名犬流行時代に長い歴史を持つ純朝鮮犬で、獰猛ではあるが飼手には温順、しかも敏感な軍用犬にも、番犬にも、獵犬にも百パーセントな適用性を持つ申分ない珍島犬を、半島動物學の第一人者城大豫科教授森爲三博士の手で調査研究した結果、如何なる優秀な洋犬にも劣らぬ、世界に誇る畜犬界の王者とも稱すべき良犬である折紙が付けられ、我畜犬界にセンセイシヨンを惹起す快ニユースが齎された。

 

京城日報『名犬流行時代に朝鮮の花形登場(昭和12年)』より

 


朝鮮半島では古くから愛玩・警備・狩猟・食肉・廃物処理などに犬を利用しており、中国の影響も受けて各地に様々な品種がいました。

統治側であった日本での評価は「日本犬に匹敵する、朝鮮半島の貴重な在来犬である」から「毛皮以外に価値が無い駄犬である」まで様々でした。それゆえか、珍島犬の調査は昭和12年と遅めのスタートになっています。

 

近世の鎖国を経た近代は、古代や中世に続いて日韓犬界の交流が活発化した時代でした。日本列島と南樺太と朝鮮半島と台湾と満州国と中国の間を、犬たちも行き来していたのです。

現代では日本列島しか視野に入らないようですが、「近代日本のエリア」を地図で俯瞰すれば当然のことなんですよね。

近代の北東アジア一帯には洋犬が大量流入し、交雑化によって多くの在来犬が姿を消します。

日本の場合は内務省・文部省といった公的機関、日本犬保存会・日本犬協会をはじめとする愛好団体、それに個々の愛犬家までが和犬保護活動を展開。幾つかの地犬がギリギリセーフで生き延びることができました。

 

しかし、統治下にあった南樺太、朝鮮半島、台湾の在来犬はノーガード状態が続きます。

カラフト犬や台湾犬の調査は遅々として進まず、その間に日本人入植者が持ち込んだ洋犬との交雑化が進みました。

その状況は朝鮮半島でも同じこと。

朝鮮半島で「朝鮮産業共進会畜犬大会」が開催されたのは大正11年です。日本と同時期に民間ペット界が隆盛していたワケで、舶来の洋犬はどの地でも大人気でした。

昭和に入ると「ソウル・ケネル倶樂部」「朝鮮シェパード犬倶樂部」「京城シェパード研究會」が発足。更には内地犬界からも日本シェパード倶楽部や青島シェパードドッグ倶楽部が、後年には帝国軍用犬協会、日本シェパード犬協会などもソウル支部を開設し、朝鮮半島犬界も隆盛を極めます。

この時代になっても、在来犬保護に関する動きは一切ナシ。犬の飼育が制限されていた訳でもないのに、畜犬行政は日本人が主導していました。

当時における朝鮮半島の畜犬登録内容は下記のとおり。洋犬は少数派で、大多数を在来犬が占めていますね。

 

總督府衛生課が本年三月末現在の調査によると、總頭數百三十九萬千百四十七頭に達し、咸南の二十二萬三千四百五十七頭、慶北二十萬七千四百三十八頭が多い方で、最も少いのが全北の四萬五千八百六十五頭。
種類別では、ポインター二千五百八十二頭、セツター千三百五十頭、狆六百八頭、テリア二百四十三頭、ブルドツグ二百十三頭、その他六百八十頭、他は朝鮮在來種である。

 

『朝鮮の畜犬數(昭和10年)』より

 

内地の畜犬行政による「畜犬」と「野犬」の区分は、統治下においても同じこと。

食肉・毛皮用と見做されたのは野良犬や飼育放棄されたペットであり、これらは「一般からの廃犬買い上げ」と「野犬駆除」によって調達されていました。つまりは日本の野犬駆除・三味線用犬革調達システムと同じです。

 

「朝鮮半島では手当たり次第に犬を食べていた」などと歪曲する向きもありますが、ペットは行政当局が登録した愛玩動物です。

朝鮮半島には優れた猟犬訓練技術が伝わっていたため、日本人ハンターも彼らをハンドラーや犬ボーイとして雇用。帝国軍用犬協会も軍用適種犬の保護を当局に求めており、現地のシェパードやポインターは大切に飼育されていました。

その一方で、朝鮮在来犬は放置状態が続きます。

粗末に扱われる彼らを再評価し、何とか救わねば。昭和3年に内地でスタートした日本犬保存運動を参考に、朝鮮半島でも在来犬保護の動きが始まりました。

その過程で見出されたのが珍島犬です。

 

森博士は豫て半島の南端多島海中の大島全南珍島に純朝鮮産の良犬がゐることを聞きこんで同島に赴き、約二週間滞在して、實驗研究の結果、この島に産する珍島犬こそ、同教授が多年捜し求めて得なかつた「純粋東亜系統の犬」であり、日本の名犬秋田犬位の大きさで同一系統と見られるスマートな體格をしてをり、性質は極めて温順であるが、野山に放せば恐ろしいスピードで走る獰猛さをもつてをり、嗅覺も以上に發達して極めて鋭敏怜悧であることが發見された。
現在は食用にされてゐる哀れさに、同博士は一時も速に之を救ひ、軍犬、番犬、獵犬として世界最良犬たる眞價を發揮させんと歸城早々天然記念物保存令により、内地の秋田犬、土佐犬同様に保存指定犬にすべく目下當局と交渉中である。

 

京城日報(昭和12年)


朝鮮半島土着犬保護の目的で、朝鮮総督府が珍島犬と豊山犬を「朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物第53号」に指定したのは昭和13年のこと。

秋田犬、紀州犬、四國犬、北海道犬、甲斐犬、柴犬、越の犬に続き、珍島犬も絶滅の危機を免れたのです。

……しかし前年に珍島犬の天然記念物指定計画が報じられると、これがアダとなりました。

「今のうちに内地へ移入しておけば、天然記念物指定後に高値で転売できる」。珍島犬は欲に目がくらんだ日本人ペット商に買い漁られ、保護開始の時点で激減してしまったのです。

※ちなみに戦時体制下でも日本犬ブームは続いており、「日本犬と名のつく犬なら何でも売れる」という状況にありました。

 

耳がピンと張りスマートなスタイルをして番犬に、軍用犬に申分ない純朝鮮産名犬「珍島犬」が、城大豫科森博士によつて發見され、愛犬家の間にセンセイシヨンを巻き起こしたことは既報の通りであるが、その後珍島には朝鮮は勿論、東京、大阪、遠くは東北地方の愛犬家や愛犬クラブの人達が殺到して、寂しい珍島に時ならぬ賑ひを來し、名犬「珍島犬」は飛ぶ様な賣れ行きで、中には惡質の商人も混つて大量買占めをやり、不當な利潤を上げようと策動してゐるものもあり、この儘放置したら珍島犬は忽ちにして種切れになりさうな破目に逢着したので、森教授は文珍島郡守宛に名犬保存の見地からベラ棒な安値の賣買と大量買占めを禁止してもらひたいと通牒を出し、珍島犬保存のSOSを發した。

 

京城日報『珍島犬に早くもSOS(昭和12年)』より

 

さて、内地へ持ち去られた珍島犬たちはどうなったのでしょうか?

不思議なことに、当時のペット商カタログに珍島犬が記載されることは稀でした。ならば、一体どこへ消えてしまったのでしょう?

「商品」でなければ、「商品を量産するための種犬」として用いられたのかもしれません。

日本犬復活を目的とした良心的なブリーダーとは別に、一部の悪徳業者は「偽装和犬」として日本犬と中国犬(チャウチャウ)を盛んに交配していました。

チャウチャウと交配した「三河雑犬」は姿勢が良くなるため、「これこそが純粋な日本犬」と勘違いした愛犬家へ高値で売れたのです。

全国へ販売されまくったチャウチャウ交雑犬は戦後犬界にまで禍根を残しました(各地に現存する「天然記念物指定されない地犬」の正体が、戦前に持ち込まれた三河雑犬の子孫だったり)。

この手の「偽装和犬」に珍島犬が利用されたかどうかは不明ですが、相当数の朝鮮在来犬が日本へ移入されていたことは事実です。

 

珍島犬保護のため、組織防衛がスタートしたのは日中開戦後のこと。ペット商の買い漁りに対抗するため、昭和13年に「珍島犬保存會」が設立されたのです。

下記によると、外地の在来犬が「広義の日本犬」と見做されていた記述もありますね。

 

生けるフオシル(化石)として見出された全南珍島犬は、先年、日本犬保存會理事齋藤弘氏の實地踏査により、その後森博士が詳細にこれを調べた結果、これは純粋な日本犬で、その性質頗る鋭敏强力であるとの折紙がつけられ、天然記念物として指定されるに至り、一方珍島郡では珍島犬保存會を組織して賣買は必ず保存會の手を經ねばならぬことにしたが、最近島外方面にもその保存熱高まり、全南道でも今後保存を徹底せしむるため保存會に命じ無斷賣買、撲殺、雑種交配等を嚴禁することになつたが、この犬の分布状態は珍島郡珍島面城内里東外里、南洞里、城洞里、邑内區域全般で、純粋蕃殖地は同郡智山面と稱され、現存約二百頭を飼育されてゐるが、内地紀州犬に最も酷似し、中型の日本犬と同類であり、日本犬でも樺太犬はシベリアからその他内地在來種は多く支那から朝鮮を經て内地に渡つたので、珍島犬を紀州犬その他日本犬と言つても鑑別が出來ない位である。

これに對する明確な文献はないが、昔から珍島に住んでゐた獵師達がノロ、猪狩に使つてゐたが、今は一般に番犬として飼育してゐるのが多く、中には北海道アイヌ犬に似た黑ゴマ犬もゐるが、これは純粋の珍島犬でない雑種で、純粋の珍島犬は毛色には區別なく、短毛の立毛で毛質は粗硬である。

 

『珍島犬大威張り(昭和13年)』より


しかし保存会の努力も空しく、珍島犬の流出は阻止できませんでした。昭和18年の朝鮮総督府資料でも、「天然記念物指定した筈の珍島犬が、ペット業者によって島外へ持ち出されている」「珍島に持ち込まれた洋犬との交雑化が深刻な状況である」と、対策に苦慮する様子が記されています。

更に、保護活動がスタートしたばかりの昭和14年にはジステンパーが大流行。多数の珍島犬が犠牲となりました。

 

 

当時の『京城日報』転載記事より(昭和14年)

 

それでも、個人所有のペットを軍需原皮として献納させられた戦争末期の内地犬界よりはマシでした。保護されるべき日本犬ですら「この戦時下に犬を飼うとは何事か!毛皮にしてしまえ!」と近隣住民から非難された時代です。

飼料不足、周囲の白眼視、米軍の空襲に耐えた愛犬家の努力により、日本犬は戦時を生き延びます。そのような状況下で犬を飼い続けた先人の努力を、戦後の日本人は忘れてしまいました。

珍島犬の保護活動も、現代では伺い知る事のできない試練があったのでしょう。

 

朝鮮半島が植民地支配を脱したとき、各地の在来犬種は大きな打撃を受けていました。 珍島犬保護法が制定された頃には朝鮮戦争が勃発し……と、珍島犬は苦難の歴史を歩んできたのです。

その混乱が韓国側の歴史歪曲を招き、ついには「日本人が珍島犬を滅ぼそうとした」などという陰謀論が爆誕。

日本側も「言いがかりだ!そっちのペット文化が未開だったからだろ!」「珍島犬はただの雑種だ!」などと威勢よく反論しているのですが、ソレは「日本は統治下の畜犬行政すらマトモに確立できないボンクラ三流無能国家であった」「朝鮮総督府は雑種犬を天然記念物指定したポンコツ三流無能機関であった」と叫んでいるのと同じなんですよね。

日本を褒めたたえている人々が、自ら率先して日本を貶めている不思議。

「近代日本」を理解できないので、相手を攻撃しているつもりがブーメランの投擲になっていることに気付かないのでしょう。

 

一次史料すら繙かず、大切な自国の犬界史すら「犬の歴史なんかネット検索で充分」と勘違いする傲慢な態度は、日韓両国ともに共通しています。そこから都合の良い部分をつまみ食いし、アジテーションのために幼稚な歴史歪曲をやらかすまでがお約束。

 

「朝鮮半島を近代化させてやった」などと統治側を気取りたければ、その責務として日本側が近代朝鮮犬界史を編纂すべきですよね?

対馬海峡の向うへ威勢よく吠えている人々は、自国犬界史について何か貢献したの?感想文ばっかりで成果物が何もないんですけど?

 

全ての責任を日本へ押し付ける韓国側の傲慢な態度。それに反論するための理論武装もできず、幼稚きわまりない論点ずらしで犬肉食の揶揄に終始する日本側の無知と不勉強。日韓双方がダメダメなので、このドッグファイトは延々と続くのでしょう。

ケンカの道具が欲しいだけで、犬の歴史なんかどうでもいいんですよあの人たち。

こちらとしては犬にかかわるなと思う次第であります。