生年月日 不明
犬種 シェパード
性別 不明

地域 北海道札幌市

飼主 江上雅己氏


水野宗徳氏の小説「さよなら、アルマ(サンクチュアリ出版)」に登場する軍用犬のモデルとなった犬です。

社団法人帝国軍用犬協会(略称はKV)札幌支部メンバーである江上雅己氏の愛犬でした。


あの小説は、札幌から出征した実在の軍犬「アルマ」の写真を元に書かれた創作。

現実のアルマは、札幌を拠点としていた日本陸軍第7師団歩兵第25連隊軍犬班 か関東軍あたりに購買され、樺太方面か大陸へと赴いたのでしょう。
今回は、実在のアルマに関する記録を辿ってみます。


帝國ノ犬達-アルマ

「八月十四日午前八時より北六構内に於て〇〇軍による購買が實施され、天氣晴朗にして未曾有の多數軍犬應募して大いにその意氣を示した。購買官は三谷大尉その他秋山、原両軍属が随行された。

厳密なる審査の結果〇〇頭の合格犬を出し、皆優秀なるものばかりで特に稟性的には理想的な犬達であり頼もしかつた」

『札幌支部 軍犬勇躍出征』より 昭和15年


上の写真は江上氏が在籍中、KV札幌支部から購買された軍用犬たちの出征風景。

アル(マ?)という犬も写っていますが、江上さんのアルマなのか、他のアルマやアルフなのかは分りませんでした。

昭和6年の満州事変以降、北海道からも多数の軍犬が出征しました。それらのうち、ビー號 など何頭かの軍犬が凱旋部隊と共に帰国した記録はあります。
しかし、札幌のアルマの消息は不明のままです。 ※「戦地の軍犬は一頭も帰国できなかった」という話は敗戦時のことです。満州事変~戦争初期、戦地から帰ってきた軍犬は何頭もいました。


帝國ノ犬達-さよなら、アルマ
昭和15年夏の北海道地域KV会員名簿。札幌支部に江上氏の名が記されています。


【札幌から出征したアルマ】


アルマの飼主であった江上氏が、KV札幌支部に在籍していたのは昭和15年前後のこと。

日中戦争がはじまった昭和12年以降、前線へ配備する軍所管犬が不足したことで在郷軍用犬(要するに民間人のペット)の購買調達が拡大されます。日本軍犬班は、民間ペット界という巨大な資源母体が支えていたわけですね。

日本陸軍の軍犬購買会への参加資格があるのは、帝国軍用犬協会登録犬が中心でした(日本海軍では日本シェパード犬協会登録犬を中心に調達)。だから、江上さんのKV在籍期間中にアルマは陸軍に購買され、出征したことになります。

KVの北海道支部に札幌支部が新設されたのは昭和12年。そして昭和13年度までの帝国軍用犬籍簿に江上さんのアルマは記載されていません。 緒戦の段階では、まだ出征していなかった訳です。

 

江上さんがKV札幌支部へ入会した時期は昭和14年9月以降。そして翌年末に退会していますから、アルマが出征したのも昭和15年頃なのでしょう。

短期間の在籍だったところを見ると、アルマを献納するためだけの目的で入会したのかもしれませんね。


アルマが出征した時期、合致する札幌支部登録犬たちの出征記録があります。

帝國ノ犬達-軍犬購買
上の画像は、北海道における軍犬購買会開催通知の一例。
江上さんは、北海道地域で定期的に開催されていたこのような軍犬購買会にアルマを出陳したのだと思われます。
ちなみに手当たり次第の購買ではなく、基礎訓練、健康状態(ミクロフィラリアの感染状態など含む)や狂犬病予防注射済証明、稟性や体型などを審査のうえ、購買価格交渉で折り合いがついた個体が「出征」となりました。国費を投じて軍務不適格犬を調達することは許されなかったのです。

「〇月〇〇軍の購買に合格した名誉の軍犬〇〇頭は、〇月〇〇日勇躍壮途にのぼつた。
午前七時三十分、札幌護國神社前に勢揃ひした英霊に武勲を誓ひ、武運の長久を祈つて後、八時過ぎ喇叭隊を先頭に、支部より贈られた壮行旗を押したて停車場通りを更新して町余に亘る行列は正に壮観であつた。
途中札幌市役所に立寄り、所前に整列して市長代理より熱烈なる壮行の辞を受け、九時過ぎ札幌驛に到着。
支部よりの餞け、食パンに舌鼓を打ち、飼育者やその家族の手にて涙ぐましくも勇ましい別離の愛撫を受け、歓呼の旗の波を分けて炎熱の大陸へ向つた」
『軍犬勇躍征途へ』より、昭和15年


その直後、江上さんはKVを退会。おそらく、上記の軍犬出征でアルマを送り出して「務め」を果たしたのでしょう。

陸軍が幾らで江上さんからアルマを購入したのか、札幌軍犬購買会の記録を探りましたが詳細は不明のままです。


帝國ノ犬達-アルマ
札幌軍用犬の出征から3カ月後、江上さんの退会を伝える会員消息(昭和15年11月)。


何とか此処まで記録を辿れました。

江上氏の活動期間が絞り込めたので、あとはアルマの犬舎名などに関する史料を探すだけです。ケンネルネームが分れば、アルマが生まれた時期、保有資格、性別のみならず、親や兄弟犬なども追跡できますし。

そこで昭和15年のKV札幌支部の記録を調べたところ、在郷軍用犬「アルマ・フォン・ヴォルフスヴィーゲンハイム」が簡単に見つかりました。

ついでに母方の祖母、チェリー・フォン・ハッピーランドもカンタンに見つけることができました。

https://ameblo.jp/wa500/entry-10488791050.html

これにてアルマの調査終了。めでたしめでたし。

……と、いう訳にはいきません。


「札幌のアルマ」は、小説のモデルとなったアルマだけではなかったのですから。


帝國ノ犬達-アルマ
昭和15年時のKV札幌支部登録だった在郷軍用犬アルマ。所有者は江上さんではなく福光さん。

このアルマが戦地へ出征したかどうかは不明です。

KV札幌支部『紀元二千六百年記念北海道軍用犬寫眞集』より。


昭和15年時の札幌では、「アルマ」という名のシェパードが複数(少なくとも4頭以上)飼われていました。

ヴォルフスヴィーゲンハイム以外に、アルマ・フォム・ハウスクンコウKZ8804(岩澤惣一氏所有)やアルマ・フォム・水無月荘などの名が確認できます。

しかし、出征犬の詳細は残っていません。どの犬が小説のモデルとなった「札幌のアルマ」なのかは分からないのです。


全国から戦地へ赴いた軍犬たちの中にも、アルマという名の犬は何頭もいました。

小説のアルマは満洲国で抗日ゲリラやソ連軍と戦う「警戒犬(歩哨犬や斥候犬の総称)」として任務につきましたが、下記はフィリピンの戦場で散った「伝令犬(通信文書を運ぶ軍犬のこと)」アルマの記録。


「駈けてくる、駈けてくる。砂塵を蹴つてアルマ號(牡、七歳)は疾風のごとく駈けて來るではないか。あゝこれを追ひかけて來る敵の銃火、そこは敵前僅かに二百メートル、丸山部隊本部だつた。

最前線の植田隊からの連絡はすでに絶たれてゐた。無電を連絡しようにも電話連絡しようにもあまりに敵が近すぎる。しかも一刻たりともゆるがせに出來ぬ連絡だつた。待ち抜いてゐる矢先に稜線の端にぽつんと浮いた點はぐん〃大きくなつて來た。

それがアルマ號だつた。

思はず「有難いぞ!連絡が出來た」

部隊員は喜びに萬歳を挙げる。と同時にどうしてこの隙間ない弾幕をついてアルマ號がここまで到着出來るだらうか、さうした不安が誰の胸にもぐいぐいと擴がつて行くのだつた。それ程激しい敵の銃砲火の中なのである。

過ぐる昭和十二年事變勃發とともに大阪の一篤志家から献納され、ノモンハンでも中支の戰線でも殊勲を挙げて來たアルマ號ではないか。大丈夫だと信じつゝもアルマ號の無事任務を達成するのを祈つてゐたのは、日頃からアルマ號と寝食をともにして來た軍用犬取扱ひの木場高常上等兵(和歌山縣)だつた。

しつかりやつてくれよと祈りつゞける木場上等兵の眼前にアルマ號は次第にその姿を大きくして來た。アツその瞬間、天地も破れるやうな大音響と共に砲弾落下、見えない、アルマ號の姿は消えた。

駄目か、アルマ號。

だがアルマ號は生きてゐた。

濛々たる砲煙の中をアルマ號は走つて來る。しかしアルマ號は弱り切つてゐるやうだつた。

よろけながら走り續けてゐるのだ。

身に數ケ所の弾片を浴びたに違ひない。やがてバツタリ倒れて動かなくなつた。

どうすればよいのだ。距離はすでに二百メートルに近づいてゐたが、救出に飛び出して行かうにもそこは十字砲火の炸裂地點。

ムツクリとアルマ號は起き上がつた。

速い。實に速い。それは恐らく死の一歩手前、最後の努力であつたらう。

五十メートルに近づいた。アルマ號の名を必死と叫ぶ木場上等兵。

アルマ號は木場上等兵の姿をみとめた。嬉しげに猛烈にさらにスピードを出して駈けようとした瞬間、アルマ號はばつたりと倒れた。

力盡きたのだ。

駈け寄つた木場上等兵が戰友に物を言ふやうに「しつかりしろ、しつかりしろ、なんだこれしきの傷、浅いぞ」、しかしアルマ號の傷は浅くなかつた。

全身に七箇所の致命弾を浴びてゐる。どく〃と頸すぢからは鮮血がしたたり落ちてゐる。

一命を捨てゝ見事に果した傳令任務だつた。鮮血にまみれた傳令書は、かくて丸山部隊長に届けられたのである。最前線と後方の連絡成る、進軍命令の下つたのはそれから間もなくだつた」

バタアン戰線○○にて讀賣塩川特派員『サマト山の華、天晴れ軍用犬アルマ號』より 昭和17年


【小説のアルマについて】


さて、ここで話を小説に戻しましょう。

本年末には「さよなら、アルマ」のドラマが放映されるとか(私も楽しみにしています)。

でも、原作の宣伝手法に腹を立てて散々悪口を書いていた身にとっては複雑な心境。

実在の犬をフィクションの役にしてしまうのも、創作だから問題ありません。お涙頂戴の手法も仕方ありません。読者が求めているのは感動のストーリーですから。


しかし、どうしても黙って見過ごせないのが

いまからおよそ65年前。 第二次大戦下の日本では、およそ10万頭ともいわれる犬が、殺人兵器として利用されていました(『さよなら、アルマ』より)」

という小説の宣伝文句です。


軍隊に所属する犬だから十把一絡げに殺人兵器呼ばわりですか。

ワレワレ日本人は誰かに連帯責任をとらせるのが大好きですからね。動物にそれを押し付ける愚行を恥とも思わないのでしょう。

人間の都合で戦争の犠牲となった犬を殺人兵器と罵っておきながら、「涙が止まらない」などと感動の押し売りだけは忘れませんか。ご立派ですねえ。

殺人兵器の言葉を使いたければ、アルマを徹底的に殺人犬として描くべきでした。


あの宣伝文に腹が立つ理由は、自らが「殺人兵器」の定義もせずにその言葉を用いていることです。

軍に所属するものは全て殺人兵器。何とも薄っぺらで短絡的な思考です。


それもこれも、戦時中にマスコミが使いまくった「動物兵器(活兵器)」という言葉が元凶なのです。

軍事用の動物に対する日本軍の正式な呼称は「軍用動物」でした。

広義の「軍用動物」は、戦闘・移動・輸送・通信・食用・実験など多岐に亘る分野の動物を含みます。「動物兵器」とは、軍用動物の一用途に過ぎません。

たとえば「軍馬」だけでも、騎兵隊の「乗馬」や輸送隊で荷を運ぶ「駄馬」「輓馬」に区分されていました。「乗馬」は動物兵器ですが、「駄馬」「輓馬」は戦闘に参加しない荷役獣です。

そんな基本も調べていないから、あんな間違いを垂れ流すのでしょう。


軍事用の技術やモノが用いられるのは、戦闘兵器から兵士の日用品まで幅広い分野に亘りました。

それらの中で「殺人兵器とは何か」に限定してみましょう。


兵士の持つ鉄砲、手榴弾、銃剣などは殺人兵器です。

では、兵士の装着するヘルメットや水筒はどうでしょうか?軍服や軍靴は?携行糧食は?救急医療キットは殺人兵器ですか?

これらも軍の装備品ですよね。


バカバカしい話ですが、もう少しガマンしてください。


戦車や戦闘機や戦艦は殺人兵器です。

しかし、兵士や軍需物資を輸送するトラックや輸送機や輸送船は殺人兵器でしょうか?

この辺は判断に迷います。

では、軍用の野戦電話や無線機器や通信文書は殺人兵器でしょうか?

兵士の安全を確保するために使われる地雷探知機は?

負傷兵の命を救う衛生機材は、殺人兵器ですか?

そんな訳ありませんよね。


上記を日本軍犬に当て嵌めた上で

アルマに関して、安易な気持ちで「殺人兵器」という言葉を使った人々に問いましょう。


あなたは、日本軍が使っていた軍犬は殺人兵器といいたいのですね。

確かに、対敵任務に従事した「警戒犬」は殺人兵器かもしれません。

しかし、食糧弾薬を輸送する「運搬犬」は殺人兵器でしょうか?

この辺は判断に迷います。

では、通信文書を運んだだけの「伝令犬」は殺人兵器でしょうか?

列車の安全を確保するため、満鉄沿線をパトロールした「地雷探知犬」は?

戦場に倒れる負傷兵を捜し出し、その命を救った「衛生犬」がどうして殺人兵器なのですか?


上の問いを踏まえて、もう一度考えてみてください。

あなたの定義する「殺人兵器」とは何でしょう?

戦争の犠牲となった犬達にあなたが向ける言葉は、それでも「殺人兵器」ですか?


現実の「10万頭ともいわれる犬」の中には、警戒犬もいれば衛生犬や伝令犬や地雷探知犬もいました。その多様な任務を知っていれば、彼等を軽々しく「殺人兵器」で一括りするなんて出来ない筈。

犬を軍事利用した戦時体制を批判するなら兎も角、犬にまで戦争責任を押し付けようとする卑劣さには呆れました。

あの心ない宣伝文句は、そういう人々を大量生産してしまったのです。


小説の宣伝手法に対する不平不満は以上。
日本近代畜犬史にとって必要なのは、小説で描かれるフィクションの「殺人犬」ではありません。現実世界の日本軍犬達の記録を、ひとつひとつ拾い上げていくことです。


【たくさんのアルマたち】


帝国軍用犬協会員の江上雅己さんとアルマの別れについてはこれ以上調べることが出来なかったので

日本シェパード犬協会員の江添克己さんとアルマの別れの記録を。


「會員の皆々様、長い事御無沙汰致しました。應召出征後は元氣に軍務に服務致して居ります。厚く御禮申し上げます。今年の冬は雪のない越後とのみ思つておりました處、大雪とで大變と驚いております。

雪の越後と化しないうちに高田をのがれ、仙台へ参りましてとうとう小生をして雪のない國に至らしめました。

出征入隊後は軍犬班に勤務致しておりましたこと故に、何か送らなければと思い居りましたが、つい失禮致しておむくい致します故、何分の御容赦を……。

聖戰も銃後の皆様の御聲援の下に全支に渡り連戰連勝の駒を進め、破竹の勢とはこんな事でせう。

望みかけて大阪迄で交配に送り、長き旅も主が恋しゆうて泣いて行つたバルダも無事出産した。仔を持つてのなやみなやみにおはれて訓育致し、基礎訓練もぼつぼつ初つた頃は大望男子の本懐なる赤紙と矢つぎ早に赤襷となつて、幼犬のアルマとは別れなければならなかつた。

驛での泣聲も忘れる事のできない淋しい腹に渡るせつなさ。恋に破れた男女もこんな気になるのではないかと、まだ恋をしらずの俺がおもつた。

長い間の軍隊生活にて老いた父母の手にて風邪一つ引かずはぐくみ行くアルマだつたが、運動にも事かく次第によつて手放さなければならぬ。今日通知に接した時は一夜も二夜もまんぢりとしなかつた際におる犬の事も、家のも同じ様に巡つて來ては去り行く。

(召集)解除になればデウエツとかチツスに交配願ふ豫定で居つたのも水の泡となつてしまつた。 隊の育成犬を戰地に送る時の氣持ちは、こんなせつぱつまつたセンチメンタルな事は一度もなかつた。愛情か犬への恋か、現在こんな事もないと思ふていたのになほつらい。良き蕃殖家にと祈つてゐる」

第二師團司令部軍犬育成通信班 江添克巳『井戸の中から』より 昭和17年


戦争の犠牲となったアルマは札幌の一頭だけではありません。数多くのアルマ達がそれぞれの運命を辿ったのです。

以上。





……ドラマは良い作品になってほしいです。