたシェパード。戦地へ出征したまま消息不明に。
フリッツ:さよ子が飼っていたシェパード。アルフと共に出征し、消息不明。
東亜:アルフとフリッツの次にさよ子が飼った日本犬。ペット献納運動により殺処分。
サチマル:警察官多岐の愛犬。立場を利用して供出を拒否していたものの、結局は殺処分に。
タマ:さよ子の愛猫。空襲による火傷で死亡。
野犬の母仔:焼け野原となった戦後の町で、アメリカ兵とさよ子が発見。
この中で、ドラマに登場したのは「アルフ」と「東亜」のみ。「サチマル」は「東亜」と同じ犬へ設定変更してあります。
「フリッツ」と「タマ」の存在は完全に削除されました。犬猫の数が増えるとストーリーが混乱するからでしょう。コレは仕方ないかもしれませんね。
それなのに、嗚呼それなのに!
原作には登場しないオリジナルキャラクター(※)のため、多大な時間を割いているのです。
これは犬のドラマでしょう?何で大切な犬の数を削ってまで、原作に出て来ない人物の描写にムダな力を注ぐの?まったく理解できません。しかも犬とは何の関係も無いエピソードだし。
彼を登場させる余裕があるなら、その時間で戦地で戦うアルフとフリッツを見せるか、警察署での描写に力を注げと。犬のドラマなんだから。
※ドラマオリジナルのキャラクターは元太でしたか。
戦争に社会的弱者である元太が巻き込まれ、犠牲となった史実は別の作品できちんと描くのが筋です。
無関係なテーマを犬に便乗して表現されても、このドラマの如く的外れかつ中途半端な結果に終りますので。
戦時下における社会的弱者と犬の出征をテーマにしたければ、『ボクちゃんが泣いた日(新田祐一著)』を映像化すればいいでしょう?
そうやってわざわざ変テコな付け足しエピソードに押しやられ、原作の重要な部分はドラマから消されていきます。
このタイトルは『犬の消えた日』ですが、設定から犬を消してどうすんの?
大部分の歴史解説では、両端の飼主と軍隊だけ登場させて中間がすっぽり抜けているんですよ。それが歴史歪曲や妄想を生み出してしまう原因なのです。
【ここからドラマの感想】
さて、以上を前提に『犬の消えた日』を評価しますと、不愉快極まりないドラマでした。
小説版『さよなら、アルマ』のように考証がどうこうではなく、脚色の仕方が不愉快という意味で。
このドラマは、素晴しい原作をズタボロに破壊してしまったのです。「原作原作うるせえよ!」と思われるかもしれませんが、とにかく小説とドラマと比較してみましょう。
まず、登場人物と登場犬は大きく変更されています。
原作では下記の犬猫が登場していましたね。
アルフ:さよ子が飼っていたシェパード。戦地へ出征したまま消息不明に。
フリッツ:さよ子が飼っていたシェパード。アルフと共に出征し、消息不明。
東亜:アルフとフリッツの次にさよ子が飼った日本犬。ペット献納運動により殺処分。
サチマル:警察官多岐の愛犬。立場を利用して供出を拒否していたものの、結局は殺処分に。
タマ:さよ子の愛猫。空襲による火傷で死亡。
野犬の母仔:焼け野原となった戦後の町で、アメリカ兵とさよ子が発見。
この中で、ドラマに登場したのは「アルフ」と「東亜」のみ。「サチマル」は「東亜」と同じ犬へ設定変更してあります。
「フリッツ」と「タマ」の存在は完全に削除されました。犬猫の数が増えるとストーリーが混乱するからでしょう。コレは仕方ないかもしれませんね。
それなのに、嗚呼それなのに!
原作には登場しないオリジナルキャラクター(※)のため、多大な時間を割いているのです。
これは犬のドラマでしょう?何で大切な犬の数を削ってまで、原作に出て来ない人物の描写にムダな力を注ぐの?まったく理解できません。しかも犬とは何の関係も無いエピソードだし。
彼を登場させる余裕があるなら、その時間で戦地で戦うアルフとフリッツを見せるか、警察署での描写に力を注げと。犬のドラマなんだから。
※ドラマオリジナルのキャラクターは元太でしたか。
戦争に社会的弱者である元太が巻き込まれ、犠牲となった史実は別の作品できちんと描くのが筋です。
無関係なテーマを犬に便乗して表現されても、このドラマの如く的外れかつ中途半端な結果に終りますので。
戦時下における社会的弱者と犬の出征をテーマにしたければ、『ボクちゃんが泣いた日(新田祐一著)』を映像化すればいいでしょう?
そうやってわざわざ変テコな付け足しエピソードに押しやられ、原作の重要な部分はドラマから消されていきます。
このタイトルは『犬の消えた日』ですが、設定から犬を消してどうすんの?
八王子警察署によるペット献納を通知するチラシ。
警察署の場面だって同じです。
「あんたに殺れといっているわけではない。
犬の数をかぞえているだけでいい。
立会人なんだから、らくでいいだろう。すぐになれる(原作『犬の消えた日』より)」
という殺処分業者と警察官の会話を省略したので、単なるグロ映像になってるじゃないですか。
これは「ペットを殺戮したのは異常者ではなく、戦時体制に加担したごく普通の民間人だった」ということを伝える大切なセリフなのです。
あのように不気味な映像と照明にすればウケると勘違いしたの?原作ではあれだけ職務に苦悩していた多岐も、ドラマだと単なる傍観者だし……。
当時の殺伐とした状況を表現したかったのならまだ分かりますが、しかし何と、物語は陳腐で大甘で薄っぺらなハッピーエンドへと向かっていくのです。
絶望の果てに戦後への希望を見出すという、『犬の消えた日』の根幹となるストーリーがぶち壊し。
大切な部分をゴリゴリ削り落とし、不要な部分がゴテゴテ追加され、「犬の供出」と云う悲惨なテーマはどんどんぼやけていき、観ている私の頭は増々混乱していきました。何だコレ?
マレー戦線にて、発進の機をうかがう日本軍伝令犬(昭和17年)。小説版のアルフとフリッツは、部隊間の文書運搬を担う「伝令犬」として供出されています。
陸軍病院の場面で、傷痍軍人の清田がアルフの死を暗示するようなセリフを語る場面も理解不能。
原作の「戦争は終わったのに、アルフとフリッツは何で帰ってこないの?」というさよ子の問いかけこそが『犬の消えた日』のタイトルに絡んでくるのに、それを無意味にしてどうするんですかね?
これは“戦争の中で多くの犬が行方知れずとなった。手を尽くして探してもムダだった”という物語です。
わざわざその消息を明らかにする必要はないのです。
……まさか、視聴者サービスで謎解きを披露したつもりなのでしょうか?有難いご配慮ですねえ。
一番困惑したのが、原作では物語中盤で殺処分される東亜を戦後まで生き延びさせてしまった事です。
この時点で、「犬が戦争の犠牲となった時代をきちんと描いてくれるだろう」という期待はガラガラと崩壊しました。
細部の改変はまだしも、根幹となるテーマを破壊するとは。俺様アレンジも大概にしましょうよ。
TV局のオリジナル作品じゃなくて、原作付きでしょ?
東亜とサチマルの死すら削った事で「自分の愛犬サチマルだけは救いたい」という警察官多岐のエゴと苦悩も、東亜を奪われたさよ子の怒りと悲しみも、綺麗サッパリ消滅しました。
視聴者も怒ったり悲しんだりする必要などありません。
他の犬が何千頭死のうと、その飼い主達がどんなに悲しもうと、主人公の愛犬だけはのうのうと生き延びるのですから。
戦時体制下の日本で、完全に逃げ道を塞がれた少女と犬の悲劇を描いた小説『犬の消えた日』。
それが、犬を護りぬくサバイバル・ドラマになるとは。名犬ジョリィですかコレは(あのアニメも原作を膨らませ過ぎでしたが)。
戦場へ消えたアルフとフリッツ。
毛皮のために殺された東亜とサチマル。
空襲による火傷で死んだタマ。
すべてを失った焼け野原で、さよ子と進駐軍兵士が仔犬を見つける原作のラストシーンは、戦後への希望を表現していた筈です。
ドラマでも、あの場面だけはきちんと描いてくれるでしょう。この物語の結末として、どう考えても外せませんからね。
その大切な場面を、このドラマはバッサリ削除しやがりました。
東亜とサチマルの死すら削った事で「自分の愛犬サチマルだけは救いたい」という警察官多岐のエゴと苦悩も、東亜を奪われたさよ子の怒りと悲しみも、綺麗サッパリ消滅しました。
視聴者も怒ったり悲しんだりする必要などありません。
他の犬が何千頭死のうと、その飼い主達がどんなに悲しもうと、主人公の愛犬だけはのうのうと生き延びるのですから。
戦時体制下の日本で、完全に逃げ道を塞がれた少女と犬の悲劇を描いた小説『犬の消えた日』。
それが、犬を護りぬくサバイバル・ドラマになるとは。名犬ジョリィですかコレは(あのアニメも原作を膨らませ過ぎでしたが)。
戦場へ消えたアルフとフリッツ。
毛皮のために殺された東亜とサチマル。
空襲による火傷で死んだタマ。
すべてを失った焼け野原で、さよ子と進駐軍兵士が仔犬を見つける原作のラストシーンは、戦後への希望を表現していた筈です。
ドラマでも、あの場面だけはきちんと描いてくれるでしょう。この物語の結末として、どう考えても外せませんからね。
その大切な場面を、このドラマはバッサリ削除しやがりました。
何と、終戦より先にドラマが終了し、そのままエンドロールへ。おいおいちょっと待て、戦後の話はどうした?とテレビの前で呆然とするワタシ。
この制作陣は棄ててはいけないモノすら理解できないんですね。もう勘弁してください。
たくさん犬が死んだけれど、さよ子のワンコだけは生き残ってよかったね。めでたしめでたし。
目出度いのは分かりますが、結局ナニを伝えたいのこのドラマ?
この制作陣は棄ててはいけないモノすら理解できないんですね。もう勘弁してください。
たくさん犬が死んだけれど、さよ子のワンコだけは生き残ってよかったね。めでたしめでたし。
目出度いのは分かりますが、結局ナニを伝えたいのこのドラマ?
敗戦から2年後に誕生したスピッツ。昭和25年前後からペットの輸入も再開され、戦後犬界の復興が始まります。その希望に満ちた明るさに眩惑され、暗く苦しかった15年間の戦時犬界、さらにそれ以上前の昔話となった戦前犬界の記憶は忘れ去られていきました。
戦時中にやらかしたペット迫害の黒歴史を忘れたかった、という気持ちも強かったのでしょう。
何で私が怒っているのか、不思議に思う方は井上こみちさんの原作を読んでください。
「良いとこ探し」くらいしたかったんですけど、もういいです。
二度と観ませんし、その時間で小説を読み直した方が百万倍マシです。
犬の戦時供出について、碌に調べもせず先入観だけで批判を繰り広げる無責任な人々に、私は反感をもっていました。
そうやって犬の歴史を捻じ曲げる彼らへ反論すべく、当時の記録をブログへ掲載してきました。
でも、戦争の犠牲となった犬を憐れに思うからこそ感情的にもなる、そこだけは共感できます。
今回のドラマは、「そうではない人々」を大量生産した事が問題なのです。
犬のことなんかどーでもいい人達を。
このドラマに対する私の不平や不満は、戦争の犠牲となった犬を憐れむ氣持ちなどこれっぽっちも持ちあわせていない、手前のご大層な歴史観とやらの為に犬を利用して恥じる心もない、そんな人達に付け込まれるような作品に仕立ててしまった制作陣への憤りなのでしょう。
本当に、それがとても腹立たしいのです。
をはり。
4年後の終戦70周年あたりで、このような勘違い戦争ドラマが制作されないことを切に祈ります。
何で私が怒っているのか、不思議に思う方は井上こみちさんの原作を読んでください。
「良いとこ探し」くらいしたかったんですけど、もういいです。
二度と観ませんし、その時間で小説を読み直した方が百万倍マシです。
犬の戦時供出について、碌に調べもせず先入観だけで批判を繰り広げる無責任な人々に、私は反感をもっていました。
そうやって犬の歴史を捻じ曲げる彼らへ反論すべく、当時の記録をブログへ掲載してきました。
でも、戦争の犠牲となった犬を憐れに思うからこそ感情的にもなる、そこだけは共感できます。
今回のドラマは、「そうではない人々」を大量生産した事が問題なのです。
犬のことなんかどーでもいい人達を。
このドラマに対する私の不平や不満は、戦争の犠牲となった犬を憐れむ氣持ちなどこれっぽっちも持ちあわせていない、手前のご大層な歴史観とやらの為に犬を利用して恥じる心もない、そんな人達に付け込まれるような作品に仕立ててしまった制作陣への憤りなのでしょう。
本当に、それがとても腹立たしいのです。
をはり。
4年後の終戦70周年あたりで、このような勘違い戦争ドラマが制作されないことを切に祈ります。