ドーベルマンがゐれば金庫は要らぬ。

今度ドーベルマンを飼つて、初めてかう思ひましたね。家へ來てもう二ヶ年になりますが、つく〃かう思つたことです。

世の富豪なる者、ドーベルマンを一頭飼ふ事ですな。さうすれば金庫が氣になつて夜もロク〃眠れないなんて事はありませんよ。

但し僕は金庫代りに飼つてゐる譯ではなく、飼つてゐる内、これは金庫代りになる事を偶々發見したに過ぎないのです。

 

ドーベルマンはどういふ風に金庫代りになるか。僕達は彼を家の中に飼つてゐるので、寝る時は寝室へ入れる。

すると、夜中ですな。誰が寝室へやつて來ても、はいるのを許さないのです。

急用があつて晝間は犬とお馴染の書生がやつて來ても、一歩も寝室へ入れさせまいと云ふ劔幕です。

書生は彼を運動に連れて行く位ですから、犬とのお馴染は決して浅くない筈です。それにも拘らず、彼は厳重に寝室を護るのですから、その他の者は一切寄りつく事も出來ないのです。だから、よしんば強盗が押込もうと、寝室へは一歩も近寄れない譯ですな。

で、この寝室へ金銀財寶(?)を置いておけば、誰が來たつて盗られつこないから安心なもので、ドーベルマンが金庫の役をすると云ふのはかういふ譯なのです。

 

かういふ事もありました―。

兄が僕の留守にやつて來て、植木鉢の土を持つて行つた事があるのですが、これを犬が家の中から見てゐたのですな。

それからと云ふもの、この兄が尋ねて來る毎に、怪しいとばかり唸るので、犬をかくしてからでないと兄は上れない始末です。

多少の訓練は施してあるにせよ、實によく家を警備してくれますよ。

こんな調子でかなり凄い犬なのですが、まだ人を噛んだりした事は一遍もなく、まづ人様に御迷惑をかけた事はないのです。

生れですか。陸軍歩兵學校で、後琉球へ移られた佐倉の聯隊長の未亡人から貰ひ受けました。名はメリーです。

 

僕は初め犬を飼ふ事に、そんなに興味を持つてゐなかつたのです。それが今から十二、三年前のこと。ふと犬を飼つて見る氣になつた、といふのは、その以前からズーツと大學の實驗室にゐて、盛んに犬を殺して來たのですな。

僕が實驗に供した犬がザツと五十頭に亘るのです。その當時、家内が偶々病氣に罹つて―科學者としては妙な言葉かもしれませんが、その病氣といふのは今まで手をかけて來た犬の祟りではないか、と、まあそんな考へが湧いて來たのです。

實驗に用ひて來た犬はいづれも雌犬ばかりでした。だから家内に祟つたのではあるまいか、と思はれたのですな。

 

それで第五十一番目に當る實驗用の犬を、家に連れて來て、これを飼犬とし、これまでせめて今まで手にかけた五十頭の犬の供養をし様と思ひ立つたのです。

五十一號は「ゴイチ」といふ名で家に飼ひましたが、これが犬を飼ふ皮切りだつたのです。ゴイチは非常に人なつこい犬で、愛嬌者になつてゐましたが、十一歳まで生きてフヰラリアで亡くなりました。今のドーベルマン「メリー」は、その後に來たのです。

 

實驗室で犬を手にかける氣持ちは、實驗室の雰圍氣がさうさせるのか、別に何ともないのです。惨虐とも可哀相とも思はないのですが、何かキツカケがあると、氣持がグラついて來るものですな。

僕の友人で、家庭に病人が出たゝめ、實驗室を出て病院勤めに移つた者もあると云つた具合で、何か起ると、實驗は出來なくなつてしまふやうです。

 

ドーベルマン「メリー」は先も申す通り凄い犬なので、獸醫もお馴染みでないと不便を感ずるので、ずつと一人の方にお願ひしてゐますが、幸ひまだテンパーに罹つたことがありません。

實驗室にあつては、犬を試驗臺にして色々の病氣に罹らせ様とするのですが、犬は抵抗力が強くて却却病氣に罹つてくれないに拘らず、このテンパーに逢ふと、コロ〃殺されてしまふのは困つたものですな。

テンパーの細菌はどうも餘程のものらしい。もし人間にテンパーと云ふ病氣があると假定してですな、あゝ云ふ風にコロ〃仆れてしまふ様なことがあつたとしたら、今日既にテンパーの病原菌は發見されてゐたでせうな。テンパーの猛威から免れることが出來てゐたでせう。

何しろ相手が犬なので、この方面の研究も進歩してゐなかつたと思はれます。その内には犬のテンパーの研究も進境を見せることでせうな。

 

医者として犬を見て考へさせられることは、犬は自然療法をよく心得てゐると云ふ點ですね。

犬は馬糞などを喰つて汚いと云ふが、それも自然の要求で、自然療法の一つです。腹の惡い時に草を喰ふのも、矢張りその一つ。

實際、自然療法と云ふ事を考へさせられますよ。こいつは医者にとつて都合の惡いことかも知れませんがね。あつは、は。

 

ドーベルマンと一緒に生活してゐて、成程と感心する事は、これは怪しい食物だと思ふと一口に食べないで、徐々に試みて行く、納得がいつた所で、食べ出すことなどです。

形が異なり味が異なるビスケツトなどをやつても、無暗にボリ〃喰べないのですな。徐々に試みて喰べ出すなど、医者の立場から面白いと思つてゐます。

それから彼は又、決して大食をしません。こんな點なども人間に比較して興味があると思ひます。

つひ度を過ごして食べ勝ちなのが人間ですが、ドーベルマンは横目で睨んで、過食しないなど、これは一寸痛快な面白さを感じさせるではありませんか。

 

永末脩「犬の祟りが飼ひ初め(昭和10年)」より

 

実験動物とペットでは、扱いが全く違う。当たり前といえば当たり前ですが、実験動物を扱う先生たちも口を揃えて同じことを証言しているのが面白いですね。