小説版『犬の消えた日』の感想文 を書いたついでに、今回はドラマ版の感想をひとつ。

2011年8月12日、『犬の消えた日』が放映されました。
結論から先にいうと、見事な失敗作です。

刺身を食べに行った店で、変なソースをかけた黒焦げの焼き魚を出されたような気分。すばらしかった原作が俺様アレンジで台無しですよ。
ドラマ版『さよなら、アルマ』で見られたような、原作の矛盾点を映像化によって修正しようというスタッフの努力すら一切ナシ。「終戦記念日に向けてお涙頂戴のストーリを見せときゃいいんだろ」的な作り手側の傲慢さだけが鼻につきます。
放映された後ではどうしようもないんですけど、しかしどうにかならなかったの?という感想しかありません。

太平洋戦争が始まった昭和16年に撮影された写真。この女の子とシェパードは、残る戦時下の4年間をどのように過ごしたのでしょうか?

ドラマ化にあたって原作を脚色するのは当然の事ですが、それにも限度があるでしょう。この改悪が視聴者への配慮なのか、もしくは制作側の事情なのかは知りません。
私だって批判したくて観た訳ではないし、「褒められる部分を探す」というポリアンナ手法を用いたいのですが、このドラマのように褒める部分が皆無だと困ってしまいます。

ドコが駄目なのかと言いますと、ほぼ全て。優秀なクリエイターたちが井上こみち氏の原作を読んで出した答えがマジでコレなのか?と、制作陣の読解力が心配になるレベルです。
だって、犬のドラマなのに、登場する犬は東亜とアルフの2頭だけなんですよ?
その東亜も死なない、アルフは消息不明にならない。原作のフリッツやサチマルやタマ(猫)たちは存在自体カット。
犬のドラマが犬を軽んじてどうするのだと、非常に腹が立つワケです。

更にこのドラマは、「戦時下の日本」も軽んじまくります。戦時体制に協力した一般大衆の同調圧力、その恐ろしさの表現を放棄しているのですよ。
キーポイントと言ってもよい、警察官と殺処分業者の重要な会話はカット。
原作に登場しないオリジナルキャラクターの描写(犬とは無関係)に延々と時間を浪費。
トドメとばかりに意味不明かつ禁じ手のハッピーエンド改変。戦時体制の悲惨さが全く伝わりません。
不要な物をわざわざ付け足して、大切な部分をゴリゴリ削除して、もう、原作とは完全に別物です。

 「在郷軍用犬の出征」と「ペットの毛皮供出」という明確なテーマを持つ原作を、どちらもテキトーな描写でぶち壊しにするとは。器用な芸当ですねえ。
時代感を演出するための小道具に力を注ぎ、一番大事な「戦時犬界の描写」という根幹部分を見失ってしまったのかもしれません。 
ここまで不誠実な作品に対しては、残念ながら擁護する気も失せてしまいます。

帝國ノ犬達-買い上げ


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