【昭和の畜犬商】

 

大正時代に基礎が構築されたことで、昭和犬界は大きく発展していくこととなりました。ブルドッグの流行が去ると日本犬、ワイヤー、シェパードのブームが到来。このような時流に合わせてペットショップも品ぞろえを変えていきます。

 

関東畜犬商協會 鈴木仙之助

「最近は愛玩犬ではワイヤーでせう」

関東畜犬商協會 西村和介

「昔はフオツクス・テリアに大型と小型があつて、大型は横濱、小型は東京に多かつた。又ブルテリアは本郷大學前の洋食屋のものが有名だつた。ボクサーも牛込赤城下のラムネ屋にゐたが、一日中喧嘩してゐた」

帝國軍用犬協商會 伊東義節

「とにかく大概の種類の犬が來てゐます。五年前に私が三越で展覧會をした時にも四十四種類集めましたが、集めるのに非常に骨が折れました」

関東畜犬商協會 三木犬心

「今會をやれば何頭位集まるでせう」

伊東

「集めるとなつたら五百頭位は集るでせうし、シエパードだけでもその位はゐる」

関東畜犬商協會 鈴木仙之助

「愛玩犬ではテリアが一番多いやうですね。昔はグリフオン、プードル、マルチーズ、コツカースパニールなどが流行つたこともある」

関東畜犬商協會 上田辰次郎

「シエパードが多いといつても、テリアにはかなはない。いゝ犬は別として東京市の一區に百頭以上ゐるだらう。數も増えたが、お客さんも進歩した。お客さんの頭は現在の営業者よりも上だ。これは営業者も大に考へなければならない點で、眼が明るくないといくら正直に商賣した積りでも結果不正直になる」

鈴木

「だが、値段を見る點では商賣人にはかなはない。一つには慾も手傳ふせいもある」

三木犬心

「とに角外國の本や犬の雑誌の口繪寫眞の名犬を見せて、かう云ふ犬の仔を買ひたいといはれるが、さていくら位お出しになるかときくと、まあ五十圓以下だなどと云はれるので驚くこともあります」

鈴木

「又仔犬を見わけるのはむづかしい。これを見わけるやうになればほんとうの玄人だ。何といつてもシエパードは日が浅く、どうも未だ素人が多いやうですね」

「玄人側の元老に聴く 畜犬回顧と買犬心得」より 昭和9年


帝國ノ犬達-畜犬商

帝國ノ犬達-畜犬商
日本畜犬合資會社の広告と近景。 昭和10年

 

【軍犬報國運動とペット業界】

 

満洲事變以降、日本犬界も戦時体制下へ組み込まれていきます。いわゆる軍犬報國運動の始まりでした。
当時の日本軍は独力で軍犬を大量配備していた訳ではありません。民間人の飼育する軍用犬(軍用適合犬種の略)を資源母体とし、購買調達していたのです。
これら「在郷軍用犬」の供給も畜犬商が支えることとなりました。
畜犬商から購買された犬は、民間飼育者の手で訓練育成が施され、優秀な個体は軍に買いあげられて大陸の戦場へと旅立っていきました。
日本軍が軍犬の大規模運用を成し遂げられたのは、東洋の島国にシェパードが普及していたからこそ。
シェパード普及は、多数のブリーダーや畜犬商が存在したことで可能となったのです。

昭和8年、軍部と飼育者の仲介窓口として社団法人帝国軍用犬協会(KV)が発足。日本最大の畜犬団体が登場したことで、これに接近を図る畜犬商も現れます。
帝国軍用犬協会は、設立当初から商売を目的とする畜犬商の会員加入を認めていませんでした。その為、帝国軍用犬協会員は個々のつてを頼って畜犬商やブリーダーから犬を購入するしか無かったのです。
軍用犬ブームに便乗して悪徳畜犬商が跋扈しはじめると、「雑種犬を高値で買わされた」「偽造血統書を掴まされた」などと被害を訴える会員も出てきました。
これでは、KVの軍用犬飼育者増加計画にも悪影響を与えます。
対応策として、KVは優良畜犬商を集めた帝国畜犬協商会(KS)を設立。全国各地でも畜犬商組合が結成され、悪徳畜犬商の排除と信用向上に努めていました。

畜犬商組合の結成と共に、それまで跳梁跋扈していた悪徳ペット商は駆逐されていきました。
KV会員というカモを失い、悪知恵の働く業者は海外の愛犬家に目をつけます。

狙われたのは、海の向こうに浮ぶ台湾でした。
各地に張り巡らされた愛犬家のネットワークにより、詐欺行為への注意喚起はなされていました。しかし距離的な問題もあり、「外地」での詐欺行為はナカナカ根絶できなかった様ですね。

下記はその一例です。

「極最近の事、我等の同好會から神戸の〇〇〇に注文して十數頭の犬が参りました。みな注文者に配つたのですが、其の内には見知らぬ人が行けば死物ぐるひで逃げ出す名犬が居ります。而も六ヶ月を過ぎた犬で。之も矢張りシエパードでせうか。軍用犬でせうか。
臺湾はシエパードのカスの捨て處と違ひます。
内地の兄様、姉様、どうぞ純真な臺湾の弟をヒネクレない様に育てゝ下さい。子供の腕をネヂ上げる様な事はなさらないで下さい。〇〇はいざ知らず、そうした不純な會員が一人でも吾が大帝犬の中に居られては、正しく大帝犬の恥辱です。
臺湾では今内臺人一體となつて、非常時南方の護、吾人の臺湾の為に軍犬報國に一路邁進してをります。熱心なる會員の中にはあらゆる難関を見事突破して、十數頭の仔犬を挙げてゐます。
世界で一番雨の多い基隆にも、又臺北にも、臺中、臺南にも。そしてやつと目が開くか開かない内に、早聞きなれぬ声に親のマネして吠えてゐます。時にはウルゝと威嚇もしてゐます。五六ヶ月もして人の足音に逃げ出す様な内地の名犬とは少し違ふ様です。
大江山に鬼が居たのは昔の事、臺湾には現在蕃人(山岳民族。高砂族のこと)が居ります。さき頃、霧社事件のモーナルダオ(セデック族マヘボ社による武装蜂起事件。モーナル・ダオはマヘボ社の頭目)をよも御忘れではないでせう。
北海道には熊狩のアイヌ犬が居る如く、臺湾には猪狩に使ふ生蕃犬(フォルモサ・マウンテンドッグ)が居ます。今内地から來てゐる様なシエパードですと一ペンに噛み殺されて了ひます。又あの蕃人に出合したらどうでせう。防御衣よりも物凄い風體、面魂に一ぺんに参つて、尻尾を肢に一目散とくるでせう。
シユテフアニツツが泣きます。
シエパードが泣きます。
今後何卒警戒心なき犬、シヤイな犬を臺湾の方に売りつけないで下さい。
再び言ひます。臺湾はシエパードのカスの捨て處ではありませんと。
一部の兄様や姉様、又は〇〇の心なき人の為には臺湾犬界は餘程かきみだされてゐます。名犬をとは言ひません。シエパードらしきシエパードを相當の代価で御譲り下さるなら安心して御願も出來ます。キツト〃發展も早くなる事でせう。内地のお兄様、どうぞ産れた計りの純真な弟を、このまゝ真すぐに育んで下さい。色々なインチキをされるとすぐ覚えてしまいひます」
木下早夫「内地の諸兄に御願ひ 臺湾の弟より」 昭和10年

ハチ公が有名になって日本犬の再評価がはじまると、にわかに日本犬飼育ブームが巻き起こります。畜犬商たちは山間部を訪ね歩き、純血日本犬を片っ端から買い漁りました。
これは日本犬の宣伝に一役買ったものの、山間部に生き残っていた土着犬は「乱獲」によって次々と消えていきます。
畜犬商達は、植民地でも金になりそうな犬を探し回りました。朝鮮総督府が珍島犬の生息調査を行ったところ、ペット業者によって多数の珍島犬が島外へ持ち出されている事が判明、当局を慌てさせています。

営利主義の業界と無責任な飼主たち。ペットブームの弊害は、この時代から続いていたんですね。

 

白木正光

「いまゝで畜犬商の悪口をよくきゝますが、貴方方もそれを認めますか」

伊東

「畜犬商といつてもなにしろ澤山ありますから、誤解されることも多いと思ひます。何しろ、生物を扱ふので、普通の商品とはちがひますから、この目でみられると又こまります」

鈴木

「悪いことをしてゐれば、自然消滅の報が來ます」

西村

「うまくごまかして賣つてしまへばあとはかまはぬといつた様な人がゐるので、誤解を招き易いのでせう」

三木

「そして買つた犬がいろ〃批評されると、よくもこんな犬をよこしたと憤られる。それでゐて少しも御自分のねぎつたことを考へられない」

伊東

「そうです。粗末に育てゝはいくらいゝ犬でも駄目になる。素質六分、飼育四分ですからそれだけ大切に扱はなければならない」

上田

「先づ、信用ある店から、買はれるのが一番だといふことはいひ得るでせう。お客様の中には値切られるかたがあるが、これはかへつてよろしくないと思ひます」

伊東

「そうです。疑ぐつて買はれゝば、損をする。例へば五頭の仔犬のうち、値切られゝば、それだけ悪い方をおゆづりすることゝなるので、これは決して賣る方ばかりを非難出來ぬと思ひます」

白木

「一度見てすぐ買ふといふ人は少いでせうね」

上田

「いや、経験のある人はすぐ買ひますよ」

白木

「賣る犬に健康診断書をつけてやるのはどうです」

西村

「いやそれは不必要だと思ひます。なにしろ生物ですし、いつ死ぬかわからず、仔犬から成犬まで無事に育つといふ保證など出來ません。それに手數料などが負担になつて、お客様にも迷惑でせう」

上田

「しかし畜犬商の責任は重くなる。殊に高價な犬は健康診断書をつけてやるべきだ。それだけ綿密にすればお客様の信用も殖るだらう」

鈴木

「いや信用があつてやればそんな必要はないのでせう」

西村

「それに腹の合はない獣医さんだと、こちらが迷惑を受けることがあります。丈夫な犬なのに、皮膚病の氣があるといふ。かういふ風に扱はれたのでは堪らないので、健康診断をするなら、よくわかつた獣医さんの所へ行かなければならない」

伊東

「こちらに悪意を持つてゐる方もありますから、却つて何も知らない獣医さんの方がいゝ」

三木

「犬の座りだこといふものがありますが、よくこれを皮膚病とまちがへられる」


ただただ暗い時代であった訳ではなく、この頃に日本ペット界は大きく発展しています。
国内外製ドッグフード、多種多様な飼育訓練用具、医薬品の登場により、これらを扱うペット店は大いに繁盛していました。
アメリカで資格をとった女性トリマーや、トリミング業務を請け負うペット店が現れたのもこの頃です。

帝國ノ犬達-トリミング
昭和9年の広告より、ペット店による日本最初のトリミング業務。

【戦時の畜犬商】

やがて、大陸での戦争は激化していきます。簡単にケリをつけられると思っていた陸軍ですが、泥沼の長期消耗戦へ突入していきます。
戦争による軍需原皮の減産を予測した商工省は、昭和13年に野犬の皮を統制対象としました。昭和16年には農林省もこれに追随します。
犬の毛皮は戦争遂行のための資源となったのです。

昭和14年には節米運動が起きたことで、食料不足への危機感が高まりました。それを機に、戦時体制化を進める政治家、狂犬病対策に苦慮していた警察、食糧問題に取り組んでいた農林省関係者は、“無能犬”への攻撃を開始。
「貴重な食料をペットに食わせるのか」と白眼視され、愛犬家にとって辛い時代が訪れます。中部地方で駆除野犬の肉が市場流通するようになったのもこの頃からでした。

日本人にとって、犬は憎むべき対象となりました。
無能無策の政治家や暴走する軍部に向けるべき鬱憤は、弱者である犬へと転嫁されてしまったのです。

軍用犬や猟犬の飼主は、攻撃を避けるべく「自分たちの犬は国家の役に立つ有能犬である」と言い張りました。「有能な犬」が保護されるべきであるなら、スケープゴートとなる「無能な犬」を仕立てる必要があります。

戦時ペット界では、「飼料が少なくて済む小型犬を飼いましょう」と涙ぐましい宣伝をしていました。
しかし、「無能な小型犬」を飼育するのは人々の憎悪を煽る結果となったのです。

帝國ノ犬達-第一商会
飼糧の不足、海外からの畜犬輸入ルート途絶といった悪影響にも関わらず、戦時中に開店したペットショップもありました。
昭和15年の広告より

 

太平洋戦争へ突入すると、銃後の物資不足も深刻化。犬の餌どころか人間の食事にも事欠く状況になると、再び「無駄飯を食むペットを毛皮として供出せよ」との声が高まりました。

 

欧米との畜犬輸入ルートが途絶した戦争後期も、国内ブリード個体が流通しまくっていました。

昭和18年の広告より(翌年末からペット毛皮供出運動が始まり、日本犬界は崩壊します)


ペット店が営業していたのは昭和18年まで。この年までは愛玩犬販売の広告も細々ながら掲載されていました。欧米との畜犬輸入ルートが途絶しても、国内蕃殖個体が流通していたのです。
しかしそれも、戦局の悪化でトドメをさされました。昭和19年にはサイパンが陥落し、本土空襲も始まります。
日本畜犬史上、最悪の年が訪れたのです。

飼育用具
物資不足により、ペットショップも材料の確保に苦しむようになりました。この広告にも、その辺の事情が記されています。

昭和19年末、厚生省と軍需省(旧商工省)は全国の地方長官(知事)へ畜犬供出運動の実施を通達。警察による野犬駆除活動の一環として、地域のペットも毛皮にしてしまえという乱暴極まりない命令でした。
こうして全国の都道府県において、犬のジェノサイドが展開されます。
有能犬たる「軍用犬・警察犬・狂犬病予防注射済の猟犬、天然記念物指定の日本犬」を除き、多数のペットが殺処分されました。
戦争でたくさんの犬を必要としながら、戦争によってたくさんの犬が殺されたのです。

昭和20年3月、こうして日本犬界は崩壊しました。

この時期の畜犬商がどのような活動をしていたのか、混乱と資料不足によく分かりません。
驚くことに、戦争末期にも営業を続けていたペットショップは幾つもあります。下は昭和20年の広告。

帝國ノ犬達-畜犬合資会社
昭和20年の雑誌に掲載された、日本畜犬合資會社の広告。空襲と食料難に晒された戦争末期にも、犬の販売自体は続いていました。

昭和20年8月15日、総力戦の末に日本は敗北。
その直後から、奇妙な光景が見られるようになりました。畜犬供出運動と戦争で全滅した筈のペットたちが、そこかしこに姿を現すようになったのです。ペットを屋敷の奥へ隠匿したり、供出運動自体が徹底されなかった地域もあったのでしょう。

日本犬界が本格復興をスタートしたのは、敗戦後の昭和22、3年頃から。混乱の中、出征していたメンバーの帰国などによって幾つかの畜犬団体が活動を再開します。この年から進駐軍兵士にもペットの持ち込みが認められるようになり、愛犬雑誌の発行も始まりました。
治安上の問題から番犬を求める人や、生活の余裕が生れたことでペットを飼育する人も増加。
日本人にとって、犬は愛すべき友となったのです。

日本犬界は戦後復興と歩調を合わせて発展、高度経済成長期以降はペット業界も隆盛を極めていきました。
あまりにも便利になったことで、問題も発生しています。投機目的で犬を販売した東京畜犬事件は、戦後の悪しき事例となりました。加担するメディアはペットブームを煽り、流行が去るたび捨てられるペットたちを増やし続けました。

ペットショップの在り方はこのままで良いのか。
より良き日本人と犬との関係のため、問題提起がなされるようになりました。長きに亘って日本犬界を支えてきたペット界も、将来を見据えた仕切り直しの時期に入っているのでしょう。