昔は軍用犬として相当数を必要としたが、今日では時々思い出したように極東空軍の少数の購買があるに過ぎない。用途は警備である。
自国の自衛隊に至っては話にならない。雑犬で十分役に立つと主張する地方幹部のいる部隊では、保健所の狩り集めた野犬の払下げを受けて使用している例などあり、扱者の士気、誇り、その他無形の或は精神的な面など考慮に入れていない有様である。
戦後はしかし、警察方面で嗅覚作業を主とした警察犬の嘱託制度の採用があり、多少明るい面もある。しかし、シエパード犬の存在数とこれら需要数との差は非常に大きいのであるから、各団体はこの面でもよく協議して発展を計るべきで、たま〃の極東空軍の購買を中心に声明書を発して絶交したり、協力したり、或いは邪魔妨害をしたりして、目前の利益に血眼になって、百年の大計を忘れてはなるまい。自衛隊に対する工作、官公署、大会社工場倉庫等の警備、或いは巡邏犬としての警察犬等々の発展に努力すべきである。

 

高松孝清『シェパード犬種当面の課題(昭和32年)』より

 

同じ日本シェパード倶楽部(NSC)をルーツとする双生児でありながら、戦時を通して激しい抗争を繰り広げた帝国軍用犬協会(KV)と日本シェパード犬協会(JSV)。

この対立は、日本警察犬協会(NPD)と日本シェパード犬登録協会(JSAおよびJSV)へ再編された戦後復興期にも継承。戦時中の恨みを忘れていないJSAは、NPDとの協同路線を断固拒否します。

過去を蒸し返すJSAに対し、昭和27年にはNPDも絶縁を宣言。

「絶交したり、協力したり、或いは邪魔妨害をしたりして」いた両者が日本警備犬協会の仲裁で和解したのは、昭和32年のことでした。

国内シェパード界の安定によって、日本の軍用犬も復活したのです。

 

帝國ノ犬達-歩哨犬
航空自衛隊の歩哨犬


陸軍軍用犬史の最終回は、「戦後日本の軍用犬」がテーマです(当ブログは近代日本犬界を対象としますが、最後のオチだけは現代日本犬界ということで)。
1945年の敗戦により、数多くの日本軍犬が戦地へ置き去りにされました。国内に残留していた軍犬も、所有者たる日本軍の解体に伴って悲惨な運命を辿りました。
しかし、日本から軍用犬が消えた訳ではありません。

この記事を書いた2010年現在、海上自衛隊と航空自衛隊では警備犬を配備しています。

それでは、陸上自衛隊は犬を使わなかったのですか?

その前身である保安隊は?

そもそもの警察予備隊は?

というお話を。

日本軍用犬史を「旧軍から自衛隊への継承」というアリガチな展開にする上で、この部分はどうしても外せません。
自衛隊の犬にも旧軍、警察予備隊、保安隊から続く歴史があります。しかし、巷の軍事オタクが語るのは海自や空自の犬ばかり。彼らから無視された結果、保安隊や陸自の犬たちは存在すら忘れ去られてしまいました。

その手の人に限って、何を勘違いしたのか「旧陸軍の犬」と「海自・空自の犬」を絡めたがるんですよね。海自の犬は「日本海軍の犬」と比較検証すべきですし、空自の犬に至っては旧軍との接点すら無いというのに。

 

日本海軍も軍犬を配備していたので、海上自衛隊の犬はこちらと比較検証してください。因みに、海軍にベロールドを献納した淺田甚右衛門氏はJSV幹部です( 『横須賀海軍軍需部軍用犬近況(昭和10年)』 より)

 

家庭のアルバムに記されるペットと違い、軍事組織の犬は公的な記録が残されています。その自衛隊犬史すら辿れない、コレが日本犬界史の惨状なのです。

今まで解説して来た日本陸軍軍用犬史のラストとして、戦後日本における軍用犬史を取り上げましょう。

帝國ノ犬達-歩哨犬4

「1994年まで、スイス陸軍には核戦争対策の伝書鳩部隊があった」という事実は、一種の笑い話となっています。
ハイテク機器全盛の時代、「過去の遺物である伝書鳩を使っていたなんて時代錯誤も甚だしい」というのがその理由。
しかし、スイス軍の伝書鳩を笑える国が幾つあるのでしょうか?
少なくとも、軍用犬や軍用イルカを現在も配備している国は、似たようなレベルである事を自覚すべきです。ハイテク機器全盛の時代、未だに「過去の遺物」である軍用動物を使い続けているのですから。

人類は21世紀も軍用動物に頼り続けるのだと思います。これからも多くの動物が戦争の犠牲となるのでしょう。
良い・悪いの問題ではなく、我が国の自衛隊も軍用動物を配備しているという事実を認識してください。その過去を振り返り、現状を踏まえた上で、軍用犬の将来を考えるのも無意味ではありません。

帝國ノ犬達-歩哨犬

 

【旧軍軍用犬の終焉】

 

昭和20年の敗戦によって日本軍は解体されました。

敗れた以上、「敗軍の装備品」は勝者の管理下に置かれます。軍用動物も同じこと。
利用価値の高い日本軍馬は、返納式を経た上で蒋介石軍へ引き渡されています。戦地の駄馬や輓馬、内地でも軍馬補充部の馬は荷役や農耕用として地元住民が使用したケースもありました。
一部の日本軍犬も、八路軍や英軍が接収していきました。しかし、これらはあくまで幸運なケース。
「降伏」を訓練されていない彼らは、持て余されて殺処分されるか、大陸を彷徨する中で無惨な最期を遂げたのでしょう。

 

敗戦時に国内残留していた軍犬も、戦後になって飼主の許へ帰宅できたケースはごく僅かです。大部分は、日本軍の解体によって市場へ放出されるか、殺処分されるか、業者や近隣住人へ譲渡されるなどの運命を辿りました。


犬
在日米軍基地の警告標識

しかし、敗戦によって我が国から軍用動物が消え去ったわけではありません。終戦直後に日本軍関係者が極秘の軍用鳩部隊を編成していた事実は、黒岩比佐子氏が著書『伝書鳩―もうひとつのIT』で解明したとおり。

軍用犬に関しても、極東米軍、台湾軍、フィリピン軍にとって日本は重要なシェパードの供給地であり、購買された犬は日本を含めたアジア各国で軍事任務に就いていました。

時を同じくして、日本にも「軍用犬」が復活します。

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日本におけるアメリカ軍の軍犬購買広告。現在はヨーロッパ方面でマリノアなどを調達しています。

【警察予備隊の犬】

 

外地・満州国まで膨張していた日本犬界は、日本列島内へエリアを縮小して再スタート。

ちなみにコレは「戦争末期に崩壊した戦前犬界の復興」であり、進駐軍が欧米のペット文化をもたらしたワケではありません。

出征・疎開していた愛犬家たちが復帰すると共に、壊滅状態にあった日本犬界の再建が始まります。シェパード団体などは、北海道に残存していた個体群をもとに敗戦から僅か数年で全国各地の支部を復活させてしまいました(当時の状況を考えると驚くべきスピードです)。

 

優秀な血統は戦時中に途絶えたのでは?などと思われるかもしれませんが、昭和20年代の北海道シェパード犬登録協会(HSA)にはデヴェッド・フォン・ゴーソーホの子孫までもが多数登録されているのですよ。敗戦直後の犬籍簿を眺めていると、「これだけの血脈が受け継がれたのか」とナカナカ感慨深いものがあります(核攻撃を受けた広島市でも、ゴーソーホの子孫であるディソ・H・ズイコが生き残っていました)。

日本犬界の復興は、軍用犬の復活を意味しました。軍用犬の調達システムは、巨大な民間ペット界という資源母体なしに成立し得ないのです。

 

犬 

北海道では多数のシェパードが戦時を生き延びました。戦後はHSAが中心となり、本州のJSAと連携しながらシェパード界復興に尽力しています(画像は昭和24年のHSA登録犬)。

 

昭和25年、警察力を補完する武装組織「警察予備隊」が発足。その直後から、民間畜犬団体関係者に「シェパードの訓練法を教えてほしい」という問い合わせが入り始めます。

JSAの関谷昌四郎氏によりますと、依頼は警察予備隊幹部からのものだったとか。
警察予備隊は、旧軍のノウハウを受け継いだ警備犬の配備を計画していたのでしょう(関谷氏の証言だけでは、何かしらの進展があったかどうかは掴めませんでした)。

警察予備隊の計画については、僅かながら記録が残されています。

 

われわれの待望した講和條約も締結され、新生日本が新しい使命をおび国際場裡に再出発する時に当って、わが愛する使役犬シェパードも、いよいよ時代の脚光を浴び、ますますその本領を発揮して、大いに発展する段階に至ったのである。

昨年の八月には比島国軍へ百五十頭のシェパード犬が軍犬として購入され、更に本年六月には米国極東空軍は、日本警察犬協会を通じ警備犬二百頭の購買を契約し、既に百頭は納入され、九月に五十頭と逐次実施されている現況であり、今後もこの方面の需要が増大する見込みである。

一方国内にあっては、警察予備隊を中心とし警備犬としての使役面が鋭意研究されており、日本防衛の一翼を担って華やかに再出発するものと思われる。

 

斉藤忠一『日本各地の発展状況と特異性(昭和27年)』より


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【保安隊の犬たち】

 

発足から2年後の昭和27年、警察予備隊は「保安隊」に改編されました。
警察予備隊の警備犬計画も引き継がれた様で、保安隊では実際にシェパードを購入して訓練を開始。また、本格的な保安隊警備犬訓練所も設立されています。

 

我が国保安隊も近く警備犬研究部、警備犬隊を創設する運びとなり、S犬の購買より先づ人を作れとの保安隊部隊長一水公道氏の説に依り、全国保安隊中より若干名選抜。東京に派遣され、三月二十三日(※13日の誤記)よりJSA日本シェパード犬登録協会東京本部に於て、関谷、有坂、蟻川氏等講師のもと毎日学科の講習を受けている。

研究生は何れも元気潑溂、研究意慾も旺盛で、その熱心な質問事項も夫々つぼにはまり末頼もしき面々と講師連を喜ばしている。猶実地訓練所の見学は、東京第一警察犬訓練所(小野瀬正一氏)、同第二(一瀬欽哉氏)、東京山手警察犬訓練所(阿比留左氏)、国際ドッグスクール(園部氏)等である(昭和28年)

 

警備犬隊を創設した一水公道氏はもと満州国扎蘭屯(ジャラントン)で興安東省警務科長をつとめ、満州軍用犬協会メンバーだった人物です(保安隊が見学した一瀬欽哉氏も満州国税関監視犬訓練所の出身で、国境警備犬や阿片探知犬の訓練士でした) 。満州国での経験から、保安隊における警備犬の必要性を訴えたのでしょう。

犬の訓練ノウハウを持たない保安隊は、民間シェパード団体のJSAに協力を要請しました。下記は、保安犬配備計画に関する貴重な記録です。

 

・保安犬取扱要員の教育

豫て保安庁第一幕僚監部に於ては保安隊に於ける警備犬整備の態勢を編組されたが、今般當協会に對し保安犬取扱要員の教育を依頼された。要員は北海道より九州各地に亘る希望者百数十名中より基幹要員たるべき幹部以下(将校下士官相當級)十五名を選抜され、3月13日から20日に至る一週間當協会に派遣せられた。
本部は講師に相馬、蟻川、有坂、関谷、藤島各審査員に都内優秀訓練士を補助に依頼し、各種教材を整えて萬全の教育準備を整へた。
第一日は保安庁第三部大島副部長、古井部員以下来会。大島一正の訓示に次で筑波会長より一場の挨拶があつて閉講された。
相馬氏の保安犬の使命、有坂氏の保安犬論、蟻川氏のシエパード犬の見方、関谷氏の訓練概論、飼育管理、藤島氏の訓練細論、實習等次々熱講が続けられ、週末3日は主に訓練の實習を各人手をとつて行い、杉浦、前田、阿比留(武)各訓練士が名訓練犬を携へ参加した。
尚、訓練所の視察は阿比留氏、園部氏、小野瀬氏の各訓練所に於て夫々の特徴を見学して、一同最大の収穫を収め得たのであつた(昭和28年のJSA会報より)

 

文中の関谷氏とは前出の関谷昌四郎・元陸軍獣医少佐。戦時中は、その専門知識でKVの運営を支えました。
相馬氏とは、JSVを黎明期から牽引してきた新宿中村屋の相馬安雄社長。
蟻川氏とは、KVからJSVにヘッドハントされた蟻川定俊理事。
相馬・蟻川の両氏は、陸軍省医務局の失明軍人誘導犬輸入計画で主導的役割を果たしました。
有坂氏とは有坂光威・元陸軍騎兵大尉のこと。彼はシュテファニッツSV総裁の著書を邦訳出版するなど、日本陸軍屈指のシェパード専門家でした。因みに「シェパードが来日したのは大正3年の青島攻略戦から」という通説は、有坂大尉の「青島攻略戦後に収容されたドイツ軍俘虜が青島系シェパード(軍用犬ではなく警察犬の系統)を連れていた」という目撃談が元ネタです。

 

帝國ノ犬達-保安隊

保安隊の警備犬(『保安隊弘報(昭和28年)』より)


つまり、日本シェパード界を代表する人材が保安隊を指導していた訳ですね。
そして筑波会長とは、皇族出身で靖国神社宮司(当時)だった筑波藤麿のこと。
戦時中はKVや陸軍の恫喝から防波堤となってJSVを護り抜き、それゆえ軍隊嫌いだった筑波会長ですが、戦後の保安隊警備犬計画には積極的に協力しています。意外ですねえ。
警察犬協会の介入を防ぐため、保安隊事業はJSAが主導権を握っておこうと思ったのでしょうか?

 

シェパード犬は飽く迄作業犬であると云う本質に鑑み、これを訓練することは必須の條件でありますが、更にこれを實際的使役に服せしめることはより一層意義あることであります。而して昨年度に於ては一週間に亘り保安隊の要員に對し實地講習を行い、将来の使用に資し又警視庁鑑識課に協力して使役面の擴大に寄与し、更に米極東空軍の軍犬購買を斡旋して、相当数の犬を朝鮮戦線その他の方面における使用に供した(※この時点で極東米軍160頭、朝鮮半島には27頭が配備)ことは實用使役面の狭小も啣たれる現在、まことに歓ばしいことであります。
29年度は以上の如き目醒ましい活動と共に對外的にも大きな飛躍を遂げました。特に年頭に方り社團法人警察犬協会と共催の下に第一回オール・ジャパン・グランド・ビクター展を開催してわが犬界空前の成功を収め、本年も亦近く第二回の同展が挙行される運びとなつて居りますことは同慶の至りであります。この機会に於て日本犬界が一日も早く一丸となつて世界の檜舞台に進出するに至らんことを祈る次第であります。

 

JSA會長 筑波藤麿 『年頭の辞(昭和29年)』より

 

帝國ノ犬達-保安隊
捕虜監視訓練中の保安隊ハンドラーと警備犬。この他に給水施設警備中の写真も残されています(『保安隊弘報(昭和28年)』より)

【陸自の犬たち】

 

昭和29年、保安隊は陸上自衛隊に再編されました。保安隊の警備犬が廃止となったのか、それとも陸上自衛隊へ引き継がれたのかは不明。短期間で組織改編が重なった為、この時期の状況についてはよく分らないのです。
陸上自衛隊の犬たちについても、調査不足なので多くを書くことが出来ません。
昭和30年代に、陸上自衛隊が警備犬を配備していたのは事実。存在すら忘れ去られた陸自警備犬ですが、記録はちゃんと残っています。

帝國ノ犬達-自衛隊の犬

昭和30年の自衛隊犬寄贈募集広告。北海道方面でも配備していた様ですね(文章が変なのは、当時が歴史的仮名遣いから現代仮名遣いへの転換期だったため)。

 

陸上自衛隊の犬に関する有名な記録が、長野県松本駐屯地第13普通科連隊のケースです。

同連隊では昭和35年頃より地元シェパード展覧会への音楽隊派遣、長野県警の嘱託警察犬運営委員会設立計画に愛犬家の自衛隊員が協力するなどの地域交流を推進。長野シェパード界も、警察犬復活の時流に乗じて軍事分野への再進出を図っていました。

その結果、民間から寄贈を受けた自衛隊犬の配備に至ったのです(松本駐屯地の警備犬については、歩哨勤務及び野戦訓練中の写真も残されています)。

 

陸上自衛隊松本部隊では、一昨年4月JSA南信支部から寄贈したシェパード牝犬を隊内で飼育訓練し、生後10ヶ月でJSA所定の訓練試験を受けたが、熱心な隊員の努力により「V」の評価で合格した。その後引き続き特性を応用し、その本能を発揮させるための施設物の単独警戒や嗅覚を利用した暗夜の警戒、パトロール等に活用しているが好成績である。

この犬は1958年11月20日生まれであって性能もよく、現在伝令作業、その他実用に役する訓練を実施中であるが、将来は有線網の構築、負傷者の救護、紛失物の捜索等に実地使用。自衛隊犬として大いに活躍せしめたいと犬を朝夕世話をしている隊員ははりきっている。

 

JSA『南部支部通信(昭和36年)』より

 

戦時中に磨き上げられたレスキューや警戒任務はともかく、携帯無線の普及で時代遅れと化した伝令任務まで継承しており、現代戦に対応した内容とはお世辞にも言えません。日本陸軍が編み出した地雷探知犬のノウハウも継承されておらず、敗戦によって失われた技術は多かったのでしょう。

陸上自衛隊は、苦労してイチから学び直すことを余儀なくされたのでした。

 

昭和39年の広告より


さて。
日本犬界においては珍しくもない陸自犬の記録ですが、2010年時点の日本ミリタリー界では全く知られておりません。
「当たり前だ!昭和30年代のハナシなんか誰も知らねえよ!」と怒られそうですが、陸自犬の記録と写真が再公表されたのは1993年(平成5年)のこと。当時の私はまだ学生で、本格的に犬の歴史を調べ始めたばかりでした。
それ以来ずーっと観察してきましたが、ミリタリー雑誌やネット上で保安犬や陸自犬が取り上げられたことは一切ナシ。

物知り顔で日本の軍用犬を語っている人々が、その基礎部分である日本犬界へ全く目を向けていない証です(犬の話をしている筈なのに、不思議ですね)。

 

我が国の軍用犬史を「日本犬界の中の軍事分野」と捉えるか、「軍事分野における犬の利用」として捉えるかの違いで、このような珍事は往々にして発生します。零戦で例えると、その開発生産を含めた日本航空史の一頁として俯瞰する人もいれば、戦場の武勇伝のみを見たがる人もいるのです。

軍用犬の歴史を軍事オタクが解説する謎の現象も、傍から見ている分には面白いですよ。日本史が赤点だった人による、間違いだらけの戦国時代解説みたいで。

酷い部類になると「ナチスがシェパードを作出した!」とかいう主張まで見かけます。ドイツSVによってシェパードが作出された1899年、アドルフ・ヒトラーは10歳くらいの少年でしたけどね。

 

帝國ノ犬達-リーツ
山梨県農事試験場で牧羊勤務につくシェパード犬リーツ號 (昭和10年)。日本緬羊界はコリーとケルピーが独占しており、遅れて来日したシェパードの「大手就職先」は陸軍だけでした。

よって、我が国ではシェパード=軍用犬のイメージが定着します。

 

彼らは「ジャーマン・シェパードは狩猟民族たるドイツ人が作出した軍用犬である」などとも主張していますが、ドイツは狩猟採集文化ではなく農耕牧畜文化ですし、ジャーマン・シェパード・ドッグを直訳すると「ドイツの羊飼いの犬(要するに牧羊犬)」の意味となります(シェパード作出者のシュテファニッツも「シェパードの任務は畜群監視、最重要なのは羊の監視」と明記しています)。

牧畜業界が小規模だった日本において、ドイツ牧羊犬史を感覚的に理解することは難しいのでしょう。結果、ナチスだの狩猟民族だのというドイツっぽいキーワードを並べた意味不明のシェパード論を開陳してしまうワケです。

ミリタリーを軸に軍用犬史を語るのは誤りなのですよ。犬の歴史を軸に軍事分野への応用を繙くべきなのです。

長くなりますので、日本の牧羊犬史は別記事にて。

 

航空自衛隊員と警備犬


【海自の犬たち】

 

いっぽう、昭和27年に海上保安庁から分離された保安庁警備隊は、昭和29年に海上自衛隊として再編されます。
そして昭和32年、海上自衛隊の横須賀および大湊地方総監部が「警備犬」を採用しました(ちなみに当初の呼称は「警衛犬」「海上警備犬」等とまちまちです)。

警備犬配備にあたって、海自ではJSAではなくNPDに協力を仰いでいます。帝国軍用犬協会から犬を調達していた陸軍、日本シェパード犬協会から調達してた海軍とは逆の構図ですね。

 

大湊に配備された最初の海自警衛犬は二頭。まず横須賀で警察犬協会公認訓練士佐藤三郎、福田武雄両氏の訓練を受けた後、浜島一曹、柳谷技手と共に上野駅から大湊へ向かいました。

 

 

私の隊は海上自衛隊なので、陸上勤務要員は少なく、此の手不足分を警衛犬で補いたいと思っています。犬の数も少ないので、初めは、弾薬庫等の重要な処に使うことになる予定です。

何しろ田舎の広い処なので利用価値は非常に大きいものと期待しています。

唯心配になるのは、犬を取扱う人の問題ですが、転勤とか学校に入るとかで、一ヶ所に長く勤務出来る人は少ないのです。ですから、何時も次の犬の取扱者を順次に養成して行くつもりです。

初めは、それでは地についたものになりませんから、概ね二カ年間は同じ人で管理し、しっかりした基礎を作る考えです(浜島一曹)

 

大湊の田舎では、こんな立派なシェパードは全然見られません。私自身もシェパードは初めてでしたが、今度十日ばかり横須賀でお世話になりながら、犬の取扱いを教えて貰っている中に、初めの恐ろしさはなくなり、犬の気持ちが解るようになりました。

そうすると非常に可愛さが出て来て犬の顔を見ないと自分の気持ちが落着かない程です。

大湊ではきっと珍しがって、直ぐに大きな評判になる事でしょうが、警衛犬は犯人を捕えることより、犯罪を未然に防止することが目的なのですから、しっかり頑張って立派な警衛犬に仕上げたちと思いますので今後ともよろしくお願いしたいと思います(柳谷技手)

 

いずれも「大湊海上自衛隊に警衛犬(昭和32年)」より

 

いっぽう、海自警備犬の採用へ協力したNPD側の談話がこちら(最初は横須賀に4頭、大湊に2頭の配備計画だったようです)。

 

思えば昨年三月、海上自衛隊より、警備犬を牡牝三頭づつ、支給購入したいと依頼を受けたのが、あと四、五日で四月になるという日。年度末予算の都合で、ぜひ三月中に間に合わせてほしい、との要望に「何とか致しましょう」と約束をして、総監部の契約課を出たものの、果して期日に間に合うかどうか。とにかく、NPD本部に連絡し、協力方を依頼しましたところ、無理を承知で心よく引受けてくれました。その時の気持は、何とも云い表わしようもありませんでした。お陰で、三月末日ギリ〃に、警察犬協会と防衛庁との間に、契約が成立し、四月早々、二頭の犬が当地に到着。直ちに警備犬としての訓練に入ったわけであります。まず困ったことは、犬も私と初対面、また三名の警備犬係隊員も初対面、おまけに、その隊員には厳格な、訓練日程が組まれているという次第で、気ばかりあせって、思うように能率のあがらないもどかしさ。幸い親友の福田訓練士が協力を惜しみなくしてくれ、また隊員の熱心な努力とが実を結び、一か月後には、すっかり警備犬として恥かしくない犬と隊員が出来上がりました。

翌五月には、当地で開催された警察犬訓練競技会に特別出場し、妙技を市民に公開できるまでになり、人気を集めました。こうして、広大な四万坪の自衛隊弾薬庫警備にそなえて、磐石の護りについたのであります。

 

警察犬協会 佐藤三郎『海上自衛隊で警備犬に階級授與(昭和33年)』より

 

南極観測隊が撤退の際にカラフト犬を置き去りにし、日本全国から猛バッシングを受けていた昭和33年2月10日。

横須賀の海自警備犬「アドルフ・ユリシ」と「アリア・シミズ」夫婦は七頭の仔犬をもうけ、横須賀地方総監吉田英三海将から3等海曹(仔犬たちには3等航海士)の階級を授与されました。

一般公募で「渚」「富士」などと名付けられた仔犬たちも生後7ヶ月過ぎから訓練に入り、個別評価で合格したら海自の各警備地区へ配属される予定だったとか。

 

昭和三十二年五月横須賀海上自衛隊、大矢部弾薬庫の夜間警備に当たって以来、二頭共克く勤務に精励、重大任務を果しつつある功績に依り、君達夫妻に、三等ペティ・オフィサーの階級を贈り、今後の健闘を祈る。亦犬年にさきがけて七匹(内牡六、牝一)の誕生を見、幸先のよいことで喜びに耐えない。尚仔犬七頭にもシーマン・レイルートの階級を授与する。

なお一般からも、この仔犬達に海上警備犬にふさわしい日本名を募集する。

 

東京朝日新聞(昭和33年)


海自警備犬の任務は施設警備に限定されており、「沿岸警備犬へ発展させてはどうか?」などという無茶な提案は現れませんでした。確かに、日本人は満州国税関で国境警備犬を運用した実績があります。ただし、アレは鴨緑江流域に守備範囲が限定された満朝国境線だから可能だったコト。
莫大な予算を投じたところで、日本列島の長大な海岸線と無数の島嶼部に警備犬とハンドラーを貼りつけるなんて不可能です。そんな予算があるなら海保の装備や税関の麻薬探知犬を充実させた方が何万倍もマシ。

日本海軍の犬も、陸戦隊を除いて軍需部の火薬庫や資材庫の警備が主任務でした。海上自衛隊の犬達も原点回帰した訳ですね。

 

【空自の犬たち】

 

陸自や海自に遅れて、航空自衛隊が「歩哨犬」を採用したのは昭和36年のことでした。広大な滑走路の警備は、人力のみでは難しかったのでしょう。

空自歩哨犬の配備は、あの源田実が発案したのだとか。ジャパン・ケネルクラブ(JKC)の会長もつとめていた彼の意図は、どのようなものだったのでしょうか?

JKC資料には空自犬に関する源田氏の記録はなく、「自邸で愛犬たちに囲まれてデレデレ状態の源田会長」の姿しか知ることができません。


犬
昭和30年代、航空自衛隊に配置された警備犬(航空自衛隊航空参考館にて)
 

1961年3月(※昭和36年)、空自の育ての親とも呼ばれる源田実氏が空幕長を務めていた時、愛知県の高蔵寺分屯基地にて、米軍から払下げで譲り受けた歩哨犬を使い始めたことが始まりだという。

ベトナム戦争帰りの犬12頭と秋田犬は、当時横田基地にあった訓練所へ通って指導を受け、その後1963年に入間基地へ移動。

2013年には歩哨犬から警備犬と改称し、歩哨犬管理班も警備犬管理班へと変更された。現在、警備犬管理班は警備という職種に当たり、警備犬は、全国の基地に160頭余りが配備されている。

 

乙夜「航空自衛隊中部航空警戒管制団 基地業務群管理隊 警備犬管理班(『ストライクアンドタクティカルマガジン』2020年11月号掲載)」より

 

たしかに「昭和36年採用開始」は間違いないのですが、その調達ルートは米軍経由以外にも複数存在しました。JSAやNPDの資料によると、同年に東京で空自警備犬を購買調達した記録があります。

陸自犬や海自犬のような準備段階からのアナウンスもなく、空自犬のデビューは唐突に、そして短く報じられたのみ。航空自衛隊とJSA・NPDによる水面下の交渉については詳細不明です。

 

自衛隊航空幕僚監部では、今般警備犬としてシェパード犬を採用されることとなり、その第一回の購買を去る三月二日上野公園において実施されたが、受検十数頭の中から三団体協力(※日本警察犬協会、日本シェパード犬登録協会、日本警備犬協会)の下に厳格な性能及び体型検査を行われ、その結果五頭の優秀犬が買上げられた。

 

JSA『自衛隊で警備犬採用(昭和36年)』より

 

帝國ノ犬達-歩哨犬


帝國ノ犬達-歩哨犬

帝國ノ犬達-歩哨犬

帝國ノ犬達-歩哨犬

帝國ノ犬達-歩哨犬

帝國ノ犬達-歩哨犬

 

空自犬と旧軍の接点が源田実だけというのも微妙です。海軍出身の源田氏ですが、海軍の軍犬とは無関係の人物であり、戦後のJKC会長や航空自衛隊幕僚長という立場を利用しただけなのでしょう。
「陸自や海自の犬を旧陸海軍と絡めて語る」手法は可能ですが、航空自衛隊の場合はどうなのか?
我が国の過去に「日本空軍」が存在しなかった以上、空自の犬を旧軍と絡めるのはどうにも無理筋です。どちらかというと、米軍の流れを汲んだ文脈で語るべきでしょう。

 


【自衛隊警備犬の将来】

 

ここからは将来のお話を。

自衛隊の海外派遣が拡大されつつある現在、「自衛隊の犬は専守防衛限定」とは誰も保証できません。

「近い将来、犬を海外派遣した」という仮定の話ですが、緊急の対応を迫られた場合、自衛隊はどのような判断を下すのでしょうか?状況が悪化した際、犬よりも人が優先されるのは当然のこと。

危険地帯へ赴く犬には、常にその可能性がついて廻ります。

キスカ島撤退作戦の如く、もしも犬だけ置き去りになんかしたら非難ゴーゴー、バッシングの嵐ですよ(第一次南極観測隊のカラフト犬置去り事件の際には、観測隊や文部省へ猛抗議や助命嘆願が殺到しました。翌年のタロ・ジロの生存確認でハッピーエンド扱いですけど)。

政治家や自衛隊にその覚悟があるのでしょうか?
海外派遣された警備犬が重傷を負った場合は?治療するの?安楽死させるの?誰がそれを判断し、責任を負って、誰が実行するの?まさか紛争地帯に獣医さんが同行するの?犬の治療の為だけに救難ヘリを飛ばすの?
犬の補充や交替や検疫や徐役の体制は?作戦中に犬が行方不明になった場合の措置は?
犬が死んだ時、その遺骸は現地に埋葬するの?それとも日本へ持ち帰るの?

コレは単なる私の妄想です。
しかし、その想定と明文化が必要となる時がくるかもしれませんね。

 


犬やハンドラーを真っ当に運用・評価するための思想や制度が、自衛隊にあるのでしょうか?

旧軍のように、上層部の思いつきで編成・廃止される存在に貶められる危険はないのか。その運用エリアも国内に限定するのか、海外派遣にまで拡大するのか。警備犬を連れていかねばならないほど危険な海外派遣は、もはや「戦地での運用」ではないのか。ロボットやセンサー類といった代替策への研究は進んでいるのか。

自衛隊側が「犬に関する中期防」の発信を怠っている現在、不安と不信感だけが募ります。
先の大戦で軍犬武勇伝を報じ、犬の戦地出征に加担したマスコミにも、こんどは「税金で調達した犬を、自衛隊がどのように運用管理しているか」を厳しくチェックし、粗末な扱いを防ぐよう国民へ知らしめる責務があります。
戦争の犠牲となった何万頭もの軍用動物に対する、それが我が国の贖罪のかたちなのです。

 

昭和20年の敗戦で、数多の軍犬を戦地へ置き去りにした日本。
その先例から学ばずに自衛隊が同じ過ちを繰り返すならば、戦地に散った軍犬たちは文字通りの犬死にとなるでしょう。


帝國ノ犬達-歩哨犬3
何だかんだと批判的なことを書いていますが、実際見るとカッコイイです。困ったな(航空自衛隊にて)。

 

……などと、軍用犬の解説は美化や批判という感想文へ陥りがちです。

「軍用犬を讃えよ」とか「殺人犬を用いるのはケシカラン」などという人間側のアジテーションは、犬の話を知りたい人にとって不要なワケです。それに費やす文字数で、施設警備や災害復旧における運用実績を書けと。

どうしても批評家を気取りたければ、「戦後日本の安全保障と犬」についてご自身でお調べになっては如何でしょうか?

某国の原子力空母寄港時、〇〇〇の〇〇〇〇周辺にアンブッシュしていた警察犬のエピソードとか(イロイロと自主規制)興味深い話が見つかりますよ。
戦後の犬たちも、テロ対策の現場で活躍してきたのです。まあ、これらは警察犬のハナシですけど。

 

 

紀元前から戦い続けてきた軍用犬。
我が国の場合、大正8年の陸軍歩兵学校軍用犬研究スタートから今年で90年となるんですよね。その間、数多くの犬たちが戦争の犠牲となりました。

戦後日本生れの軍用犬もアジア各地で軍事任務に従事し、警察予備隊、保安隊、自衛隊で活動してきました。
現代の日本もテロや大規模災害と無縁ではありません。自衛隊の犬たちには、これからも任務が待っています。
いつの日か技術の進歩によって、彼らもお役御免となる筈。そこへ至る迄には、この先何十年かかるのでしょうか?


帝國ノ犬達-歩哨犬
航空自衛隊員と歩哨犬